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第一章

チャンタン その3

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 家族は大反対した。母は「罪人と一緒に死ぬつもりか」と泣いた。
しかしリンチェはあきらめなかった。こんな機会は二度とないかもしれない。とうとう父が折れ、ルコンのもとに残ることを認めた。
 翌朝、持てるだけの燃料を携えて父とともに現れたリンチェに、ルコンは意外そうな顔を見せた。許しが得られるとは思っていなかったのだろう。
 それから数日後、リンチェを残して家族は南に去った。

 ルコンは内大相という偉い大臣で、ツェンポの叔父である摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの親友だった、と教えてくれたのはゴーだ。
 摂政はツェンポの意志に逆らい、ツェンポが信じる仏教を弾圧したため神罰が当たって姿を消してしまったのだという。ルコンはマシャンをそそのかした罪で、この地に流された。
 リンチェがはじめて洞窟を訪れた時にルコンとともにいた若者はナナム・ゲルニェン・ニャムサン。彼はマシャンの甥にもかかわらずマシャンに逆らい、仏教を信じる改革派となった。ルコンにとっても政敵ではあるが、ルコンは幼い頃からなにかとニャムサンに目をかけていたから、ルコンがつつがなく過ごせるよう物資を送ってくるのだという。
 ゴーは農の民の子どもだったが、小さい頃に山津波で家族を失い、マシャンに拾われて家来になった。
「自ら望んだかそうでないかの違いはあるが、わたしもおまえと同じだ」
 ゴーにそう言われて、リンチェは『下賤』の単語にゴーが示した反応に得心がいった。
「ご主人さま違う。どうして、来た、ですか?」
 リンチェが尋ねると、ゴーは空を見上げて言った。
「摂政のために様々な仕事をした。だからわたしも、ルコンさまと同罪だ」
 その仕事の内容は教えてくれなかった。

 ここでの生活は楽しかった。
 朝はゴーから武術を教わり、日中は家来たちについて雑用をこなし、夕食後はルコンのもとで字を勉強するのがリンチェの日課となった。はじめはリンチェのことを敬遠していたようすの家来たちも、リンチェの真面目な働きぶりを認めたのか、かわいがって都の言葉を教えてくれるようになった。
 冬になり、穴を掘ることも出来ないほどカチカチに大地が凍り付くと、雪がやって来た。洞窟から一歩も出られないほどの暴風が、ゴーゴーと音を立てて何日も吹き続けることもあった。そんなときには、ルコンが文字や言葉を教えてくれる時間が増えたので、リンチェはうれしかった。
 ニャムサンの約束したとおり、荒天の合間をぬって二十日に一度ほどの頻度でナナムの家来たちがやって来る。彼らが持ってきてくれる燃料や食料で、深い洞窟のなかは暖かく、飢える心配もなかった。
「陛下はいずれ殿をお許しになるおつもりではないか? でなければこのような支援のお許しが下るはずがないだろう」
 家来たちは数日に一度は噂し合った。そして、都に帰ったらなにをしようという話題でひとしきり盛りあがる。そこにゴーが加わることはなかったし、家来たちのほうからゴーに話しかけることもなかった。
 話の輪に入れないリンチェは、自然とゴーと共に過ごすことが多かった。

 少しだけ寒さが緩み、吹雪が減り始めたある日、ナナムの家来が一頭の若い馬を連れてきた。
「おまえの馬だ」
 ルコンはリンチェに言った。
「これからは、わたしが馬の乗り方を教えてやろう」
「馬は乗れます」
「ただ乗れるだけではダメだ。兵士として通用する馬術を身につけなさい」
 それを聞いて、リンチェは目の前が明るくなるような気がした。
「わたし、兵士になれますか?」
「なれるかどうかは、おまえの努力次第だ」
 やりたいことが見つかった。リンチェはゴーのような兵士になりたいと思った。
 リンチェはすぐに馬を乗りこなせるようになった。しかし、まだまだ競馬ではルコンにかなわない。実力の差を見せつけられるたびに泣いて悔しがるリンチェを、ゴーは「負けず嫌い」と言ってからかう。一方、それがリンチェのいいところだと褒めてもくれた。


 いつものようにゴーと剣技の稽古をしようと向かい合ったとたん、突風が雪を巻き上げた。ふたりは急いで岩陰に身を隠す。雪とともに吹き上げられた砂利が、山肌にパチパチと音を立てながらたたきつけられる。リンチェは膝に顔を埋めて小さくなって耐えていた。
 風のうなりは一刻ほどで治まった。
 ゴーが立ち上がる気配がしたので顔をあげて見ると、ゴーは厳しい顔をして、まだ灰色にけぶっている彼方をにらんでいた。
「どうしました?」
 ゴーは固い声で答えた。
「こちらに向かって来る」
 ゴーの視線の先に、リンチェも目を向ける。小さく黒い塊が、荒野の遙か彼方あった。数十人の騎馬の隊のようだ。先頭には旗が掲げられている。
 ナナムの家来はつい五日前に来たばかりだから違うだろう。
「兵のようだな」
「兵?」
 走り出したゴーのあとについて、リンチェも小山を駆け登った。
 洞窟の入口でルコンの家来も騒ぎだしていた。洞窟から出てきたルコンが、ゴーとリンチェに目を向けた。
「おまえたちは隠れていろ」
 ゴーは薄く笑った。
「一戦交えるとなれば、わたしもお役に立てると思いますが」
「争う気はない。陛下が死を賜るのなら素直に応じよう。だが、おまえはナナムの家来だ。わたしとともに死ぬことは許さぬ。この子を連れてニャムサンのもとに帰れ」
 それは道理に合わない、とリンチェは思った。
「ならわたしは逃げません。わたしは殿の家来です」
 ルコンは目を細めた。
「ここで犬死してしまっては元も子もないだろう。わたしを信用して託してくれたおまえの家族にも申し訳が立たない。字も言葉もすっかり覚えたから、わたしの役目は終わりだ。都で新しい主人をみつけなさい」
 ゴーがリンチェの腕をつかんだ。リンチェが抗おうとしたとき。
「あれはシャン・ゲルシクの兵ではありませんか?」
 家来が叫んだ。
「チム家の旗印です」
 ルコンが目を見開く。隊は騎馬のひとりひとりの見分けが付くぐらいに近づいている。先頭に翻る紺地の旗に白く描かれた文様がハッキリと見えた。と、大柄の男がひとり、塊の中から飛び出して両手を振る。
「ゲルシクどの」
 つぶやいたルコンが歩き出した。
 ゴーがリンチェの背を押す。
「心配ない。あの方はルコンさまの友人だ」
 家来たちとともに、リンチェとゴーは再び山を下りた。
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