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台詞を言い終わって、俺は我に返った。
台本を力の限りに握り締めて、チェーンが当たる首筋がビリリと痛んだ。
時間は経っているはずなのに、みんなは静まり返って台本に視線を置いたまま誰も動かない。
(どうしよう…)
感情のままに叫んでいた。
(俺…もう…)
長い台詞の後、俺は一番最後の台詞にある感嘆符を言い切れず、必死に絞り出していた。
自分の想いだけを。
(1ミリも綾斗じゃない…)
俺は物音一つしない空間で、大西監督を見た。
大西監督はその目で俺をじっと見ていた。
(もう…俺…)
俺はゆっくりと手を上げた。
暫く動かなかった大西監督は言った。
『何かな?』
分かっているようだった。
「…NACに、上手い奴が居ます」
微かにみんなの視線が俺に移った気配を感じる。
「今すぐ…連れてくるので、一度声を聞いてくれませんか?」
上げた手も声も震える。
『交代、ということかな?君と』
「…はい」
大西監督は全く目を逸らさない。
『いいよ。すぐに連れて来て』
「…みません!」
俺は走ってドアに向かう途中で、一人だけこっちを振り返っている三条さんを見た。
「悠二…」
驚いたような傷ついたような目に、俺は立ち止まれず一度頭を下げた。
「何してんだよ俺…!」
バッグから車の鍵を探す手が大きく震えて上手くいかない。
「なんてこと…」
鍵の後に掴んだスマホを一度床に落としてしまい、それを拾うことも上手くいかない。
(なんで!!)
すぐに三山さんに連絡した。
『はーい、YUJI?どした?』
「三山さ…!MAKIと交代出来ますか?」
『YUJI?』
「すみません俺!ホントすみません!」
『どーした?落ち着けよ』
「本当にすみません…俺もう…ダメになっちゃった…」
NACを背負ってここに来たのに、
俺を天才だと信じていた三山さんまで裏切る事になった。
「すみません!ホント…ごめんなさい…」
『勝たせてやりたいよな』
そう言っていたMAKIのことまで裏切る事になった。
「MAKIには俺から連絡するので、すみません!本当に…!」
ふらついて掴んだバッグが床にひっくり返る。
「何か請求来たら…全部俺が払うから!何やっても払うから…だから本当にごめんなさい…!三山さん…俺ホント…」
俺はひたすらに謝り続けて切った。
MAKIは幸い買い物の途中で近くまで来ていた。
『大丈夫かよ!?俺すぐ行くから!駅だな!?』
俺はMAKIを迎えに、駅まで車を飛ばした。
◆ 大西 幸人
今朝ここで彼の表情を見た時に、何か起こる様な気がしてはいた。
その不気味さを、私は喜んでいたのだろう。
高井悠二が出て行った後も、目の前の役者達は動かなかった。
「…私なりに彼に期待してたんだろうね。そういうことだな、きっと」
私は前に居る者たちに話しかけながら鉛筆を軽く手元で投げた。
掴めそうだったものは一瞬で目の前から消えてしまった。
「山口君。林さんに連絡して。こんな状況で呼べないから。今日は出番までたぶん回せないと伝えておいてくれ」
「はい」
三条司だけがさっき高井君に少し反応を見せたくらいだった。
目の前に突然現れて、それが不可解だから捕まえようとしていた。
頭の何処かで、自分なら生け捕りに出来ると、私はそう高を括ていたのだろう。
ここには私より歳を重ねた者はいない。
だからこういう時は、私が語ってやらなければならない。
そしてそれを聞かされて、そのまま受け取るのでは無く、何かを感じ、それを自分なりの物に出来た者が乗り越えるのだろう。
私は多分、正しくはない。だが、そこに意味があるのだろう。
「…役者をやってると、なんでこんな事やってたんだっけって瞬間が不意にやってくる。私も舞台なんかの時に経験があってね。熱い演技の後なんかにさ。急に馬鹿馬鹿しく思えたり、一生懸命に積み重ねた全てを、恥ずかしいっていうのかな?そう思ってしまったり。心が折れたっていうんだろうね、あれは不思議だよねえ」
さっきの高井君の演技に圧倒されて、今のこの状況がある。
ここに居る者達がたった今、何をどう思っているのかは分からない。だが、この窓を破る様だった彼の勢いがこの五人を黙らせてしまったのは確かだった。
「でも君達にはそれがない、というよりそう振り切ってしまわないようにバランスを取ってる、そうだろう?だから私は今回君達に来て貰ったんだ。青柳君、君なんか特にそうだ」
青柳晃介とは、何を求めてもそのように演技し、異論があるときはそうはっきりと言ってこちらの言い分よりも良いものを提示してくる男だ。
そこまで真剣にやっても、どうも上手い。小手先を超えても自分と役はしっかりと別々に確立してある。
青柳君を見ていると、どうしてかふと若い頃の林典隆を思い出す時がある。
今でこそ立場は違うが、当時は彼の演技にはどうしたって一生追いつけないと躍起になったものだ。横に並んだ気がしたのは初の共演から五年も経った後だった。だが林典隆は何かを機に、一気に私達の居る場所からずっと先へ行ってしまった。
その頃に彼を見て、私は彼のような良い役者を誰よりも上手く使える人間になりたいと思い、この椅子に座った。
良い役者に良い台詞を言わせたい、そしてそれをそのまま誰かに聴かせたいと。
(ああ、そうだった。私はそう思っていたな)
「君は常に自分の感情をコントロール出来ているから完璧な演技が出来てしまう。声の抑揚一つにしても自在だ。どんなに熱量の要る場面でも、俯瞰で見た上での「熱量を込めた演技」が出来る。でも、高井悠二にはそれが出来なかった」
良い役者とは誰だと訊かれれば、この青柳晃介の名前も今なら私の候補の一つに上がる。まだ若いし本人は決して役者として長い方でもないし、扱い勝手の良いような柔和は人間ではないし、出来る幅が広いタイプでもない。だが、生命力を的確にそのキャラクターに宿す能力がある。
(そこが似ているんだな)
役に入っている青柳君を見て、それが青柳君自身なんじゃないかと今でも錯覚する程だ。
「いや、私はね、高井君はそれを君より上手くやるんじゃないかと思ってたんだ。初めてのベッドシーンで彼は彼じゃないくらい感情的になっていたのに録り終われば平気な顔をしてたからね。別の人間なのかと思う瞬間もあったり。なのに彼は基礎エネルギーが足りなかったのか、それとも他に理由があるのか、ここに来てつい生身の感情に全て頼ってしまった」
そこが青柳晃介と高井悠二の違いだ。だが高井君の演技には此処にいる者達を食う程の何かがあった。それは気のせいではない。
その時にしかない生の感情が、ついさっきまで私の前にあったのだ。
演出や能力や台詞を超えた感情が。
「演技」というのは、「生の感情の真似事」だ。
そして「生の感情」とは、舞台上に上がってしまえば出そうとして出せるものではなくなり、見ようとして見えるものではない。
それはやはり自分がリアリティを追求する「役者」でしかないからだ。
「内側深くから流れ出た汗や血は、温度を下げてしまう。だから最初に言った「不意の凪」に彼は陥った。それでここに生身の人間とそうじゃないプロの役者との間に亀裂が入ったんだ。温度差だ。私が居るここからだと、面白いくらいにはっきりと見えたよ」
ここからしか見えない景色がある。
何かの手前に居る者と、その先に居る者と。その背中はそれぞれ、十人十色。
それでも、さっきの様なものは、私も初めて見た。
高井君は今回の私にとって、願った以上の役者だったと認めざるを得ないだろう。私が長年ここに座ってひっそりと願っていた以上に、いま目の前にある器用な者達に一矢報いてくれたのだから。
「こうなる前触れがあったのかどうか、私も気付かなかった。あまり思ってる事を表に出して言ってくれるタイプの子じゃないしね」
そんな事は無い。私は彼をここから見ていた。彼が段々と化けていくのを喜びながら、恐ろしいとさえ思いながら、不安定な何かが形になって透明なまま燃えるような様をずっと見ていた。
プロのうちのある者はそれを応援し、ある者は警戒し、またある者はその熱を直に受けて自分の域を越えた。
「だってほら、彼はいつだって平気な顔をしてただろう?」
高井君は常に諸刃の剣だった。そこがとても綺麗だった。
「何も怖がっているようには見えなかった」
青柳君が力を捨てるように、台本を持つ手を下ろした。
それを機に空間に動きが戻る。
栖本君は椅子から立ち上がって他の者と並びに行った。彼はさっき、窓を挟んだ私の前の椅子で、私と近いものを見たはずだ。今はいつものように片足ずつ動かして台本を見ている。
三条君は珍しく何か思う事があるようで、二岡君は心配そうに俯いて、橋下君はどこか悔しそうだ。
橋下風也は人気が出るのが早かったせいか、色んな作品に引っ張り回されながらもまだ新人の青さも持っている。
長いものに巻かれる術も知っているし、若くて上手い役者としての地位も自他共に明確にあるのに、そんな彼でも今は素人のように何かに苛立っている。
そう、私に対してだろう。
そこに座って居るから分からないんだ、と思っている。
かつての私自身のように。
「全員がプロなら当然こうはならなかったし、なったとしたら私は怒る。けどね、辞めたいって言い出して、素人さんだしさ、無理に引き止めてこの後宣伝もしない、ネットに書いちゃう、そんなのは困るからさ、もうはっきり辞めて貰おう、ね?
