レッド ルーム

輪念 希

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◆三条 司

「おい」
ポン、と頭に軽い衝撃を感じて我に返る。
「ああ、晃介じゃないか」
相当何度も呼び掛けていたのか、晃介が丸テーブルの向かいに座って肘をつていた仕草の延長でこちらへ片腕を伸ばしてきていた。その手にたった今俺の頭を叩いた道具と思われる丸めた台本がある。
「生きてるか?」
「悪い。ちょっと…考え事だ」
階段前の席に居た俺は、現状の把握の為に一度辺りを軽く見渡して、今が休憩中だった事を思い出した。
「それで、えーと。どうした?晃介」
「俺の台詞だが?」
どうやら晃介は、直ぐ横の自販機で飲み物を買いながら俺に話し掛けたが、何度呼んでも指一本動かないのでしばいた、らしい。
「何かあったのか?」
「えっと。まあ、大した事じゃない。でも晃介、俺はもう今日までだ。お前には本当に世話になったな」
「あ?」
「明日の俺はもう今日の俺じゃない」
「何を言ってる」
「だからその…つまり、明日の俺は、もう今日の俺じゃない」
「馬鹿になったのか?」
晃介は呆れたように片方の眉を上げた。
「いや、違うんだ。明日お前が見る俺は、今の俺とは同じに見えても違ってるんだって事だ晃介」
「三回目だ。それに明日は此処は休みだ。要点を言え」
「今生の別れだ。晃介」
晃介は苦笑いして、「分からん」とまた俺の頭をポンと叩いた。
「宇宙人にでも連れ去られて、何か埋め込まれるのか?」
「ああ。それに近いかもな」
「そう言えば昔、UFO見たとか言ってたな、お前」
真顔で言う晃介は完全に冷やかしている。
「UFOはいるし、今回最新型のUFOを呼んでしまったのは俺だよ」
「成る程」
「聞く耳閉じたろ、今」
「言う口がまともな会話をしないんだろうが」
確かになと、俺は納得して暫し考える。しかし、自分でも掴みきれない現状の、人様に言えもしないような内容をどう端折って相談など出来たものか。
(でも、晃介からのアドバイスは欲しい)
すっからかんであろうが、何か言って何か得ようと口を開く。
「最近…俺は、どうやらおかしい」
晃介はぐっと笑いを堪えた。
「その笑いは何に対する反論だ?晃介」
「いや。それで?」
「…それで……」
俺は海との事を思い返しながら答える。
「頭では駄目だと解っているのに…流される。それに、その流れも元々は自分が招いたもので。巻き込んでしまったのに、俺に巻き込まれている相手に俺まで更に巻き込まれてしまうんだ」
晃介は眉を寄せる。
「どんどんエスカレートしてる。多分、悪い方へ…」
「犯罪でもやったのか?」
「犯罪……さあ。でも、俺がした事は罪かも知れないな」
「クサイ台詞だな」
「台詞とかじゃないから。まあ、お前には無いんだろうなそんな悩み」
「あ?」
俺は西原君と座っている海を盗み見る。
「若いんだよ。相手がさ」
海が俺の視線に気付く寸前で晃介の顔を見直すと、待っていたのはさっきよりも涼しい目だ。
「その子の、この先の人生を俺が奪っていいわけない」
俺がそう言うと、晃介は珍しくすっと目を逸らした。
「そう解っているのに、本気で追い払えないんだ」
晃介の目は俺の背後の窓の外を見ているようだったが、また俺に戻って来る。
「好きなのか?」
「………何だって?」
「お前だ。どう思ってる」
射られるような感覚に言葉が出なかった。
(俺が、男を?この歳で?)
「お前がそう思うならそれに従うしかない。あれこれ思念したところで自分の意に反してたらロクなことにならないぞ」
「…そうなのか?」
「若いって言っても義務教育は卒業してるんだろ?」
「勿論だ。俺はロリコンじゃない」
「なら、相手の事は相手に任せておけ。相手には相手の考えがある。嫌ならどうやってでも勝手に逃げるだろうからな」
「そうだな…」
「相手が本気で嫌がって逃げたいと言い出した時に、ちゃんと手放してやれるかどうかだろうな、問題は」
また一人で少し笑った晃介は、愛した者との別れを一度経験した男だ。離婚の際、晃介の決断は早かった。俺はそれをただの親友としての贔屓かも知れないが、相手の為の決断だったのではないかと思っている。そう考えているオーディエンスの数は圧倒的に少なくともだ。
晃介は俺と出会った頃から俺と同じく『時間』を把握している人間だった。その感性が噛み合って一番信用している人間だ。
晃介は決して周りが思うような冷たい男ではない。寧ろ逆なのだ。
「相手と歯車が噛み合ってるうちは満喫しろ」
「こっちの勝手に付き合わせて、長い人生を後悔させる事になってもか?」
「そんなに世間知らずなのか?」
「あ、いや、そうでもないと思うけど」
「いくら大事に取っておいてもお前はそいつの親にはなれないぞ?」
「ああ、分かってるよ」
随分な言い草には流石に笑う。
晃介の手が水のペットボトルの蓋を閉めるのを見て、俺は最後に質問をする。
「そっちは愛してるのか?逃げたいと言われた時に手放してやれないほど」
すると晃介はまた窓を見てほんの少し考えた様子だったが、
「その時は、俺の良心に必死で訴えかけて貰うしかないな」
と笑った。
「へえー」
晃介は少し変わった。以前よりもまた良い男になった。
「お前は本当に理想的な男だな。羨ましいよ」
そんな俺の呟きには、何故か少し驚いた顔で「俺がか?」と言いながら晃介は席を立って行った。

「歯車が噛み合ってるうちは、か」

俺は晃介のようには、最後の瞬間に相手の為に『必要悪』に性格を振って切れる自信が無い。
(俺は殊更自分に甘いからな、昔から)
だから結婚を前提とした交際なんてのは一切しない主義だ。今までの相手も素人ではなく俺と同じように忙しい時間をやり繰りしているタイプばかりだ。
互いに時間が作れなくなったり、元々相手に交際の規制があったりして自然消滅。別れた後も仲は良いし、恨んだ事も恨まれた事も無い。
(海の立場は何処を取っても曖昧だ…)
事務所に細かく護られているわけでも無い。かと言って、交際してますと発言したらば何かしら大きなレスポンスが有る立場だろうし、何より男だし。同性愛と言ってしまえば今の時代の日本ではっきりと公に卑下される事もあまり無いだろうから、その辺りもゴリ押せば良いのではないかなんて猶予があってしまう。
(実際はそんな簡単な話じゃ済まないだろうけども)
だから今度は、付き合っているのに隠すのか?なんて迷いも起きかねない。
(いや、待て待て、違う違う違う。そうじゃない。話が飛んだぞ?早まるな。そうじゃなくて、海は将来大成するかも知れない若人だ。この俺がそいつの人生の黒ずみになるなんてのは絶対に嫌なんだ。そう、現時点はココだ。それに海はストレートだ)
飲み物の紙カップの側面を指で撫でる。
(俺もな!!)
そうしていると、ふと昔、注射を嫌がって連れて帰ってくれと訴えてくる仔犬だったエリーを、母に言わずに動物病院から連れて出てしまった日の事を思い出した。
その結果エリーは連れ戻されて二度怖い思いをするハメになった。
(あの時は後悔したな)
しかし、エリーはあの一件からこの世で一番俺の事が好きになった。
逃避行中の車内で俺とエリーは罪を共有し、その時間がとても甘かったからだ。
目を背けてはならない現実から、そうと解っていて連れ出してやるという行為の果てに、自分が相手から特別な感情を受けられるのを俺は知っている。
罪が重い程、甘い時間が刹那であるほど記憶に刻まれるのだ。
だけど俺は、ただの『悪』だ。
怒ってエリーを迎えに来た母こそが晃介と同じ『必要悪』なのだ。
エリーの為に母は今でも、エリーの健康診断の日の朝はエリーの警戒をかっている。
母は特に、そして妹も、目一杯の可愛い仕草で久しぶりに会った俺に尻尾を振るエリーを見て、
『光留は良い時だけ居るわね』
と笑う。

