5 / 5
4
しおりを挟む
潜められた声とかつてないほど間近で煌めく碧眼にどきりとさせられて、ルティは思わずアーティフを押し退けた。強引に拘束していたわけでもないアーティフの手はぱっと緩み、ルティを解放する。
「いい案だと思ったんだけど」
目に見えて肩を落としたアーティフを見て、ルティは罪悪感のようなものが過ぎった自身に驚いた。慌てて弁解するようにアーティフに近づく。
「いや、すまない、突然で……驚いてしまって」
心の準備が云々と言い連ねそうになった自分に気付いてルティは言葉を止め、なぜ自分が謝っているのだろう、と内心頭を振った。こちらを見つめるアーティフの目が非難めいて見える。
「きみはさ」
声音も少し、拗ねたように聞こえる。
「仮にも花嫁候補として、おれに近づこうとしたんだよね。取り入るときに、色仕掛けみたいなことを、するつもりとかはなかったの」
正直なところ、そのつもりは王子に会うまではあった。当然男であるのだから、できることは限られる。身体に触れさせないぎりぎりの攻防を繰り広げる可能性も、考えなくはなかった。だが、出会った当初のアーティフを見限ったルティは、性を偽って取り入る必要もないとその可能性を真っ先に捨て去ってしまっていた。加えてアーティフ自身が、自分に話し相手であることを望んだこともあって、まったくそうしたつもりだったことを忘れていた。人目のあるところならいざ知らず、二人でいるときはむしろ気を休めていたことに、ルティは今気づいた。
「ないわけじゃあなかった……けど」
ふうんと気のない返事をしたアーティフに、視線を地に這わせて返す言葉を探していたルティは「じゃあさ」と言うアーティフの声につられて顔を上げる。
「それ、やってみてよ」
にこりともせずそんなことを言う相手に、色仕掛けをする気になど到底なれない。
「今更、あなたに対してそんな偽りはできない」
「どうして」
なぜと問われて、その答えにルティは自分でもたどり着けなかった。彼に対して誠実でありたいとか、自身のプライドが邪魔してだとか、単純に羞恥のためにとか、思いつく理由のそのどれもであり、どれでもないような不確かな躊躇いがルティを占めていた。
答えられないでいるルティに、アーティフは変わらず温度のない目を向けてくる。
「おれに対してじゃあなく、きみ自身の目的のために、おれたち以外に対しておれへの色を演じることはできないの」
アーティフの言い草はどこか非難めいてすらいた。
「それがきみの懸念する事態に対応することになるとしても?」
「それであれば、今ここであなたに対して取り入るマネをする必要はないと思う」
ルティがあくまでも誘いに乗らない態度を貫こうとしたためか、アーティフは肩をすくめて少し視線を落とした。
「実のところ、よくわからないから」
王子の言葉の指すところが理解できず、ルティは「え」と聞き返す。
「人前でどうこうと言ったけど、具体的にどうすればきみに溺れるおれを演出できるのか、実はよくわからない。きみが手本でも見せてくれればと思ったんだ」
さらりと言う王子だが、先刻身を寄せて今にもキスしそうな勢いで詰め寄った男のセリフとも思えなかった。ルティは思わず鼻で笑ってしまう。
「冗談だろう。少なくとも、さっきのあなたの言動で俺は十分動揺させられた。どうすればいいかわからない人間のものとは思えない」
「へえ。動揺したんだ」
そう言うアーティフの瞳に、また光が戻った気がした。ルティは無意識に半身後ろに引く。
「思ってもみない展開になったのだから、それは動揺もする」
「なら、これから何が起こるか分かっていれば大丈夫なの」
悪戯な色をその目に浮かべて、アーティフはルティの右手を取ってそっと身を寄せた。唐突を理由に払い除けた先刻を思い返しながら、ルティはアーティフを見る。
同じ言い訳は使いたくない。この王子は今度はどうするつもりだろう。
アーティフの碧眼がルティを射抜いていた。そのまま視線を逸らすことなく、掴んだルティの手を口元に寄せる。反応を確かめるように緩慢な動きで、人差し指と中指の付け根をその唇にそっと押し当てた。その指越しに向けられる目は、無気力王子と噂されていた第一印象の彼と同一人物とは思えないほど力があり、ルティを捕らえて離さない。そのまま唇が指先へと伝い爪に軽く歯を立てられても、ルティは身動きできなかった。そしてルティの指はアーティフの口内に誘われ、生温かい舌が這わせられる。すべてがルティの眸を射抜いたまま、時を引き延ばしたかのような緩やかさで行われた。普段の淡白でどこか飄々とした彼からはとても想像できない熱っぽさに、ルティは思いがけず高められる自分がいるのに気づく。そして、先刻アーティフから自分に迫れと言われてできなかった理由を悟った。
彼を誑かすことなど自分にはできないと、心のどこかでわかっていたのだ。負けることがわかっている戦いはしたくない。たとえ演技でも、単なる気まぐれの戯れでも、自分では彼から一寸の動揺も取れないだろうという漠然とした敗北感がルティにあった。
だってそうだろう、ここまでの演技ができる人間を拐かすことなんて、できる気がしない。
どこか俯瞰的にこの現状を見つめる自分がいるのを感じながら、ルティはアーティフの口づけを受けていた。
