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第一章

精鋭騎馬隊 その1

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 唐の畿内まで攻め込むのなら、平地でのいくさにあわせて軍を再編成する必要がある。
 ルコンの進言を受け、ツェンポはルコンとゲルシクに精鋭の兵士による騎兵隊の創設を命じた。ゲルシクが麾下から優秀な兵士千人余りを選抜し、ふたりは調練を開始した。
 ルコンが最初の調練の地に選んだのは、ひと冬を過ごした北原の地だった。

 土煙を上げて走り回る騎馬兵を、ゲルシクは満足気に眺めている。
「これだけの騎兵となると、さすがに迫力がありますなぁ」
 岩に腰掛けたルコンは首を振る。
「これでは唐の軽騎兵の足下にも及びません。まだまだ鍛えねば使い物になりませんぞ」
「良い馬がそろっていないからであろう」
「それ以前の問題です」
「ルコンどのは厳しいですなぁ」
 お預けをくらった子どものように眉を下げたゲルシクを見上げて、ルコンは微笑んだ。
 これまで、唐とは国境の山地で戦うことが多かった。しかし唐の京師長安を攻めるなら、平原での騎馬隊による戦闘も考慮しなくてはならない。何千年もの間、北方の遊牧の民と戦ってきた中華の騎馬隊は、いまや世界最強と言っても過言ではない。その上、唐には騎馬に長けた民族出身の将も多数いる。
 それらと互角に戦える騎馬隊を、半年で作り上げなくてはならないのだ。調練が厳しくなるのは仕方がない。
 日が落ちると、夕食の時間となる。そんなとき、ゲルシクは兵卒とともに肉を喰い、酒を飲み、歌い踊る。飾らぬゲルシクは年かさの尚論たちからは煙たがられていたが、目下の者には父親のように慕われていた。自然と兵士たちの団結は強くなる。ルコンには出来ない芸当だった。
 ルコンは、怪我人が休んでいる天幕に足を向けた。なかでは十人ほどの兵は静かに身体を横たえていた。その合間を、小さな影がすばしっこく行き来している。リンチェがひとりひとりに夕食を配っているのだ。
「自分も疲れているのでしょうに、えらいものですね」
 背後から、声をかけられて振り向くと、調練を視察に来ているティサン・ヤプラクの白い顔が笑んでいた。
「精鋭の兵士に後れを取ることなく、馬を乗りこなしていました。ルコンどのが仕込まれたのでしょう」
「天賦の才があったようです。思わぬ拾いものをしました」
 ルコンがこの地を選んだのは、リンチェの家族にリンチェの無事を知らせたかったからだ。
 北原に戻ったリンチェの家族は、ルコンの一行が姿を消しているのを見てリンチェは死んでしまったと思いこんでいたようだ。ルコンがリンチェを伴って訪ねると、一家は驚き、大声で笑いながら舞うように歓喜を体いっぱいで表した。リンチェの両親、叔父、そして兄弟姉妹は、次々とルコンに拝跪して手を取り、額に押し頂いた。
 一家の興奮が落ちついたのを見計らって、ルコンは告げた。
「このままリンチェをわたしに預けてくれるか。わたしが責任をもって育て、必ず立派な将にする」
 家族に異存はなかった。母親は涙を流しながらリンチェを抱きしめ、なんどもルコンに礼を言った。