(狡いよな)

そう思いながら、その立ち位置が自分の求める自分の役割だとも思っている。

休憩時間も残り僅かな今、空間の中をふわりと伝って来た糸を追うと海と目が合った。
この空間の誰もが仕事の頭でそれぞれの時間を過ごしている中で、そうじゃない視線を今の俺と海は交わしているのだろう。
しかし西原君との会話の合間に横目で投げ掛けて来ている海の目は、二人で居る時の懐くようなものでもなく、薄っすらと光っている。

(何だろうな、その目)

また、射られるような感覚だ。
どうやら少し、文句があるようだ。すっと目を伏せられるとモヤモヤと気になる。
暫くはもう一度視線が戻って来るのを待ったが、海は話し掛けられて楽しそうに笑って答えていた。

俺は昨夜、真夜中まで勉強をした。男と致す、準備をだ。
(大義名分と矛盾してばかりだな…)
その途中に何度も心が折れたし、自分の軽率な言動を心底呪いもした。しかし、やると言ったからにはどうにかしなくてはならない。
今日は海が来るまでに薬局へ行って必要最低限のマナーを整えなければならないのだ。
(だって、この三条司が汚い、或いは臭いなんてのは絶対に駄目だからな)
己のナルシシズムにだけはある意味ギリギリ救われている。
一方、信用の置ける薬局で安全な浣腸グッズを購入する今日の為に、万が一にも俺だとバレないようにと、昨夜深夜のバラエティショップに安っぽいスエットの上下と謎のキャップを買いに行って帰った部屋では、一時的に自分は本当にナルシストなのかどうかも定かでは無かった。
(…乗り越えろ。折れるな、憂慮する事など無い。38年生きたんだ、ちょっとやそっとで死にはしないさ、うん)

俺は男だ。
(そう、漢だ。怖気付くな。やってやれ。俺は無敵の三条司だ)

腹も決まったタイムリミットが訪れた移動の際には、また海の視線を感じたが、先程少々生意気だった為、今度は一切相手にしてやらなかった。











◆竹山 海

「じゃ、カイ。また後で」
「はい」
西原さんが少し緊張した顔で一旦スタジオを出て行った。
(うわー、ついに迫ってきたな…)
テーブルにも着けずに立ったまま時計を見る俺も、段々と漠然とした不安を感じている。
さっきから一階では人の出入りが絶えない。
「いよいよか?」
声がして振り向くと、帰り仕度の済んだ栖本さんと三条さんが歩いて来る。
「ヤバいっす、ははは」
「大丈夫だ。自信持って」
三条さんは爽やかに言って俺が握っていた台本を取って中を見る。
「この人に特訓して貰ったんだろ?」
栖本さんはぴっと三条さんを指差して俺を見る。
「はい。感謝しかないっす」
俺の言葉を聞いた後、栖本さんも台本を覗く。
「オーディションだってさ、哲平」
三条さんの視線を受けて栖本さんは苦笑いする。
「聞いただけでハゲそう」
「栖本さんも苦手なんすか?」
「得意な奴なんて居るか?」
栖本さんは三条さんから台本を取って俺に押し付ける。
「そうっすよね。ははは!」
「笑ってられるんだから平気だよ、君は。緊張して噛まないようにだけ気をつけて」
「はい」
「じゃあ、まあ、頑張って」
栖本さんはマスクを摘んで言い、階段へ向かう。
「はい!お疲れ様でした」
「それじゃ、俺も帰るよ」
「あ」
俺は咄嗟に三条さんのコートの袖を引き留めた。
「ん?」
「終わったら、行きます」
小声で言って三条さんの目を見ると、すぐに視線は返って来た。
「ああ」
三条さんの声も辺りに気を遣ったもので、それがとても嬉しい。
「また、後でな」
今はもうウエーブの髪に隠れた横顔で三条さんの唇が笑うと、薄い香水だけが残って、急に気力が湧き起こるようで、俺の大役への萎縮を払ってくれた。

(よし、大丈夫だ)

多分、このドルチ・キーパーの代役は、俺の今後にとってかなり重要なタイミングだろう。たった今、不思議とそんな予感がある。
それでも心強く居られるのは、昨日三条さんに付き合ってもらった自信があるからだ。
今から何度同じ台詞を言うのか分からないが、その全てに、全員に、俺に出来る全力で臨もうと思う。


三十分後、一階の広い録音室には十五人前後の男女が居た。若手もベテランも。俺は殆ど全員の名前を言える。
その中に西原さんを見つけたが、西原さんは集中していて俺を見る事は無かった。
『竹山さんは中左のマイクでお願いします』
ミキサー室に大西監督を始めとする『面接官』がずらりと座っていた。オーディションがいつもこのような仕様なのかは分からないが『ふて場』で慣れた雰囲気でもある為、俺は少しだけホッとした。
「はい!」
大勢の視線の中を突っ切ってマイク前に立った俺は、台本を開き深呼吸をしてから集中した。
それから暫してオーディションが始まり、二つ横のマイクに俺の好きな女の声優トップファイブのうちの一人が立った。
それでもファンとしての高揚などは感じず、少し俺に会釈してくれるのに「よろしくお願いします」と返すだけだ。

しかし、場が静まると急に手汗が滲んだ。
(うわ……やっぱコエー)
自分の身体がこの場の誰よりも小さく縮んでしまったみたいで落ち着かない。それは俺が今までで初めて感じたくらいの強い緊張だった。
だが、それと同時に「自分も今この場に居る」という実感もあった。
ついさっきハゲそうだと言った栖本さんや、昨日厳しく駄目だと言ってくれた三条さん達と同じ場所に立っている。
青春の最中、遠くから見て憧れていた人達と共通する時間を今の俺は生きている。
自分の呼吸を浅く押し込める圧への対抗手段に、脳が勝手に思い出したのはあの言葉だった。

【ヒカリミツカル】

あの時も今も、俺はそのアナグラムを信じている。
あの時よりも、今は少しその光に近い場所に居る。
そう思うと段々と呼吸が楽になって意欲が湧いてくる。
(やべ…興奮するわ)


水のボトルは持ち込んでいたが、それを飲む暇もそんな気も無いままどんどんとシグナルポーチ役が入れ替わっていった。
素人の俺にとっては勿体無いくらいにスムーズな進行だった。
色んな演じ方があって、色んなシグナルポーチが居た。その中でどれが一番良いなどと一体どうやって決めると言うのだろうか。
きっと想像する以上に『選ぶ』というのは大変な作業の筈だと思った。
そしてついに、西原さんが立った。
「よろしくお願いします」
西原さんはそう言って俺にはにかんだ。今の西原さんの空気は、普段の西原さんを少しだけ知っている俺にとっては驚く程に落ち着いていた。
「よろしくお願いします」

西原さんのシグナルポーチはサクサクした声質のせいか誰よりも軽やかで、ほんの少しだけ感情が薄い感じだった。ドルチのものとも違う、まるで『感情を知るロボット』のようで、もし天使が居たならばこんな風なのだろうと思った。人間臭くも無く、役目をこなしてさっぱりと、でも優しい、天使とはそんな感じなのではないかという気がした。
しかし、後半にはその声が効いてくる。