ネットで人気の若い子の考えなんて怖いしね。ここを離れてしまったら信用も出来ないし。言ってしまえば最初から君達と違って、何の証明も持っていない子だったわけじゃない?ね。何処から来たのかも、何を考えているのかも分からない子じゃないか。綺麗な顔してたし、話題性にも期待はあったけど。行ってしまったんだ、それまでの子だったという事だな。今まで録った君達のものは使うし、時間が余れば部分的に録り直そう。そうしよう。これは全て私の責任だ、本当に申し訳ない。みんなから彼にあれこれ言うのはよそう、いいね?」
五人はまだそうやっている。
「彼には出来なかった。それだけだ。さて、彼が紹介してくれる人を待とうか。私は良いものを作りたかった。でもそれ以上に仕上げるという事をしなくちゃいけないんでね。時間は惜しいけれど、ま、たった一つの穴なら埋められるからね。青柳君、君なら少し負担があっても平気だよね?相手役はNACに責任持って用意して貰うから。ま、ちゃんと誰か送って来るでしょう。私は別に、演技さえ出来れば誰でもいいんだよ」
私は漸くこっちを振り返った目を見た。
「まさか君達がそういう目を向けてくれるとは思わなかったよ」
中でも特に、その男が見せた目は、私はこの先忘れないだろう。
三十分程で高井君は戻ってきた。
申し訳なさそうに頭を下げながら一人の若者を私に紹介した。
決して開き直っているわけじゃなく、でも必要に迫られていつもの目で淡々とその若者に綾斗について何か引き継いでいる。
自分が使っていた三冊の台本を、追加の冊子まで渡し、私の指示を待つ。
そう、いつものあの目で。
高井君にとってのこの場所は、別段特別なものではなかったのだろうか。
彼が日頃行っている「配信」も、ただ台本を読むだけの、誰にでも空け渡せるような、偽の居場所だったのだろうか。
「はい、じゃあそうだね。追加のところでテストと行こうか。どうだろう、その彼は出来るかな?あのシーン」
私は向こうを向いている青柳君の気配を見ながら高井君に確認する。
「はい」
はっきりと言い切った声に頷いてやった。余程連れてきた彼を信頼しているようだ。
「青柳君、いいかな?」
『はい』
こっちを向いてすっと手を上げる。
「じゃあ君、入って。高井君はここに来て」
新しい彼は礼儀正しく、私達と出てくる役者達に挨拶をして高井君が使っていたマイクに立った。
そしてここへ入って来ようとする二岡君と橋下君に外で待つように言った。
高井君は私の横に立ってヘッドホンをつける。
『NACの槇 大翔です。宜しくお願いします』
『宜しくお願いします』
槇君と青柳君は顔を見合わせて挨拶する。
「槇君、薄い方の台本のアタマから、いつでもいいよ」
『はい』
追加部分をさせたのは意地悪だったかも知れない。
槇君は所々台詞を噛んだが、普通はこんなものだ。今までがおかしかったのだ。
高井君が説明していたのか声の質以外はそこまで違いもないし、読み込んでもいないのに感情も入っている。
高井君が艶のある大人しい声ならば、槇君はハリのある若い声で、少し橋下君に近い部類だ。
「上手いね」
先入観がなければ綾斗の声で問題ない。寧ろ綾斗の年齢的にも高井君は少し色っぽすぎたくらいだった。
それを綾斗として組んだイメージよりも幾分かトーンの上がった作品になるかも知れない。別にそれもそれでいい。
ただその先入観というのはこれが曲者で、青柳君の声と呼吸まで完璧だった高井君のものと比べるとやはり別の声をすんなりとは聴けない。
私がイメージする青柳君の声に高井君ほどピンときた声は今まで無かったからだ。
この作品にはそのアンサンブルが合っていた。
妙にリアリティのある、手触りの良いベルベットのような、深い色のトーンが似合っていた。
だがそれも、私の中での事だ。
◆
俺はMAKIが綾斗になるのを見ていた。
青柳さんはMAKIの綾斗とも違和感がない。それがとても苦しいなんて、俺はどこまでも甘えた子供だった。
俺があんなに苦労した綾斗を、MAKIはすんなりと演じてしまった。
(ホント、馬鹿みたい…)
『うん、いいね』
大西監督がOKを出した。MAKIはMAKIらしく、全身でホッと息を吐いて台本を読み直している。
青柳さんも同じように台本を見てMAKIに対応しようとしているようだ。その背中はこの世で一番頼もしくて、この世で一番遠い背中だ。
「君はこれで帰るのかな?」
俺が大西監督を見ると待っていたようにその目が刺さる。
「本当に、申し訳ありませんでした」
何をどう謝れば良いのかも分からず俺は深く頭を下げた。
「問題ないよ。切ったり貼ったりすればいいんだから。そういうのが嫌だったんだけどなあ私は。まあ気にしなくていい。素人なんだから、こういう事もある」
「申し訳ありません…」
「君が押し上げた彼らの温度を、機械を使って君以外の子の温度に合わせるのは骨が折れそうだけど、CDになってしまえばただの作品だ。買った人にはここで何が起きてこれが完成したのかなんて伝わりもしないからね。綾斗役が本当は君だったこともさ、伝わらないさ誰にも。私は、そういうのが嫌だったんだけど…。まあいいじゃない、もうね」
一体何人に迷惑をかけているのかも分からない。
俺一人がどうやったって、この詫びなんて出来ないのだろう。
「あ、君の所の社長の三山君。電話くれたよ。今すぐYUJIを返してくれってね、逆に怒られちゃったよ」
「え…?」
「私もびっくりしたよ。面白いよね、三山君。何を考えてるんだろうね?あれじゃあ通用しない。やめるって言い出した役者以上に常識がないね。てんでだめ。でも嫌いじゃないよ、私はね。そのおかげで君がどんな声で彼に替わりの役者を頼んだのかがよく分かったし。私はそれで納得することにした」
「本当に、申し訳ありません」
「自分の所の子を守る方を選んだだけだろうし、そういう意味では最近珍しいっちゃ珍しいしね。今はすーぐ尻尾切っちゃうじゃない?ねえ、そうそう」
何故大西監督が怒らないのかくらいは分かっているつもりだ。それは俺が素人で、大西監督がきっと最悪の事態として予測していた事を、そのまま俺がやってしまったからだろう。
「君にも何か持ち帰って欲しいと思うから言うが、私は結構ね、ここから見てて君とお芝居したいなと思ったよ。これは一歩に満たない最初の仕事だったと思って、落ち込まず、ね?」
あっさりと許そうという。
「まあ悔しいとか、何か思ってくれたなら私は特に責める気もないよ。色々言っちゃったけど、ははは」
この数日間ごちゃごちゃと追われていたのは俺だけで、側から見れば必死になった素人が予測通りの穴を空けた、そんなものなのだろうけど、それでも許される事じゃない。
「槇君?綾斗は彼で行くよ。君から社長に連絡しておいてくれるかい?あの子で満足したから詫びにも来なくて良いと伝えて下さい。来て貰っても忙しいから。この歳で口喧嘩なんてしたくないからね!ははは!」
俺は深く頭を下げた。
だがどうしても気になる事があった。今の俺の立場で言って良い事じゃないのは承知している。だけど、
