騙した私を貴方は裏切らない。

穂篠 志歩

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 潜められた声とかつてないほど間近で煌めく碧眼にどきりとさせられて、ルティは思わずアーティフを押し退けた。強引に拘束していたわけでもないアーティフの手はぱっと緩み、ルティを解放する。
「いい案だと思ったんだけど」
 目に見えて肩を落としたアーティフを見て、ルティは罪悪感のようなものが過ぎった自身に驚いた。慌てて弁解するようにアーティフに近づく。
「いや、すまない、突然で……驚いてしまって」
 心の準備が云々と言い連ねそうになった自分に気付いてルティは言葉を止め、なぜ自分が謝っているのだろう、と内心頭を振った。こちらを見つめるアーティフの目が非難めいて見える。
「きみはさ」
 声音も少し、拗ねたように聞こえる。
「仮にも花嫁候補として、おれに近づこうとしたんだよね。取り入るときに、色仕掛けみたいなことを、するつもりとかはなかったの」
 正直なところ、そのつもりは王子に会うまではあった。当然男であるのだから、できることは限られる。身体に触れさせないぎりぎりの攻防を繰り広げる可能性も、考えなくはなかった。だが、出会った当初のアーティフを見限ったルティは、性を偽って取り入る必要もないとその可能性を真っ先に捨て去ってしまっていた。加えてアーティフ自身が、自分に話し相手であることを望んだこともあって、まったくそうしたつもりだったことを忘れていた。人目のあるところならいざ知らず、二人でいるときはむしろ気を休めていたことに、ルティは今気づいた。
「ないわけじゃあなかった……けど」
 ふうんと気のない返事をしたアーティフに、視線を地に這わせて返す言葉を探していたルティは「じゃあさ」と言うアーティフの声につられて顔を上げる。
「それ、やってみてよ」
 にこりともせずそんなことを言う相手に、色仕掛けをする気になど到底なれない。
「今更、あなたに対してそんな偽りはできない」
「どうして」
 なぜと問われて、その答えにルティは自分でもたどり着けなかった。彼に対して誠実でありたいとか、自身のプライドが邪魔してだとか、単純に羞恥のためにとか、思いつく理由のそのどれもであり、どれでもないような不確かな躊躇いがルティを占めていた。
 答えられないでいるルティに、アーティフは変わらず温度のない目を向けてくる。
「おれに対してじゃあなく、きみ自身の目的のために、おれたち以外に対しておれへの色を演じることはできないの」
 アーティフの言い草はどこか非難めいてすらいた。 
「それがきみの懸念する事態に対応することになるとしても?」
「それであれば、今ここであなたに対して取り入るマネをする必要はないと思う」
 ルティがあくまでも誘いに乗らない態度を貫こうとしたためか、アーティフは肩をすくめて少し視線を落とした。
「実のところ、よくわからないから」
 王子の言葉の指すところが理解できず、ルティは「え」と聞き返す。
「人前でどうこうと言ったけど、具体的にどうすればきみに溺れるおれを演出できるのか、実はよくわからない。きみが手本でも見せてくれればと思ったんだ」
 さらりと言う王子だが、先刻身を寄せて今にもキスしそうな勢いで詰め寄った男のセリフとも思えなかった。ルティは思わず鼻で笑ってしまう。
「冗談だろう。少なくとも、さっきのあなたの言動で俺は十分動揺させられた。どうすればいいかわからない人間のものとは思えない」
「へえ。動揺したんだ」
 そう言うアーティフの瞳に、また光が戻った気がした。ルティは無意識に半身後ろに引く。
「思ってもみない展開になったのだから、それは動揺もする」
「なら、これから何が起こるか分かっていれば大丈夫なの」
 悪戯な色をその目に浮かべて、アーティフはルティの右手を取ってそっと身を寄せた。唐突を理由に払い除けた先刻を思い返しながら、ルティはアーティフを見る。
 同じ言い訳は使いたくない。この王子は今度はどうするつもりだろう。
 アーティフの碧眼がルティを射抜いていた。そのまま視線を逸らすことなく、掴んだルティの手を口元に寄せる。反応を確かめるように緩慢な動きで、人差し指と中指の付け根をその唇にそっと押し当てた。その指越しに向けられる目は、無気力王子と噂されていた第一印象の彼と同一人物とは思えないほど力があり、ルティを捕らえて離さない。そのまま唇が指先へと伝い爪に軽く歯を立てられても、ルティは身動きできなかった。そしてルティの指はアーティフの口内に誘われ、生温かい舌が這わせられる。すべてがルティの眸を射抜いたまま、時を引き延ばしたかのような緩やかさで行われた。普段の淡白でどこか飄々とした彼からはとても想像できない熱っぽさに、ルティは思いがけず高められる自分がいるのに気づく。そして、先刻アーティフから自分に迫れと言われてできなかった理由を悟った。
 彼を誑かすことなど自分にはできないと、心のどこかでわかっていたのだ。負けることがわかっている戦いはしたくない。たとえ演技でも、単なる気まぐれの戯れでも、自分では彼から一寸の動揺も取れないだろうという漠然とした敗北感がルティにあった。
 だってそうだろう、ここまでの演技ができる人間を拐かすことなんて、できる気がしない。
 どこか俯瞰的にこの現状を見つめる自分がいるのを感じながら、ルティはアーティフの口づけを受けていた。
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