『ドルチ……』

西原さんのウィスパーボイスは潔く、弱り果てた天使の美しい姿を見せてくれる。
『…そこにいるのは…まさか!』
『ギルディルクが…あいつが…』
『シグナルポーチ!一体何があった!』
『復活させる気だ…マンマートに伝えてくれ…』
シグナルポーチは役目を果たそうとしている。自己よりも人間界やアリス達を優先して残りの命を使っている。
『しっかりしろ!!』
ドルチはと言うと、この時初めて自己の感情に溺れていたのだった。
三条さんが言った『友としての愛しさ』と一刻を争う『使命』との狭間で藻搔いている。その大きく波打つ感情の上を、シグナルポーチのサクサクとした声がドルチを置き去りにして通過して行く。
『ギルディ…ルクは…あいつはエティリオからも追われてる…エティリオの杯を奪ったのは、あいつだったんだ…!』
『どういう事だ!…シグ!ああ、くそ…!』
『真の…魔王の杯とマダム・ブーケ…白の魔女の血が必要なんだ…アリスが…』
『アリス…?まさか…』
『選ばれし人間の血だ…ギルディルクは、トワードの復活を目論んでいる…アリスが…危ない』
『お前は、ギルディルクに…?』
『あいつは…黒の魔術を失ってなどいない…エティリオと…アリスを…騙していた…止めるんだドルチ。白の魔術でトワードの復活など…させてはいけない…俺達は…白の……門番…』
『シグ!!』
『これを…ここに全て記録…。アリスを…人間を死なせるな…。マンマートに…。行ってくれ…ドルチ…』
シグナルポーチは見たものを全て記録する能力を最期に駆使して、血に染まった白いポーチをドルチ・キーパーに渡す。
原作でも横並びで立つ姿が多いこの二人が、目を合わせたり物を交わすのもこれが初めてのシーンだったと俺は気付く。
この二人は、本来の役職からも人間と直接関わる存在では無かった。それがいつのまにかアリスとマンマート達を見て人間を想う思想に目覚めてしまった事により、シグナルポーチがギルディルクと直接対峙する機会を作ってしまった。
特にシグナルポーチにはこうなる直前に一人の人間の青年とのエピソードがあり、ドルチよりも人間界を守りたい想いが強くあったのだった。
シグナルポーチの死は、何処か天使の堕落の末を匂わせるのもだった。
その姿が後のドルチに影響するのだ。
ドルチは単なる死への悲しみによって感情的になったのでは無く、無垢だった親友の身をやつしたものや、白魔界の力を徐々に蝕んで行く全ての運命の仕組みを呪って怒ったのだ。

『シグ!…すまない。…必ず戻る!』
『ドルチ…』
シグナルポーチの声はここで初めて感情的になった。
『ああ…ドルチ……』
その声に、原作のコマにあったドルチ・キーパーの背に手を伸ばすシグナルポーチの姿を思い浮かべた。

俺は必死で息を堪えていた。
『はい、ありがとうございましたー』
そう聞こえてやっと吐いた息は、震えて出た。
何度か呼吸した後に西原さんを見ると、西原さんはこっちを振り向いて満足気ににっこり笑った。
「ありがとうございました」
それを聞いてやっと、俺は現実に戻る事が出来た。
「ありがとうございました…」

その後も何人かの演技を体験させて貰ったが、俺はオーディションが終わって場が閑散とするまで西原さんとの空間を忘れられずにいた。

廊下に出て暫くの間、帰って行く声優達の背を見ながらまだ少し呆けていると、
「竹山君」
長い廊下をこちらへ伸びて来るような声に呼び掛けられた。
それは大西監督の声だった。
「あ、はい!」
他の人は大西監督を避けながら書類を手にばらばらとミキサー室を出て行く。
「お疲れ様。ドルチ良かったよ。私が思っていたよりね」
「うわ!ありがとうございます!」
「うん。練習したね?誰かからアドバイスでも貰ったかな?」
「あ…はい。すみません。稽古をつけていただきました」
「何で謝るの?普通でしょうが。練習してなかったら怒ってたかも知れないけどね。それで?君に入り知恵したのは誰かな?」
大西監督はどういう意図があるのか、穏やかなような、そうでも無いような目でじっと俺を見て来る。
「えっと、三条さんです」
三条さんが責められたりしないだろうかと不安に思いながらも素直に答えておいた。
「ええ?意外な名前が出たな。ふーん。まあ良かった、助かったよ。今日はありがとう」
「いえ!こちらこそ、貴重な経験をありがとうございます!」
「うん。じゃ、また来週」
「はい!お疲れ様でした!」
大西監督がミキサー室に入ってから、俺はやっと安心して深呼吸をする事が出来た。

(終わったーーー!!)

スタジオを出ながらスマホを見ると西原さんからの着信が入っていた。
「今かけて良いのかな…」
言いながらタップした。
『お疲れ様ー』
「お疲れ様ですあきらさん。たった今着信見ました」
『今カフェ居るから、ちょっとだけ来ないかなって』
「あ、マジっすか!行きます。この前の店っすね?」
『空いてるよ』
「了解っす!」
俺は前に一度西原さんと朝の時間を過ごしたカフェに急いで向かった。

「カイ」
「あ!居た!」
確かにテーブル席にも空きがあるカフェの奥で西原さんが手を挙げていた。
俺はカウンターでカフェオレを注文してから席に向かった。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様ーー。みんな帰ってた?」
「はい。俺が殆ど最後っす」
「てかさ、めちゃ緊張したんだけど」
西原さんはくっくと笑って胸を摩る。
(ああ!俺のシグナルポーチ!尊い!)
「ははは!そりゃそうっすよね、けど俺すげーきましたよ、あきらさんの時」
「マジだ?」
西原さんはレモンティーのカップを両手で包んで恥ずかしそうに小首を傾げる。
「マジっす。ホントに。ちょっとヤバかったっすもん」
「泣きそに?」
「はい」
西原さんはまたくっくと笑う。
「けどさ、カイ。やっぱりみんな上手かったよな。もう…無いかな、俺は」
「え!?そんな事ないっすよ!俺イチでしたよあきらさん!俺には何の権利も無いっすけど」
「ありがとう」
「いや、ガチなんすけどね。けどすげー落ち着いてませんでした?」
「俺?ああ、でもそれ、カイだったからだと思う」
「え?」
「違う人だったらもっとガチガチだったよ絶対。カイも上手かった。後半なんて乗っけて貰ったし」
「マジっすか!?」
「声が良いのは知ってたけどさ、mimikoneで」
「え!?」
「帰りの電車で朗読の聴き流ししてる、時々。身近にそこまで低い声のサンプル居ないからさ」
西原さんは俺の過去の配信を聴いてくれたらしい。
「めっちゃ嬉しいっす!」
「緊張しないの羨ましい」
「俺っすか?しましたよ!?」
「嘘だ絶対」
「ホントっすよ!?」
何故か信じて貰えなかったが、自分が役に立てたのは素直に嬉しい。
「あーもう、ホントにシグやりたい。絶対やりたい」
西原さんは手を擦り合わせながら、本音を言う自分を笑う。
(早くサインくれーーー!!)
「120%出したから、これ落ちたらこの先ヤバい」
「ははは!!モチベーション的なやつっすね?」
「そう。あー、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」
「ちょ!大丈夫ですって!」
笑ってはいけないが、可愛いので笑ってしまう。もし昨日、オーディション前の西原さんと食事に行っていたら、今よりずっと大変だったのかも知れない。次の同じような機会には絶対に一緒に居ようと思った。
「でも、うん。これで落ちるなら、うん、仕方ないって思う。他の人が凄かったんだって」
そう自分自身に言い聞かせる西原さんの大きな目に、俺は頷いてやった。
「そうっすね」
「うん」
西原さんのシグナルポーチが俺にとっては唯一無二だったとマニアックに説得をするのは、合否の結果が出てからの方が良いと思った。
西原さんは別の話題に変えたその後も、度々急に重い溜息をついてしまい二人で笑った。

