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本編
24-2[※R15]
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(逃げなきゃ……! でも)
皇帝命令、という言葉が頭をよぎる。どんな理不尽な要求であろうとも、下された以上逆らう事は許されない。
アディルはさっきわざとそしらぬ顔をしたのかもしれない。皇帝の逆鱗に触れぬよう、穏便に済ませるために。
だが、今さら気付いたところでもう遅い。ーーつくづく、自分の愚かさに嫌気がさした。
「この部屋でいいだろう。お前が登城初日に泊まった部屋だ」
ドアを開けると、カーテンが閉じたままの薄暗い部屋に、ひやりとした空気が漂っている。
組み敷かれたベッドの上のシーツも、冷たい。
「しまった。鍵をかけ忘れてきたな」
「……必要ありませんわ。わたくし、逃げもかくれもしませんもの」
頭の上に両手を押さえつけられ、寝返りひとつできない状態でマシェリは不敵に笑ってみせた。ーーどうせ逃げられないならせめて、女としての矜恃は守ってみせる。
絶対に悔しがったりしない。赦しも決して乞わない。涙だって、ひと粒たりとも溢してなどやるものか。
征服してやったなどという愉悦を、一瞬でもこの男に与えないために。
マシェリの宣戦布告に、ドレスのリボンを解く手を止めた皇帝が苦笑する。
「お前を逃すようなヘマなどしない。私が気にしているのは、外からの邪魔が入ることだ。……お前だって、自分のあられもない姿を他の連中に見られたくはないだろう」
「……裸を他人に見られる事など、慣れていますわ。私はドレスをひとりでなど着られない、貴族の令嬢ですもの」
「なるほど。……その言葉、後悔するなよマシェリ」
するりとリボンをはずして床へ放ると、皇帝の手がドレスの胸元を引き下ろす。露わになった肌に唇を落とされ、マシェリは思わずぎゅっと目を瞑った。
「どうした。恥ずかしくないんじゃなかったのか? この調子だと、先が思いやられるな」
「……っ。平気です。どうぞ陛下のお気の済むようになさってください。ただ、ダンスが踊れるか少し心配……っあ」
「いい声だ。……お前は足を怪我してるだろう。ダンスなど踊れなくても問題はない。それにグレンならちゃんと他に踊る相手がいるから安心しろ」
「他……の、相手?」
息を弾ませ、吐息まじりに言えば、皇帝が首筋に唇を這わせてくる。マシェリは血が滲むほど唇を噛みしめた。
「我慢しないで声を出せ。楽になれるぞ」
「……! だ、れが」
「ふふ。相変わらず……いや、今のお前はただの女か」
皇帝がマシェリの耳元で囁き、靴を履いたままの足を撫で上げていく。
「心配しなくとも、グレンにはブルーナ公国のアズミ姫を用意してある。あいつはずっとあの公女を好きだった。だから、今まで誰も婚約者にしなかったんだ。私の目に狂いはない。……もう一度、ふたりきりで会いさえすれば、今度は必ず上手くいくはずだ」
どこかで聞いたような話だ。思わずマシェリがふっと笑うと、その頬に皇帝が手を伸ばしてきた。
天蓋の月と太陽の絵を見上げていたマシェリの視界が、皇帝の顔に遮られる。
「お前は私のものになれ、マシェリ」
噛みつくように唇を重ねられ、息継ぎもままならない。溺れたような呼吸困難に陥りながら、薄暗い部屋の中に視線を巡らせていたマシェリは、隅にあるふたつの光に気がついた。
(……炎? にしては青い)
塞いでいた唇を離されると、マシェリはぐったりとベッドに横たわった。その傍らで皇帝が上着を脱ぎ始める。
暗闇に目が慣れたマシェリが隅を改めてよく見てみると、光っていたのは小さな猫の眼だった。
「……もしかしてお前、あのモフ足?」
「どこを向いてる」
再びのしかかってきた皇帝の肩や腕に、大きな傷痕がいくつも見える。目を見開いたマシェリのドレスの裾をたくし上げると、有無を言わさず手を差し入れてきた。
魔法の靴が片方脱げ、床へ転がり落ちていきーーはっとする。
