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7.救出
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「やめて……はなして」
弱々しく首を振って、ミシェルは怯えた表情をつくる。
尊大な表情しか知らぬ男は、初めて見るミシェル弱気な顔に、ごくりと生唾を呑んだ。
「俺は優しい男だからな……お前も俺を味わえば、俺のことが気に入るはずさ。何なら……アレクシから俺に乗り換えたっていいんだぜ」
腕が腰に回る。男からは甘ったるしい香水の匂いがした。吐き気を堪えながらじっとしていると、周囲の男達も、ミシェルと距離を縮めてきた。
ドレスの上から尻を撫でられ、気持ち悪さに体が強張る。
ミシェルは押し退けたい衝動を抑えながら、男の耳元に唇を寄せた。
「あなたって、あっちの方も、教本通りなの?」
「……?」
「あなたの演奏って、いつも譜面通り。つまらないのよ。そのうえ、自信過剰のせいか、いつも独りよがりよね。聴衆のこと、少しでも考えたことがあって?もしかして女性に対しても同じなのかしら。自分が気持ちよくなりたいだけなら、自慰と同じよ」
耳に吹き込むよう言ってやると、男の顔がみるみるうちに朱く染まっていく。
「何だとっ……お前っ」
「優しい男?いやらしい男の間違いでしょ。アレクシからあなたに乗り換えるなんて、そんな愚かな女、世の中にいやしないわ。本気で言ってるとしたら頭、いえ視力が悪いとしか思えないわね。自分の顔を鏡でじっくり見た方がいいわよ」
怒りに唇を震わせる男を、ミシェルは微笑みながら見上げた。
男が腕を振り上げる。そして鈍い音とともに、頬に衝撃が走った。
よろけたミシェルを、背後にいた取り巻きが支える。
(女を殴るなんて本当、ろくな男じゃないわ。でもこれで、この男が視界からいなくなるなら安いものね)
唇が切れている。頬も赤く腫れ上がるはずだ。
被害者はミシェル。
言い逃れ出来ない状況になったと、ミシェルは息を吸い、悲鳴をあげようとした。
だが。
「大人しくしてろって言ってるだろ」
血走った目をした男がミシェルの手首を掴む。
そして、力強い男の指が――。
「……離して」
ミシェルの顔に、演技ではない本当の動揺と怯えが走った。
「細い指だな。ほんの少し力入れただけで、折れそうだ」
「……やめて」
男の脅しに血の気がなくなる。
「……や、やめて……お願い……やめて」
あり得ない方向に、指を捩り曲げられそうになり、ミシェルの体が小刻みに震えた。
「怖いよなあ?指、折られたら、もう弾けなくなるもんな」
余裕を失い、怯えるミシェルに、男の怒りはおさまったのだろう。
最初からそういう態度なら殴りはしなかった、と満足気に嗤った。
「お願い……離して……あなたの言う通りにする……だから……」
殴られるのは構わない。
殴りたいなら、好きなだけ殴ればいい。
犯したいなら、犯せばいい。
誰にも言うなというなら、誰にも言わない。
けれど――。
指を折られるのだけはダメだ。
指を折られたら、ピアノが弾けなくなる。
上手く骨がくっついたとしても、今のようには、きっと弾けなくなる。
恐怖に青ざめたミシェルは、小さな震え声で、ごめんなさい、許して、と男に懇願した。
目の前にいるのが卑劣な男だということすら、どうでも良かった。
「大人しくなったことだし、馬車に乗せますか?」
「そうだな。騒ぐなよ。騒いだら、指を折るからな、ミシェル」
馬車で移動し、どこかに連れて行かれ、そこで犯されるらしい。
「……騒がない。騒がないから……指を……離して」
「駄目だ」
指を握られていると落ち着かない。
怖くて仕方がない。歩くことすらままならない。
「ほら、支えてやるから。しっかり歩け」
両脇から男の手が伸びてくる。促されるように背中を押されるが、膝から力が脱けそうになった。
「おい!言うとおりにしないと、本当に折るぞ!」
「何をしている」
恫喝されミシェルが震え上がったとき、低いが良く通る声が庭に響いた。
「彼女から離れろ。人を呼ぶぞ」
声と同時に拘束されていた力が弱まり、ミシェルは男の手を振り払った。