「あの、俺が言うのは厚かましいですが…竹山海の仕事に影響させないで下さい。お願いします。あいつと俺は何の関係もないので…お願いします」
俺は大西監督の足元で土下座した。
「本当に申し訳けありません。俺に取れる責任がもしあるなら俺に連絡下さい」
「あのね、君さ。私はただ綾斗役をして欲しかっただけだよ。それはもう出来ないんだろう?」
後頭部に投げかけられる質問に何も言えず、
「だったら君に出来る事なんてもう何もないじゃない。君、学生さんでしょ?」
大西監督は可笑しそうに笑った。
「俺のせいで発生する金銭的なものとか、教えてください」
「この仕事って簡単な時給換算じゃないんだけどね。え、払うの?もしオーバーして青柳君に出てきて貰ったらそれ君が払うの?どうやって、そんなのどうするの」
「何としてでも必ず払います」
「そんなのもしあっても三山君が払うんだよ、当然でしょうが。面白いね」
「俺が、払うので」
「ああ、そう。分かりました。はいはい。で、竹山君の件だったかな?私は組織的な事は、良いものしか見ないんだ。一人一人を見よう、なんて事を実は信念にしている。でも君のお陰でNACには興味がある、槇君にしても演技が良いしね。あれ?そう言えば、次の作品に来てもらうのって彼じゃなかったかな?まあ、今はいいか。ま、そういった点でも三山君のセンスは嫌いじゃない。君一人との悪い記憶で全体は見てない。私もそこまで暇じゃないんだよ?もう立ってくれないか?」
「はい…」
俺は立ち上がった。言える言葉も無く、頭を下げるばかりだ。
「それでは…失礼します」
俺が周りの人にも頭を下げて出て行こうとすると、大西監督はまた声を出した。
「君は関係のない知り合い程度の人とばかり付き合っているんだね」
俺は振り返る。
大西監督は事前の打ち合わせでもずっと俺にそこを問うていた。
「信用しないんだ?誰のことも。それで君は自分は誰にも甘えてませんって書いて身体に貼って生きていくのかな?この先もずっと」
「別…」
「でもね高井君、相手までもが君の事をそう思ってるとは限らないんだよ。人一人の責任ってのはとても大きいんだ。本人が思っている以上に。って言うとやっぱり怒ってるのかって事になっちゃって非常にややこしいんだけど、私が言いたいのは仕事の事なんかじゃない。今日の三山君の話でもまだ分からなかったかな?槇君は何故ここに来たんだい?」
途中で頓挫する事よりも責められている気がした。
「MAKIの事は出来る限りサポートします」
「急に呼び込んだ責任でかい?」
「はい」
「ああ、そう。もういいよ。…まあ、だから竹山君に、いい監督だよって言っておいてね。私に君をいじめたオッサンなんてイメージ持ってたら嫌だから。こう見えて恨まれたくないっていう可愛い性格なんだよ私は」
「本当に…申し訳ありませんでした」
「さあ、外の彼らをマイクに立たせるから、君は会わずに行きなさい、ね。君が辛いのも分かっているつもりだから」
スタジオを出て車に乗ると、もう最後のシーンの台詞も、あの時の自分の感情も全く思い出せなかった。
何もかもを、あのマイクの前に置いて来てしまったかのように空になっていた。
この数日の間、ずっとここに居たようなこの古いスタジオも、ロッカー室に鍵を置いて出た時点で俺とは全く関わりのなかった建物のようだ。
俺にはもう、何も出来ることがなかった。
それでも、車を走らせた時には、最後に見た青柳さんの背中だけが脳裏に浮かんでいた。
謝って済むとも、謝りに行けるとも思わないが、青柳さんを裏切った罪悪感だけは、どうしても拭えなかった。
部屋に帰るとベッドに崩れ、動けなかった。
「なんてこと…したんだ…」
ずっと続く着信のバイブレーションの音に目をきつく閉じていると、最後の大西監督の言葉が蘇ってくる。
そして三条さんが俺に言ってくれた言葉も。
今までの俺だったら絶対にこんな最低な事態にはならなかった。それは確かだ。
そしてこの数日間、そう思うような出来事しか起きなかった気がする。
着信は三山さんだろうという予想は出来る。
こんなどうしようもない自分に電話をかけてくる人がいる事にも苛立ってしまう。
「でなきゃ…」
重い身体を起こしてスマホを手に取った。
『YUJI』
「本当にすみません。大西監督はMAKIで納得してくれました。連絡、遅れてすみません」
『今どこにいるんだ?』
「三山さ…」
『どこなんだ?』
「家、です」
『そうか、ならいい。大丈夫か?』
どうして誰も責めないのだろうか。
「俺が何したか…知ってますか?」
『まあね。罪悪感で最悪なんだろ?ははは!』
「なんで、笑ってんの…?」
『なんでって、俺だもん』
「…そんな人じゃないくせに!常識人のくせに!ちゃんと怒れよ!あんたの顔に泥塗ったんだぞ!?言いたいことちゃんと言ってくれよ!」
『俺はお前が消えてなくて良かったな、程度にしか思ってねえ。本当にそれだけだ』
「なんだよそれ!!期待もしてなかったのかよ!?」
『期待はしてた』
「だったら!」
『だからそれよりも、お前がちゃんとお家で苛々して俺に八つ当たりしてくるくらい元気で良かったなって事だ』
(どうしていつもこうなんだろう…)
俺は何も返せないのに、近付いてくる人がいる。
「…馬鹿にしてんの?」
『いいや。だってお前言ったろ俺に』
「は?」
『居場所なくなったら俺に頼るって。どうせ頼って来ないの知ってるから電話したんだろうが』
「なんでだよ…」
『これからもNACがお前の居場所です。次の仕事もしてもらうぞ。いいなYUJI』
「ちょ…!」
電話は切れた。
『でもね高井君、相手までもが君の事をそう思ってるとは限らないんだよ。今日の三山君の話でもまだ分からなかったかな?槇君は何故ここに来たんだい?』
「何も分かってないのは、俺か…」
他人が自分を気にかけるのを疎ましいと思っていた。
なんで俺なんかに、と多分頭の何処かでその人を馬鹿にしていた。
その人の思いを無視した方が楽だったからだ。
「ずっと逃げてる…」
あの家の大人達からも、友達と言ってくれた人達からも、リスナーからも三山さんからも、MAKIからも、KAIからも、TAKAからも。
そして、あそこで仕事をしているあの人達からも。
ーー綾斗からも。
いつかは変われるなんて思って、自分からは一切何もせずに。
自分からは何も言わずに、俺の事を何も知らない人だと冷ややかに見ていた。
何も要らないなんて言いながら、結局はその度に傷ついた。
そうやって自分は全部隠したままで、俺の欲しいものを相手が出してくれるのを甘えて待ってるだけだった。
(そんなの、いつまで経ったって見つけられるわけがなかったんだ…)
俺は誰よりも無責任で、自己愛で他人を傷つけてまわる弱い人間だった。
「このままで、変われるわけない」
またバイブレーションが響く。
連絡帳に登録の無い番号からのリズムだ。
「はい…?」
『青柳だ』
どうしようもない俺なのに、
運だけは、無駄にある。
『さっさと部屋から出て来い』
◆ 青柳 晃介
「監督、少し休憩をください」
司が初めて手を上げた。