「やめて!」
思わず叫んだ瞬間、黒い毛玉が皇帝めがけて飛び出した。
皇帝命令、という言葉が頭をよぎる。どんな理不尽な要求であろうとも、下された以上逆らう事は許されない。
アディルはさっきわざとそしらぬ顔をしたのかもしれない。皇帝の逆鱗に触れぬよう、穏便に済ませるために。
だが、今さら気付いたところでもう遅い。ーーつくづく、自分の愚かさに嫌気がさした。
「この部屋でいいだろう。お前が登城初日に泊まった部屋だ」
ドアを開けると、カーテンが閉じたままの薄暗い部屋に、ひやりとした空気が漂っている。
組み敷かれたベッドの上のシーツも、冷たい。
「しまった。鍵をかけ忘れてきたな」
「……必要ありませんわ。わたくし、逃げもかくれもしませんもの」
頭の上に両手を押さえつけられ、寝返りひとつできない状態でマシェリは不敵に笑ってみせた。ーーどうせ逃げられないならせめて、女としての矜恃は守ってみせる。
絶対に悔しがったりしない。赦しも決して乞わない。涙だって、ひと粒たりとも溢してなどやるものか。
征服してやったなどという愉悦を、一瞬でもこの男に与えないために。
マシェリの宣戦布告に、ドレスのリボンを解く手を止めた皇帝が苦笑する。
「お前を逃すようなヘマなどしない。私が気にしているのは、外からの邪魔が入ることだ。……お前だって、自分のあられもない姿を他の連中に見られたくはないだろう」
「……裸を他人に見られる事など、慣れていますわ。私はドレスをひとりでなど着られない、貴族の令嬢ですもの」
「なるほど。……その言葉、後悔するなよマシェリ」
するりとリボンをはずして床へ放ると、皇帝の手がドレスの胸元を引き下ろす。露わになった肌に唇を落とされ、マシェリは思わずぎゅっと目を瞑った。
「どうした。恥ずかしくないんじゃなかったのか? この調子だと、先が思いやられるな」
「……っ。平気です。どうぞ陛下のお気の済むようになさってください。ただ、ダンスが踊れるか少し心配……っあ」
「いい声だ。……お前は足を怪我してるだろう。ダンスなど踊れなくても問題はない。それにグレンならちゃんと他に踊る相手がいるから安心しろ」
「他……の、相手?」
息を弾ませ、吐息まじりに言えば、皇帝が首筋に唇を這わせてくる。マシェリは血が滲むほど唇を噛みしめた。
「我慢しないで声を出せ。楽になれるぞ」
「……! だ、れが」
「ふふ。相変わらず……いや、今のお前はただの女か」
皇帝がマシェリの耳元で囁き、靴を履いたままの足を撫で上げていく。
「心配しなくとも、グレンにはブルーナ公国のアズミ姫を用意してある。あいつはずっとあの公女を好きだった。だから、今まで誰も婚約者にしなかったんだ。私の目に狂いはない。……もう一度、ふたりきりで会いさえすれば、今度は必ず上手くいくはずだ」
どこかで聞いたような話だ。思わずマシェリがふっと笑うと、その頬に皇帝が手を伸ばしてきた。
天蓋の月と太陽の絵を見上げていたマシェリの視界が、皇帝の顔に遮られる。
「お前は私のものになれ、マシェリ」
噛みつくように唇を重ねられ、息継ぎもままならない。溺れたような呼吸困難に陥りながら、薄暗い部屋の中に視線を巡らせていたマシェリは、隅にあるふたつの光に気がついた。
(……炎? にしては青い)
塞いでいた唇を離されると、マシェリはぐったりとベッドに横たわった。その傍らで皇帝が上着を脱ぎ始める。
暗闇に目が慣れたマシェリが隅を改めてよく見てみると、光っていたのは小さな猫の眼だった。
「……もしかしてお前、あのモフ足?」
「どこを向いてる」
再びのしかかってきた皇帝の肩や腕に、大きな傷痕がいくつも見える。目を見開いたマシェリのドレスの裾をたくし上げると、有無を言わさず手を差し入れてきた。
魔法の靴が片方脱げ、床へ転がり落ちていきーーはっとする。
「やめて!」
思わず叫んだ瞬間、黒い毛玉が皇帝めがけて飛び出した。
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