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挿話1

ただいま

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 狙い澄ましたような落雷によって、マシェリの家は見るも無惨に半壊した。

「引越しですね」

 ひと目見て、しれっと言い切る銀髪のエセ美少年。実に面倒そうにペンを書面に走らせている。
 かちんと来たが、今はそれどころではない。

「王都で物件探ししますわ。馬車を出してくださる? ビビアン様」
「……その格好で、ですか?」

 こほんと咳払いし、ビビアンがマシェリから目を逸らす。
 そういえば、羽織ったシーツの下は薄いネグリジェ一枚だった。

(冷徹そうに見えて割と純情なのよね。この、年齢不詳の宰相様は)

「君の服、探してきたよ。マシェリ」
「あ、ありがとうございます。グレン殿下」
「馬車の中で着替えてください。カーテンも閉められますから」
「ええ」

 蒼く塗られた馬車に乗り込み、ホッと息をつく。
 窓から見た家は、屋根の半分がえぐれ、二階部分の西側の壁もほぼ崩れて無くなってしまっている。

(わたくしの大切な家を……! 憎っくき魔王め。覚えてらっしゃい)

 マシェリはギリギリと歯ぎしりをしながら着替え、馬車のドアを開いた。

「お待たせしました」
「ああ、そのままでいいよ。マシェリ」
「残っている荷物は侍従たちが運びますので、どうぞご心配なく」
「……何の話ですの?」

 ドアを押さえたグレンを訝しんで見る。何やら嫌な予感がした。
 既視感とでも言うのだろうか。
 一年半程前──美しい湖畔に建つフランジア"皇城"に赴き、鎧戸をくぐる時につい後ろを振り返った。あの日の事を鮮明に思い出す。

「僕らの部屋は以前と同じだから。また隣同士でよろしくね、マシェリ」

(……。既視感でも思い出でもなかったわ)

 煌びやかな宮殿の廊下で、執務室に向かうグレンに手を振る。
 背後には二つ並んだドア。
 一年半前に逆行、というか紛れもない現実だった。

「夢みたいですわ。こうしてまたマシェリ様のお世話が出来るなんて」

 荷解きを終えて振り返るなり、そばかすの顔が綻ぶ。
 相変わらずの手際の良さだ。

「まあ、ターシャったらオーバーね。この前サロンで顔を合わせたばかりなのに」
「だけど、フローラ様が張り切ってお妃教育なさってるので、お声が掛けづらくて」
「そういえばガレス達とも会ってないわ。皆んな、元気にしてる?」
「はい。──マシェリ様」

 エプロンに両手を重ね、侍女が深々と頭を下げる。

「お帰りなさいませ」
「……ただいま。ターシャ」

 あたたかい出迎えに、美味しい紅茶と夕食。
 まさに至れり尽くせりだ。満ち足りた気持ちでソファへ沈むと、ターシャが浴室から顔を出した。

「今夜は薔薇のオイルでマッサージ致しませんか? マシェリ様、お好きでしたよね」
「ええ。お願いするわ」
「グレン殿下もご希望のようでしたし、アンに負けないようにしなくちゃ」
「……。何ですって?」

 カッと目を見開き、聞き返す。脳波が一気に躍動した気がした。

「アン、マッサージすごく上手なんですよ。国王陛下もお気に入りで」
「何ですって?」
「あっ。もちろん殿下のオイルは白薔薇ですけど」
「わたくしが聞いているのは赤か白かじゃなく、クロかシロかよ!」

 解っている。グレンは王族なのだ。
 王城に居れば世話をする者が誰かしらいる。それもひとりやふたりではない。
 着替え、整髪、靴磨き。身支度は各々専門の侍女がおり、毒見役など三人もいる。

 だからこそ怪しい。腕組みをしたマシェリは、きょとんとするターシャにつかつかと歩み寄った。

「リズはどうしたの? あの金髪巻毛の。以前は彼女が湯浴み係だったでしょう」
「え、ええ。実はあの子、調理場に異動させられてしまって」
「調理場?」
「新しい香辛料の開発要員です。彼女、とても鼻が利きますから」

 今度は鼻か。衣装係のベルは弁が立つからと客室係に、先月は毒見役のラナが、手先が器用だからという理由でお針子に異動させられた。
 そして──その全ての後釜に座ったのが、侍女の『アン』なのである。

(宮殿には掃いて捨てるほど侍女がいるというのに、アンだけ一人三役させるなんて……! 絶対に普通じゃないわ)

 大抵はふたりきり。しかも体に触れる仕事ばかりなのも気にかかる。それに──不安要素もあった。

「アンって、確か背の高い子だったわよね。細身の」
「ええ。長い黒髪で、少し中性的な雰囲気の侍女ですわ」

(……やはり彼女か) 

 グレンの初恋相手にそっくりな侍女だ。
 もはや疑いようがない。マシェリはぐっと拳を固めた。

「ターシャ、今までお世話になりました。──ごきげんよう!」
「マシェリ様?」

 涙をはらはら零しつつ、マシェリは走った。
 哀しい、悔しい、切ない。せり上げてくる感情に突かれた胸が痛む。

(グレンの馬鹿! 浮気者! さわり魔のエロ王太子っ!)