それは槇が綾斗になって、部分的な録り直しを始めた直後の事だった。
『うん。槇君、ちょっとあっちの部屋で話そうか。何もかもが急で、君も落ち着かないだろう』
『あ、はい』
槇は確かに勝手も分からず、呼ばれるがまま、急いで大西さんの元へ走った。
残った俺達は、それでも何も話さなかったが、暫くすると司が誰に言うでもなく話し始めた。
「俺さ、悠二に言われたんだよね。俺達は何にも傷ついてないでしょって。プロですねって」
俺が見遣ると、司は視線だけを床に落として少し笑っていた。
「何だろうな、別に役者ってそういう仕事だしって思うんだけど。ちょっとムカついたんだ」
橋下が数歩司に近づく。真剣に聞きたいようだった。
「正直なところ、このメンツってそうだろ?俺達って熱くなってみんなで頑張ろう!ってタイプじゃないよな。たまに他の現場でさ、みんなでもっと一つになってやりませんか?みたいなこと言われてもさ、暑っ苦しいし、俺には他の作品もあるんだけどって思いながら適当に合わせてたんだけど。でも悠二にそう言われたとき、悔しいというか、逆を返せばプロってそんなもんですかって言われてるみたいだなって、さ」
すると栖本が小さく笑う。
「いや、分かってるぜ?悠二が素人で、初めて舞台裏見てちょっとイメージと違って幻滅したんだろうなってことくらい。よくあるしな?でも、じゃあ俺らはくらーいアニメの収録で、毎回本気でへこまなきゃなんねーのかよって。もたねーしって。…だけど、なんか嫌だった」
司は単純に、高井の何気ない一言に対して思った事を吐き出しただけのことだ。そして橋下も。
「で、言うだけ言って逃げたんですか?高井さんって」
橋下は言いながら俺を見る。
「それ、ムカつきますよね」
「俺そこまで言ってないからな」
司は台本で橋下を制する。
「大丈夫だよ。分かってるって」
二岡が司の肩を叩く。
「いやー、確かにムカつくな。俺は最初から好きじゃないけど」
栖本だ。
「よく言うぜ哲平。晃介が怒った日に、悠二のこと、ちゃんと戻って来ましたね、なんて捨て台詞残して帰ったくせに」
「はいぃ?覚えてねーよ」
「そういえば、初日からあれこれ気にかけてたよね高井君の行動」
二岡が栖本を笑う。
「何のことですかあ?ていうか、こういう状況がすでに小っ恥ずかしいんだけど。あーあ、早く終わんないかなーこの作品。なげーわー。読むのに何時掛けさせるんだっての」
栖本はさっさと身を引いて台本を読む。
俺はこいつらの言いたい事が途中から大体分かっていた。
「けど、ま、やり易かったっすよ?高井」
栖本は台本に向かって言う。
「俺もまだ完全には高井さんに勝ちきれてないんですよねー」
橋下だ。
「え?お前いつ勝ったの?」
「ちょっと栖本さん!?」
「ははは!あー面白い。青柳さん、僕も高井君の綾斗が好きです」
二岡は微笑む。いつも妙なところで一番説得力があるのがこの二岡だ。
「悠二の声が聞きたいなー。CDになってから作品を聞いてもらって、引き立ってる悠二の声を悠二に聞いてもらって、俺らだって本気でこの仕事してるんだって悠二に知って欲しい。プロですねって、ちゃんと悠二に言って欲しい。頼むよ、晃介」
どういうわけか、らしくない空気がここに充満している。
「とんずらこいた奴に甘いんじゃないのか?お前ら」
俺は全員の顔を見渡す。
だが、
「お前は悠二じゃなくてもいいのか?」
痛い台詞が真顔の司から返ってきた。
司だけでなく、他の顔もそうだった。
俺はミキサー室を見る。
そこには丁度戻って来た槇と、大西さんが居る。
大西さんは椅子に座って俺を見る。
「逃げ足が速いんだ…掴みどころがなくて」
「悠二は帰ってくる。お前の神城はきっと、悠二にとって特別だ」
『休憩は済んだかな?』
嫌な目だ。
何をどう求めているのか分からない。
だが、
『高井を連れて戻りますので、時間をください』
槇が何故か嬉しそうに大西さんを見る。
『いいよ?任せるよ、君に』
ここに居る誰よりも、良いものを作りたいと思っているのはこの人のはずだ。
俺はインタネットでNACのホームページを検索して、書かれていた代表の番号にコールした。
『はいチームネットアクトです』
「代表の三山さんはいらっしゃいますか?」
『三山ですが』
「突然で申し訳ありませんが、私は今回そちらに在籍の高井悠二さんと同じ作品で仕事をしております青柳晃介と申します」
すると少し間があった。
『はい、お世話になります。何か?』
何か?じゃないだろうということは置いて置いて、とにかく進めた。
「こちらの状況はご理解いただけているものとさせてもらって、彼の直通の番号を教えて頂きたいのですが」
『それはお断りします。お話しなら私が』
「なら高井の住所を言え。今すぐ迎えに行く」
『…ん…む、迎えに?』
三山は拍子抜けしたような声を出した。
「綾斗役を最後までやらせる。時間が経てば経つほど高井が戻りにくくなるだろ」
『…あんたが直接?』
「そうだ、俺が一人で行く」
三山はすぐには答えなかったが、
『頼めるんですか?』
と、何処か穏やかだった。
「ああ、必ず捕まえる」
三山は高井の番号と住所を言った。
俺は高井のマンションの出入り口の前に車を停めて電話をかけた。
「青柳だ、さっさと部屋から出て来い」
暫く待つとマンションのホールから高井が出て来た。
白い顔は無表情のまま、手ぶらだった。
いや、今なら少し分かる。高井は不安そうに俺を見ている。
「戻って来い、高井」
高井は驚いたようにその目を少し大きくした。
「スタジオに戻って、綾斗をやれ」
「綾…けど俺はもう」
「お前がやれ。逃げるな」
高井は髪を搔き上げて地面を見つめ、何か迷っている。
俺はその様子に、駄目かも知れないと思った。
しかし、高井は顔を上げた。
「すぐ、荷物、取って来ます…」
小さな声で言い、部屋へ引き返そうとする。
それを見て、俺は咄嗟に車を降りていた。
エレベーターを目指す高井に追いつくと手首を掴んだ。
「青柳さん?」
高井は疲れた顔をしていた。
「もういい、台本はスタジオにある」
「でも」
俺は一度だけ高井を腕の中に入れた。
高井は決して、今ここで逃げ出そうとしたわけではない。だがどうしてか勝手に抱きしめていた。
立派な公私混同だった。
高井は特に身動きをしなかったが、少ししてからゆっくりと顔を上げた。
「すぐに乗れ…」
俺がその緑の目に言うと、高井は澄んだ目で頷いた。
助手席に座った高井は、例えば猫か何かが平静を取り戻す為に毛繕いするのと同じように、細い指で髪を丁寧に全て耳に引っ掛けながらダッシュボードの一点を見つめたまま黙り込んでいる。
暫くすれば時々唇が動いて、それが台詞の確認作業なのだと分かった。
スタジオに辿り着くまで高井の集中が途切れなかったのもあり、俺は何も言わずに駐車場に入った。
「着いたぞ」
高井はやっと俺を見た。
「青柳さん…俺…」
「今は役の事を考えてろ。それ以外は仕事が終わってからでいい」
「はい」
俺達がスタジオのドアを開けると自販機前に林さんが立っていた。
