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7.
しおりを挟む◆竹山 海
三条さんの部屋に着くとそのまま直ぐに広い寝室に通された。
大きなベッドとステンレス製のサイドテーブル。
「ここ防音室だから」
三条さんは暖房と小さな加湿器のスイッチを入れる。
確かに窓が無いが、白い壁の角を跨ぐように付けられた沢山の銀色の小さな板が、枝を伸ばす木のようにあり、そこに並んだ写真立てがどれも洒落ていて殺風景では無い。
「へえ!ここで練習してるんですか?三条さん」
目に付いた写真の中には、可愛い顔の白いチワワのものもあった。
(あれがエリーか!)
「そ。チェックはいつも寝る前にするからさ。ああ、その壁の板は、越して来た時に晃介と哲平が付けてくれたんだよ。気に入ってる」
「すげー、お洒落っすね!」
「何か飲むかい?」
「あ、今は大丈夫っす。ありがとうございます」
「じゃあ、早速やろうか」
三条さんは俺が出した大西監督から借りたオーディション用の台本のマーカーの箇所を確認する。
「結構あるな、台詞」
「あ、こっちのここもっすね」
「このシーンでするのか。これは大変だぞ」
三条さんが言うのはシグナルポーチの最期のシーンだ。三条さんはスマホでその部分を写真に撮ってベッドに腰掛けると、脚を組んでまた暫くの間それを読んだ。
「本当に付き合って貰えるんすか?」
「台詞、確認しないのか?」
スマホを見たまま静かな声で言う。
「あ、はい」
俺も立ったまま台本を読んだ。
ほぼ原作通りだった為、少し安心した。
『ドルチ……』
『…そこにいるのは…まさか!』
『ギルディルクが…あいつが…』
『シグナルポーチ!一体何があった!』
「はいダメー」
三条さんがスマホの手を下ろす。
「え!?」
「気持ちが入ってない。シグナルポーチとドルチ・キーパーの関係は?」
「古くからの無二の友人っす」
「死ぬんだぞ?」
「はい」
「もっと悲痛に。台詞も、傷だらけの友人見て、一体何があった!なんてはっきり訊いたらイモいだろ?プロはこうするんだ」
三条さんは『シグナルポーチ!!』と叫んだ後、『一体何があった!』は、信じられないというように、ドルチの方が息苦しそうな感じで続けた。
無残な姿の友人に、手で触れるのも憚られる雰囲気だった。
「すげー…」
(確か原作のコマもそんな感じだったな、ドルチの顔。ちゃんと読んでるんだな三条さん)
「感心してないで、ほら、もう一回」
「はい!」
『シグナルポーチ!!』
「はいダメ」
「はい…」
「じゃあさ、こうしたら?西原君だと思いなよ」
「え?あきらさんっすか?」
「…あきらさん?」
自分のスマホを枕に置きながら横目で見てくる三条さん。
「あ、すみません。西原さんっす」
「知ってる。そうそう。君はいつもあの可愛いあきらさんと一緒に居るだろう?その彼が、君の見ていない所で川俣さんにでも襲われたと思いなよ。で、虫の息でスタジオのテーブルの間に捨てられてるんだ」
「うわ…リアルっすね…」
川俣さんに怯えていた西原さんを思い出した。
「リアル?まあいいけど。どう思うんだ?」
「悔しいっすね、めっちゃ」
「そうだ。それから?」
「悲しいし、あと、怒りとか」
「友としての愛しさもないか?」
「あ…」
「そういうのを感じながらやるんだ。これは俺の考え方だけど、俺は名前を呼ぶ時ってのは凄く大事にしてる。名前を聞けば見てる人は皆んなそのキャラクターの生い立ちまでを知らずに頭に浮かべてる。どのキャラクターに呼ばれているかによっても、共感の度合いが変わるくらいに」
「はい。分かります」
「自分が演じるキャラクターが、相手のキャラクターの目線でどの立場か。シグにとってのドルチは唯一無二の友で、まるで兄弟だ。アニメを見てる人は君の声をドルチだと思ってるんだ。そのドルチがシグを見つけた。シグナルポーチの最期を看取るのがドルチ・キーパーだ。泣きのシーンってのはそういう事だよ。アリスでもマンマートでもなくてドルチなんだ。そして君の演技が、サイボーグみたいなドルチが実は熱い奴なんだって事と、ギルディルクの悪さをより浮き彫りにさせる」
「はい」
「このシーンはシグよりもドルチにとって重要な場面だ。もっと入り込んでやらないとダメだよ海」
「はい!けど…なんか…」
俺はずっと落ち着かず、浮ついている。
「ん?」
「三条さんってのが…」
ついそこまで言って、これは言うべきでは無かったと気付く俺だ。
「すみません」
「憧れの麗しい三条さんに稽古つけて貰えて、鼻血出るくらい嬉しくて、ムラついて緊張する、って?」
「っすね…」
正にその通りだ。三条さんは俺から見た自分を把握している。
「あきらさんとなら出来るのかい?じゃあ、今から電話して行けば?」
「あ、え?違います!言い訳…でした、すみません。お願いします三条さん!」
こんな機会など滅多に無いだろうと、俺は必死で頭を下げた。
「演技に対して、どこドコでなら出来る、誰々とだったら出来る。そういう事を言う奴は何処に行っても出来ないぞ?」
プロの目に、頭が冷える。
「はい」
「この仕事、相手選べないからな」
「はい!」
喝を入れられて気が引き締まった俺だったが、三条さんは小さく舌打ちをしてこめかみを掻いた。
「あ…えーと、ごめん」
急に弱々しい視線を向けられて驚く。
「え?」
すると三条さんはいつものように優雅な仕草で腕を組み、指先を顎に当てる。
「うーん。そうだよな、俺から先にあれこれ言うのは良くないな。大西さんも……。よし!悪かった。一人で練習してみな。後で聞いてあげるから」
「三条さん?」
三条さんはベッドから腰を上げてドアへ向かいながら俺を振り返る。
「原作、知ってるんだろ?」
「え、はい。全部読みました」
「こういう重要なシーンはアニメでも原作の雰囲気を通すもんだ。だから君なりのドルチを作ってみるんだ」
「はい」
そして三条さんは申し訳無さそうに綺麗な目を細める。
「海、ホントに悪かったよ。俺が力んでも仕方ないのにな」
ひらりと手を上げて三条さんは寝室から出て行った。
(三条さん?)