 リンチェが怪我人たちに食事を配り終わったのを見計らい、ルコンは声をかけた。
「自分の食事はまだなのだろう。一緒に食べよう」
 リンチェは笑顔で駆け寄ってくる。ティサンが言った。
「わたしもご一緒してよろしいでしょうか」
「もちろんです」
 三人はルコンの幕舎で夕食を摂った。
 給仕をするリンチェに、ティサンは優しく家族のこと、調練のこと、将来どうなりたいかなどを訊ねている。まだ、ティサンに対する疑念はすっかり消えたわけではい。しかし目下の者にも丁重に接するティサンの態度には、ルコンも好感を抱かざるを得なかった。
 酒を満たした杯に口をつけると、ティサンからルコンに話しかけて来た。
「以前からルコンどのと親しくお話をさせていただきたいと思っておりましたが、なかなかその機会を得ることができませんでした。今日はゆっくりお話しが出来そうなので、嬉しく思います」
「そういえば、このように膝を突き合わせてお話することはありませんでしたな。それにしてもお若いのに完全に軍務から退かれたことが惜しくてなりません。副相であっても軍を指揮することは出来ましょう。なぜ、そのようなご決心を?」
 ルコンは最も不審に思っていたことを訊いた。
 ティサンはまだ三十を越えたばかりだ。将として最も脂の乗る年頃であるのに、戦場に赴くことがなくなった。マシャンに排除されることを恐れてツェンポの側を離れなかったのだろうと思っていたが、その必要がなくなったいまも出陣する気はないらしい。
 ティサンははにかんだような笑みを見せる。
「いくさは嫌いではありませんから、ときどき戦場が恋しくなることはございます。しかしあれもこれも欲張ってやろうとしては、結局なにひとつ成し遂げることが出来ないでしょう。もちろん、複数のことを同時に大成出来る者もいるでしょうが、わたしはそれほど器用な人間ではないのです」
「もっと、なさりたいことがあるのですか」
 たいまつの炎に照らされて眩しいほど輝く瞳が、ルコンを真っ直ぐに見つめた。
「ルコンどの。この国はようやく唐と対等に戦える国になりました。それはシャン・マシャンとルコンどののお力の賜物です。しかし、唐が内乱で弱体化したからという一面も否定できない。その実態に目を背けて驕れば、唐が復興したときには再びその後塵を拝することとなるでしょう。わたしは、この国をもっと強い国に、軍事だけではなく政治でも、文化でも、世界のどの国にも絶対的に負けない国にしたい」
 いつもは柔らかでつかみどころのないティサンの表情が、次第に精悍で鋭いものとなっていた。口調は熱を帯び、徐々に早口になって来る。
「そのためには変えねばならぬところが沢山あります。軍制の改革はもちろん重要ですが、国内の改革も必要なのです。統治の仕組みを改革し、民の生活を向上させる。新しい医療や農法や工法を学ぶ学生を唐や天竺に派遣する。法制を整え、民が公平で正しい裁きを受けられるようにする。陛下の威令が国の隅々まで行き渡るよう、駅伝の制度を見直す……。いままで当たり前だと思っていたことも、よく考えれば不合理なことが多くあるでしょう。例えば文官と武官を兼ねる尚論のあり方。もしかしたら、本人の意向や資質を鑑みて役割を分けたほうがいいかもしれません。わたしはニャムサンどのやサンシどのがその先駆けとなってくれると期待しています。家柄や血筋に関係なく、能力を持つものをもっと登用出来る仕組みも模索したいところです。唐の科挙のような制度はどうでしょう。うーん、でも唐のように、それが新たな権力闘争の原因となっても困りますし……」
 ティサンは空に鋭い視線を定めたまま黙り込んでしまった。目の前にいるルコンのことをすっかり失念してしまっているかのようだ。ルコンはつぶやくように、ティサンに話しかけた。
「確かに、それをすべて実現させるとなると、いくさをしている暇などありませんな」
 ティサンは驚いたように目を見開いて、頬を赤く染める。
「失礼、つい夢中になってしまいました」
 ティサンの頭のなかは、いつもこのように将来の目論見でいっぱいなのか。ルコンは、自分が疑心に曇った目を通して彼の姿を歪めて見ていたのだと悟って、羞恥の気持ちが湧いてきた。
「こちらこそ、これまでの失礼をお詫びせねばならぬ。わたしはいままで、先のツェンポから頂いた厚遇を鼻にかけ、驕った目で周りの者たちを見て判断していた。貴殿のことも新奇なものを好むだけの軽薄な徒と誤解していたのです。わたしに謙譲のこころがあれば、もっと早くに貴殿を理解し、存分に話し合うことが出来たであろう。伝統派と改革派の溝を埋めることも出来たかもしれない。自身の愚かさが恥ずかしゅうございます」
「ルコンどの、決して遅くはありません」
 ティサンはルコンの手を取った。その目は赤く潤んでいる。
「どうかこれからも、わたしをはじめ、若い尚論たちを導いてください。まだまだルコンどののお知恵がこの国には必要にございます」
 ルコンはティサンに深く頭をたれた。
 理解の埒外の話題に退屈したのだろう。
 リンチェは天幕の隅で横になり、夢のなかで遊んでいた。
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