その前には同じく立ったまま煙草を吸う大西さんがいる。
「お帰り」
林さんは大西さんから事の次第を聞いたのか、高井に言い、俺を見る。
高井は何も言えずに二人に頭を下げた。
「いいよ何も言わなくて。私はまともな役者さえ揃ってれば世間から怒られないからね」
大西さんは大して普段と変わらず言い、腕時計を見る。
「ロスは三時間ないかな?思ってたよりは大したことなかったね。恥はかき捨てってね。さあ、切り替えて続きだ」
林さんは俺が自販機で買った水を高井に渡すのを待った。
「行こうか、綾斗」
「はい」
林さんは高井の肩に一度手を置いてから高井を連れて二階に向かった。
「いやあ、まったく大変だが、楽しいね青柳君」
大西さんは煙草を消した。
「それは良かったですね」
俺は苦笑いだ。
「私にもコーヒー買ってくれるかい?財布持ってないんだ。あったかいのがいいかな」
仕方なくホットの缶コーヒーを買って大西さんに渡す。
「悪いね。青柳君、感謝するよ君には」
「缶コーヒーの礼なんて言う人じゃないでしょう」
「そうだよ」
大西さんは満足気に先を行った。
◆
俺は録音室に入って、そこにいる皆んなに一言謝ろうとしたが、林さんにマイク前へ促される。
MAKIはもう居なかった。
唯一目を合わせられた三条さんは、微笑んでくれた。
『お二人でどうぞ』
大西監督のいつも声。
俺は、マイクを見た。
その時に、此処に戻って来られた事を心の底から有難く思った。
{僕は、神城さんから逃げて帰ってきてしまった。きっともう、本当に、僕と神城さんは終わってしまったんだろう}
『綾斗か?帰ってたのか』
『父さん…ごめん、遅くなって』
{照明がついたままだった玄関で、階段を降りてくる父さんを見ると泣き出したくなった}
{父さんはいつも、社会人になった僕を待っててくれた。僕が小さな頃から、仕事で飲みに行くのもやめて、この家で僕と一緒に居てくれた}
『どうした、突っ立って』
『父さん…僕ね』
{そんな父さんは、今の僕をどう思うだろう…}
『家に上がらないのか?』
『僕、好きになった人が…いたんだ』
林さんの呼吸を聞くように、間を取った。
『初めて、人を好きになって…苦しくてしかたなくて…その人は、男の人だった』
林さんも、長い沈黙を取った。
『綾斗、冷えるだろう。上がりなさい』
『父さん…!』
『帰って来たんだろう?』
『でも…僕!』
『お前が私の息子であることに、何か変わりがあるか?』
『僕は、父さんを裏切るようなことした…』
{父さんは怒るでも許すでもなく僕を呼んだ}
『上がりなさい、綾斗。少し話しをしよう』
『飲みなさい』
{熱いココアを淹れてくれた父さんの隣で、僕は冷えた身体をブランケットで包んで隠した}
『お前の母さんを亡くしたとき、私は全て終わってしまったんだと思った』
{父さんはブランデーのグラスを見ながら言うけど、僕は父さんの方から母さんの話しを切り出したは今日が初めての事だったと知った}
『愛していた』
{初めて見る切なそうな横顔に胸を締め付けられる}
『私の人生はもう駄目だと思った』
『父さん…』
『だが、そうじゃなかった。私にはお前がいた、綾斗』
微かに揺れた林さんの声。
俺の心に沁みる声。
『綾子そっくりのお前がな』
『僕…?』
『ああ、そうだ。私には成長し、年々綾子に似てくるお前がいた。顔だけのことじゃない、性格もだ。大人しいのかと思いきや跳ねっ返りで、機嫌を損ねたらまるで言う事を聞かない』
『母さんが?』
『そっくりだろう?そこにも惚れていた。あの膨れた頬は、お前を見ると今でも簡単に思い出せる。お前は綾子が遺してくれた私の生きがいだ』
想いを馳せる深い声。
『そんなお前ももう、大人になったんだな』
『父さん…』
『分かっていた。分かってはいたんだが。いつかはそういう日が来ると』
『父さん、僕はずっと父さんといるよ?父さんさえ…よければ』
『正直に言えば、お前が男で良かったと思っていたんだ。綾子に似た娘を他の男にやるなんて出来んと思ったりしたもんだからな。それなのに…』
{父さんは僕を抱き寄せて、僕の髪を混ぜた}
『ごめんなさい…』
『お前はあれの子供だ、放って置いては貰えん』
『父さん。僕ずっと父さんといる。反抗なんてしてたけど、僕だって本当は感謝してるし、父さんが好きだよ。母さんと同じくらい父さんが好きだ…』
『綾斗、なあ綾斗』
『僕がそばにいるよ、母さんが出来なかったことを僕が…』
『綾斗』
『…なに?嫌だよ…何も言わないでよ父さん!』
『相手と、ちゃんと話しをしてきなさい』
『え…?』
『はっきりさせていないから家にも上がれなかったんだろう?』
『けど、もう、終わったんだ…』
『お前の母さんは強い女だった。今のお前みたいに、逃げたりなんかしなかった。お前は男だろう、綾斗』
『父さん?』
『いいのか?このままで』
{僕が決めかけた瞬間にインターホンが鳴った}
『こんな時間に遠慮のない誰か、だな』
『…もしかして』
『ここにいなさい』
『あ、父さん?』
マイクに青柳さんが立った。
『夜分遅くに』
『お名前は?』
林さんの声は厳しい。
『神城と申します、神城拓馬です。岸さん、少しお話を。私は綾斗さんと同じ会社で』
『先ずは息子と話してくれるか?私とはその後だ』
まるで実際に二人が向かい合っているかのような沈黙。
俺は自然と小さな声になった。
『神城さん…』
『綾斗…』
『綾斗、ブランケットを持って行きなさい』
『はい…』
{僕は家を出る前にもう一度父さんを振り返った}
『ありがとう、父さん』
青柳さんは少しだけ、いつもよりマイクを意識するように姿勢を正した。
{俺は綾斗を連れて、この前缶コーヒーを突き返された公園に向かった}
{綾斗は俺と距離を保ったまま下を向いてついてくる}
『綾斗』
『あなたからの話を聞きますか?それとも僕から話してもいいですか?』
{綾斗は何かに踏ん切りをつけたように顔を上げてそう言った}
『俺から話したい』
『…分かりました』
『実はお前と付き合うと決めてから、今日お前が来る前まで、俺は今まで連絡を取っていた奴らと話しをして回っていたんだ』
綾斗は神城の言葉を黙って聞いている。
『俺は、いつからかは分からないが、自分の心の隙間を埋める為に他人の感情を間借りするような生活を送ってきた』
青柳さんの声を聞きながら、神城の台詞が台本と微妙に違っている気がして青柳さんをそっと盗み見た。
{綾斗には全て話してしまいたい。嫌われるとしても、綾斗には全て聞いて欲しい}
『実家が厳しく、昔から本心とは違う人生を生きるように学ばされて、強要されて育ってきた。親を見て、俺という息子ではなく、ただ跡取りが欲しいんだと感じてずっと自分と親の気持ちのすれ違いを疎ましく思っていた』
実際に台詞が違っているのか、それともただ初めて音として、声として神城の心の底を聞かされているからなのかは分からない。
『俺は親達から逃げた。どうしても俺は俺としての人生を生きたかったからだ。解放されたと思って初めて自由を感じた。だがそれでも、逃げている自覚がずっと頭の何処かにあって、逃げ延びている人生がまるで虚偽のように思いはじめた。自分には…何もないように思えた』