良い香りの寝室に残されて、大きなベッドを見る。
臙脂色のベッドカバーと真っ白なシーツ。
声優の後輩でも無い俺を相手に、真剣に稽古をつけてくれようとした三条さんの気持ちが有り難い。
それなのに、寝室に入れた事なんかが先に来て、浮き足立っていたのだから、見透かされていたのもあってダサすぎる。
「三条司のマニア、マジで失格。因みに二回目。もう切腹するわ」
俺は台本を読み直す。
大西監督から軽く渡された仮初めの役、ドルチ・キーパー。
原作の【ふて魔女アリス】の中でも、俺はそこまで気に留めなかったキャラだった。
まさかそのドルチの代役をする日が来るなんて思ってもみなかった。
しかも一番シリアスで重要なシーンだ。
俺がエンビリアンとシュニックのペアを推すのと同じく、その二人よりも普段の生活の描写が少ないのにも関わらず、シグナルポーチとドルチのペアを推すファンも多い。
(誰がやるんだろ…)
改めてドルチのキャラを思い返すと、既に決定しているという声優が気になった。
俺のイメージでは天使のような清らかさのシグナルポーチは高い声で、その横に立つ大きな身体の門番、無口なドルチの方は低い声だった。
「シグの最期、か…。泣くよな、ファンは」
ドルチはどんな心境だろうかと考えるが、難しい。
漫画を目で見てそのキャラクターに共感するのと、そのキャラクター本人になるのとでは、似ている作業に思えて実は違いがある。
(でも、シグが、もし三条さんだったら…)
ベッドカバーの張りのある生地に手を当てる。
(とんでもねえシーンだな…)
下腹辺りにぐっと重みを感じる。
ギルディルクへの怒りと、たった今失う者を見ているだけしか出来ない感情。
原作でのドルチの表情を、成る程と思う。
(これを全部、演技で伝えないとな)
難しい仕事だとは分かっていたが、より現実的にそう思う。
(マジすげーよな…)
どちらかと言えば、熱さとか苦労とかを感じさせない「ふて場」の声優達。
『手伝いって言っても、気楽にしていいものじゃないだろ?』
三条さんはそう言った。
俺は「三条司」の事を、もう少し軽いタッチでこの仕事をしている人だと思っていたのだろう。
それこそ片手に薔薇の花でも持って、王子様の笑顔で白馬の上から喋っているように。
(失礼なファンだな)
勿論本気でやりますよと言った俺。
「どこがだよ。めっちゃダセーじゃん…」
軽い頭でいたのは俺の方。
しかしこれは、チャンスかも知れない。
「ドルチの声優は、来られないんだよな…」
もし俺が明日、大西監督の前でその人以上のドルチ・キーパーを演じたら、大西監督の手元の盤面はどうなるだろうか。
(ドルチは俺にやらせたかったって、思うか?)
俺は三条さんが出て行ったドアを見る。
少しは、憧れの背に近付けるだろうか。
『カイは今ふて場にいるんだから、そこで頑張ればいいんじゃない?』
西原さんもきっと、明日は本気でシグナルポーチ役を獲りに来る。
他の人達もそうだ。
(そんな場所、俺も本気で行かないとただの雑魚で終わりだよな)
◆三条 司
(押し付けがましいのが一番見苦しい。うん、そうだ)
俺は反省をしながら、キッチンで美味しい紅茶の為に茶器を温めている。
勿論こんな貴族みたいな真似は普段は滅多にしない。ただこうして平静を取り戻したい時なんかにはとても良い手段だ。
湯を捨てから、しっとりと本格的に紅茶を仕立てる。
「ああ、良い香りだ」
海の分は、また後で絶品を淹れてあげるつもりだ。
(古臭い説教なんてうんざりだ。俺はもっとスマートだったろ?三条司がオヤジになるじゃないか。歳を取るにも美しくな。そうそう。ピンポイントで響くアドバイスを心掛けよう)
黄金のブランデーを一滴。
その時、
「三条さん?」
海が寝室から出てきたらしい。リビングに居ない俺を探している。
(おっと、完璧だ。気の利く先輩じゃないか)
キッチンのドアが開いて、丁度ソーサーにカップを乗せて振り向く。
「海、紅茶を淹れたよ。飲んで…」
「お願いします」
俺は海の表情に驚いた。
「まあ…一口飲みなよ」
「けど、早く聴いてもらいたいっす」
「飲みな。美味いぞ」
微笑んでやると、海は暫くしてから肩の力を抜いて少し笑った。
俺の前までやって来てソーサーごと手に取る。
「いただきます」
海の目尻が少しだけ光っていた。
「どんなに感情移入しても、泣くのはプロじゃないぞ?声が出なくなる」
「…はい」
海はまた笑って紅茶を啜った。
「え!?美味いっすね!」
ぱちっと目を開ける。
(あ、可愛い)
「君の為にね」
「うわ!ホント王子っすね!」
「これはハズさない鉄板だ。この俺が言うから死なない台詞なんだ」
海は変わった。
最初より低い声でシグナルポーチの言葉を聞き取りながら、単なる受け答えの台詞にドルチの沸き上がる感情も添えて来る。
(本気だな…)
俺のアドバイスもきっと上手く身につけたのだろう。
名前を呼ぶ時にだけ揺れて、無力で哀れなドルチだ。
「凄くいい」
「ありがとうございます」
「猛々しくて、可哀想で、手を差し伸べたくなるよ。間違いなくギルディルクへの恨みが植え付けられるはず。シグナルポーチの存在価値が上がる」
このシーンまで感情の薄いドルチは、言えばギルディルクのキャラと似て並走しているが、ここで一気に交差するのだ。
「ドルチが急に熱いキャラになる理由が原作より伝わるかもな。そんな君を、恨みの意思の半ばで殺す俺の非情さも、何倍も足される」
「はい」
怒りのドルチを弄んで、高笑いしながら殺すのは、豹変後のゲスいエンビリアンだ。
【ふて魔女アリス】で、本当の無慈悲というものをやってのけるのは実はエンビリアンだけなのだ。
(嫌われるぞー、これは)
とんでもなくワクワクする。
「三条さん?」
「ああ、ごめん」
つい自分の演技の方向にまで変化を付けたくなってニヤついていた俺は、そっと口を押さえて咳払い。
「ありがとうございました。勉強になりました」
「うん。まあ、良かったよ。これで明日は大丈夫だな」
「はい!」
「じゃあ、特訓終わり。仕事は終わり。切り替えも大事。向こう行こうか」