胸元で掴まれていた指を庇うように、もう片方の手で握り、その場に蹲る。
「……誤解しないでくれないか。俺達は……彼女が酔って気分が悪そうだったから、介抱してやっていただけだ」
「男四人で一人の女性を取り囲んでか?私にはそのようには見えなかったが」
「本当さ。俺は彼女の友人で、彼女を家まで送ってやろうとしているだけだ。良く知りもしないくせに、余計な口は挟まないで欲しいな」
「彼女の父、モーリス・オービニエは私の師であり、ミシェルは私の妹弟子だ。今夜、先に帰られたアレクシ殿に、よからぬ輩がいるので、ミシェルを気に掛けていて欲しいと頼まれたのだが……君達のような信頼の置ける友人がいるのなら、なぜ彼は私に彼女を任せたのだろうな」
「……お、俺は、俺達はただ……」
「言い訳ならアレクシ殿にした方がいい。私は自分が目にしたことを、彼に伝えるだけだ」
「こ、こいつが!この女が誘ってきたんだっ!」
「……そうか。それで?だから、何だ?」
「……い、いや……」
「彼女の介抱なら私がする。君達は場所を変えて、もっと面白い言い訳を相談したらどうだ?」
舌打ちとともに、立ち去る足音が聞こえた。
「……ミシェル。大丈夫か?」
「……どうしよう……指が……指、わたしの、指が……」
「出しなさい」
震える肩を撫でられる。
低く穏やかな声に命じられ、胸で隠していた指を差し出した。
「どうしよう……折れてる、かもしれない……」
「握って。指を曲げて」
先程までミシェルの指を掴んでいた乱暴な男の指とは違う。
冷たく大きな掌が、ミシェルの手を優しく包んだ。
美しい長い指が、ミシェルの細い指を優しく撫でる。言われた通り、指を曲げた。
「折れてはなさそうだが……痛いのか?」
痛みはない。
ミシェルは首を振った。
「なら大丈夫だ。心配なら、医者に診せた方がいいかもしれないが」
見上げると、見知った顔がある。
夜の闇のような瞳が、ミシェルを見つめていた。
男は目があったと同時に、表情を険しくさせた。
「……殴られたのか?」
「……ええ」
「一発ぐらい殴っておけば良かったな」
「ピアニストが人を殴るのは良くないわ。指を傷付けたらいけないもの」
半ば呆然としたまま答えたミシェルに、クラウスは苦笑した。
弱々しく首を振って、ミシェルは怯えた表情をつくる。
尊大な表情しか知らぬ男は、初めて見るミシェル弱気な顔に、ごくりと生唾を呑んだ。
「俺は優しい男だからな……お前も俺を味わえば、俺のことが気に入るはずさ。何なら……アレクシから俺に乗り換えたっていいんだぜ」
腕が腰に回る。男からは甘ったるしい香水の匂いがした。吐き気を堪えながらじっとしていると、周囲の男達も、ミシェルと距離を縮めてきた。
ドレスの上から尻を撫でられ、気持ち悪さに体が強張る。
ミシェルは押し退けたい衝動を抑えながら、男の耳元に唇を寄せた。
「あなたって、あっちの方も、教本通りなの?」
「……?」
「あなたの演奏って、いつも譜面通り。つまらないのよ。そのうえ、自信過剰のせいか、いつも独りよがりよね。聴衆のこと、少しでも考えたことがあって?もしかして女性に対しても同じなのかしら。自分が気持ちよくなりたいだけなら、自慰と同じよ」
耳に吹き込むよう言ってやると、男の顔がみるみるうちに朱く染まっていく。
「何だとっ……お前っ」
「優しい男?いやらしい男の間違いでしょ。アレクシからあなたに乗り換えるなんて、そんな愚かな女、世の中にいやしないわ。本気で言ってるとしたら頭、いえ視力が悪いとしか思えないわね。自分の顔を鏡でじっくり見た方がいいわよ」
怒りに唇を震わせる男を、ミシェルは微笑みながら見上げた。
男が腕を振り上げる。そして鈍い音とともに、頬に衝撃が走った。
よろけたミシェルを、背後にいた取り巻きが支える。
(女を殴るなんて本当、ろくな男じゃないわ。でもこれで、この男が視界からいなくなるなら安いものね)
唇が切れている。頬も赤く腫れ上がるはずだ。
被害者はミシェル。
言い逃れ出来ない状況になったと、ミシェルは息を吸い、悲鳴をあげようとした。
だが。
「大人しくしてろって言ってるだろ」
血走った目をした男がミシェルの手首を掴む。
そして、力強い男の指が――。
「……離して」