躊躇う間も、まるでリアルに神城が此処にいて俺の前で告白をしているかのようだ。
『自分を…昼間の自分を確保する為に、それ以外の時間の空白を埋める為に、あと腐れなく頼れる相手を探してはその誰かに俺という存在を植え付けて回った』
青柳さんとはまるで違うはずの神城の人生。
なのに今は、青柳さんが神城なのではないかと思える程にリアルだった。
『束の間でも、それでいいんだと思っていた。それが自分の望みだと』
そんな告白を聞きながら俺は、俺の胸が重くなるのには理由があるのだと知った。
ただの台詞だと聞き流せない何か。
その理由は、神城がまるで俺の行く先を、実際に行って見てきたかのようだったからだ。
『一時に夢中になって、その後は干渉されずに済む。それが楽だったんだ』
平井さんと会ったあのホテルで、初めて思った俺のあの考えを、神城はやってきたのだ。
相手の時間を買って、気兼ね無く本当の自分を任せられたなら、というあの考えを。
『しかしそれでも埋まらないものがあった。ずっと手に入れられる人生が欲しいと、俺はきっと願っていた…』
(埋まらないのか、やっぱり…)
『神城さん…』
俺の声は殆どマイクの手前で床にでも落ちてしまったかのようだった。
『お前に会って、俺は初めて誰かの事を、その個人を、ずっと手に入れていたいと思えた』
神城の声は静かで、悔いていた。
『だが、俺では、純粋なお前には相応しくないと分かっていた』
神城は俺と同じように、ずっと輪の外に居たのかも知れない。
『神城さん』
そんな神城を「可哀想だ」と、思った。
{綾斗、俺はお前を…}
綾斗を得られなければ神城はずっと俺と同じになってしまう。
『綾斗、本当にすまなかった。だけど俺は…』
『神城さん!』
俺はつい、青柳さんの声に被せてしまった。
『僕が、僕が一緒にいてあげる』
『綾斗』
『何番でもいい…他に好きな人がいたっていいから。僕はあなたのこと、好きです』
神城がそれでも綾斗が欲しいと言う前に、俺の綾斗は神城を捕まえに行った。
『どんな人でもいい、僕はあなたが好きだから。あなたを想う他の人を傷つけたって…僕は…平気です』
『お前…』
『あなたが僕を選んでくれるなら、僕は誰に恨まれたっていい』
(綾斗が神城を救うんだ)
俺は台詞を付け足した。
『例えどんな物と引き替えても、あなたと居られるなら、僕は幸せになれるはずだから』
泉が透明な綾斗のまま、満ち満ちて揺れるようだった。
泉には堂々と立つ綾斗が居た。
『綾斗』
『神城さん、好きです』
綾斗と神城は抱き合う。
するとネイビーが滲んで、透明な綾斗と一つになるようだった。
『綾斗、愛してる』
心の底を照らされて、神城の声が落ちる。
『お前だけを…』
ここで大西監督が一度切った。
林さんがゆっくりとマイクに近づくと青柳さんの空気もぐっと張りつめて、
静か過ぎるスタジオ全体が、厳粛なものの様になっている。
俺の緊張は、綾斗の気持ちとリンクする。
『父さん、僕』
『綾斗、俺に言わせてくれ』
『神城さん…』
『聞こうか』
{綾斗の父は、俺達に正面から向かい合う}
『綾斗と付き合う事をどうか許して下さい』
父の息は重い。
『世間から見て、どういう立場に息子を巻き込むのか、理解して言っているのか?』
『父さん…どうしたの?』
『お前は黙っていなさい』
『分かっています。それでも俺は綾斗と生きたい、そう思っています』
『私の息子だ。母を早くに亡くし、それからは私がこれを一人で育ててきた。そこに現れた君。理解、できるのかね』
{綾斗が大事に育てられてきたのは承知だ。だからこそ、俺はこの人の許可を得たかった}
『綾斗が失うものは何だね、私が失うものは?』
{その声は厳しいものになった}
『分かっています。それでも、綾斗でなければ…俺には綾斗しかいないんです』
親から逃げてきたという神城に、綾斗を愛してきた父と向かい合わせるシナリオを俺は少し恨んだ。
『私から、息子を奪うのかね?』
{それでも…}
『はい』
暫くの沈黙。
『まあ、何事も経験しておけばいい。綾斗、何かあればすぐに此処に帰れ』
綾斗の父は、わざとそう言うのだ。
『返しません』
それを知ってか知らずか、神城の鋭い声は決意の表れだった。
『綾斗は、返しません』
父は黙り込む。
『父さん、神城さんが僕を奪うんじゃないんだ。僕も神城さんと生きていきたい。僕だって、神城さんを奪うんだよ父さん』
{綾斗は俺と一緒になって父に訴える。出会った頃、こいつがこんなに強い奴だとは思っていなかった}
『綾斗、今は俺が』
『父さん!僕といれば神城さんにだって子供も出来ない、神城さんだって世間から白い目で見られるかも知れない。だから…僕にも同じこと言ってよ』
『綾斗…しかし』
『神城さんはそれでも僕を選んでくれたんだ。なのに、それ以上に何を試すの?』
{黙り込む父の顔に、綾斗への愛情を鑑みる。俺が欲しいと思うものは、誰よりも愛されている存在だ}
『岸さん』
{俺は自分の行いを責めながら頭を下げた}
『お願いします。綾斗を愛するのに、どうしてもあなたの許可が欲しいんです』
『父さん、僕もそうだ。誰に何を言われたっていいけど、父さんにだけは…僕の父さんにだけは認められたい…お願いします』
林さんは暫くしてからふっと息をついた。何か荷を下ろしたように。
『息子を大事にしてくれ』
『はい』
『綾斗、これはもう一度言っておく。神城君と何かあっても、お前にはこの家がある。お前は私の息子だ、戻る場所はある。いいな?』
『父さん…。ありがとう父さん…』
{綾斗にそう言いながら俺を見る目は深い色をしていた。その言葉は俺にも向けられていたのだ。追い詰めるものではなく、俺の決意を少し背負ってくれるもののようだった}
『はい、OKです』
大西監督が言った。
『林さんはこれで終わりです。お疲れ様でした』
『お疲れ様でした』
スタジオの皆が拍手して労う。
まだ緊張が残ったままの俺は林さんを見る。
「あの…」
俺はまだ林さんへの手紙を書けていなかった。何か一言だけでもと話しかけたのだが、林さんの目は大西監督に向いてしまった。
『林さん、今回は私の我儘で出演頂いて、無理を言いましたが、本当にありがとうございました』
『いえいえ。声をかけて貰って嬉しいですよ。ありがとうございました』
林さんは多くは言わず俺の事を見てくれた。
「高井君。少し、いいか?」
もう綾斗とは呼ばれなかったが、いつものように大きな手が肩に乗った。
「はい」
大西監督は他のメンバーでガヤを録ると言って俺に休憩をくれた。
俺は林さんの後を追う前に、休憩室に置いたままにしていた白紙の手紙を取りに行った。
弁当箱は、きっと返さない方がいいと思った。
「君の育ちは都内か?」
「はい」
自販機前のこのベンチに、林さんと並んで座るのは初めてだった。
「そうか…」
俺はポケットの中の手紙を握ってそんな林さんの横顔を見る。すると林さんは少し眉を寄せて窓の外を見ていた。
(林さん?)