「はい」
普段の顔に戻った海は、部屋を出る前にチラチラとベッドを見て、それが俺にバレると少し照れた。
(ええ?……………可愛い)
「紅茶淹れ直そうか?」
自分の紅茶をキッチンから持って戻ると、海はテーブルセットでまだ台本をペラペラと見ていた。
「あ!これで。あざっす」
何だかんだで午後五時。
特訓に連れて帰ったのはいいが、これからどうするのだろうか。
今の所、海が帰る雰囲気は無い。
(今からなら十分西原君と食事も出来るが…)
何となく、そう言い出さなければいいと思って海を眺めている。
「エンビリアン…」
「ん?」
「あ、いえ」
「何だい?」
「や、ホント何でもないっす」
「なに?」
「マジですみません。ははは!何でもないっす!」
「言えって」
「あー、いいのかな…」
海は顔を手で摩りながら悩む。
「言え」
俺が強く言うと海は「はい」と頷く。
「エンビリアン、三条さんで嬉しかったです」
俺は咳払い。
「へえー、そう?」
「はい。三条さんしか嫌だなって、思ってました。こういう感想、迷惑っすよね?声優さんからすると」
「俺は嬉しいよ。選ばれた側だからな」
「あ…」
「エンビリアンが好きか?ふて魔女イチの性悪キャラだろ?男なのに無駄に露出多いし」
「それがいいんっすよ。つえーし、色っぽいし、ひでーし。人気すげーんすよ?三条さん希望のふて魔女ファン圧倒的に多いんすから!早く教えてあげたいっすよ!」
「ふふっ!」
「めっちゃイメージ通りです、三条さんの声。ちょっとだけエロくしてますよね?いつもより」
「してる」
「やっぱな…」
海は嬉しそうに笑って台本を見る。
「ふーーーん」
マニアに仕事っぷりを煽てて貰えるのは悪くない。
「え?何すか?俺キモいっしょ?ははは!」
海は明るく笑いながら背凭れに身を引く。俺はそんな様子を暫く眺める。
「へえー。声優マニア?」
「ちょ、改まって。けど、はい。そうっすよ?」
海は恥ずかしそうに言う。
「へえー。何なの?どうしたいの?」
俺はただ苛めたいだけで、深い意味もなく尋ねる。
「あははは!何すか?どうしたいのって」
「分からないけど。どういう感じなんだろうなって」
「ええ?じゃあ、例えばっすけど」
「うん」
「声優さんを全員、このくらいのサイズのフィギュアにして、コレクションしたい、とか?」
海はテーブルから水平に手を持ち上げて、アニメキャラでよくあるフィギュアのサイズ感を出してくる。
「ふぇー。気持ち悪いね、なかなかにさ」
「ちょ!はっははは!」
海は気持ち良い程に笑った。
「あ!ごめんごめん!ふふ、ごめん」
つい酷い事を言ってしまった自分に慌てて笑いを堪える。
「いや、いいっすけど!冗談っすよ!?」
海は本気で手を振って「マジ冗談なんで」と笑う。
「フィギュアにして?やってるアニメ毎にチーム作って?」
「ははは!そっすそっす、ココはふて魔女チームで、三条さんと栖本さん加入で、みたいな!」
「気持ち悪いよ!」
「あっはははは!やべえ!けど三条さんのフィギュア出たら俺速攻で絶対手に入れますよ、ガチで」
「ホントに?買うのか?」
「どんなに高くても買いますね。絶対日本で一番最初に三条さん持ってレジ前に立ちますよ。で、エンビリアンのフィギュアより大事にします」
「絶対だぞ?」
「絶対っす」
何の事だか分からないノリで盛り上がったが、どうやら本当に冗談だったらしく海はまだ少し笑いながらもまたペラペラと台本を見る。
「俺にして欲しいキャラとかあるのか?」
「え?」
海がよくする、目を伏せながら相手に耳を寄せる仕草。
「これがアニメになったらとか、CDになったらとか。あるのかい?」
「いっぱいあります」
「例えば?」
「えーと、アウレって漫画の先輩パイロットとか」
「知らないなー」
「ははは!めっちゃマニアックなSF漫画っす」
「アウレ?」
「主人公の名前っすね」
「キャラ設定は?ネットで見れるのか?」
「ああ、ありますよ」
海は俺の横に椅子を持って来て、スマホを出して漫画アプリを開く。
「ストーリーめっちゃカッコイイんすよ。これ読む為に課金しまくってるんで俺」
「へー。警官?」
海の手慣れた操作の合間に一瞬見えたあらすじから、キーワードを掴む。
「そうっすよ。宇宙で一番デカイ都市の警察官っす。ニコル・ルーチってキャラで、掴み所のない渋い先輩なんすよね」
鉛筆書きの飛行艇と空と海の、所々に色をつけたような薄い水彩画みたいな、宇宙やSFと言いながら不思議と地球上のどこかの国の港町に似た、繊細で爽やかな表紙だった。
「ふーん。やってあげるよ」
「えっ!?」
驚いた海は、顔をぱっと上げながら、ぱっと下ろしたスマホをテーブルにぶつけた。
「おあ!すみません!ヤベ!」
海はテーブルを摩る。
「どの台詞?」
「マジっすか…?」
遠慮中のはずの目が素直に輝いている。
「ほらほら、早く」
「え!?あ、じゃあ、えーと!」
結局は期待たっぷりの熱い眼差しで海が提案してきた台詞を黙読する。若そうだが口髭のある、イタリア人ちっくな印象のパイロットだ。
宇宙なのに昼間だろう飛行艇の中、首を傾げて未来っぽいのかレトロなのか分からない凝ったヘッドセットみたいな物のマイクを、わざわざ手で持って話している。しかし逆の手は空中にある透明なタッチパネルみたいな物に翳してある。
先輩、キザ、優秀、後輩思い。体型は割とガッシリ。
(低めだな)
「このページで俺が受けたイメージだけで勝手にやるぞ?」
「はい!!この絵がルーチの全てを語ってるんで!!」
俺は晴れた空の心地良さをイメージしてから、声を出した。
『こちらルーチ、お前が寝坊してる間に当番替わったぞ。目が覚めたらさっさと支度して、マリの店に行ってやれ。以上だ』
「やべーーー!!たまんねーーー!!」
「バリバリの死亡フラグ立ってないか?」
「あははは!すげー!分かります!?そうっすね。この日がルーチの最期っす」
「基本的に死ぬんだよ。俺がやるキャラ」
「あー!っすよね!気付いてました?」
何故か申し訳なさそうに言う海。
(そりゃ俺の事だからな?)