西原さんと別れた午後九時過ぎ。
俺は昨日調べておいた大きな酒屋に立ち寄って、店員に相談に乗って貰いながら三条さんが好みそうな高価な白のワインと赤のワインを一本ずつ買った。
(チーズは拘ってるものの方がいいだろうしな)
ツマミはどうしようかと店内を回っていると、大きくは無いが立派な房の葡萄を見つけた。
(よし。後はキッチン借りて軽いもの作るか)
俺は三条さんのキッチンにあった材料を思い出しながら、トマトを三つと真空パックのチキン、そして適当なサラダ用にレタスなどの詰め合わせの袋と、料理に使える小型のバーナーを見つけた事で更にブロッコリーと小石みたいな小さなジャガイモも追加して店を出た。

『どうぞ』
「はい」

乗り込んだ三条さんのマンションのエレベーターのドアが閉じると少し疲れを感じた。
しかし、
「お疲れ様」
玄関を開けて三条さんの顔を見た瞬間には、色んな重みがすっと身体から去って行った。
「お邪魔します」
「はーい」
背中を追ってリビングまでの廊下を歩いていると気分が良くなってくる。
「思ったより早く終わったんだな」
「そっすね。なんか、すげーテキパキ進んで」
想像していた以上に事務的な時間だったと言うのはやめておいた。
(またマニアマニアって言われそうだしな)
上着と荷物をいつもの床に置いて三条さんを見る。
「楽しかったかい?」
ベッドで横にでもなっていたのか、三条さんはたった今、厚めのニットの黒いカーディガンを羽織った。
「緊張してヤバかったっすよ」
「声優マニア天国じゃなかったのか?」
(結局言われたし)
「いや、マジでそんな事やってらんなかったっす!ははは!光留さん、もう何か食いました?」
「まだだよ。外、食べに行こうか?」
俺はそんな何でもない会話を三条さんとしながら、やたらとテンションが上がっていた。
「作っていいっすか?」
「今から?疲れてないのか?」
「寧ろ元気っす。モッツァレラチーズありますか?」
「あるよ。あ!二週間くらい経ったかもな…。ギリギリかも知れないけど?」
チーズにも賞費期限があったのかと初めて知った俺だったが、三条さんとなら腹を壊しても別に構わない。
「それ食いましょうよ」
「まあ俺は平気だけど?フレッシュなのを食べさせてあげたかったよ」
別に三条さんの準備不足というわけでもないのに不満そうにするが、
「カプレーゼ作りますよ」
「へえ、いいね」
三条さんが少し嬉しそうな顔をして、俺はまた高揚する。
「あとジャガイモとブロッコリー蒸すんで、トッピングに好きなチーズどうぞ」
俺が調理用バーナーを見せるとそれを手に取って面白そうに見ている。
「ラクレットかな?」
「そうっすかね?これで出来ます?」
「専用のフライパンがあるよ。それより、ラクレットチーズは食べられるのか?」
「好きっすよ。前にMAKIと食って美味かったんで。じゃあバーナーは要らないっすね」
「でも最後にこれで焼けばより美味いんじゃないか?」
「あ!成る程!良かったっす。あ、後はこれ。稽古付けてくれたお礼です」
二本のワインをバッグから出すと三条さんの手の上のバーナーと交換した。
「気を遣ったのか?」
そう言ってラベルを見る様子を眺める。
「高かったろ?」
目が合うと嬉しい。
「良く知らないんで、店員に教えて貰ったって言うか、出してくれたもの買ってきました、ははは!あっ!葡萄もありますよ?皮ごといけるって」
「沢山出てくるな」
三条さんは側に来てフィルムの間から葡萄を一粒取ると口に入れた。
「洗わないんすか?」
「死なないよ。んん、美味しい」
綺麗な三条さんを見ていると幸せな気分になる。
「ん?」
「あ、すみません」
「さ、作って貰おうか。君のタイムリミットもあるしな。宜しく、シェフ」
三条さんはキッチンのドアを開けて優雅に促した。
「あはは!では、少々お待ち下さいませ王子様」
俺のタイムリミットというのが何なのかは分からなかったが、もしかすると眠いのかも知れないと思い、手早く料理に掛かった。
「今日は君も飲めるかい?」
「あ!いただきます」
「これ運んでおくよ」
「すみません、ありがとうございます」
俺が料理をしている間も何度かキッチンに来た三条さんは、料理を運びながらテーブルの準備をしてくれていたらしく、ラクレットチーズを言われた通りに小さなフライパンで溶かして持って来た時には丸テーブルの上に赤と白のクロスが掛けられていた。
「おお!すげー、レストランみたいっすね!あ、チーズってここにかけていいんすよね?」
「そうそう」
前回と同じく、赤い丸のガラスが埋まった綺麗な皿にある蒸したブロッコリーと小さなジャガイモの上にチーズを流した。
「これ、俺がしてもいいか?」
三条さんはどうやらバーナーがお気に召したようだ。
「どうぞ!いいっすよ!火傷に気をつけて下さいね」
「大丈夫さ。キャンプでも使った事がある」
「キャンプ!?光留さんってアウトドアやるんすか!?」
俺は驚いた。
「香月智也、当然知ってるだろう?」
「あ!はいはい!アウトドア好きなんすよね?え?香月さんと仲良いんですか?」
香月智也とは三条さんと同じ事務所の声優だ。年齢は三条さんの五つ下で、雰囲気も三条さんに似ていて超イケメンだ。
最近は舞台の方で活躍している。
「ちょいちょい遊ぶよ。キャンプにも何回か誘われて行ったよ」
「へー!ちょ、いつか行きませんか?俺とも」
「君も好きなのか?」
「父親が山好きで、子供の時からテント張りやってました」
「俺はしないぞ?疲れるから。マシュマロとチーズ溶かすくらいならしてもいいけどな」
「ははは!じゃあ香月さんが全部やったんすか?その時も」
「智也が呼んだんだ。当然だな」
「光留さん何してたんすか?テント建つまで」
「ん?ワイン飲んで日光浴してた」
「嘘でしょ!?ははは!!」
テント張りはまあまあな重労働だが、せっせと働くイケメンの横で優雅に寝そべるイケメンの図は面白い。
「まあ、俺の時も俺が全部完璧に準備するんで。光留さんはのんびりしてて下さい」
「そうする」
「行きましょうね?」
「暖かくなったらな」
チーズが焼けて良い匂いがした。
「けど意外っすね!虫とか多いから嫌いかなと思ってました」
「どうして?俺なんか子供の頃さ、田んぼや畑の中走って、ガマの穂掲げて遊んでたのに。仕事するようになってやめたけどな」
俺はチーズが上手く焦げてご機嫌な三条さんが、サラダにしたチキンまで炙り始めたのをキリがないので止めた。
「え?何すかガマノホって。…蛙?」
「えっ?…ガマの穂、知らないのか?」
「知らないっす」
「植物だよ!」
信じられないといった顔の三条さん。
「あ、植物。花っすか?」
「ソーセージだよ!」
「え?何それ、全然分かんないっすよ、ははは!」
ソーセージの植物と言われても困るので、俺はフライパンを片付けにキッチンに一度戻った。