ミシェルの顔に、演技ではない本当の動揺と怯えが走った。
「細い指だな。ほんの少し力入れただけで、折れそうだ」
「……やめて」
男の脅しに血の気がなくなる。
「……や、やめて……お願い……やめて」
あり得ない方向に、指を捩り曲げられそうになり、ミシェルの体が小刻みに震えた。
「怖いよなあ?指、折られたら、もう弾けなくなるもんな」
余裕を失い、怯えるミシェルに、男の怒りはおさまったのだろう。
最初からそういう態度なら殴りはしなかった、と満足気に嗤った。
「お願い……離して……あなたの言う通りにする……だから……」
殴られるのは構わない。
殴りたいなら、好きなだけ殴ればいい。
犯したいなら、犯せばいい。
誰にも言うなというなら、誰にも言わない。
けれど――。
指を折られるのだけはダメだ。
指を折られたら、ピアノが弾けなくなる。
上手く骨がくっついたとしても、今のようには、きっと弾けなくなる。
恐怖に青ざめたミシェルは、小さな震え声で、ごめんなさい、許して、と男に懇願した。
目の前にいるのが卑劣な男だということすら、どうでも良かった。
「大人しくなったことだし、馬車に乗せますか?」
「そうだな。騒ぐなよ。騒いだら、指を折るからな、ミシェル」
馬車で移動し、どこかに連れて行かれ、そこで犯されるらしい。
「……騒がない。騒がないから……指を……離して」
「駄目だ」
指を握られていると落ち着かない。
怖くて仕方がない。歩くことすらままならない。
「ほら、支えてやるから。しっかり歩け」
両脇から男の手が伸びてくる。促されるように背中を押されるが、膝から力が脱けそうになった。
「おい!言うとおりにしないと、本当に折るぞ!」
「何をしている」
恫喝されミシェルが震え上がったとき、低いが良く通る声が庭に響いた。
「彼女から離れろ。人を呼ぶぞ」
声と同時に拘束されていた力が弱まり、ミシェルは男の手を振り払った。
胸元で掴まれていた指を庇うように、もう片方の手で握り、その場に蹲る。
「……誤解しないでくれないか。俺達は……彼女が酔って気分が悪そうだったから、介抱してやっていただけだ」
「男四人で一人の女性を取り囲んでか?私にはそのようには見えなかったが」
「本当さ。俺は彼女の友人で、彼女を家まで送ってやろうとしているだけだ。良く知りもしないくせに、余計な口は挟まないで欲しいな」
「彼女の父、モーリス・オービニエは私の師であり、ミシェルは私の妹弟子だ。今夜、先に帰られたアレクシ殿に、よからぬ輩がいるので、ミシェルを気に掛けていて欲しいと頼まれたのだが……君達のような信頼の置ける友人がいるのなら、なぜ彼は私に彼女を任せたのだろうな」
「……お、俺は、俺達はただ……」
「言い訳ならアレクシ殿にした方がいい。私は自分が目にしたことを、彼に伝えるだけだ」
「こ、こいつが!この女が誘ってきたんだっ!」
「……そうか。それで?だから、何だ?」
「……い、いや……」
「彼女の介抱なら私がする。君達は場所を変えて、もっと面白い言い訳を相談したらどうだ?」
舌打ちとともに、立ち去る足音が聞こえた。
「……ミシェル。大丈夫か?」
「……どうしよう……指が……指、わたしの、指が……」
「出しなさい」
震える肩を撫でられる。
低く穏やかな声に命じられ、胸で隠していた指を差し出した。
「どうしよう……折れてる、かもしれない……」
「握って。指を曲げて」
先程までミシェルの指を掴んでいた乱暴な男の指とは違う。
冷たく大きな掌が、ミシェルの手を優しく包んだ。
美しい長い指が、ミシェルの細い指を優しく撫でる。言われた通り、指を曲げた。
「折れてはなさそうだが……痛いのか?」
痛みはない。
ミシェルは首を振った。
「なら大丈夫だ。心配なら、医者に診せた方がいいかもしれないが」
見上げると、見知った顔がある。
夜の闇のような瞳が、ミシェルを見つめていた。
男は目があったと同時に、表情を険しくさせた。
「……殴られたのか?」
「……ええ」
「一発ぐらい殴っておけば良かったな」
「ピアニストが人を殴るのは良くないわ。指を傷付けたらいけないもの」
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