 淑女らしからぬ呟きを連発しながらドアを開けると、廊下に飛び出した。

「わっ!」
「きゃっ!」

 しこたま鼻を打ち、その場にしゃがみ込む。

「だ、大丈夫? マシェリ」
「……いいえ重症です。わたくし、もう再起不能かもしれませんわ」
「重傷って、そんな大げさな」

 苦笑しながらグレンが差し出した手を、マシェリはぱしんと振り払った。
 新緑色の瞳からぽろぽろと涙が溢れる。

「本当に胸が痛くて苦しいんです! そ、それなのにそんな冷たい言い方、あんまりじゃありませんか!」
「胸が? ──それは大変だ」

 ひょい、とグレンの背後から現れたアンが心配げに跪き、細く骨張った指先で、マシェリの涙を拭う。
 気付けば顎を掴まれていた。

「貴女に涙は似合わない」
「……は?」

 背景に大輪の薔薇が見える。いや、百合か? 顔を出してわずか五秒、王子様が選手交代する瞬間を見た気がした。

「こ、こらアン! マシェリは僕のものだぞ。その手を離せ!」
「ああ、申し訳ありませんグレン殿下。美しい花を見るとつい、愛でるクセが抜けきらなくて」

 恍惚とした表情で頰を撫でられ、マシェリの背筋がぞわりと総毛立つ。

(め、めで、愛でるって……一体何を)

 犬や猫でなく人間、それも女性が女性に対し、何をどうすると言うのだろう。
 考えると頭痛がしてきた。それに少しめまいもする。

「……何だか、本当に具合が悪いわ」
「! どうしたんだ? マシェリ」

 グレンがアンを押し退け、マシェリを抱き抱える。

「体がいつもより熱い。──アン。悪いけど、医局へ行ってジムリを呼んで来て」
「は、はい」

 ぱたぱたと遠ざかる足音。
 見知った医官の名に安堵したのか、それとも恋敵(?)の退場にホッとしたのか。
 涙で視界がまた滲む。何故だか今日はやたらと涙腺がゆるい。
 寝台でグレンに頭を撫でられても落ち着かない。

「大丈夫かい? マシェリ。……全く、アンのやつ……あの悪癖で客室係をやめさせられたのに、まだ懲りてないんだな」
「でも、彼女優秀なんでしょう? 一人三役出来るなんて」
「たまたまだよ。ラナは毒見役なのに食べ過ぎて僕の取り分が無くなるし、リズは怪しげなオイルばかり作って僕で試そうとする。困ってフローラに相談したら、ふたりを順番に異動して、その穴埋めをアンにやらせる事になったんだ。迷惑をかけた罰としてね」
「……本当にそれだけの理由ですの?」

 少年のような立居振る舞い、凛とした目元。
 間近で見たアンは、あの夜、テラナ公国の城で見た──アズミ公女によく似ていた。

(わたくしとは全然違う)

「実は他にも理由があるんだ。でも、君に怒られるかもしれないから」
「か、覚悟は出来てますわ。ひとおもいに仰ってくださいませ!」

 死刑宣告を待つような心境で、ぎゅっと目をつぶり両手を組む。

「判った、言うよ。──僕は、マシェリ以外の女性にあまり触れられたくないんだ」
「……え?」

 出かけた涙が引っ込んだ。
 目を瞬かせてグレンを見れば、端正な顔を赤く染め、ぽりぽりと照れ臭そうに頰を掻いている。

「失礼なのは解ってる。だけどつい、アンなら女性っぽくないからいいかな、って」
「……本当に、失礼ですわ」

 王太子としては間違いなく落第点だ。

「罰として、アンのマッサージを受けるのは却下します」
「ええ? でも、あの家の修理の件は頑張って陛下に交渉したんだよ。褒めてくれてもいいと思うんだけど」
「! あの家、修理できるんですの?」

 グレンの婚約者としての評価がマシェリの中で急上昇した。
 思わず目を輝かせて飛び起き、愛しい胸に飛び込んでいく。

 気付けば頭痛も、胸の痛みも無くなっていた。

「少し元気回復したみたいだね」
「ええ。今ならきっと……貴方のマッサージくらいできますわ」

 腕の中でもじもじと言う。
 高得点のご褒美くらいあげても、きっと罰は当たらない。

「初めてだから、きっとあまり上手にはできないけれど」
「とんでもない! 君がしてくれるなら、もうそれだけで満点だよ。早速ふたりで浴室へ──」
「……なぁんじゃ、起きとったのか」

 遅れて来た医官のジムリが、つるりとした頭を撫でつつ眉根を寄せる。

「割と元気そうじゃないか。嬢ちゃん」

 惚けるふたりを切り裂いたのは、またしても、やたら眩しい『光』であった。

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