手を洗ってリビングに入ると三条さんが白ワインのコルクを抜いていた。
今気が付くと二人分の皿は近かった。向かい合って食べるものと思っていた俺はまた嬉しい。皿の距離が心の距離に思えたからだ。
「ほら、君のグラス」
「あ!あざっす」
皿の位置に椅子を持って来て座る。
「次は俺が仕入れるから。今日はご馳走になるよ」
「はい!」
「じゃあ、乾杯しよう。オーディションの手伝いお疲れ様。海」
「うわー、嬉しいっす!」
(脳みそ溶けるわ)
グラスはぶつけなかったが、三条さんがグラスを傾けてから香りを楽しみ、そっと口を付けるのを見てから俺も飲んだ。
「うまいっすねー」
「ワインが分かるのかい?」
「いや、味がどうかは分からないですけど、光留さんと飯食えるのは幸せっす。一気に疲れが飛んで行きました」
三条さんは少し笑って、カプレーゼをチーズとトマトのセットで口に入れて目を閉じる。
「んー!」
「あはは!好きなものばっかりっすね」
三条さんは頷きながらワインを飲んだ。
「ホントに。君の料理は最高だよ。うん!ブロッコリーも美味いな。自分じゃ買わなかったけど」
「栄養が多いのでめちゃ良いっすよ、ブロッコリー。蒸すのがコツっす」
「そうなのか?」
「はい」
「ジャガイモも美味いよ」
そう満足気に言う三条さんだが、多分一番美味いのはワインなのだろう。
「入れましょうか?」
「ありがとう」
俺がワインを注ぐと、直ぐに空にして、手で注げと言った。
「めっちゃ飲みますね!?普段からそんななんですか?」
「毎日二杯は必ず飲むけど、沢山飲むのは外食する日くらいだよ。でも今日は」
三条さんはテーブルの上の料理を指して、
「ワイン飲めって、全員が言ってるじゃないか」
と微笑む。
「全員、っすね!はははは!」
どうやらジャガイモやブロッコリー、トマトにチーズ達が口を揃えて三条さんにそう囁いているらしいのだから仕方が無い。
「強いんすか?酒」
「強い。基本的には酔わないな」



「ダダッダ、アン!ダダッダ!ア~ァイ!ダダッダ、アン!ダダッダ!アァイ!フォーーーーーー!!」
「ちょちょちょちょ!声量がもう!あっははは!!声量がヤバイスゴイっす!!」

(めっちゃくちゃ酔ったなー!この人!!)

「キミのベールのシーツでlonely night~ナァイ!会えない月ミテI’m your knight!Your my moon light~ラァイ~light~愛~アァイ~~~フォーーーーー!!」

