上 下
3 / 94
本編

2-1

しおりを挟む
 突然の大公来訪から数日後。クロフォード伯爵家に一人の使者が訪れた。
 黒馬車と、紅色の軍服。嫌な予感しかしない組み合わせである。

「大公閣下より書状をお預かりして参りました。どうぞお受けとりください、マシェリ様」
「お断りいたしますわ」

 マシェリが笑顔で閉めかけたドアを、母がガシッと掴んで止める。受け取りのサインに応じてしまえば、もう突き返すことはできない。

(いや……受け取らないのがそもそも無理か)

 何しろ、大公からの命令である。この公国で生きていく限り、平民だろうが伯爵家令嬢だろうが、誰もそれには逆らえない。
 マシェリはがっくりと肩を落とし、父が待つ応接室へ向かった。……気が重い。

「大公命令では仕方ないね。しかしまあ、ずいぶんと不名誉な理由で選ばれたものだ」

 人当たりのいい笑顔のままで、嫌味たっぷりに父が言う。紅茶を一口含み、カップを皿に戻すと、大仰にため息を吐いた。

「申し訳ありません、お父様」
「全く、お前ときたらダグラス侯爵にまんまと乗せられて啖呵を切って。そんな事だから市場でも上手く駆け引きできないんだよ」
「……」

 ぐうの音も出ない。業者が安く買い叩こうとするのに、噛みつくばかりで進歩がないと窘められたばかりだった。

「しかしまあ嘆いていても仕方がない。まずは書状の確認をしようか」
「はい。……あ、お父様。レオストから荷は届いてました? そろそろ着く頃だと聞いてたんですけれど」
「薔薇オイルの抽出機の事かい? ああ、その事も含めて建設的な話をしよう。――お茶のおかわりを頼む」
「はい」

 侍女が出ていくと、父はドアの鍵を閉めた。

「あれはマリアの手先だからな。少しの間閉め出しとこう」
「でもお母様、お茶会へ行くと言ってさっき支度してましたけど」
「侍女から聞き出した私達の話をネタにする気だ。見ろ、まだ馬車がある。どんなに中身がアレでも相手は帝国の皇太子だ、娘が妃候補に選ばれて内心浮かれまくってるのさ。私には分かる、マリアはそういう女なんだ……!」

 のろけをやや混ぜながら妻の生態を分析し、さて、と父が書状に向き直す。

 顎に手をあてがい、じっくりと書状に目を通す姿は城の財務官だった頃を彷彿とさせた。跳ね橋の補修に予算を惜しまない一方で、嗜好品の購入には厳しい基準を設けるなど、父の公金の使い方は大胆かつ、堅実だった。穏やかそうな見た目ながら、時に議論で宰相をも黙らせる相当な切れ者の父は、大雑把だった先代が領地経営でこしらえた借金も、爵位を継いだ後わずか数年で完済したらしい。
 マシェリはそんな父を尊敬し、長子として仕事の下支えとなるべく努力を重ねてきた。しかし十六という年齢は、貴族の令嬢の結婚適齢期でもある。そろそろ、別の方向で家の役に立たねばならない。

(婿養子として迎えるなら、同じ伯爵家か侯爵家の二男、三男あたりが狙い目なのだけれど、皆もう婚約者がいらっしゃるのよね。ああ、アディルがせめて男爵位でも持っててくれたらよかったのに!)

 どんなに好みでも、平民とは結婚できない。皇子様との結婚も難しい。堅実さを好む父が最も嫌うのが、分不相応という言葉だった。

(まあ、万が一にも妃に選ばれる事はないでしょうけれど)

「うん、条件は割とまともだな。これならなんとかなりそうだ」
「……何のお話ですか?」

 訝しげに尋ねるマシェリに、父はにっこりと微笑んだ。うわ、と思わずマシェリは口端を歪ませる。これはもう完全に、ろくでもない策略を思いついた時の顔だ。

「水脈の開放がかかってるからねえ。フランジアへの捧げ物のお前には多額の褒賞金が出るんだよ。財務官時代に私が作った基準よりもやや多めなのが気になるが、それはそれだ」
「……褒賞金、ですか。妃候補というだけで?」
「それが皇帝のご意向だから構わないんだろ。――で。私の本題はここからだよ、マシェリ」
「はい」

 マシェリはソファにきちんと座り直した。父が満足げに眼鏡の奥の目を細める。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】夫は王太子妃の愛人

紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵家長女であるローゼミリアは、侯爵家を継ぐはずだったのに、女ったらしの幼馴染みの公爵から求婚され、急遽結婚することになった。 しかし、持参金不要、式まで1ヶ月。 これは愛人多数?など訳ありの結婚に違いないと悟る。 案の定、初夜すら屋敷に戻らず、 3ヶ月以上も放置されーー。 そんな時に、驚きの手紙が届いた。 ーー公爵は、王太子妃と毎日ベッドを共にしている、と。 ローゼは、王宮に乗り込むのだがそこで驚きの光景を目撃してしまいーー。 *誤字脱字多数あるかと思います。 *初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ *ゆるふわ設定です

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った

冬馬亮
恋愛
クロイセフ王国の王ジョーセフは、妻である正妃アリアドネに「精霊の泉に身を投げろ」と言った。 「そこまで頑なに無実を主張するのなら、精霊王の裁きに身を委ね、己の無実を証明してみせよ」と。 ※精霊の泉での罪の判定方法は、魔女狩りで行われていた水審『水に沈めて生きていたら魔女として処刑、死んだら普通の人間とみなす』という逸話をモチーフにしています。

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...