「気づいてた。十年ちょっと前から。それで?ルーチはどうやって?」
「あ、危険区域に、好きな女の誕生日だった主人公の代わりにパトロールに行って、ボス級の敵に出くわすんですけど、たった一人でほぼ壊滅させるんすよ!ルーチじゃなかったらマリの店も大都市も終了してたっす。それで!チームの生きる伝説みたいな男なんすけどね?ルーチの戦闘シーンってこの章までそんなに無くて、このあとのシーンが単行本なら半分以上超える勢いでもうめちゃくちゃカッコイイ戦い方するんっすよ!!俺マジで好きでルーチが!!…やっべ!三条司ボイス!!渋いのに若さもあるし、ああ!とにかくカッコイイっす!!」
「へぇー。あと、若い頃はちょいとヤンチャでした、感な」
俺はニヤっとしそうな口元を締めて相槌を打った。
「そうっす!そうっす!もう、めっちゃ嬉しいっす!!」
海は両手で顔を撫でながら嬉しそうに笑う。
「俺が良かったんだ?」
「ホントそうっす!!ルーチが三条さんじゃないならアニメ化しないでくれってくらいっすね!」
「へえー。そおんなにー」
俺は紅茶を飲んで興奮を鎮める海の横で、スワイプでページを送って行く。
(男に人気がありそうだな。空の男のロマンって感じで)
「アウレだっけ?」
「アウレっす」
「ふーーーーん」
「ああ、やべぇ。感動しかねえ…切腹決めたのに。もうちょっとだけ生きたくなるっす」
ちらりと窺う海の顔。カップを大きく傾けて紅茶を一気に飲んでいる。
(切腹だ?辞めさせるわけないだろ、俺のマニア)
俺はもう一度漫画に目を戻す。
「因みに主人公は誰がいいんだ?」
「主人公っすか?えーと、橋下風也さんが合いそうだなって、勝手に。主人公は二面性があるんで、熱血と陰と。スパスパ切り替わるんで、そのスパスパ感をめっちゃ出して欲しいっす。未来のロマン系なんすけど、主人公は最近っぽい性格っすね。陰キャなのに才能あります的な」
「へえー。橋下君ね。上手いから良いんじゃないか?アウレ?」
「はい。アウレっす」
「へえーーー」
(覚えとこーーーーっと)
それからも暫くの間、自分のスマホで漫画を見る俺を見ているらしい海。
「俺のどこがいいの?」
「え?」
「俺の声の」
「全部っすね。もう全部っす。どんなキャラでも違和感無いっすもん。声もですけど、演技がヤバイっす。マジ好きっすよ。あと、見た目…も」
「へぇー。ベタ褒めっすね」
「ベタ惚れっすにぇ」
「はい!噛んだから終ーー了ーーー。バーイバーーーーイ」
海のスマホを置いて、指先でテーブルの遠くへ押して行った。
「ちょっ!あははははははは!!マジでクソ可愛いしこの人」
「ああ?」
俺は海を見るが、
「あ、サーセン」
例によって謝る気は無いらしい。
(ここはカップル公園ですか?)
「あの、三条さん」
「ん?」
言いにくそうな海。
(そろそろ帰る気か。それとも…メシに行くのか?)
「誰かと約束してますか?このあと」
「ん?」
すると海は、軽くも無く、神妙になるでも無い顔で言う。
「俺の他にも、居るんすか?遊んでる男」
(あー、成る程…)
海は単刀直入に疑問を晴らしに来たようだ。
(そういう感じを受けたのか、昨日の俺に…)
俺は何も言わずにもう一度海のスマホを取って、ロックを外すように態度で促す。
「もし今日、誰とも約束してないなら、もう少し居てもいいっすか?」
海は指紋認証でロックを解いて、俺が勝手にさっきの漫画アプリを弄るのを特に止めない。
「いいよ?」
「マジっすか?」
「遊んであげるよ。俺も…暇だしな」
「じゃあ、あっちのソファーで、イチャイチャしませんか?」
俺はスマホをそっと置いた。
(え?何だって?)
「い、イチャイチャ…?」
「はい」
海は平然と頷く。
「ふ、ふふふ」
「恥ずかしい、とか?」
「ん?」
嫌ですか?と言う質問を、敢えて煽りで送り付けて来たのは分かる。
「恥ずかしいっすか?」
「全然?」
「じゃ、行きましょ」
海は俺の手を取って立ち上がった。
(ちょっと待った!イチャイチャってなんですかああああ!?若い奴って「イチャイチャ」も「本日のタスク」要素なんですかあああああ!!)
俺は無敵オーラで海のエスコートに従った。
海はソファーに乗り、俺を後ろから抱き締める体勢で横向きになって足を伸ばした。
丁度肘掛けが海の背凭れになり、その海の身体が俺の背凭れになっている。
「もっと凭れていいっすよ?」
「ああ、そう?」
きゅっと締まる腕と、首に掛かる息。
どうして「また」なんて、昨日海に言ったのか。
(それは…)
そう言わないと、海一人に全ての非を背負わせる事になる気がしたからだ。
この部屋に呼んだのも良かれと思ってした事だ。あれを聴かせたのも、海が嬉しそうにしたからだ。
全部、俺の間違った優しさだった。
(そうだ、最初から俺が間違ってんだな…。これは俺が招いた二次災害だ)
最初の一発を海にブチ込んでしまったのも俺なのだから。
(年上が先に逃げるなんて、後味が悪いだろう?)