三条さんが立ち上がって歌っているのはリビングの隣の洋間にあるソファーの上だ。
「秘密のっベルを揺らして~甘い扉の鍵をはずせばvanilla night~!I’m your knight!ナァイ~knight~愛~アァイ~~~!!make love!!ラァイ~!愛~!night~!knight~!!フォーーーーー!!だーれーにもー止められない~~ふーたーりは~ハァア~アーーーーアーーー!!」
「ぶっ!!ちょちょ!待って待って!待って待って!!ホントにヤバいっす!深夜っすよ!ははは!!」
「運命的ラヴァーズだぁかぁらぁ~アーahーーーーーーー!!」
「しかも上手いんだよな歌も!どんだけハイトーン出るんすか!?てかこのマンション絶対三条司住んでますよね!!俺も住みたいっすマジで」
食後の会話で、三条さんがフランスで買ったパリの街の写真集の話になり、三条さんが本棚へ取りに行ってそのまま帰って来なかったので様子を見に来くるとソファーで静かに目を閉じていた。
そんな三条さんを起こすと急に元気で、次は赤ワインが飲みたいと言い出し、こっちで飲み直し、こうなった。
因みにこの歌は三条さんが担当したアイドルアニメのキャラソンだ。
「キミのォォー、はい!」
「えあ俺っすか!?キミのoh~oh~」
「心フォーーーーー!!」
「すべて~ボクにあずけて~」
「夜明けのkissを~…ええぇ~っとぉーーーー!!わーすーれーたーyoーーー!!」
「あっははははは!!なんでそこ忘れたんすか!?けどめっちゃ嬉しいっす!生で聴けた!!」
「ダダッダ!あん!ダダッダって、ああ!もういい!!疲れた!!ホンット意味分かんないんだよなぁこの歌ぁよぉ…」
ドサッと俺の隣に落ちて来た三条さんの口からドロっと漏れた言葉に爆笑する。
「ええ!?あっはははは!何すか今の!ちょっと!?」
「ゼンゼン意味分かんないなーって思いながらレコーディングしてた」
「ちょっ!やめてくれよ!いいっすけど!光留さんっぽいし!」
「そんなのばっかりだよ」
「はははははは!!」
出された空のワイングラスに赤ワインを注いだ。
「キザなキャラだったからさ、こう…遠回しにさ、な?ヤりたいって言えよって。それだけ。俺の感想。ハーイ」
「あっはははははは!!ハーイって。酔うとマジでおもしろいっすね光留さん!」
「ま、ローゼン君がそれ言っちゃったら女の子の天国崩壊だけど」
「そうっすよ。大人エロイけどやんわりなのがローゼン王子ですから!初登場シーンで薔薇背負ってたのあの人だけっすからね!主人公みるくに、男の色気を初めて教えたお兄さんキャラっすから」
「ああん?何がお兄さんだよ」
三条さんは唐突に凄む。
「ははは!めっちゃ絡まれる!ヤベー!」
「17とか18でそんな出来た男いないぜ?脳がちんこなんだから思春期なんて。君もそうだったろう?」
三条さんに葡萄を一粒口へ押し込まれて、俺は正に今その思春期並みの気恥ずかしさで鼻を掻く。
「だあ!もういいっすいいっす!リアルがどうとかじゃないんで!アニメは!ローゼンは!てか俺って別にアニメオタクじゃないっすけどね?声優マニアとそこは時々混同されがちっすよ。文句言いたいんじゃないっすけどね?仲良くしたいですけど」
しかし三条さんは優雅に腕と脚を組んで、
「あのー、ほら、イベントとかでさ」
と、小さな思い出し笑いを堪えながら話し出す。
「俺の話し思いっきりスルーっすね!!はっははは!!」
「でさ、イベントでさ、智也とか他のキャストがさ、こんにちはーって普通に順番に言ってるのに、俺の台詞だけ月の裏から聞こえて来るみたいな台詞なの」
「あっはははははは!!でも?俺その流れWORLD TUBEでちょこっとだけ出てたやつ、少なく見積もって56回は見ましたけど光留さん素で言ってましたよね?恥ずかしそうじゃなかったですけど?」
その時に確か三条さんは、共演者の香月さんに『ソレそのまんま三条さんじゃん』とツッコミを入れられていた。
「仕事だもーん」
「クッソ可愛い!!マジで!!」
するとまた急に三条さんの目が据わる。
「おい、海!」
「はい!」
「その可愛いってのはやめなよ。おっさんなんだぞ?俺は」
(いや、今めっちゃ可愛いっす)
「てか、そうだ、俺もそれやめて欲しいっすね」
「んん?どれだ?」
「光留さんはおっさんじゃなくて光留さんです」
「哲学持ち出すのか?いま何時だと思ってる?頭が回らない」
「ふっ!いやいや、ただ光留さんが酔っ払ってるだけっすね」
「酔ってる?俺が?楽しいだけだよ」
「楽しいなら良いっす!」
「君といると楽しいよ」
三条さんは赤ワインのグラスをまるで一輪の薔薇にでも見立ててキスをして、俺にウィンクする。俺はそんな綺麗な顔を見ていられず、にやっとするのを誤魔化すように笑ってソファーの背凭れを撫でる。
【三条司】は勿論直接会えるわけではないが、ラジオやらインタビュー記事や動画などでいつもファンが欲しい【三条司】をくれる。栖本さんが言った『その人くらい筋金入りじゃないとダサい』というのは、そういうところなのかも知れない。
(俺でさえ、たまにリスナーからの俺へのイメージってのが面倒になったりするのにな)
「一対一でも惜しみなく自前の王子出してくれるんすもんね!やっぱ違う三条司は!」
「プロ」
「プロっす!!」
「サービス精神」
「プロっす!!俺ずっと三条司マニアで居てもいいっすか?」
「さあ、それはどうかな」
三条さんは大袈裟に肩を竦めた。
「あっははははは!!何でだよ!!」
(ココ!こういうトコ好きだわー)
「そんなの俺に言うな。だって、どうせ浮気するんだろ?」
優雅に頬杖をつく。
「はあ!?しないっすよ!!」
「晃介とか哲平とか、ゆいちゃんとか見てさ、ふわ!青柳さんだ!栖本さんだ!中黒さんだ!ふあ!好き好き!ってなるじゃないか」
「はははははは!!」
俺は笑い転げた。
「いやいやいやいや!え?そのレベルっすか!?そのレベルで浮気っすか!?」
「そう」
「うわぁー…めっちゃ可愛い」
「あ、今の可愛いは、女の子が言うカワイイと同じだったな?」
「え!どういう事っすか!?」
「服見てカワイイ、動物見てカワイイ、女の子にカワイイ、男にもカワイイ。気まずくてもカワイイ」
「あはははははは!!確かに、ちょっと分かりますね!すげー!」
「妹がそれだ。何でもカワイイ。肯定も否定も全部カワイイで世の中切り抜けてるよ。海もちょっとアルだろ?そういうところ」
「俺は違います!じゃあ俺の声優辞書、光留さんに預けますよ。光留さんが居てくれたら俺マニア辞めろって言われても全然生きていけるんで。総勢何人か分かりませんけど俺の人生かけて作ったコレあげます!」
「えー、いらない。俺自分以外に全く興味無いからなー」
すっとそっぽを向かれた。
「うーわ!ははは!!もーー!!じゃあどうすれ…」
「けど、YUJIは好きだな」
「YUJI!!さっすが国宝!!じゃあYUJIの写真見せるんで、抱き締めていいっすか?」
俺がスマホを出すと「急だな」と笑った三条さんは写真を覗く為に肩を寄せてくる。
「いつのYUJIだ?」
「この前のBIGMANIAのイベントの写真っす。単品で写ってますよ?勿論使用許可貰ってますんで」
「ホントか?ソレ見て俺がYUJIに嫌われるなんて事態にならないだろうな?」
「どんだけなんすか!大丈夫っすよ」
「じゃあ?見ようかな?」
「控え室で撮ったんですけど、めっちゃ良い写真っすよ」
「あ、YUJIだな!笑ってるじゃないか!」
「めっちゃ嬉しそうっすね!おもしろ!mimikoneアプリ紹介しましょうか?YUJIの部屋。フツーに顔出して生配信してるんでいつでもYUJI見れますよ?」
「あー、うん、まあ、また、今度教えて貰おうかな」
「了解っす!いつでも言って下さいね」
「んーん。あれ?君もその、ミミナントカやってるんじゃないのか?」
「やってますよ?けどまあ、別にそんなアレなんで。でもYUJIのは見て欲しいっすね光留さんにも」
「ふーん…」
「嬉しいっすね、光留さんがYUJI好きとか。俺全然カンケーないけど同じNACとして、みたいな?」
「へえーーーーーーーーーー」
何やら面白くなさそうだ。
「え??ワイン足しましょうか?」
「いや、もういいよ。君もそろそろ帰るんだろ?今日は遅かったもんな」
「あー、もうこんな時間っすね」
スマホの時計を見て驚いた。
「お姉さん、お腹空いてるだろう?」
「ははははは!分かりましたよ!片付けます」
俺は空いたチーズの皿と自分のワイングラスを持ってキッチンへ運んだ。
(楽しい時間って、秒で過ぎるよな)
あの約束は流されてしまったが、楽しそうな三条さんが見れたので今回は良しとする。
(やっぱり、非現実的だよな。光留さんが俺とセックスなんて)
実は昨日、ここからの帰りにコアな客に人気のアダルトショップを検索して三条さんの為に色々と買って来た。
バッグの中にそれらが入っている。
(現場で誰かに中身見られてたら人生詰んでたな)
しかし実際のところ、グッズは洒落たケースに入っていてぱっと見ただけではバレたりしないステルスっぷりだ。
(次の機会って、あんのかな…)
水に潜らせたワイングラスを見ていると、バーや何かのボトルキープの仕組みを思い出した。
今日、もっと沢山ワインを買って来ていたならば、三条さんは性格的にも俺を誘うしかなく、それを飲みにまた此処へ来られたのではないか。
しかし、果たして、そんな小細工でどうにか出来たとして、それに意味はあるのだろうか。
(意味……?)
何せ俺は今までにここまで明確な片想いという状況になった経験が無い。歴代の彼女とも毎度何故かスムーズに付き合えてしまった。
(まあ、今回は男だしな…)
やはりそこは大きな大きな問題だ。
男同士、なんて事を悩んでいるのでは無く、今までの恋愛経験が通用するのかどうかの問題だ。男なのに、なんて段階の悩みは、
「光留さんなんだから仕方ない」
のだ、俺にとっては。
しかもこの部屋の何処にも他の男の匂いも残さずに、大人っぽい秘密めいた遊びをしているのだろう三条さんだ、どのようにしていれば側に居られるのかが皆目見当もつかない。
(もっと好きな料理作って、まずは胃袋掴むか)

「俺が、何だって?」

驚いて振り返ると、三条さんが残りの皿を持って立っていた。
「あ!それもありましたね。あざっす。すぐに終わりますよ」
「置いてれば俺がするよ、そのくらい」
「まあ、いいじゃないっすか。ちゃんと帰りますってば、ははは!」
「YUJIのお礼、いいのか?しなくて。ハグだっけ?」
「いいっすよ。YUJIで光留さん買ったみたいになるっしょ。冗談でしたから」
「あ。冗談、か」
三条さんは俺の隣に立つと、蛇口から流れる水を見ている。
「そういえばさ、海」
「はい?」
三条さんの香水が仄かに水の匂いに混じって俺の鼻を擽ぐるから、耳だけを傾ける。
「YUJIが最近どうとか、言ってなかったか?」
「あーあ、あれは何て言うか、光留さんの興味引いただけっすよ。ああ言えばそうのちここに来る理由に使えるんじゃないかって思って」
「ネタバラシしてどうする」
「そっすね!」
「よく分からんな、君って」
「ははは!まあ、今後の材料はYUJIの写真で良いかなって」
「ふーーん」
「って、結局YUJIで釣ってますよね!」
俺が笑うと、三条さんの息も笑った。その顔が見たくて咄嗟に三条さんを見るが、
「ん?」
と、こめかみ辺りを少し掻きながら俺に気付いた三条さんは、何か考え事でもしていたみたいだった。
さっきまであれだけ酔って騒いでいた人とは思えない。
「あ、いえ。見てて楽しいっすか?皿洗い」
「うん。何かが無くなるのを見てるのって結構好きなんだ」
「え?」
「例えば、皿の上の料理とか、スノードームの雪が完全に沈むのとか、あと、台本のページとか」
「へー…。何か意外っすね」
「そうか?」
「何て言うか、ぼーっとしてる…?」
「失礼だな。君そういうトコあるぞ?何回かあったぞ?」
「あはははは!けど、またちょっとだけ光留さんのこと知れたっす」
今この時に自分の真横から聞こえるふわっと優雅な声には、今更だがやはり感動ものだ。
(俺ってマジ幸せ者だな…)
「知ってどうする?つまらないだろ。何でも知ってしまえばそれまでだ」
「無くなるのを見てるのは好きなのに、無くなるのは嫌いなんすか?」
「んー、物は繰り返されるだろう?でも人間はそうじゃないからな」
「へー、深い?っすね」
「いや、全然」
びしゃりと斬られた。
「あはははは!ツメテー!」
「そういうトコもあるぞ?」
「ええ?何すか?」
「謙って口説くみたいなトコ」
「ん…!え?そんな事してます?俺。でもそんなの光留さんの方が毎日やってるっしょ?王子様なんすから」
「俺のは、姫のせいで傷ついちゃったなーだよ。謙ってない。けど、君のは、ツメテー!とか、めっちゃ怒られたっす!とか、なんか下から来るんだよ。動物っぽくていじめられないんだよ」
「動物っすか!?」
「こんな諺知ってるか?」
「コトワザ?」