俺が何か話そうとしたとき、林さんは言った。
「こんな歌を知っているか?」
林さんが歌い出したのは、俺の好きな歌だった。
この声の歌を、俺はずっと聴いていた。
大好きな、そして胸の何処かが苦しくなる歌だ。
「知っているか?」
「はい」
「これは私が歌った二十年前のアニメの主題歌だ。人生で二度目のヒーローものの悪役だったな」
「二度目…?」
「一度目はまだもう何年か若い頃だった。だが二度目の方が印象深い。相手のヒーロー役は一度目と同じ役者だったが、二度目に会った時には互いに違う物を手に入れていて、それをぶつけ合うのが面白かった。その後に道は違えたが、あれは私にとって良い経験になった」
林さんは懐かしそうに小さく笑った。そして言った。
「十五年前、私はとある家に行ってこれを歌った事があるんだ。そこの子供達もこの歌を知ってくれていてな、たいそう喜んでくれた」
俺は驚いて林さんを見る。
「私は子供達の為にその家にCDを一枚渡したんだ。…その帰り際、一人の小さな子供が私について来た、そして「また来てね」と言った。私は「必ず会いにくるよ」とその子に言ったんだ」
林さんはそこで暫く間を取った。
『ああ、必ずまた会いに来るよ』
あれは、林さんの声だったのだ。
「でもその日の私にとって、その日のその行いは沢山ある仕事のうちの一つだった。朝起きて、ああ、今日も仕事だ、なんて調子で向かった何でもない日だった。私のその子供への答えも、ただの誤魔化しだったよ。そう言ってやるしかなかった。嘘をつく罪悪感はほんの少しあったと思うが。実際に私はその日の事を簡単に忘れていた。その子供の事も」
林さんが俺を見る。
「あの子は君だな?」
「林さん…」
「君とここで初めてあった日、君とぶつかったときだ、私は何かを感じたんだ。君のその目は、あの少年の目だ。間違いじゃない。分かったのは君がこの歌をここで歌っているのを聞いた時だったが…」
俺は確かにこのベンチでその歌を歌った。mimikoneの配信の中で。
(どうして林さんが?)
「ずっと聴いていたと言っていたろ?良ければどんな風に聴いていたのか教えてくれるか?」
問われて俺は、少し背中が涼しくなった。
(林さんは俺の事を知ってるんだな…)
俺があの家に居たことを。
「…朝の着替えの時間、昼寝の時間、就寝の時間。あとは、子供達が聞きたいときに。みんながボタンを押してずっと流れてました。あなたの名前が書いてあるCDケースの中身が。あなたの声で…」
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林さんの声は、今でも同じだ。
「そうか…。無責任だな、私はとても」
「いいえ。誰かの思い入れにまで責任取れる人間はいませんから。俺も林さんに言われなければ会話していた事をきっとずっと忘れていたでしょうし…」
「ありがとう」
「それに、俺はあなたの声に何度も励まされていたんです。あの施設の子供達は皆そうです。俺はそれ以外にも大学に入ってからでも色々とあなたの声には縁があって…。でもそれは俺だけじゃなく日本中のあなたのファンがそうで、海外にいても同じです。だから、林さん…そんな事はもう忘れて下さい」
俺の言葉を聞いて、飲み込むように林さんの目は頷いた。
「と言う事は、君の声も誰かを励ましているんだ」
「あ…」
林さんはmimikoneの事を言っているのだろう。
「君は良い声をしている。その目のように人を惹きつける声だ。言葉を上手く届けている」
「林さん…」
「応援している」
林さんの目。
「いつでも連絡してくれればいい、父親みたいに」
手に握らされた林さんの名刺が、俺が林さんに感じさせた罪悪感の分だけ温かくて、急激に込み上げてくるものを抑えられなかった。
目の奥が痛くて、俯いてどんなに必死に目を閉じても間から流れて出る。
「すまなかった」
あの家であの歌を聞いたり、漫画を真似して過ごしていたのはもう何年も過去の事だった。
俺はもう、自分を見つけなくてはならない。
俺は白紙の手紙を林さんの手に渡した。
「あの頃…俺にはあなたしかいなかった。あなたの声だけが生きるための全てで…あなたの歌だけが、ずっと俺の希望でした」
誰かが階段を降りきった足音がしたが、俺の涙は止まらなかった。
林さんは俺を腕に入れて隠してくれた。
俺は奇跡的にこうして会えた恩人に、長年の感謝の言葉も何も言えず、ただ溢れ出るものを厚い胸に受け止めてもらうだけだった。
あの頃、あの家で聴いていたのが別の誰かの声だったなら、
俺はきっと此処ではない場所に居たのだろう。
きっとまだ何かに紛れるようにして、今を生きていただろう。
一日を終えて、俺は直ぐに大西監督の元へ向かった。
「はい、どうぞ。
ああ、良かった。今は君が誰だか分かるよ、一緒に仕事してる人だ。明日で最後だけど宜しくお願いします。きっと、良いものになるから」
荷物も無く、俺は自販機前に立った。
「言い逃げじゃなくてよかった。生意気だけど足引っ張る奴じゃなかったし。じゃ、俺ラジオあるので。皆さんお先に失礼しまーす。明日も宜しくお願いします」
「あ、俺嫁に牛乳買って帰らないと。じゃ、また明日。お疲れ様でした。橋下ー、送ってやるぞ」
「えーと、あ!僕も本屋にいかないと。小野江先生のミステリ買わなきゃ。あと一冊で全部揃うんだ。お父さんの方も新作出るよね。じゃあお疲れ様でしたー、また明日ー」
「んー。じゃ、俺も帰ろっかな。また明日な悠二、晃介」
青柳さんは水を飲んで大きな息をついた。
「何のつもりなんだろうな、あいつら。あれで役者だとよ」
自販機を指差してくれたが俺は首を振って断った。
橋下さん、栖本さん、二岡さん、三条さんが俺からの謝罪を一言も聞かずに帰ってしまったのは、あの人達なりの優しさなのだと分かっている。
また明日、と、俺を繋いでくれた。
「さて、送るか」
「あの、青柳さん」
「ん?」
俺を振り返った青柳さんは、段々と表情を変えていった。
「青柳さんに話があるんです。聞いて貰えるだけでいいんで」
目を逸らして立ち上がる様子に、青柳さんは俺が何を言うのか分かっているように思えた。
「…とりあえず出るぞ」
「はい」
「何か食うか?」
「いえ、すぐに済むので」
青柳さんは俺のマンションの前まで送ってくれた。
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「高井」
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「高井」
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俺はネックレスを返そうとするが、