『声優マニアの名にかけて変な事は絶対しないんで』
そう溌剌と笑っていた海が、俺を抱き締めて言った。
『マニア、失格っす』
俺はあの場で「そんなことないよ」と、適当な言葉で俺とマニアの距離を仕切り直してやるべきだったのだろう。
(悪いことをしたな…)
背中に感じる温もりに罪の意識を覚えながら、心地良い弾力に身体の力を抜いた。
「三条さん…?」
「何だい?」
「もし良ければっすけど、司さんって呼んでもいいですか?」
そんな問い掛けに、
『誰なんすかね、あんた』
また海の声を思い出す。
(そうか…名前、か)
晃介の助言は最初から「名前」を指していたのだろう。
(海の幸福とは、俺の名前だったのか)
あんな事をした今、本名など大した秘密では無い。
海は俺の耳元に頬を付けて言う。
「栖本さんとか、青柳さんもそう呼んでますよね?俺も、そう呼べればなって…」
「ん?」
「司さん、て。この部屋の中でだけでもいいんで」
俺は少し振り返って海の顔を見る。
「三条さんも俺の事、海って呼んでくれるでしょ?嬉しいっすよ」
静かな笑顔。
そう見つめて窺って来る目を見た俺は、相手が飽きるのを待つ気でいるのは、海の方なのかも知れないと思った。
(俺のは一体全体、何の「性分」なんだろうな…)
「俺、さっき稽古つけて貰うまで、三条さんの事、もっと慣れた感じっていうか、言い方悪いですけど、もっと軽く仕事流してる人だと思ってました」
「え?」
「すみません」
俺は同じような事を、悠二にも言われた経験がある。
『…何も傷ついてないところ』
「……なあ、君なら分からないか?その方がカッコイイだろう?」
俺は悠二に言った言葉とは少し違う答え方をした。
海には、その方が楽だった。
「え?」
「逆にいちいち努力が滲み出ててみろ、ストーリーより、エンビリアン役頑張ってるなー三条さんって、そっちが気になっちゃうだろ?それはエンビリアンにとって無駄な背景だ。そんな事をするくらいなら軽くやっちゃってんじゃない?って思わせる方がよっぽどファン思いじゃないか?見せない事も必要だ」
「そっすね」
「まあ、そういう誤解も甘んじて受け入れるのもプロだな。でも君は今日、俺の努力も気づいてくれたわけだ?」
「はい」
「俺は一つの役に対して、自分がやれる事はいつだって全部やってるつもりだよ」
確かに気楽にする仕事はある。でもそれは、それくらいの塩梅が良い時だけだ。熱くなれば何でも響くというわけじゃない。その加減が出来るのが、場数踏みだと俺は思う。つまり、その見極めがプロなのだろうと思うのだ。
「っすよね。ホント、失礼だったなって…」
海はまたきゅっと抱き締めてくる。
「三条さんが相手のキャラの名前を大事に意識してるって事、俺忘れないんで。俺もその意識、持ってやってこうって思いました。何て言うか…嬉しかったっす」
「はーん。それで、俺の名前も司って呼びたくなったのか?」
俺がニヤリと笑うと、
「っ…めっちゃ単純野郎で恥ずいっすね!時々鋭いっすよね三条さんって」
と、海は俺の首に鼻を押し当てて照れ笑いした。
(時々かよ)
「ま、いいよ。いつでも好きなように呼んで」
「ありがとうございます」
ブンブンと尻尾を振っていそうな、嬉しそうな声だったが、
「司さん」
そう海に呼ばれた瞬間、俺は。
海を振り返って、海の目を見る。
「え?」
海は嘘の笑顔ですっと目を逸らして、肩に鼻を付ける。
「何すか?やっぱ嫌とか?もう遅いっすよ?ははは!」
海は、妥協したのだろう。
俺のこれは、本当に何の「性分」なのか。
「司さん?」
「光留」
「え?」
「三条光留だ」
海は、俺の顔を見るように頭を上げる。
「光はそのまま、る、は留めるだ。光留」
「…光留…?」
「そう」
「三条、光留…さん?」
「そう、俺の本名だ」
「光留さん、か…」
海は不思議な面持ちだった。
何でその名前なんだ、というような。
しかし俺が見つめるその前で、海の表情はゆっくりと人懐っこく崩れた。そしてさっきよりも静かで、詰まるようにまた、
「光留、だったのか…」
と嬉しそうな声。
(ああ…。全部、知られた)
俺は再び前を向いて、海に気付かれないように視線を落とす。
そこには俺を抱き締めたままの海の腕がある。
「これでもう、許してくれよ?」
「…え?」
これで海の執着も、俺の罪悪感も浄化される。
知りたかったのだろう俺の本名を知って、海はきっと満足して此処へは来なくなるだろう。
あのCDを、聴かなくなったように。
(何だったんだろうな)
海との摩訶不思議な体験は、学生時代にあった体育祭なんかのイベントで、つい何の理由も無く、人の出払った教室で二人っきりになった意中の相手じゃない女子との、無関心を装ったひと時のような、あの言い訳のつかない思春期の高揚と似て、締まりが悪い。
しかし時間が過ぎてしまえば、海との事もあれと同じくただの「気の迷い」に落ち着くだろう。
(ここまでだ。早めに片がついて良かったんだ)
ほっとしたような、不完全なような。
(これ以上は良くない)
だが、
(また俺は……)
何かを「封印しようとしている」ように思った。
そんな事を考えていると、
「もしかしてあの時、俺の事傷つけたとか、思ったんすか?」
海が低く小さな声で、俺の顔を覗き込んで来る。
(ん…?)
「もしかして、それで俺の事、この部屋に呼んで…あんな事されてもキレなかったんすか?」
海の唇が耳に当たる。
「…同情、って、やつっすか?今日までの、全部」
横目で見ると真剣な目とぶつかる。
「俺って、そんなあんたに喜んでつけ込んでたんすか?」
少し眉を寄せている。
あの時よりも傷付いたように見える。
(あれ…?)
「そ…そうじゃない。そんなお人好しがいるか?遊んであげるって、言っただろう?」
「…ですよね?でも、ホントに?」
(何だその顔…)
途端に、腹の中がモヤモヤする。
「あのな。急につまらない事言うなよ。…ホントにつまらないぞ、その質問」
海は疑いの目で見つめて来る。
(あれ…?)
「……遊びだよ、遊び。真剣な目するなよ。他のワンちゃんと取り替えられたいのか?」
引き攣っているかも知れないが、何とか口角を持ち上げる。
(何を言ってるんだ、俺は)
すると目を光らせた海が、一度思いっきり俺の耳を喰む。
(あれ?)
「嘘じゃないっすね?」
手で髪まで避けて覗き込んで来る。
「ふふ…しつこいな。捨てるぞ?」
(ええ…?)
「嫌っす…」
大きな舌で耳裏を遠慮なく舐め上げられる。
「捨てられたくねえ…マジで」
海の身体が熱い。
「はは、落ち着け…ちょっと」
(ちょっと!?)
優しいような手つきで、胸の辺りを摩ってくる。
「ねえ、信じますよ?」
逆の手が俺の膝下を通って内腿を滑る。
「ああ…ちょっ…」
終わると思っていたのに。
「光留さん」
耳に呼び掛けられて、ゾクッとした。
(あれれーーー!?)