「尾を振る犬は叩かれず」

それを聞いて俺はにやける。
(どっちが失礼なんだっての)
「てかねー、あのっすねー光留さん」
「ん?」
「ははは!俺、気付いてましたけど!」
「何だい?」
「フツーにただ犬って言いたいだけっしょ!?俺のこと!」
「ふふふ!!」
三条さんの姿勢が崩れた。
「あ!見せて!」
「え!?」
「見せてって。あーもう」
三条さんはもう「何だ?」という顔をしていた。
「え?」
「え?もういいっすよ。何でもないっす。じゃあもう、犬は好きですか?」
「好きだよ」
「じゃあいいっすよ犬で」
「犬はホントに好きだ」
「なんか、俺YUJIにも犬って言われたんっすよ」
「YUJIが!?」
「めっちゃ喜ぶんだ、そこ。そうっす黄緑色の犬って」
「黄緑…?」
「YUJIって人に色を付けるのが得意なんですよ。それが、聞いてて俺も納得出来るもので」
「へー」
「きっと光留さんの色も答えるんじゃないっすかね」
「オーラ的なやつか?」
「どうなんすかね?分かんないっすけど。でもなんか納得するんすよ」
「へー。俺の色か、興味があるな。聞いておいてくれよ」
「はい」
「絶対だぞ?だけど、さりげなくな?」
「分かってますって」
三条さんはどうやらYUJIにYUJIのファンだと知られたくないらしい。その理由はYUJIへの過保護な気遣いだろう。
「へー、黄緑か。ふーん」
「え?」
三条さんの甘く垂れた目尻を暫く見ていると、目だけがすっと俺を見て瞬目する。
「赤、じゃないのか?」
(やっぱ綺麗だな。何なんだろうな、この人)
「…髪の色とかの、単純な話じゃないっすよ?」
「ああ、いや…」
三条さんは指で軽く薄い唇を弄った。そしてはっと俺を見直して、
「あ!ほら!また失礼だぞ!?単純だって言ったな!」
と指差してきた。
「あっははは!言ってますか!?言ってないっすよ!?単純な話って言っただけで、光留さんが単純って意味じゃないから!」
「そうか?」
「そうっすよ!」
「ふーーーーん」
三条さんは疑い深い目で俺を見る。
「ちょっ!なっ!ははは!ヤベー」
(可愛いなー!!)
今まで追いかけてきた「綺麗で大人カッコイイ」三条司とは別人のようだ。
「人間は信用ならないからな。裏を見抜けないと」
「俺、犬でしょ?」
「あ!」
(あ、じゃねーよ)
笑っていると洗う皿は無くなり、シンクは空になった。
「ありがとう。ほら、タオル」
三条さんはふわふわのタオルを俺の手に乗せてくれた。離れ難い。
「…拭いて下さいよ」
「何だって?」
三条さんは驚いた。
「犬だし、俺」
「じゃあ、タオル要らないな。ブンブン振れば乾くんじゃないか?」
「いいんすね?」
「え?」
意地悪な三条さんに水を飛ばしてやった。
「つ!バカ!」
「あはははは!!すみません、つい。ムラっときたんで」
「悪い犬には躾けが必要だな!」
三条さんは自分の顔を先に拭いた。
「躾けとか!ヤバい台詞きた」
「スパルタだぞ?俺のは」
三条さんは言いながらタオルを広げて、俺が両手を乗せると案外優しく拭いてくれる。
「エリーにも躾けしたんすか?」
「しないよ。俺は甘やかす役なんだよ」
「ズル!ははははっ!」
「うるさい。はい、OK」
「あざっす!」
「遊んでたら帰るのが遅くなるぞ?」
「はいはい、帰りますってば」
適当に笑って、姉を理由に帰らせたがるのを許しながらキッチンを先に出る。三条さんはその後をついて来る。
「何だその生意気な口は」
もっと、一緒に居たい。
「あーあ、上手く約束流されたなーって」
「何だって?」
俺の荷物の場所に二人で立って、俺は上着を着ながら時計を見る。
時刻は深夜零時。
「さっきの、何だって?」
「ははは。冗談っすよ。怒んないで下さい」
「君がシンデレラなだけだ。俺が約束を破ったわけじゃないだろう?」
そう言いながら俺のスマホを渡してくる三条さんを見ていると、名残惜しい。
「っすね」
バッグを持って振り返ると、三条さんは目を逸らした。
(何だ…?)
少し気まずそうに見える。
「そんなに急かして、もしかしてこんな時間から誰か来るんすか?」
「…ん?」
「オトコ?」
「おい。オンナかも知れないだろう?はっきり言っておくが、俺は女の子の方が好きなんだ。何でもかんでも男とやってると思わないでくれるかい?」
三条さんの綺麗な目は、今は少し本気で怒っている。
(へー、女の方が好きなのか)
それはまだイメージ通りだ。少しだけ気分が軽くなった。
(バイってやつか??)
その辺りは俺は詳しく知らない。
「女なら許します。男なら無理っす。どっちっすか?」
ただ、料理もワインも、次に来る男の為に三条さんに貢いだわけじゃない。
「君にそんな権利が?」
三条さんはやはり怒っている。
「…無いっすよ?」
バッグを肩に掛け直して玄関に向かう。
「それにだ、さっきも言ったが帰るのは君だろう?俺に突っかかるな」
その言葉にはつい事実を言って怯ませてやりたくなったが、一度止めた足を再び玄関に向かわせる。
「そうですね。すみませんでした」
笑って誤魔化して靴を履く。
「それじゃ、遅くまでお邪魔しました。すげー楽しかったっす。キャンプの約束、覚えてて下さいよ?」
悪気無くそう言って見た三条さんは、今日イチで物凄くムッっとした顔をした。
「ちょっ…そんなに怒らないで下さいよ。また呼んでくれますか?」
「全っ然怒ってないけど。まあ、またおいでよ」
「はい」
(ちょっと。めっちゃ怒ってるって)
何とか空気を取り戻す為に時間を引き延ばす。
「あー、次は光留さんのリクエストの料理を作りたいんすけど、何がいいっすか?」
しかし三条さんはムッとした目のまま黙ってしまった。
(ああ、ヤバい)
「あ、YUJIに光留さんの色訊いておきますね?動物に例えるのも得意みたいなんで、それも…」
「俺はちゃんと準備してた」
「…え?」
聞き逃して耳を傾ける。すると、
「君の為に、腹の中空っぽにしたんだぞ?三時間も、籠って」
三条さんは言う。
「三時間…?」
言っている事はよく分からないが、いつも見るものとは違う表情に釘付けになった。
多分、俺の知る普段よりもずっとずっと素の三条さんなのだろう。あのオーラとも違う男らしい表情だ。
「故意的に約束を流しただなんて思われたくないな」
苛ついたように、それを隠すようにふにゃふにゃとタオルを振る。
「もう一度言うけど、帰るのは君だ、 海。分かったな?」

