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第一章
精鋭騎馬隊 その2
しおりを挟むまもなく、精鋭騎馬隊は東方元帥の本拠地である唐との国境、赤嶺の麓の台地に移動することになった。ルコンとゲルシクにはその前に調練の経過を報告せよとの命が下り、ふたりはツェンポが滞在するドメに向かった。
その途中少し回り道をして都のニャムサンの屋敷を訪ねると、ニャムサンの妻プティは困ったような顔でふたりを迎えた。
「せっかくお運びくださったのに、申し訳ございません。夫はお寺の工事を見に行っているのです」
ルコンはゲルシクと顔を見合わせた。寺とツェンポの滞在する牙帳とは、都を挟んで反対の方向にある。ニャムサンに会うのは諦めるしかない。ゲルシクは言った。
「仕事では仕方がない。プティどのは不足なことはござらぬか。儂を本当の父と思って、遠慮なく頼ってよいのですぞ」
プティは愛嬌のある笑顔を見せる。
「おかげさまで、わたしもなんの不満もなく過ごしております。ゲルシクさまとルコンさまのお力添え、主人もわたしもこころ強く、ありがたいと思っております」
「そうかなぁ。ニャムサンどのからは余計なお世話と煙たがられてばかりいるようなのだが」
「あの性格ですから、素直に感謝することが出来ないのでしょう。本当は、主人もおふたりに会うのを楽しみにしているのですよ。留守の間にいらしたと知ったら、きっとガッカリするでしょう」
「ならいいのですがなぁ」
ゲルシクの頬が緩んだ。
「寺の建立は順調に進んでいるのですか。和尚は雪解けとともに天竺に帰ったそうですな」
ルコンが聞くと、プティの瞳に暗い影が差した。
「それが、主人は仕事の話をしてくれないので、わたしにはわからないのですけれど……」
プティはほっそりとした指を顎に当てる。
「和尚さまがお帰りになられたことと関係あるのかどうか、変な噂があるので少し心配しております」
「噂?」
「ええ。なんでも、誰もいないはずの夜間に火が出たり、貴重な木材が川に投げ込まれていたり、何日もかけて作った基礎が一晩で壊されてしまったりして、なかなか工事が進まないとか。よその国の神さまを祀るお堂だから、もともといる神さまが怒っているのだというひともいて……」
「そんな噂は信じることはない」
ゲルシクは大声で言うと、カラカラと笑い出した。
「プティどのも聞いているだろう。寺の建立は国一番の神降ろしが、ツェンポの祖霊に伺いを立てて決まったことだ。怒られるいわれはない。それに従わぬのは悪鬼の類であろう。儂がやっつけてやる」
「ゲルシクどのは鬼にもケンカを売るのか」
ルコンがあきれた声を上げると、ゲルシクは鼻息を荒くして剣の柄をたたいた。
「もちろんだ。ツェンポに逆らう者は、なにであっても儂の敵だ。プティどの、ニャムサンどのには儂がついておるからなにも心配することはないぞ」
ルコンが付け加える。
「いたずらをしている不届き者がいるのでしょう。現場には警護の兵もいる。近いうち犯人は捕まるにちがいない」
プティは愁眉を開いてクスクスと笑い出した。
「おふたりにそうおっしゃっていただければ安心です」
「そういえばしばらく会っていないが、ゴーはニャムサンの側にいるのでしょう」
プティは目を丸くした。
「いいえ。ゴーさんはラナンさまにお仕えしています」
都からドメに向かう馬上で、ルコンは顔をしかめた。
「寺に不穏な動きがあるのですか」
「おう、実は和尚がお帰りになられたのは、そのせいで工事が進んでおらぬからなのだ。改革派の尚論たちがなにか工作をしているのではないかとにらんでおるのだが」
「わたしもそう思います。プティどのには言えなかったが、鬼などよりよほど心配だ。ゴーが側にいないということは、ニャムサンは相変わらず従者のタクとふたりだけで都の外を出歩いておるのではありませんか」
ニャムサンは『自分で出来ることをやらせるためにゾロゾロ連れ歩くのはバカらしい』といって、家来を伴うことを嫌っている。従者はティサンとゲルシクが説得してようやく伴うようになった。それ以前はひとりで都の外をフラフラしていたのだ。
「そうでしょうなぁ。ニャムサンどのもそれなりに剣の腕は立つが、大勢で襲われたらひとたまりもない。ティサンどのとも相談して、勝手に護衛をつけるとしようか」
「まったく、手のかかるヤツだ。いつもおふたりに面倒をかけてばかりいる」
「しかし、そのように自分を曲げないところもニャムサンどののいい所でありますしなぁ」
いつもニャムサンに振り回されているというのに、ゲルシクはこの上なく楽しそうに言った。
ドメに到着すると、ふたりはその足でツェンポの牙帳に伺候した。ツェンポの傍らにはゲルツェン・ラナンが控えている。よほどラナンは気に入られていると見えた。
ツェンポはルコンの報告に、上機嫌でうなずいた。
「精鋭騎馬隊のために青海の良馬を揃えました。すぐに東方の本拠地に向かってください」
「陛下、ひとつお願いがございます」
「いくつでも、なんなりと。必要なことは遠慮せず言いなさい」
「ありがたきお言葉にございます。是非、シャン・ゲルツェンに、精鋭騎馬隊の視察にいらしていただきたいのです」
ゲルシクが不満そうなうなり声をあげると、ラナンの肩がピクリと揺れた。かまわずルコンは続ける。
「ナナム家には経験豊かな尚論が多くおりますが、組織された兵站部隊ははじめてのこと。そのうえ、唐の軽騎兵に備えるためにはこれまでにない装備が必要となります。実際に目で見ていただかねば、わからぬこともあるでしょう。是非、シャン・ゲルツェンには自ら足を運んでご覧いただきたいのです」
ツェンポの声が弾んだ。
「それはよい経験となるだろう。シャン・ゲルツェン、視察を命じます」
ラナンは口中で「御意」とつぶやくと、深く頭を沈めた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この後『ナナムの血』とややかぶるお話となります。
こちらの『京師陥落』は『ナナムの血』のかなり前に書いたお話ですが、『ナナムの血』を書いたあとに直したところもあり、エピソードが矛盾しています。
(例えば、『ナナムの血』ではルコンは直接ラナンを見学に誘っていますが、こちらではツェンポに許しをえるという形になっています)
ご容赦ください。
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