いつのまにか俺は、暇を持て余した世間ズレ王子に落ち着いてしまった。
海は俺をソファーに押し倒して覆い被さって来ると、首筋に吸い付いてくる。
どうすべきか分からず、とりあえず止めようと海の肩を軽く押し返すも、それを無視するようにシャツのボタンを上からいくつか外される。首から肩まで熱い息を掛けられると不思議と心地よく、身体から力が抜けた。
「まあ…少し落ち着け」
「光留さん、言ったじゃないっすか。気持ち良かったって」
(あ、言ってたな…俺)
俺は何も返せなかった。
「光留さんに触れてて、興奮しないわけないっしょ。今日は、もっと良くするんで」
そう言った海は今度は下から俺のシャツのボタンを外し始めた。
耳や顎の下をそれこそ犬のように遠慮も無く舐められて、俺の方も段々とそれが平気になってきている。
(平気どころか)
大きな舌が熱くて気持ちが良い。
ぺろりぺろりと舐めては、時折気が逸ったように吸われると性的な昂りが起こる。
そのせいで、俺の腿の間に挟まる海の身体を意識した。
人生で初めて感じる押さえつけられてまで迫られる不安に似た窮屈感と、どこかそれを上手く受け流しているかのような心地良さ。そして、徐々に浮いて出てくる灰汁のような自分の性欲の上辺で、
(こんなにガッツリ股の間に何か挟むなんて、考えて見れば今まで布団以外に無かったな)
なんて、くだらない事を考えている。
「ああ…吸うな、痕がつくだろ…」
海が啄ばんだ肌がピリリと痺れると、自分は海にこうされる事をそこまで必死になってまでは拒む気が無いのだと知る。
「ちょっとだけっすよ、大丈夫っす」
海はちゅっちゅとあちこち吸った。
(俺は、三条司なのにな…)
目の前の赤い髪を指で梳きながら、今までの女の子との情事を薄っすら思い出し、まるで逆転したような自分の今を妙に思う。
(海は…)
俺の、一体どこまでが欲しいのだろうか。
逆転したならば、逆転する前の俺と同じ気分でいると考えていいのだろうか。
(男の俺とセックスを…?)
海の髪からは美容院の匂いがする。
市販のシャップーとは違う、あの独特な爽やかな匂いが。
好きな匂いだ、そう思って鼻を寄せる。
一度大きく嗅いでみると海が顔を上げた。
息で湿ったような頬と唇。そして、男の目。
(成る程な…)
人気がある理由に、納得もする。
YUJIと比べているとKAIはタフな印象だった。面倒見が良くて、人懐っこくて、溌剌として、いつも笑顔で素直で、そして時々子供っぽい性格だとも。
しかしこうして見ると、海の目は繊細だった。
(壊れやすそうだ…)
「綺麗、っすね。ホント」
海はそんな低い声を零して、目を伏せる。
そして丁度胸の部分だけ閉じていたボタンも外され、妙に勿体ぶった手付きでゆっくり左右に開かれる。
「乳首、エロ…」
「待て、男に対してその台詞は流石に無いだろ?」
つい笑いそうになって、気遣いで堪えるも、海はギラギラした目を合わせてくる。
「食べていいっすか?これ…」
乳首をやんわり指の先で撫でられる。
「意味あるのか?男の乳首なんて」
「男ってあんまりしないんすか?ここ」
海は舌先で捏ねるようにする。
「ん?」
海に視線を戻すと、海は不思議そうにしていた。
(あ。設定抜けてたな…。完全に)
男との経験者だと思われるのはとんでもなく癪だが、この際そう思われた方が何かと楽だ。精神的な点で。
そんな有り得ない「設定」も、海が他言しない限りこの部屋の中でだけの真実になる。
海は見つめてくるが、俺が黙っていると視線を俺の身体に戻して、乳首に唇を近づける。
「ショックかい?俺が、男とって…知って」
「いえ?全然」
「へえ…」
熱い唇の中に吸い込まれた自分の乳首を見ないように俺は目を閉じた。
(マニアなのにショックじゃないのか…)
「君は?」
「はい?」
俺は目を開けて海を見る。
「君も男と…あるのか?平気そうだもんな」
海は気付かずに俺の身体を見ている。
「無いっすよ」
「ふーん…」
「光留さんだけっすよ、俺は」
(俺は、ねえ…)
少し責められた気分だ。目を閉じて、海の舌先を肌に感じる熱で追う。
「俺、別に気にしないんで」
「へえー」
今度は、軽んじられた気分だ。
ちらっと睨んでやると目が合ってしまった。俺は直ぐに微笑んでやったが、海はじっと見つめ返してから目を逸らした。
(普通は嫌なものじゃないのか?)
俺は手の甲で海の腹を押し退けてベルトを外すと、一気に引き抜いて遠くへ投げた。
(今時は、そんなもんか?)
「光留さん?」
「面倒だろ?外してあげたんだ。好きにしなよ」
また目を閉じて、鼻で笑ってから赤い髪を撫でてやる。
すると俺の手の下に潜るように身体を寄せて、海の舌は更に動き回った。
意味があると、必ず執われる。
だから、この部屋での俺のこの玄人設定は必要なものなのだ。
その後もずっと、海は俺の身体を脇腹まで丁寧に舐めて回った。
舐められた肌の表面から中へ、ジリジリと薄い快楽が浸透して来るような感覚に、俺の身体は酔い始めている。
「ん…」
臍を舌で突かれて、温かい息と、もどかしい刺激に俺は反応してしまった。
すると海の舌は更に突き出され、硬い塊の先端のようになって臍を掘る。
目を伏せた端整な横顔が、している事とのギャップでとても卑猥だ。
格好を付ける気の無い海がやる事が、雄の本能たらしめていてこちらの気分さえ妖しくさせる。
「…美味しいかい?」
海は顔をあげて大きな舌で唇を舐めた。海の指がパンツのボタンに引っ掛けられる。
「もうここ、触っていいっすか?」
俺は返事の代わりに自分から指を伸ばしてボタンを外してやった。
「自分で見てごらんよ」
余裕をぶっこいて微笑んでやるも、海に手の平をぐっと当てられると全身がカッと熱くなった。
「勃ってますね」
海は俺の目を見ながら、ファスナーを下げ、より力を込めた手の平を荒々しく擦り付けるように大きく動かしながら、無作法に前を割って入って来ると、下着の上からそれを暫く続けた。
「パンでも…作るのか?」
「気に入ってる犬とか、いるんすか?」
「ん?」
「いえ、何でもないっす」
「エリーの事か?」
そう聞き返してから直ぐに、男の話だと気付いた。
海は少し笑って下着を下ろした。
「あ、今日まだシャワーして無いぞ?」
はっと頭を持ち上げた時には、先端に真っ赤な舌が絡んでいた。
「ん…」