「いい案だと思ったんだけど」
目に見えて肩を落としたアーティフを見て、ルティは罪悪感のようなものが過ぎった自身に驚いた。慌てて弁解するようにアーティフに近づく。
「いや、すまない、突然で……驚いてしまって」
心の準備が云々と言い連ねそうになった自分に気付いてルティは言葉を止め、なぜ自分が謝っているのだろう、と内心頭を振った。こちらを見つめるアーティフの目が非難めいて見える。
「きみはさ」
声音も少し、拗ねたように聞こえる。
「仮にも花嫁候補として、おれに近づこうとしたんだよね。取り入るときに、色仕掛けみたいなことを、するつもりとかはなかったの」
正直なところ、そのつもりは王子に会うまではあった。当然男であるのだから、できることは限られる。身体に触れさせないぎりぎりの攻防を繰り広げる可能性も、考えなくはなかった。だが、出会った当初のアーティフを見限ったルティは、性を偽って取り入る必要もないとその可能性を真っ先に捨て去ってしまっていた。加えてアーティフ自身が、自分に話し相手であることを望んだこともあって、まったくそうしたつもりだったことを忘れていた。人目のあるところならいざ知らず、二人でいるときはむしろ気を休めていたことに、ルティは今気づいた。
「ないわけじゃあなかった……けど」
ふうんと気のない返事をしたアーティフに、視線を地に這わせて返す言葉を探していたルティは「じゃあさ」と言うアーティフの声につられて顔を上げる。
「それ、やってみてよ」
にこりともせずそんなことを言う相手に、色仕掛けをする気になど到底なれない。
「今更、あなたに対してそんな偽りはできない」
「どうして」
なぜと問われて、その答えにルティは自分でもたどり着けなかった。彼に対して誠実でありたいとか、自身のプライドが邪魔してだとか、単純に羞恥のためにとか、思いつく理由のそのどれもであり、どれでもないような不確かな躊躇いがルティを占めていた。
答えられないでいるルティに、アーティフは変わらず温度のない目を向けてくる。
「おれに対してじゃあなく、きみ自身の目的のために、おれたち以外に対しておれへの色を演じることはできないの」
アーティフの言い草はどこか非難めいてすらいた。
「それがきみの懸念する事態に対応することになるとしても?」
「それであれば、今ここであなたに対して取り入るマネをする必要はないと思う」
ルティがあくまでも誘いに乗らない態度を貫こうとしたためか、アーティフは肩をすくめて少し視線を落とした。
「実のところ、よくわからないから」
王子の言葉の指すところが理解できず、ルティは「え」と聞き返す。
「人前でどうこうと言ったけど、具体的にどうすればきみに溺れるおれを演出できるのか、実はよくわからない。きみが手本でも見せてくれればと思ったんだ」
さらりと言う王子だが、先刻身を寄せて今にもキスしそうな勢いで詰め寄った男のセリフとも思えなかった。ルティは思わず鼻で笑ってしまう。
「冗談だろう。少なくとも、さっきのあなたの言動で俺は十分動揺させられた。どうすればいいかわからない人間のものとは思えない」
「へえ。動揺したんだ」
そう言うアーティフの瞳に、また光が戻った気がした。ルティは無意識に半身後ろに引く。
「思ってもみない展開になったのだから、それは動揺もする」
「なら、これから何が起こるか分かっていれば大丈夫なの」
悪戯な色をその目に浮かべて、アーティフはルティの右手を取ってそっと身を寄せた。唐突を理由に払い除けた先刻を思い返しながら、ルティはアーティフを見る。
同じ言い訳は使いたくない。この王子は今度はどうするつもりだろう。
アーティフの碧眼がルティを射抜いていた。そのまま視線を逸らすことなく、掴んだルティの手を口元に寄せる。反応を確かめるように緩慢な動きで、人差し指と中指の付け根をその唇にそっと押し当てた。その指越しに向けられる目は、無気力王子と噂されていた第一印象の彼と同一人物とは思えないほど力があり、ルティを捕らえて離さない。そのまま唇が指先へと伝い爪に軽く歯を立てられても、ルティは身動きできなかった。そしてルティの指はアーティフの口内に誘われ、生温かい舌が這わせられる。すべてがルティの眸を射抜いたまま、時を引き延ばしたかのような緩やかさで行われた。普段の淡白でどこか飄々とした彼からはとても想像できない熱っぽさに、ルティは思いがけず高められる自分がいるのに気づく。そして、先刻アーティフから自分に迫れと言われてできなかった理由を悟った。
彼を誑かすことなど自分にはできないと、心のどこかでわかっていたのだ。負けることがわかっている戦いはしたくない。たとえ演技でも、単なる気まぐれの戯れでも、自分では彼から一寸の動揺も取れないだろうという漠然とした敗北感がルティにあった。
だってそうだろう、ここまでの演技ができる人間を拐かすことなんて、できる気がしない。
どこか俯瞰的にこの現状を見つめる自分がいるのを感じながら、ルティはアーティフの口づけを受けていた。
0
お気に入りに追加
9
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。


