【R18】月しずくのワルツ~ツンデレ令嬢の初恋~

イチニ

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22.月のしずくのような

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「ミシェル」
 公爵家の別邸の部屋に入るなり、首に手を回し屈めさせて、唇を押しつけようとすると、クラウスがミシェルからやんわりと体を離そうとした。
「何よ?イヤなの?」
「……先生のことは納得してくれたのか?」
「納得なんかしていないわ。公表したいって気持ちは変わらない。けれど……あなたが今更っていう気持ちになるのもわからなくはないし、これから二人で話し合って決めていけたらって思っているわ」
「……そうか」
 ミシェルは男の逞しい腰に腕を回して、顔を仰のかせた。
 キスを強請るようにじっと見つめていると、長くかたちの良い指が、ミシェルの横髪を撫でる。
「帰国を延期はしたが……近いうちにダトル皇国へは戻らなければならない。向こうで演奏会が予定されているし、世話になった人もいる。……寂しい思いをさせるが、それでもいいのか?」
「……いつまで?」
「……ライネローズに戻ってくるにしても、二年か、三年はかかるだろう」
 ずいぶんと長いと思うが、ダトル皇国は芸術面に力を入れておらず、優れたピアニストは少ない。そのため、かなり先の予定まで組まれているのかもしれない。
「待てないわ」
 告げると、髪を撫でていたクラウスの指の動きが止まる。
「三ヶ月ね。それくらいで上手く調整をして、私があなたを追っていくから。だから……ダトルに女がいるなら、身辺整理をきちんとしておきなさい。女の影があったら、ワインじゃすまないくらい、暴れまわるわよ」
 挑むように言って微笑むと、クラウスは眩しいものでも見るように目を眇めた。
「……他の女性などいない。……君は……竜巻みたいだな。突然あらわれて、全部なぎ倒していく」
 褒められているのか、貶されているのかわからない表現だ。
「天使じゃなかったの?」
「天使で、月の女神だが、竜巻だ」
 クラウスは真面目な顔をしている。冗談を口にしている風にはない。
「ピアニストじゃなくて詩人にでもなるつもり?……あなたがなぜ、私を天使扱いして、触れるべきではなかった、って言うのか全然理解出来ないのだけれど……私も初めてあなたに会った時から、届かないものを追い求めるような、憧れのような美しい想いをあなたに抱いていたわ。けれど今は、もちろんピアニストとしての憧れもあるけれど……普通に男として、性的な感情込みで触れたいし、一緒にいたいって思うわ。それって、いけないことなのかしら」
「そうだな。君の言うとおりだ」
 考える事を諦めたかのように、クラウスはミシェルの言葉を即座に肯定した。
 幼い頃のように、我儘なミシェルの言いなりになっているような態度だったので、あまり嬉しくない。

「私が強引に迫ったから、仕方なく従ってるみたいな素直さね」
「……俺は君の下僕のようなものだ」
 喜んでよいのか、悪いのか。
 下僕になったクラウスを想像すると、意外と悪くない気もするが、今のミシェルはそんなあやふやな言葉は欲しくなかった。
「まどろっこしい比喩は好きじゃないわ。ちゃんと言って」
「君が好きだ。出会ったときは、純粋な気持ちだったが……再会してからは邪な気持ち込みで、君を愛している」
 僅かに頬を赤らめて、少し照れた風にクラウスは言う。
 初めて見る表情に胸を高鳴らせていると、彼の顔が静かに近づいてきて、唇が優しく触れてきた。




 別邸で彼が使っていたベッドにもつれ込む様に倒れ込む。
 少し乱暴に、クラウスの指がミシェルの衣服を剥いでいき、ミシェルも焦るような気持ちで、彼の服を脱がせた。
「……いいわよ」
 キスの合間に掠れた声でねだる。
「だが……」
 口づけだけで、自身のそこが潤っているのがわかる。
 性急に重なれば、初めてのときと同じような痛みがあるかもしれない。
 けれど、今は、早く、体の中でクラウスを感じたかった。
 誘うように足でクラウスの腰を引き寄せた。
 クラウスは獣のような荒い息を吐き、ミシェルに圧し掛かってくる。
「あっ、っ……」
 ミシェルはぐっと割り拡げられる感覚に息を詰め、男の逞しい背中に指を立てる。
 三度目だからか、初めてのときのように痛くはなかった。
 圧迫感で苦しいけれど……二度目のときよりも、ずっと胸が切なく疼いた。
「ミシェル、愛してる、好きだ……君が可愛くて可愛くて、どうしようもない……」
 クラウスがミシェルの体を揺さぶりながら、低い掠れた声で、何度も『愛の言葉』を繰り返す。
(……冷静な男だと思っていたけれど……熱情的な人なのね……)
 箍が外れたのか、臆面もなく愛情をぶつけてくる男を意外に思いながらも、ミシェルは甘やかな言葉に酔いしれた。


 日が傾いてきたので、そろそろ起きねばならない。
 クラウスの腕の中でうとうとしていたミシェルは、髪を撫でる長い指を手にとって、唇で触れる。

「あの楽譜は、君が持っていてくれないか」
「……公表してもいいの?」
「いや。そうではなく……あれは君のために作った曲だ……音楽祭で、俺の曲を弾きたいと言っていただろう」
「ああ……そういえば。あの曲がそうなの?」
 父の楽曲にしては重厚感はないけれど……優しくて綺麗な曲だ。
 あれがクラウスのものだと知る以前から、ミシェルはあの曲が気に入っていた。
 けれど……今やあの楽曲は、父の罪の証だ。
 赦せないという思い。そして――ミシェルがあの曲の弾いていたときの父の心情を思うと、複雑な気持ちにもなった。
 音楽家としてあるまじき行為をしたと軽蔑していて、以前のように純粋な尊敬は抱けないけれど、モーリスはミシェルの父親なのだ。
 死ぬ直前まで、クラウスの名を呼んでいた。おそらく悔恨に苛まれながら亡くなったであろう父のことを、哀れに思う。

 暗い顔になったのに気づいたのか、クラウスがミシェルの頬を撫でる。
「俺のために、あの曲を弾いて欲しい」
「……ええ。あなたが望むなら」
 父の件で、ずっとクラウスに負い目のようなものを感じ生きていくのかもしれない。
 彼も、そんなミシェルに気づき、苦しむこともあるだろう。
 一人のピアニストとしても。これから何度も、劣等感に苛まれるであろう。
 でも、それでも、ミシェルはどれだけ苦しみ悩んだとしても、クラウスと一緒に生きていきたいと思う。

「……月しずくのワルツっていうのよね」
 楽譜に書いてあった題名を思い出す。
 父は楽曲に題名を付けることは滅多になかった。
 そのため、あの曲も、五十二曲目の楽曲なので、『ワルツの52番』とだけ呼ばれていた。
「ああ。お化けになって、俺を追い出そうとしただろう?あのとき、君は泣いて。蒼い瞳からぽろぽろ涙が零れて、まるで月がしずくを零しているみたいで。それを思い出してつけた」
 ミシェルを愛おしげに見つめながら、幻想的なことを口にする。
「あなたって……ロマンチストなのね」
 恥ずかしいというか、呆れるというか。
 微妙な気持ちになったけれど、ピアニストなのだから、それくらい夢見がちな方がよいのかもしれない。
 ミシェルはふふ、と小さな笑い声を零しながら、クラウスの肩に額を寄せた。
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