「美味しいすよ?」
「お石…」
海の舌は股の奥にまで伸びて突っついて来る。
「そこは…」
「嫌っすか?」
男なら誰でも不安になる大事な場所だ。それにも平気で大きな舌を押し当てて舐め上げている。
「海…ちんこに…しろ」
「はは!何て言いました?」
海は笑いながらも一つを口の中に入れてしまった。
「うっ…」
身体は本能的に緊張するのに、脳は溶けていくような焦れったい感覚。
交互に口に吸い込まれて唇で噛まれると、反り返ったものが妬いて震える。
恥ずかしいと思うとか、それを知られるから恥ずかしいのだとか、俺が作った玄人設定はその段階をスルーさせてくれる。
俺はあたかも「こういうものだ」という顔をしていればいいのだ。身体に起きる反応を、いちいち海に言い訳しなくて済む。海も、俺を見てこれでいいのだと思って疑問を持たない。
「ヤベェ…興奮する…」
海はそう言って、漸く腹に付くほどにまでなった俺のそれに舌を移した。
「あ…」
「濡れてますよ、ここ…」
くちゅくちゅと音を立てて先だけを舐めたり咥えたり。
「海っ…」
羞恥心で今すぐ死にそうな俺を知らずに、まるで架空の誰かと競うように、海は卑猥な事を強いてくる。
焦らすように付け根辺りを喰われると腰が浮いた。
「エロ過ぎっすよ?光留さん…」
そう言ってパンツも下着も奪って行った海が、今度は俺の片脚を持ち上げて内腿を大胆に吸い始めると、その場所から広がるビリビリとした快感が強くなった。
「随分と…野生的だな」
「食いたいっすから、光留さんの全部」
「なら…早く食いなよ」
刺激が欲しい場所を指に挟んで腹から起き上がらせて海に向ける。海は唇を寄せた。
「君は脱がないのか?」
「はは、それやったらそれこそ終わりっしょ?マジで分かってねーんだな光留さん」
ペロペロと舐める。じーんと染みるような快感。
「ん?」
「俺の事、まだ安全なガキだと思ってんっしょ?いいっすよ、それで」
そして海は、俺を見て、
「ペットでいいっす。気楽にして下さい」
と言った。
ゆっくりと熱い口の中に咥えられて息を呑むも、
(なんだ、それ)
両腕の肘から先に鳥肌が立った。
俺は何となく、イラッとしたのだ。
だが海の行動は謙虚な言葉とは裏腹で、喉の奥まで咥え込んで、また強く強く吸って容赦なく追い立てて来る。
「海…」
「今だけ、別の名前、呼んでいいっすよ」
優しい口調で言ってきた。
(何だ?腹立つな…)
腰を揺らして海の口の中を突いてやるも、
「光留さんが気持ちいいように、好きに、動いて下さい」
と海は俺の腰を支えるように掴む。
(…可愛くないぞ)
「海…」
呼んでも、海は目を閉じて集中している。
「海」
時折目を薄く開けるが、俺の尻に手を滑らせて腰が動くのを見ているだけらしい。
俺は足で海の股間を押した。海はフェラを休まずに笑って、俺を制するように足を握ってくる。
「勃ってるじゃないか」
「当然でしょ」
海はそうとだけ言ってから上唇を先端に残して口を開け、見せつけるように大きな舌で裏筋を舐め上げる。
「ああ…」
「気持ちいいっすか?」
「きもちい…よ…。あっ…」
足の指の間にも海の指が入って、意味有り気にゆっくり抜き差しして動く。
「声…やばいっす。すげ…興奮する」
そうは言われても、声は喉から勝手に出てしまうわけで。相手が海だと思うと無理に堪えたり装う必要も感じず、俺は愛撫に任せて息を吐いた。海は言った言葉通りにまた行為に没頭し始め、はしたない音をわざと立てるようにしてしゃぶりついて来る。
「そこが、溶け…そうだ…」
「蕩けてますよ?イって下さい、光留さん。俺で」
「君で…?」
(海で……)
「そうっす、俺で…」
わざわざそんな言い方をするものだろうか。
「君は、俺より上手だな…」
「…フェラ、っすか?」
掛け違えたやり取りを笑うと、海は急に両手で俺の膝を大きく割って愛撫を強くした。
「君の彼女は…君にどっぷりハマるんだろうな。だから妬くんだ…血の繋がったお姉さんにまで…」
海は何も返して来ずに、俺を追い詰める事に熱を出した。
「きっと…君が、悪いんだよ」
(無意識でも、海は相手を追い詰めてる)
その素直さで、その野性味でだ。
(俺は…)
勘弁、願いたい。
天井を見ながら身体の逸りと気の逸りをやり過ごそうとしていると、海の愛撫の勢いが落ちた。
(ん?)
見遣ると、海は俺を見ていた。
責めるような、寂しそうな目で。
胸がきゅっと縮むような痛みを感じるのと、海が目を細めるのとが同時だった。
「…おいで」
つい、手を伸ばして赤い髪を梳くと、呼ばれた海は上に乗って来る。
「光留さん…」
甘えるように首筋にキスをしてくる海の耳が目に入る。
「今は…いいよな」
呟いた俺に「え?」と、いつもの様子で耳を傾けてくる海。
(ピアス…)
KAIとは違って、シンプルな太いシルバーのフープが一つだけ。その耳が美味しそうに見えて舌を伸ばした。
咄嗟に海が頭を起こすのを、引き留める為に俺はその耳を吸った。
「光留さん?」
「可愛いな…君の耳」
「ちょ…ヤバイっす…」
「何がだい?」
囁いて、ちゅっと音を立てる。
海の頸に滑らせた自分の手の平に海の熱を感じる。
「美味しいよ」
堪らなくなり、何度も舐めて、吸う。
海の背中が跳ねると、俺は海の股間に両手を伸ばした。
「え?ちょ、光留さん?」
「ホラ、ちんこ出せ」
「ダメっすダメっす!」
海は笑いながら慌てて俺の手を掴む。
「もう!手を放せよ」
「ははは!ちょちょちょ!はいはい、手止めて」
腰を引いて逃げる海。
「はあ?粗チンか?」
「はははは!そうっす!てか、その顔であんまりそんな言葉使わないで下さいよ」
「嫌なのか?」
「え?」
また懲りずに耳を傾けてくるから舌を伸ばして舐めた。
「だあ!もう!」
海は照れて笑って頭を振った。
「君の大事な三条司のイメージが崩れて嫌なのか?」
「…違いますよ。興奮するって、言ってるっしょ」
「なら出せ。それとこの服、脱ぐの面倒だろ」
ラフなデザインは避けている海だが、ウエスト周りはごちゃごちゃと布が複雑に重なっている。可愛くてお洒落だが、何せ長い紐を腰に巻きつけるデザインが苛々する。
「あ?なんだコレ、めんどくさいなぁ」
「ははは!ダメっすよ、光留さん。ほら、手上げて」
海はあっさり怪力で両手首を掴んで俺の頭の上に上げる。
(バカ犬ーー!!)
「じゃあもういい」
「え?なんて?」
海はまたその仕草。今度はその耳に思いっきり噛み付いてやった。
「いってぇ!!」
「もう終わりだ、今日は」
「はあ?ダメっすよ。光留さんまだイってないし。つーか、痛え!マジで!」
海は俺が噛んだ方の耳を押さえて顰めっ面になった。
「生意気な顔するならさっさと降りてくれないか?俺の上から」
こんなやり取りをしても、その実は俺と海の間の欲は冷めて行かない。
耳が痛いのか、まだ続けたいのか。海は真顔になって身体を重ねて来る。
「……嫌っす」
「お互いに気持ちよくないとつまらないだろ?こんなこと」
「つまんないんすか?俺と遊んでても」
「え…?」
「今も、他の人がいいんっすか?」
「……」
俺が海の口説くような目に黙らされている間に、海は手際良く、着物の裾でも捌くみたいに自分のパンツの前を開けた。
長い紐のような布が内腿に擦れてくすぐったい。
「俺は我慢しましたからね?」
海は俺の胸に額を置くように体重を掛け、片手で下着を下げている。
「我慢…?」
すると、とんでもなく熱いモノが下腹部に押し付けられた。
「知らないっすよ、もう…」
「あ…?」
海が獰猛な目を伏せて首筋に舌を這わせた瞬間には、海の腰が動いていた。
(え…?)
「ホラ、握って下さいよ」
手をそこに連れて行かれ二人分握るように言われると、俺は分からないままそうした。
擦れ合うと、背筋が伸びた。
「あ…」
「光留さんので滑ってヤバイ…」
「海…?」
「もっと、ちゃんと握って…」
両手で握り込むと、海の腰が嘘みたいに速くなった。
(ああ…やばい)
「やべぇ…気持ち…!」
海が唸るみたいに後を引く声を洩らして首を噛む。
「ああっ…」
「光留さん…」
「長…」
海のそれが酷く長く感じた。手の中をズルズルと動いて俺のものを摩って熱くなっていく。
「光留さんの中…挿れてるみてぇ…」
「な…!」
(何だと!?)
驚きと困惑の中、俺は海に男の正体を見た。
(俺もこんな事をしてきたのか)
今は別に女の子とのセックスを思い出したわけでも無いのに、海の跳ねる腰に鼓動が激しくなる。
「海っ…待て!イキそうだ…!ちょっと、ああ!」
「いいっすよ…俺もヤバイんで」
勢いを増す快感に、手にぐっと力が入った。
(なんつー動きするんだ!)
俺を抑えつける上半身は重くのしかかったままなのに、腰だけがそれこそ交尾中の犬のそれのように激しい。
「その顔、めっちゃエロいっすよ光留さん」
首や耳に掛かる、海のあっつあつの息も激しくて興奮する。
「ん!ああ…イ…!」
ソファーと海の硬い壁に挟まれて、窮屈で不自由な俺の身体はそれでもねじれ、自分が締めてしまう狭間で爆破間近なそこも容赦なく攻められて、気が狂いそうだった。
「光留さん」
「イ…く。ああっ…イ、く…イク!イク!」
「ヤベ…!俺もいいっすか?」
海が服の裾を捲り上げて身体を少し起こすと手の中の海のものがよりはっきりと突き刺さっては出て行く。
「あ!ああ…ん!海、海!!もう、出る…!」
腹の上に飛沫が飛んで、
「俺も…!」
その上に、また熱い海のそれが飛んだ。
目が回るようだった。
「光留さん…」
海はべったりと腹を合わせて来る。
「汚れるぞ…服…」
「上着あるんで、問題ないっすよ…」
首を捻って横から見て来る視線を感じて目を合わせた。
(海…)
酷く、親身に思う。
海も同じだったのか、初めて頬にキスをしてきた。
「まだ心臓ドクドクいってるっす…」
「ん…」
俺も海の鼻先をしゃぶってやった。
海は嬉しそうに笑って二人の腹の間に手を滑り込ませると、ヌルヌルと撫でる。
「くすぐったいぞ」
鼻先を噛むと海の目はふっと伏せられて、その意識の先にある指がまた俺のその辺りを彷徨う。
暫く好きにさせていると、海の指は後ろの窄まりに触れた。
(おい)
「何してる?」
「ダメっすか?ここ」
「ふふ、ここって、何かな?」
とりあえず海の頭を抱えてみたが、耳にはっきりと刻まれた。
「アナル」
(あーーーーーーーー)
「とても…良い発音だ、うん」
微笑んで海の目を見る。
「ダメっすか?」
「駄目だ」
「何で?」
(何で、だと!?)
俺はまだ微笑んだまま混乱していた。
やはり海は、男の俺とそこまでやる事を考えていたらしい。
「中も、舐めたいっす…」
海はまた欲情した目で俺の唇を見つめている。
(な、難易度が高すぎるわバカ!)
「駄目だ、海」
すると海は指で少しだけ強く押してくる。ともすればツルッと入ってしまいそうで焦った。
「海」
「他の人とはしてるんでしょ?俺だけダメなんすか?…何で?」
拗ねたように言われ、耳に舌が入って来る。
「光留さんとセックスしたい」
「セッ…海…?」
「一回だけでも、いいんで」
真剣に見つめられ、目を逸らすわけにはいかず。
それでも多分、俺はただ、海の目が喜ぶのを見たかった。
「…明日、な」
「マジ…っすか?」
驚かれて、俺も驚いた。
(うわあああああああ!誰だそんな事言ったのはあああああ!!)
「嬉しいっす…」
海は嬉しそうに抱き締めてくる。
「…え?」
「めっちゃ、嬉しい」
その控えめな声を聞くと、何故だか胸が詰まる。
(ああ……)
「じ、じゃあ、今日はもう帰ろうか、海」
海の背をぽんと叩いて、声が上擦らないように全神経を注いだ。
俺にはとりあえず、自分が招いた「明日」という日の現実と向き合う時間が必要だ。
「っすね。俺も、ちょっと買い物行くし」
海の方も何やら気がそれていた。
「買い物?」
「っす。明日の、光留さんの為に」
「あーーー、なーーーる…」
一瞬、気が遠くなった。
「え?もしかして今の、ダジャレっすか?マジで可愛いっすね。はははは!」
(違うわああああ!!俺は三条司だぞ!!そんなつまらねえ事なんて死んでも言うか!!)
「いや、違うけど?」
「あ」
「ま。とにかく、コレ、何とかしようか」
俺はため息を吐いて自分の腹を指差す。
「いっきなり冷てえこの人!あはははは!!」
海は屈託無く笑った。
(ああ、可愛い…)
そして海は帰り際、玄関先で振り返ると、
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※投稿日時が前後する場合もあります。
※一部の話のみムーンライトノベルズ様にも掲載しています。
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