「ああ、全部終わる。そのうちきっとお前にも分かる」
『台本が全て終われば、お前にも分かる』
「…はい」
俺はネックレスは返さない事にした。
終わらないものもあると、俺が知っていればいい事だ。
俺は青柳さんを見る。
青柳さんは複雑な目で俺を見ている。
「やっぱり、答え、くれますか?」
ハンドルを握る手に少し力が入ったのを知る。
「嫌な役目だとは思うけど…。俺、やっぱりあんたに振って欲しい」
俺はちゃんと青柳さんの方を向き直して、ちゃんとその目を見る。
「明日、俺がちゃんと綾斗になれるように」
そう言うと、青柳さんの目も迷いが消えた。
(初恋なんて歳でもないし、たった数日の事だった)
「お前の気持ちには応えられない」
俺は切ないような、すっきりしたような気分だった。
「ありがとう、青柳さん。俺、ホント楽しかった」
俺が笑いかけると青柳さんは目を伏せたが、
「また明日」
と俺が言うと、
「ああ」
と少し笑ってくれた。
「すみませんでした」
『いいよ。青柳晃介から電話掛かってきたときは死んだと思ったがな』
三山さんは笑う。
「ビビった?」
『そりゃそうだぜ?あの人が副社長やってる事務所の役者とNACの共演が一生NGになるんじゃねーかなってな』
「え、あの人副社長なんだ…ちょ、俺…」
(キモすぎじゃん俺。ダッセー、最悪マジで)
馬鹿みたいに告白なんてかましてしまったのが可笑しかった。
『あ?なんだ?』
「ふふ、いや別に」
流石に三山さんに報告なんて出来るはずが無く。
『上手く収まってくれて良かったよマジで』
「あんたホント普通じゃん、もう」
『そんなことない。打倒プロは絶対譲らない』
「それ意味あるの?」
『ある』
理解出来ない。
『そういやMAKIも現場入れて喜んでたぞ』
「うん、さっき言ってた」
三山さんの前に俺はMAKIに連絡していた。MAKIは俺が大変な目に合わせたのに、平気で青柳さん達を生で見れた事を笑って喜んでいた。
「俺、応援してる。三山さんのNAC」
『ん?』
「潰れないでね」
『ナイナイ。そんなヤワじゃない』
「うん」
『お前さ、ウチ抜けるみたいな言い方してるけど許さないからな?』
「契約は3カ月でしょ?俺は声優の仕事はもうしない。楽しかったけど向いてなかったんだ、それ分かっただけでも皆んなに感謝してる。NACに入らなかったら経験出来なかったことだった」
『YUJI』
「本当にありがとう。三山さん。俺ちょっと自分のこと真面目に考えるよ」
『マジかよ…。あー、もーマジか…』
「うん。すみません」
『mimikoneは?』
「とりあえず大学卒業するまでは続けるつもり」
本当は時期を見て早めに辞めるつもりだったが、林さんが言ってくれた言葉もあってもう少し続ける事にした。
『そっか…』
三山さんはまた大きなため息をついた。
『実はスマホアプリの美男子学園っていう女のコ向けゲームの仕事取っちゃったんだけど。お前とKAIを推して通しちまった。それmimikoneで大々的に宣伝する方向でアプリの会社と道栄さんと俺である程度話が進んでてな』
「じゃあそれはやるよ」
『ホントか?』
「うん」
『それ以降はダメなんか?』
「うん…」
『なあYUJI、…お前何する気?』
「何が?」
『だってそんなはっきり辞めなくたっていいだろ?仕事あるならやればいいんじゃねーの?小遣い稼ぎだと思ってよ。何か考えがあるんだろ?』
「別に何もないよ。え?ちょっと待って、俺ってそんな問題児系…なの?」
『あははははは!問題児系!?ははははは!』
「…ウケ過ぎじゃね?あーてか三山さん、俺そろそろ風呂入って寝ないと」
『ああ、そうだな!この件は一旦預かるわ。明日も頑張れよ』
「うん、ありがとうございます」
俺はスマホをベッドに置いてベランダに出た。
夜の散歩でもしているのか、近所の子供数人のはしゃぐ声と、会話の途中に自分の子供への関心を時折見せる母親同士の、小声の世間話しが聞こえてくる。
夏の夜の風が髪を揺らす。
この五日間、色々あった。
どれもが恥ずかしいものばかりで、細かく思い出したくはないものだ。
(ダサすぎてムリだな俺)
天才と言われて頼られて、勝たなければと乗り込んで、
仕事を抜け出し、仕事で倒れ、その上に完成間近で仕事を放棄し、家まで迎えに来てもらい、戻る事を許されて、謝る事も甘やかされ、主人公の一人として最終日を迎える。
(素人だから、たまたま寛容な人達だったから、ギリギリ許された事ばかり)
礼儀も知らず、現場でプロと幼稚な言い合いもし、生意気なままで、自分が所属する会社にも迷惑を掛けた。
大物共演者に気を遣わせて差し入れをもらい、仕事中に泣いて。
身の丈に合いもしない高価なジュエリーを受け取って、真に受けて喜んで首に着けて。
(ほんの数日なんかで簡単に好きになって、軽々しく告白して…)
そんなレベルの俺が明日を越えても、きっとこの作品の主人公の一人として名前が残る。
この作品を手にした客は、俺も青柳さん達のように立派に収録をしたのだと信じるのだろう。
(俺がどんな馬鹿な奴だったかなんて、あの人達は一般に向けてバラしたりしないんだろうな…)
告白なんてした事で、青柳さんに言い寄る他の誰かと自分が同じになった感じがして残念でもある。
「やっぱり、言わなきゃよかった…」
この先何年経とうが、俺が青柳さんを忘れられる事はないだろう。
「困ってたな、青柳さん…」
青柳さんはきっと優しい人だ。俺の気持ちを断る事に対して罪悪感があったのかも知れない。
「ごめんなさい」
恥ずかしいものばかり。
でも、もうすぐ終わる。
『俺は、いつからかは分からないが、自分の心の隙間を埋める為に他人の感情を間借りするような生活を送ってきた』
今になると分かった。「間借り」という台詞は無かったはずだ。
確か「他人の感情に頼るように」だったと思う。
(間借り…)
神城は相手に「頼る」程には自分を曝け出せていなかったのかも知れない。
『束の間でも、それでいいんだと思っていた。それが自分の望みだと』
『それが楽だったんだ』
自分の事のようでちくりと痛む胸の奥。
『しかしそれでも埋まらないものがあった。ずっと手に入れられる人生が欲しいと、俺はきっと願っていた…』
『綾斗』
青柳さんの唇の温度だけが、思い出せない。
また目の奥が痛くて、ベランダの手摺りに伏せた。
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挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
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