(分かんねーよ)

頭がカッと熱くなる。
こんな何でもない瞬間に、自分はこの人に本当に惚れているのだと実感する。
「姉ちゃん、今日は母さんと旅行に行ってますよ」
三条さんの目が驚いて開く。
(ほら、見ろ)
ムッとしたのは俺の方。

「でも、まあ今日は…」
退散してやるのが良いとドアノブを回した時だった。
「居ない、のか?」
「え?」
振り返ると、三条さんはきょとんとしていた。
「帰らなくていいのか?」
「え、と……?」
「早く言えよ」
三条さんは俺を責めるタオルをまた一度ふにゃっと振った。
「光留さん?」
「時間の無駄だぞ」
三条さんはそのタオルで「来い」と言って背を向ける。
「まっっっったく」
「マジ……?」
タオルでビシビシと壁を叩きながらも、ちらっと振り返る顔。機嫌は直ったようだ。
(めっちゃ可愛い……)
「光留さん」
追いかけて行ってその勢いで抱き締めても、ビシビシと俺の腕をタオルで叩くだけだ。
(マジか…)
ドクドクと胸が高鳴る。
「一緒に、ソファーいきましょ?」
耳を食べても、ふっと笑って抵抗は無い。
(何だこの人)
ソファーの上で頸や首にキスをしてもやんわり受け流している。
(ヤバい…)
しかし、カーディガンを剥ぎ取っていると三条さんは俺の目を見た。
「海、ルールを聞け」
「……ルール?」
手を止めて、俺も三条さんの言葉に集中した。
「これは暇潰しだ」
シビアな話になりそうで、俺は三条さんを放してソファーに座り直した。
「分かってますよ?」
「本当か?」
床に置いてあった三条さんの飲みかけの赤いワインを見る。
「セフレっすよね?」
「セ……」
「分かってますよ。ちゃんと」
三条さんを見ると何故か複雑そうな目をしていた。
「俺も光留さんのワンちゃんの一人にしてくれます?正式に」
(俺は、きちんと理解してる)
三条さんのワインを一気飲みする。甘くもなく、何度飲んでも俺に馴染みのないこの味はまるで三条さんみたいだ。
「海」
「してくれます?」
「……」
(それでも)
「してくれるなら、どんなルールも呑みますよ俺。けどそうじゃなく、中途半端な立場しかくれないなら勝手やりますよ?」
三条さんはじっと俺を見ている。
口で脅してみたところでこの無敵オーラには通用しないのも、もう分かっている。だが、全てに対して「はいはい」と言っていられない自我は俺にもある。
「…ルールだが」
「はい、どうぞ」
俺はもう一杯ワインを注いで飲んだが、
「キスは無しだ」
ワインを吹き出しそうになった。
「…何言ってんすか?」
「ルールだ」
真顔で即答される。
「キスもしないでセックスするんですか?」
「それがルールだ。これは恋愛じゃない。俺との遊びってのはこういう事だぞ?海」
もう一杯注ごうとしたボトルを三条さんの手が奪っていった。
「君がもしそれを不快に思ったり、万が一にも勘違いするようなら始められない」
そんなにも俺の事が子供に見えているのだろうか。
「俺は了解っすよ?他には?条件付けるなら今のうちっすよ」
ネチネチ文句を言うのは三条さんの好みを外れそうだ。
「OKなんだな?」
「はい。期間みたいなのも無いんすね?」
「んー、無いな。君は設けたいか?期間」
「いや、いいっすよ。お互いに飽きたら終わりでいいっす」
「成る程。それなら大丈夫だな」
俺がグラスを置くと、三条さんも一杯飲んだ。赤が唇に吸い込まれていくのを見て身体を寄せる。
(惚れた方の負けなんだ)
ここまで言われても尚、出来るだけ近くで見ていたいのだ。
「もういいっすか?こんな話。萎えるんで」
三条さんの側に詰め寄って顔を覗く。
「ああ、そうだな」
ソファーの背凭れに頭を預けてこっちを見るのと目が合うと胸が逸る。ゆっくり耳元に鼻を近付けて舌先を伸ばす。
「あの、光留さん」
「何だ?」
「恋愛じゃないって言ってたけど、恋愛ごっこは構わないっすか?」
「ん?」
「この部屋の中でだけ、本気でイチャイチャしませんか?」
「海」
「俺、光留さんが思ってる程、馬鹿じゃ無いっすよ?」
「…ん?」
「光留さんは綺麗だし、好きは好きですけど。俺も光留さんも男でしょ?」
三条さんが目を見張る。
この瞬間に騙す他は無い。
「分かってますから、ちゃんと。だから安心して欲しいです。俺、光留さんの事も自分の事も、ちゃんと守りますよ。光留さんが心配してるのって、そういう事ですよね?」
「…ああ」
まるで都合の良い忠犬のように。
「大丈夫ですよ、俺も」
「ああ。そうだった。君は賢いもんな。悪かったよ、海」
三条さんは少し安心したように見える。
「キス、唇以外なら許してくれますか?」
「ああ…」
「光留さんから見れば俺が頼りないのは分かってますけど、甘えて下さい、もっと。俺の事信じて下さい」
「…そうだな。どうしてか、相手が君だとなると罪悪感があったんだ」
「罪悪感?」
「君は真っ直ぐだからな」
「真っ直ぐ…?」
ワイングラスを見つめ続けるのを見ると、三条さんは何かに気を揉んでいるのかも知れない。
男同士の関係なんて勿論俺は知らない。
それでも、それがどんなに世間に反していようが抑えられないのだ。
「俺、ホントに真っ直ぐですかね?」
顔を上げた三条さんの首にキスをする。
「俺が昨日、このソファーで光留さんにした事、忘れてます?」
「全く忘れてない」
強めに返ってくるとホッとするが、三条さんの目はまだ弱い。
「じゃあ、そうっすね…。煮詰まったもの飛び越える魔法知りたいですか?」
「魔法?」
「はい」
「何だい?それは」
「興奮っすよ」
「興……」
動いた三条さんの喉仏に唇で噛み付いた。そのまま唇で這って耳朶まで上がると、撫でた三条さんの胸が薄く上下した。
いつもの香水が香って、堪らなくなる。
(だけど、俺が知りたいのはこの香りじゃない)
「光留さんの事考えると、俺何でも出来ます。将来ずっとそうっすよ」
時々本音を散りばめて、三条さんの知らないうちに発散すれば良い。
「海」
服を捲る俺の手を止めようとしたのかどうか、三条さんの手が触れて、それを握って一緒に服の中に入るとその細い手を借りて薄い身体を撫でる。
「それに俺、昨日の光留さんのエロい顔、忘れられなくて。姉ちゃん居なかったら何してたかなって…」
三条さんと見つめ合うと血が一気に何倍もの速さで身体を駆け巡り、熱くなった。
「しなかったのか?」
「ギリで」
「大変だな」
小さく笑った息が妖しい。だから次は小さなピアスホールの耳朶を何度も吸った。
「今日また会えるから、我慢出来たんすよ…生の光留さんの方がヤバいっすから」
「じゃあ…見ててあげるよ」
「駄目っすよ。そうじゃないっしょ」
抱き寄せて背中も腰も撫でる。ソファーに付いていた部分の肌は温かい。
「そうだな…海」
三条さんの手が俺の髪や耳を摩る。
「光留さん、二人で風呂入りましょ。一緒に」
「ああ…」
耳から顎先まで滑った手で呼ばれて見た三条さんの表情が色っぽい。見惚れているとその顔が近付いた。

「イチャイチャしよう、思いっきり」











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