末っ子王子は婚約者の愛を信じられない。
めちゅう
BL
末っ子王子のフランは兄であるカイゼンとその伴侶であるトーマの結婚式で涙を流すトーマ付きの騎士アズランを目にする。密かに慕っていたアズランがトーマに失恋したと思いー。
お読みくださりありがとうございます。


勘弁してください、僕はあなたの婚約者ではありません
りまり
BL
公爵家の5人いる兄弟の末っ子に生まれた私は、優秀で見目麗しい兄弟がいるので自由だった。
自由とは名ばかりの放置子だ。
兄弟たちのように見目が良ければいいがこれまた普通以下で高位貴族とは思えないような容姿だったためさらに放置に繋がったのだが……両親は兎も角兄弟たちは口が悪いだけでなんだかんだとかまってくれる。
色々あったが学園に通うようになるとやった覚えのないことで悪役呼ばわりされ孤立してしまった。
それでも勉強できるからと学園に通っていたが、上級生の卒業パーティーでいきなり断罪され婚約破棄されてしまい挙句に学園を退学させられるが、後から知ったのだけど僕には弟がいたんだってそれも僕そっくりな、その子は両親からも兄弟からもかわいがられ甘やかされて育ったので色々な所でやらかしたので顔がそっくりな僕にすべての罪をきせ追放したって、優しいと思っていた兄たちが笑いながら言っていたっけ、国外追放なので二度と合わない僕に最後の追い打ちをかけて去っていった。
隣国でも噂を聞いたと言っていわれのないことで暴行を受けるが頑張って生き抜く話です

雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。

捨てられオメガの幸せは
ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。
幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

王様の恋
うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」
突然王に言われた一言。
王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。
ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。
※エセ王国
※エセファンタジー
※惚れ薬
※異世界トリップ表現が少しあります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる