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6.
しおりを挟む◆竹山 海
俺は帰宅してもぼんやりしたまま過ごし、風呂に入った後、午前零時に洗面台の前で歯磨きをしている。
ミントの刺激が無くとも、思い出してしまうのは今日の三条さんとの事だけだ。
あの後直ぐ、三条さんはいつも通りの感じで俺を普通にリビングで見送った。
(あんな事までしたのに本当に何とも思ってねーのか…?)
『またおいでよ』
普通なら気持ち悪いだとか、二度と来るなとか言いそうなものだ。
(まさか……経験があるのか?男と)
そんなイメージは一切無かったし、どちらかと言えば女好きの印象だった。
しかしあの容姿だ。男とも寝ている想像をするのは失礼ながら容易い。
(めっちゃカッコイイし、綺麗だし、エロいし。あとちょっとだけたぶん天然ボケ…入ってるし…な。モテないはずないよな)
男にも慣れているのならば、最初の時に逃げなかったのもガードが緩いのも頷ける。
あの余裕も。
「今は、俺……」
信じたくないと思いながら、俺はあの人の事を全く知らないのだからと、ため息と一緒に嗽をする。
(他にも誰かが、あの人に…?)
そう考えるだけで酷くモヤモヤした。
長い指で俺の髪を弄っていた三条さん。
(俺が初めてじゃないから、別に咎めなかったのか……?)
『要らないなら捨てて来い』
あれは、何だったのだろうか。
あの言葉で、俺は自分の欲のスイッチが入ってしまった気がする。
「要らないわけ、ねーだろ……」
三条さんの前であのCDを聴いてしまえば、また最初のようにしてしまうと思った俺は、今日はもう聴かずに帰ろうと思っていた。
もう行かないと決めて、スタジオで三条さんを待った。
自分の気休めにパスタを食べさせて、あの雑誌を渡して、もう一度正しく元の位置に線を引き直そうと。
(なのに、俺でもいいなら……)
三条さんの背中を見ると、また俺は手を伸ばしていた。
三条さんと、他の誰か。
(例えば?)
友人とされる青柳晃介か、
またはーーー。
(俺から隠した人…?)
「いや、そんなに簡単に解けるもんかよ…」
単純過ぎると頭を叩いてから歯ブラシを自分のコップに立てた。
だが、その数分後。
単純だった俺は煮詰まり、PC前に座ってウェブ通話を掛けている。
「すみませんポヤッキさん。ちょっと訊きたい事あるんすけど」
『ほいほい?』
「声優クイズっす」
『おーい。何でも来いや!』
関西弁の相手は得意げに、喫いかけだった煙草を雑な仕草で揉み消した。
「明平帝内って声優知りませんか?」
『あき…んあ?』
「アキヒラ、テイダイ」
『………誰や、それ』
その答えに落胆する。
「やっぱ…知らないっすよね」
『アキヒラ、テイダイ…?』
顔の角度を左に向けて直ぐさまキーボードで入力するポヤッキさん。
「検索しても何にも出ないっすよ?」
『え?BL一本だけ?俺の管轄ちゃうな。声聴いたら分かるけど?KAIは聴いたんか?』
「はい。けど分かんなかったっす」
『お前で分からんの?じゃあ結構年齢上か?』
「っすよね…。やっぱダメかー」
この人なら、と思い至って連絡した。
しかし、今なら俺もこのポヤッキさん並みの辞書がある。その俺が全く知らなかった名前なのだから大凡の検討は付いていた。
(三条さんから聞けないなら、もう諦めるしかないか…)
そう思った時だった。
『テイダイ…テイダイ……あ?』
「え?どうしたんすか?」
俺は再び画面に食い付く。
『ナンカ聞いたことあるなあ、それ。テイダイ?』
「…マジっすか!?どこで!?」
『まあ待てって。テイダイって名前が先ず珍しいやろ?』
「絶対その人しか居ないっすよね!」
『ナンカあったでソレ、ちょっと待ってや。何やったかなあー』
ポヤッキさんは『アー!ナンヤッタカナー』を延々と繰り返して頭を抱える。
「ポヤッキさん!師匠!!マニアの神様!頼む!思い出してくれ!!」
俺はポヤッキさんに必死で祈る。
『…あ』
「ポヤッキさん!」
『ラジオや!!』
かっと見開かれた目とその関西特有のイントネーションに、何故かドラマチックな鳥肌が立った。
「…ラジオ?」
『だいぶ前やで?ナンッカあったでソレ』
また考え込むポヤッキさん。
ポヤッキさんは「記憶する事」の達人だ。某有名過ぎる大学出身者で、現在は大手の銀行の役員だと噂されている。
声優マニアである以上に鉄道マニアであって、日本中の駅の名前を現存しないものまで記憶している。
この駅の駅掌の声が良いとか、女の運転手が回る区間なんかも知っている。
「そのラジオの内容、何かちょっとだけでも思い出しませんか?アキヒラ、テイダイ」
『んーと!あれは…夏や夏。クーラー壊れて扇風機出してってラジオつけてたんや俺。そんとき…確かテイダイってゆったぞ、誰かが…』
「ポヤッキさん頑張れ!」
『十何年も前や…えーと…番組名…何かの作品の宣伝で…あいつ誰や?あいつは…誰の声や、あれは…』
「頼む!!」
『テイダイさんって…。確かな?うん。ゆーてた。なんかその、ここにはおらんけどね、みたいな感じのノリあるやん?ちょっとした内輪ネタみたいな』
ポヤッキさんはぎゅっと目を閉じて少しずつ思い出しているようだった。
『そうや、そうそう。だからそいつは今テイダイって名前じゃないんちゃうか?』
頭の何処かで予測していた言葉だった。
「帝内じゃない…?」
『たぶん、そこにおったゲストがテイダイ本人やったんやろ』
『明平帝内は死んだよ』
三条さんのあの言葉は、やはり嘘だったのだろうか。
『うわー、あいつ誰やったかなあー!あー!クソ!テイダイと喋ってた奴、今は有名やぞ。えーと…』
「誰かの別名義って、事っすか?」
きっと、そんな気はしていた。
明平帝内の声を聴いた事があると、微かだがそんな予感はあった。
『たぶんな。ちゃうねん、テイダイ追ってもしゃーないねん。声忘れてるかナンカで出てこーへんからな。でもふつーに聴いてたんやから俺も知ってる声優やったはずや。けど今思い出さなアカンのはもう一人の方や』
「もう一人?」
『テイダイと喋ってた奴や。その番組のパーソナリティの、えーと。声がようけ変わる奴やねん!』
「声がよく変わるパーソナリティ??」
『えーとあれはなあ…声が変わる奴やったんは確かや。別のタイミングでそう思ったもん、俺が』
「ラジオの司会者っすか?」
『えーと、ちょっと一旦待て。絶対思い出すから』
ポヤッキさんは画面外、足元の冷蔵庫を開けてエナジードリンク缶の栓を開ける。
その間もポヤッキさんの目はキーボード辺りの一点に落ち、闇のように真っ黒だ。
(記憶術の天才だからな、この人は)
俺はポヤッキさんを急かさずに待った。
『今日ミオンは寝たんか?』
無言がキライなのか、何か話していないと気が済まない関西人気質なのか、記憶の再生中も口だけ動いて話しかけてくる。
「まだ練習してますよ。あとで繋ぎますか?」
『うん。最近ミオンと対戦してないからなあ。まあ、俺が勝つんやけどな』
「またコントローラーの調子悪いって言ってイラついてたっすけど、新しいの届いたみたいで、今日は機嫌良いっすよ、ははは!」
『アケコンか?俺がこーて送ったるわ。レバーレスのと、いつものと、二つな。予備にな』
「あざっす!レバーレス欲しいって言ってたから、めっちゃ練習すると思いますよ」
『俺、この時間常時待機してるからって伝えて』
「はい!」
『ついでにナンカ欲しいモンあったら…あ!思い出した!!』
ポヤッキさんの目に輝きが戻る。
「誰っすか!!」
『やっと出た!あいつや!二岡!二岡保や!!』
「え!?二岡保っすか!?」
意外過ぎる名前に驚いたが、確かに二岡保は専門学校を出て暫くの間はナレーション専門で、時々ラジオのDJのような仕事もしていたらしい。
『そーや!間違い無いわ!えーと…だからあれは、「ルージュ」や!テイダイは「ルージュ」に出てる誰かや!!年齢は二岡保より上で、声優歴も十数年前ってゆーか、十二年前の八月の、んーと…半ばくらい、その時点でかなり長い奴や!!』
俺とポヤッキさんは同時にキーボードを叩く。
「そうっすね!その六年前に俺が調べてる作品に出てるんすよ」
『二岡保が名前呼んでたはずやろうけどなあ、記憶に無いわ。結構ベテランのはずや』
該当するアニメ【ルージュ】の声優欄を見る。
「とすると、男だと、常盤基宏」
『川俣利秀…それから』
「林典隆、っすね」
『この中のどれかや、間違い無い。お前がゆってんのって、さっきのテイダイの深紅の檻なんやな?』
ポヤッキさんはマウスを動かして、多分【深紅の檻】のページを見直した。
「そうっす!!」
『御塚光瑠か、成る程な。俺も把握漏れしてたな明平帝内の事までは。御塚光瑠の事も、お前が三条司好きやったから誰かが同一人物やって言ってんのパクってお前に教えただけやったからなー。丁度ええダジャレ浮かんだしな。そっかーあのラジオの時に調べてれば今すぐ分かったのに…。テイダイの声忘れてるわー俺。十二年前のラジオやからなー。これ追うのちょっと難しいんちゃうか?』
ポヤッキさんは舌打ちまでしてまたマウスを動かす。
『で?該当者がこれか。うわーどれやったかなー!どれもそれっぽいやん!悔しい。何て呼んでたかなー!!クーラー壊れてなかったら覚えてんのにー。めっちゃ暑かったんやあの日。あーそうや、記憶に無いんやなくて、単純に名前聞いてなかったんや。水風呂何回も浸かってて…暑くて頭がいかれポンチになっててな』
「いかれチ…。けどすげー!!三人に絞れたっすよ!ポヤッキさんマジで神!」
『けど…ちゃんと聞いてなかったから分からんなー』
「そうっすか。でもかなりの収穫っすよ!」
『…もしかしてあのゲストは声優やなかったんか?』
ポヤッキさんが自信を無くしたのは初めてだ。
「声優やってて上がった誰かって、事っすか?」
『か、ドラマとかの俳優?んー、いやそんな感じのアニメちゃうかったけどな。だってここの一覧、俺は全員知ってるもんな』
「っすね」
『んー。お前ルージュ知ってるか?』
「勿論タイトルは知ってますよ。まだ見れてないっすけど」
『深夜の大人向けっちゅーか。渋いアニメや。軍人のアニメでな、敵が内にも外にもおるみたいな。見たほうがええで、ストーリーがクソおもろいから。て、なると、ラジオに出てたのは制作陣の誰かか?』
「あー、たまにありますもんね。それか…音響監督の大西幸人?」
『あ。そや、これも大西さんやったな。えーー?大西さん?ちょっと待てよ?いやーどうやったかな…大西幸人の声なら俺は分かるはずや。めっちゃ好きやったし。大西さんはもう声の方はせーへんって断言してはったし、表に出てくるタイプちゃう気がするけどな…。んーっとなあ…。でも全然あり得るよなあ。けどやっぱ林さんかな…。つーか声をまともに聞いてないんやから何とも言えんなー。ラジオで聴いたのは低い声やった気がするけど。でも林さんラジオなんか出えへんやろ?そもそも』
「ですね、俺は聞いたこと無いっすね…」
『俺も無いけどなあ。林、常盤、川俣って、今思うと豪華なアニメやったんやなルージュ。渋いわー。川俣さんも声低いよな?』
「そっす!出そうと思えばかなり低いはずっすよ。常盤さんではない気がするっすね。あのCDと声質が違った気がする」
『林さんやったかなー?川俣さんもラジオとかイメージ無いしな。うわーどうやろ。わっからんなー!』
「確かに。名前作ってまでってなると、この中なら一番林典隆の可能性はあるっすね。CDの内容的にもちょっと」
『ディープなんか?流行りのボーイズ・ラブってやつは』
「深紅の檻は超ディープっすね。それに林典隆がBL出たの、公式だとつい四カ月前のResetだけっすからね。主人公の一人の父親役で」
『あー、そうやな。あの人そうやな。俺からすると、大西さんの現場に林さんが参加してるってだけで毎回ウハウハもんやねんけど、お前ら若いモンには分からんわなーこのロマン。リアルタイムちゃうもんな、あのヒーローアニメ』
「見ましたよ俺も勿論!や、でもポヤッキさんの感動より薄いんでしょうね、俺の感動なんて」
『せや!お前らみたいなニワカちゃうねん、こっちは』
「うーわひでー!黄金時代はどの世代にもあるんすからね?」
『まー、せやな。認めたる。あはは。誰でも自分の世代が一番好きやな』
「俺は全部好きっすけどね」
『強いて言うなら三条の王子やろがい』
「っすね!間違いないっす!あははは!」
明平帝内の正体が林典隆なら、あの一作の為の名義だったなら、明平帝内が今存在しないのも頷ける。それにもし、現在「ふて場」で会っている常盤さんか川俣さんだったなら、三条さんのあの反応は少し不可解だ。
(やっぱり林典隆か…?でも声が違うんだよな…)
そうは言っても、林典隆の情報自体が先ず少ないのだから違うとも断言し難いところだ。
『BLっつったら、そのリセットってやつ、今みんなゆーてるやろ?しかも大西さんらしいやん。聴こうかな俺も』
「脚本も大西監督っすよ!原作は小野江マリナで。NACのメンバーが主役なんすよ。BLお初なら丁度いいっすよ?キャストもスゲー豪華だし」
『NACの誰?』
「YUJIっす」
『あー!あの子な。え?スゴイやんNAC。え?どういうコト?声優に混じってんの?三山ってナニモンなん?』
「…っすね。俺も最近、三山さんってホントにスゲーんじゃないかって思ってるところっすよ」
『なあ、ホンマ。謎やわーアイツ。まあ、まだ買える?そのCD』
「追加の予約販売なら二回目あるらしいっすよ。届くの来年っすけど。貸しましょうか?」
『せやなー、貸して。俺も流行乗っとかなアカンから。BLなー。何回か表紙くらいは見た事あるで?そないベッピンな男ばっかりおらんやろって。メルヘンやわー』
「あははははは!綺麗な男はいますけどね!」
『お前がゆーてんの全部あの王子の事やろソレ。どんだけやねんお前は。あ、YUJIか?あ!王子とYUJIでベッピンなカップル出来たやん!』
「ちょ、あははは!めんどくせーこの人!」
『何がやねん!けど、せやな、電車で横の女の子に毎朝スマホで熟女のエロ漫画読んでるの見られるくらいやったら、BL読んでて見られる方がマシやわ!ふははは!』
「ええ!?」
『だってガチの趣味バレる方が恥ずかしいやん!熟女とか書いてるけど読んでるお前もおっさんやん!って言われてまうわ!』
「あっははははは!!横の女の子にツッコまれるんすね!?」
『そうそう!恥ずかしいやん?だから流行りのBLにするわ、明日から。俺もシャレオツ男子や!CD貸してな!』
「あっははははは!!ヤベー!!ポヤッキさんがBLどハマりとかウケるっすね!」
『アホか。まあ、YUJIやったらおっさんの俺でも聴き良いわ。エロいなソレはちょっと。想像してまうやん?知ってるだけに』
「ははは!それっすね!俺も女の声優だと時々想像してますね!」
そう言いながら、御塚光瑠の作品には三条さんをガッツリ想像した俺だ。
「けどYUJIはマジでヤバイっすよ?一回聴いてみて下さいよ。相手役は青柳晃介っす」
(そう言えば、二岡保も出てたよなReset)
『え!青柳の若なん!?』
「せや…そうっすね。青柳さん自身はBLまあまあやってますけど、あまり好きじゃないって話っすね」
『らしいなー。てかそんなもん、好きか嫌いかって聞かれたら、全員がコレ仕事ですやんって感じちゃうん?知らんけど、ははは!テキトーゆーたけど。てか、関西弁出たやんお前、いま』
「はははは!!バレました?ポヤッキさんと喋ると関西弁になるんすよね!」
『アホやなー。まあ、借りて新しいこと勉強しますわ』
「はい。送ります。でもホント、ありがとうございましたポヤッキさん!流石っすねやっぱり」
霞が少しだけ薄まった気がする。
『んー、なんかスッキリせーへんなあ。もし誰がテイダイか分かったら教えろよ?KAI』
「はい。ポヤッキさんが分かんないネタに、俺が辿り着ければっすけどね」
『せやなー』
「せやなー」
『お前、毎回せやなーしか覚えへんやん』
「あはははは!せやなーが一番好きっすね俺。あ、あいつ動いた!美音に声かけますね」
『おー!眠かったら今度でええで。女の子可哀想やから』
「全然起きてますよ。朝までやってますから練習。強くしてやってください」
俺はポヤッキさんを姉に繋いで通話を切った。
ポヤッキさんと話すと、普段の倍は人と会話をした気分になる。
俺自身の言葉数はそれほど違わないのだが。
ベッドに一旦仰向けになって、ポヤッキさんとの一連のやりとりを頭の中で最初から一周した俺。
(二岡保、か…)
ポヤッキさんが言う通り、二岡保は色んな声が出せて演技も上手い。
(でも何でか影が薄いんだよな。俺も結構好きなんだけど)
ファンも多いのに、何故か良くも悪くもマニア間でも話題という話題にはならない不思議感が二岡保にはある。
(良い人感満載だもんな)
だからこそ話題にならないのだろうか。
スマホを見る。
「って事は、あとはYUJI、か…」
時計を見ると深夜一時。
(訊くだけ訊いてみるか)
現状では、手掛かりはもうYUJIしかない。
mimikoneを覗いてみたが、YUJIの配信は無かった。
しかしYUJIも普段は平気でこんな時間でも配信をしている為、特に気にせず電話を掛けた。
コールするが、直ぐには出ない。
(これは寝てるな)
そう思って切ろうとすると、
『はい』
眠そうな声だった。
「悪い、起こした?」
『KAI?あ…ちょっと待ってくれ』
ひそひそと話して暫く待たされた。
(一人じゃねーのか?)
『どうした?』
さっきより声が響いて、移動したのが分かった。
「ごめんな。あのさ、すっげー急なんだけどさ、YUJIって二岡保さんと連絡取れたりしないよな?」
『二岡保?何で?』
「あーと、ちょっと訊きたい事っていうか、別に俺と話して貰わなくていいんだけど。二岡さん本人の事でもないんだ」
『二岡さんの連絡先知らねー、俺』
「ああ!そっか!そうだったよな」
YUJIは【Reset】の豪華な共演者にサインすら求めなかった程、声優に興味が無い。
それ以前に、マニア同士ならまだしも、どうして二岡保にまでそんな話を訊けると思ったのか。
プロを相手に突拍子もない思いつきだった。
『KAI?』
俺は今やっと、自分がかなりこの一件に固執してしまっている事に気付いた。
(何してんだ?俺)
「あ、ごめんな急に。ありがとなYUJI」
『うん。もういいのか?って、何にもできねーけど』
「うん。サンキュ」
『あ…』
YUJIが急に、少し笑ったような気がした。
「ん?」
『あ、いや…。因みにさ、なに訊く気だった?』
「あー、うん。いや、いいや。何かあんまり良いことじゃないかも知れないし」
『気になるんだけど』
「あはは!えーと、明平帝内って声優知ってるかなって。二岡さんがその人と十二年前にラジオで共演してるはずなんだ。それで、ちょっとな…」
『声優?』
「うん」
『アキヒラ…?なに?』
「明平帝内」
『アキヒラテイダイ?って声優…かぁ…え…あ…え?』
「え?誰かいんの?」
YUJI以外の気配を感じた。
『ううん。あのさKAI』
「ん?」
『ソレ、調べるのやめた方がいいかも』
「え?」
『なんか、そんな気がするってだけ』
「あー…そっか。分かった。ありがとう」
『うん』
「明日授業?」
『そう』
「じゃあ、またそのうち三山さん家で。バイト先の人からYUJIのサイン頼まれてんだ」
『俺の?うん。分かった』
「じゃあその時にまた、おやすみー」
『おやすみ』
通話は切れた。
俺はもう一度時計を見る。
「……え!?YUJI、マジで彼女出来たのか?」
言いながら口を押さえる。
心配しなくても今ここにはポヤッキさんとの格ゲーに熱中する姉しか居ない。
「絶対に誰か居たよな…」
YUJIは気軽に誰かを部屋に泊めたり、泊まりに行ったりする性格では無い。寝ていたらしい様子からも、相当気心が知れた相手の筈だ。最近のYUJIが変わった気がするのは、その誰かの所為なのかも知れない。
(やっべ…ネックレス事件の比じゃねーぞ)
mimikone関係者にバレるのだけは良くない。
一つの謎が、全く別の角度の謎を呼んでしまった。
「かいー!」
姉が勝手にドアを開ける。
「なに!?」
心臓が跳ねた。
「ポヤッキさんからの伝言」
「え、なに?」
「誰か録音してるかもやでーきいて…ん?きいててといたる?でー。だって」
下手な関西弁を発する。
「マジ?…あ、けどなぁ」
さっきYUJIが言った言葉が引っかかる。
「あ、うん、わかった」
「はーい。寒ーい!」
姉はドアを閉めた。
(明平帝内。なんか、妙な感じだな…)
もう寝ようとベッドに入った俺はそのまま天井を眺める。
『たった今から、お前は俺のもんだ。楽しませてくれよ?』
明平帝内の声。
不運な主人公が惚れたのはカタギの男では無かったという、残酷で印象的なシーンだった。
(なのに心底から嫌な役じゃないのは、あの声のせいか…)
無慈悲にも他の男に貸し出しながら、その中に混じりながらも、一番三条さんの声の色香を引き出していたような気がする。
「誰なんだろ…」
地の底を甘さで引き摺るような、低くて癖の強い声だった。
(カッコいいよな、あの声…)
今も存在するなら聴かせて欲しいものだ。
(あれ…?)
一瞬だが、やはり自分の脳の中に明平帝内の声の記憶があるような気がした。
(やっぱり、どこかで……)
しかし、追えば直ぐに霞の中だ。
そして誘起されるのは、三条さんの部屋と、あの身体。
俺を見下ろしながら腰を跳ねさせた時の表情が生々しく蘇る。
『海…!』
名前を呼ぶ声にゾクッとした。
そして三条さんから抱き締められた時の感覚。
(やべ…)
血が集まりそうな感覚に身体を横向きにして目を閉じる。
あのCDを聴かされた日に一度触れてしまってからは、俺は三条さんに肉体的な興味まで持ってしまった。
あの人が男だという事も、一切がくだらないルールみたいにどうでも良くなって、「触れたい」とだけで突き動かされた。
あの瞬間までは、
俺は本当にただの「三条司マニア」だった。
いくら夢に見ていたとしても「会えたら嬉しいな」程度の純朴なものだっただろう。
それが、一歩どころかハイジャンプして、今日の事になった。
それでも、後悔が無い。
あの人との関係が未知なる方向へ拗れた事が、さも幸運かのように思えている。
同じ高校に通う、二つ上の学年の高嶺の花に手をつけた日の自分とまるで同じような昂りしか起きて来ない。
素直な欲望と、自分には勿体ないと思う緊張の。
そして今はあの頃よりももっと具体的に、手に入れたい方法を俺は知っている。
「あんなエロい顔、他の男にも見せてんのか…」
笑いながら困っていた三条さんを思い浮かべても直ぐ、あの曖昧な反応が逆に興奮させるのだ。
(妙に、緩いんだよな…)
時々牽制される。
大人の余裕と、冷たさで。
だが、三条さんの無敵のオーラは、どうやら常に完璧というわけでは無いようだ。
(あれじゃ、狙われるに決まってる)
俺でも簡単に気付いてしまえる荒い隙が、蜜なのだ。
フンと鼻であしらわれても、じっと下がって待てば、次はまた優しい。
だから、次のそのチャンスには、狡猾なこちらの思惑が勝ってしまう。
明らかに、エスカレートして。
そして何よりも奇妙なのは、何故俺がこんなにもあの人の事ばかり考えているのかという事だ。
俺は三条さんに、今日のあんな事まで出来てしまう。
(そっか、俺は)
今の俺はもう、ファンであると本人から認められる事よりも、
違った勲章が欲しいのだ。
(惚れてんだな)
きっとスタジオで、初めて向かい合って座った時には。
仰向けに寝返り打って吐いたため息には、賢い覚悟が混じっていた。
(しょーがねーよな、あの人なんだから)
ただ、その勲章は絶対的に手に入らないだろうから、俺の身体は本能に物を言わせて突っ走ったのだろう。
三条さんのあの無敵オーラに、最初からあっという間に屈服しての子供じみた仕返しだ。
「でも、自分から参りましたなんてだけは、もう言わねーからな」
一度は仕切り直しを考えたが、自分の気持ちに気付いたならば理由も無く退くなんて事はしたくない。
(出来るだけ長く、側に居られるように動こう)
それが俺の望みだろうからだ。
今はもう、雑誌やイベントで遠くから見ているだけじゃ無い。
隣で声を聴いて、香りも知って、肌の熱も知っている。
(出来るだけ、あの人の色んな顔を見たい)
俺が明平帝内を追う理由は、そこにあった。
「隠すからには、何かあるんだな」
可能なだけ紐解いて、その心理を見たいのだ。
「明日…俺に会って、どんな顔するんだろ」
◆三条 司
「とんでもないな…」
午前二時になっても俺はテーブルに居た。
さっきまで寝室で「ふて魔女アリス」のブイの確認をして、海の事はひとまず忘れようと努めたが、仕事となると集中してしまい、ここぞという場合でない限りは元々作り込んで現場に行くタイプでもない為、さっさと済んでしまった。
俺は今日、あの強烈な海に呆気なく飲み込まれた。
「とんっでもないな…アイツ」
何て事をするんだと、本日三杯目のコーヒーは濃い。
「…………」
海の雑誌を避けながら肘をついて、やれやれと溜め息を吐く。
「少し、掃除でもしようか。暇だからな」
午前二時にハンドモップを取り出して鼻歌なんかを歌いながら棚の前に立つ。
「…………」
(バカバカバカバカバカバカ!俺のバカーー!!)
俺は棚の前に崩れ落ちた。
(馬鹿なんじゃないのか!?でもシャワー浴びてた事だけは一つ賢かった!でももうこれ以上は「三条司」の崩壊は避けなければならない!ファンの為にも!!)
はあはあと肩で呼吸する。
「よし。良し、大丈夫だ」
立ち上がって棚にハンドモップを押し付けるも、ふと手を見る。
(あ、ちんこ?ああっ!違うモップですバカアーーーーー!!!)
つい力が入り、破壊神の如く棚の色々を盛大に薙ぎ払ってしまった。
またしゃがんで絨毯の目を見つめる。
アレは言えば、ただの紳士の遊びだ。
売り言葉に、買い言葉の。
サーブを打たれたらレシーブして返すのがルールのテニスの様に。
「そうだ。良し」
あの時の俺には引き下がるわけにもいかなかったし、何かを引き延ばすしか選択肢が無かった。
何故だか俺が呼び覚ましてしまったらしい衝動に駆られた若い男の生理現象に、出来る限りショックを与えずに家に帰らせてやる為の選択だった。
「そうだ、そうだった。最善だった。いや、最善ではなかったかも知れないが。大人の対応…だったかどうかも、ぶっちゃけ今はもう脳が死にそうだから、それよりはどうでもいいちっちゃな事んだけど。俺は、後はもう海の決断を待ってやれば良いんだ」
若い海が、これは何か違うと軌道修正するまで、この無敵キャラを貫いてやるしか無いのだ。
(そうだ。何が起ったとしても焦らず、沿わず、食わず、華やかに爽やかに通り過ぎる。それが三条司の美学じゃないか)
そして、後になって「あの人で良かった」と思わせる。
(あんな事したよな、なんて脅しも恨み言も、俺は絶対に言わない。うん、そうだ。スマートで美しくな。そうそう。あー、三条さんって大人だなーって、海が後で一人気づけば良いんだ。え?そうだろ?)
これを成せるのは38にもなった男の余裕だ。
いや、違うかも知れないが、38にもなれば多少の事で動じてはならないし、動じるわけにはいかない。
(焦る男は見苦しいだろ?)
そうやって何かしらの見当をつけようとするも、時々脳裏に海の目が浮かぶ。
まるで相手をしてくれと訴えるような、かと思いきや「やらかしますよ?」と悪戯に脅して来るような目だ。
そしてもう一つ、海の目を見ていると感じるものがあった。
俺はどうやら、あれに弱いらしい。
(元々いたずらっ子の犬は好きだしな!!)
「そうだ、起きてしまったんだ、慌てるな。海が俺に飽きるまで待つ。それが一番いい。デリケートな事だからな。若いのに俺のせいで不能にでもなられたら夢見が悪い。どうせ海は今頃、俺の事を謎の変態王子だとキャラ置きしてる、そうだ。見えた。それを貫いて、飽きるのを待ってやるのが丁度いい」
俺は下に落としてしまった色々を棚に戻しながら、モップをクルクルと無駄に上手に動かして隙間の埃をキャッチする。
(…俺はまともな人間だぞ!!畜生!!)
またしゃがみ込んで絨毯の目を数える。
「まあいい。俺が…誘ったんだ、うん。そうだ、良し!暇だからな。仕事が無いと暇なんだから、俺は。暇なんだ、とにかく」
また立ち上がって軽やかに掃除の続きをする。
(暇だったんだし、そうそう。良いじゃないか、大人の余裕でフェラくらい嗜んでも。なあ?)
あの後、ずっこけながら便所に走った海。
(若い時ってそんなに持て余したっけ?)
少なくとも俺は男に間違いなど一度も起こさなかった。
しかし記憶を辿れば持ち掛けたそうにしていた奴はいた。
(痴漢にもあったな…5回ほどな)
当然全て華麗にスルーだ。
「…不運な奴だな、海も。何で晃介の方に行かなかったんだ?」
古い雑誌を大切に保管していた海。
『ファンっていうか、マニアっすね』
テーブルの上にあった海が残して行った雑誌を棚の一番下に立てる。
確かに晃介は、海からは少し遠い憧れの対象だろう。晃介という男は口で言う程には先輩ヅラもしないのだが、当然のように若い者達が後をついていく。
同じように二人っきりになったとしても腕を回したりする対象では無いのだろう。
海にとって俺か晃介か、なら、少し手前に居たのは俺だったのだろう。
(ただ、そういう選ばれ方は好きじゃないな…)
こっちよりはこっち、という選ばれ方は昔から嫌いだ。
「にしてもだ、問題は海の奴だ。一体何故だ?実はゲイなのか?いや、でも初めてっぽかったしな…」
確かにそっちにも人気がありそうではある。
(若い脳ミソが、憧れとエロを履き違えたんだな。俺は…美顔だからなぁ。そうそう)
大きなため息を吐いてモップを振る。
すると、目の前に赤いCD。
【深紅の檻】。
『これホント、三条司マニアにはお宝なんすよ?』
赤い檻に閉じ込められた、御塚光瑠。
そもそもの原因は、このストーリーが健全なものでは無かったからなのかも知れない。
「刺激がキツかったか」
このパッケージを見てあんなにも喜んでいた海は、今日はもう聴こうとはしなかった。
「若い奴は、直ぐに飽きるからさ。自分も身に覚えがあるだろう?だから許してやってくれ、残念だったね。彼は今、君じゃなくて明平さんを探してるよ」
御塚光瑠。
格好悪い、と言って、十八年前のあのスタジオに生き埋めにして来た過去の俺だ。
ずっと俺自身に、その「回収」を拒まれている。
「そうか、この状況。やっぱり呪ったか…」
その赤いCDをそっと、他に紛らわせるように棚に立てる。
『三条さん…』
見上げて来る、海の光る目。
思い出した身体が少しゾワッとする。
「若いうちは、誰でも短絡的だ。そういう年齢だ。それは人のどうしようもない過程だ」
何かに反する物事なんかには特に強く惹かれてしまうような、危なっかしく奔放な探求心の塊だ。
海は今、丁度その年頃なのだろう。
(まあ…何とかなるさ)
とにかく大事なのは、
海が最後に「若かったんで」と、海自身に笑って言い訳が出来るようにしてやる事だ。
意味があると執われる。
俺と海の遊びには、意味が無い必要がある。
(最後まで、俺がマウント取ってやらないとな)
再びハンドモップをくるくると動かす。
◆竹山 海
翌日の朝。
「ああ、お早う」
三条司は、三条司だった。
薄いマフラーを外しながら目元と口元を微笑ませて、俺と西原さんの前を爽やかに通過して行った。
俺とも、目はしっかりと合った。
(マジか…)
何かいつもと違う空気があるだろうと思い込んで、緊張していた俺に残されたのは「PRIDE」の香りだけだった。
今の三条さんに、隙は全く無い。
(ホントすげー……)
軽い笑いが起こるくらい、完敗だった。
「カイ?」
西原さんに不思議そうにされる。
「あ、何でもないっすよ」
その後少ししてから青柳さんが来た。
「お早うございます」
「お早う」
俺達の挨拶にいつも通りに返した青柳さんだったが、
(え?)
青柳さんは何故かいつもより長く目を合わせて来た気がした。
話しでもあるのかと反射的に一歩追ったが、そういう事でもないらしく、青柳さんは他の皆んなにも挨拶をしながら録音室の角を曲がって行き、今日は先に廊下の椅子に座っていた常盤さんとの短い会話が聞こえた。
本当にほんの僅かな違いだった。
(何だったんだろ)
特に思い当たる節も無く、まあいいかと無意識に三条さんを見てしまう寸前、突然視界に入ったそれを掴んでしまった。
「おあ!びっくりしたっすー!お早うございます」
掴んだのは俺にスマホを見せるように立っていた栖本さんの手首だった。
「お早う、お早う」
栖本さんはスマホを翳したまま、マスク越しの小さな声で俺と西原さんにそれぞれ挨拶を返してから俺を見て言う。
「昨日、これ買ったぞ」
「え?」
スマホを借りて画面を見ると、レジ奥に栖本さんの写真を飾っているあの店の黒い本革のライダースジャケットの写真だった。
一目見た瞬間から、俺は一気にテンションが上がってしまった。
「え!!マジっすか!?買ったんすか!?めっちゃ高いっしょコレ!!」
そのジャケットはカナダのブランドのもので、凡ゆる場所に細々とデザインの入った、あの店の看板商品だ。中でも袖の加工が半端無くカッコいいのだ。
「シングルと悩んだんだけどよ、やっぱダブルだろ」
栖本さんは背面の写真もスワイプして見せてから、俺にスマホを預けてくれた。
「ダブルっしょ!うわぁ、ヤベエカッケー!!めっちゃイイ!!一生モノっすよ!!」
俺も店に行く度に毎回欲しいと思っていたのだが、簡単には手が出せない値段だった。
「まだもう一着だけ在庫あるって言ってたぞ」
「こことかヤベエ…」
俺は写真のあちらこちらを指で拡大しながら、細かなデザインを堪能した。
「うわー、マジっすか!」
栖本さんは少し照れながら俺が返したスマホを振る。
「ま、自慢?」
「あっはははは!!けどマジでシビレるっすね兄貴!」
「誰が兄貴だ。もっと褒めていいぞ」
スマホを覗く西原さんにも見せながら「こんな騒ぐほど何がイイのかわかんないだろ?」と笑う栖本さん。
確かに西原さんが好むデザインでは無いが、西原さんは西原さんで、
「でもカッコイイです。似合いそうですね」
と、憧れの先輩とのプライベートな会話に興奮している様子だった。
きっと値段が分からないだろう西原さんに俺が耳打ちした。
「ええ!?そんなに!?」
「おい!目玉落とすなよ!?」
西原さんがその大きな目を更にひん剥いたので、栖本さんは悪気無く咄嗟に西原さんの顎の下辺りに受け皿のように手を出した。
「すみません!」
西原さんも咄嗟に眼球を手で押さえる。
「ちょ!あはははは!!直に触ってますって!」
俺が慌てて西原さんの手を下ろさせるが、西原さんは頻りに目瞬きを繰り返す。
「うわー!しみる!」
「何やってんの。目薬しとけよ?バイキン入ったぞそれ」
栖本さんは西原さんを不思議そうに見ながらスマホをポケットにしまい、マスクを摘みながら俺に言う。
「ま、何かここぞってイベントでもありゃ、貸してやるからよ」
「え!?マジっすか!?」
「で、いつかは自分で買え」
「あざっす!!」
「しかも俺、貯金ってのにハマったわ。あ、書くなよ?貧乏くせーから」
「あっはははは!!」
栖本さんも笑って三条さんのテーブルに向かって行った。
きっと家計に響かせない為の小遣いを貯めての現金一括だったのだろう。ロマンでしか無い。
(マジでシブいぜ兄貴!!)
栖本さんのビッグニュースのお陰で、俺の精神はかなり救われたのだった。
『シュニック』
『お、エンビリアンか。どうした?俺今サッカーの途中なんだけど』
『……サッカーも宿題も結構だけど、俺達の仕事も忘れるなよ?』
『わあってるよ。溶け込むってのも大変なんだぜ?お前は保健室で寝てりゃ良いんだろうけどな』
『そんな簡単じゃない。ひ弱な人間はちょっと擦りむいただけで俺の手当てを渇望して来るんだから。一日中廊下に並んでやがる。オスまで来るんだ、とても苦痛だ』
『それはお前が目立つからだろ。言ったろ?お前は顔も変えろって』
『美しくないものは嫌いだ。まあ、ここの生徒は新しい薬の効き目を試すには丁度いいがな』
『薬?またやってんのか』
『大量の人間を自発的に細胞から魔物に変えるには、それなりに準備が要るんだよ。今はまだ手が鳥の足みたいになるだけだが、近々完成する』
『派手な事して俺のこの苦労を台無しにしてくれんなよ?何で俺が玉蹴って遊ばなきゃならねーんだ!』
『好きなくせに。それに実験は平気だ。ミスったら記憶を消して体も戻してる。それよりシュニック、エティリオ様が呼んでる。今夜俺の部屋に来い』
『エティリオ様が来るのか?』
『ああ、ギルディルクのヤツが妙な行動をとっているらしい』
『ギルディルクが?』
『きな臭いとは思っていたが…』
『おーい!ボールあったかー?』
『あ、おー!すぐ行くー!』
三条さんと栖本さん、西原さんが下がって、常盤さん、川俣さん、四方さんがマイクに立つ。
スムーズに進む収録だが、今日のモニターには、色が付く前の仮組みのアニメーションが流れている。
それでも原作の漫画のコマを思い出させたり、声がある事でアニメとして完成されたものを見ているようなシリアスな雰囲気を醸し出すのは、流石プロ達である。
『まさかこんな所におったとはニャ』
『マダム・ブーケは死んでいるの?お師匠』
『いいや、眠っておるだけニャ。しかしこの水晶…』
『マンマート、彼女をここから出せるのか?』
『うーん。ここは古い教会の地下ニャ。マダム・ブーケがここにおるのにはワケがあるのかもしれん。それに…どうしたものか…』
特に常盤さんが演じる黒猫のマンマートが真面目なトーンで話すのに合わせる川俣さんと四方さんの、空間の共有は見事だった。
青柳さんが俺に言ってくれた「場のノリ」は、今は黒猫のマンマートにあるので間違い無い。
(すげーな、やっぱ)
舞台である古い協会が、アリス達の近くで石ころ一つ動いただけでも大きく響くような静かな場所である事が分かる。
『何か気になる事でもあるのか?』
『いや…ニャンとも』
『お師匠?』
『とりあえず結界を張っておこう。暫し考えねばならん。ワシはもう一度白魔界へ戻るニャ』
『結界?それは駄目だマンマート』
『何故ニャ?』
『…君の力だと真の魔王がこの場所に気付くきっかけになるかも知れない。アリスにさせてはどうか』
感情の起伏の薄い、横に伸びるようなギルディルクの声は、このシーンでは特に効果的で、見ている者にギルディルクへの疑問を募らせるだろう。
他のキャラだとそれこそ怖いくらいの滑舌の良さを発揮する川俣さんは、このギルディルクにおいては時々鼻にかけて濁す。それが何をしても「怪しい男」を作るのだ。
『アリスに?それでは意味がないニャ。弱い黒魔術師ならともかく、この前現れたあの二人組にでも見つかればアリスの結界では破られるやも。もし真の魔王であれば尚更ニャ』
『なら下手に手を付けず、君が戻るまでこのままにするのが一番良い』
『うーん…』
『やっぱり何か気になってるのね?お師匠』
『君が気掛かりなのは、この水晶が緊縛であり、白魔術によるものだからだろう?マンマート』
『気付いておったかギルディルク』
『白魔術の緊縛?…ってことは、マダム・ブーケは白の魔術師に封印されたってこと?』
『そうなる。この水晶の質は間違い無く罰ニャ。マダム・ブーケが罰を受けたなどワシは聞いていない。今生きている者にその理由を知る者がおるかどうか……』
『今考えるべき事は、真の魔王に気取られぬ事、そしてこの水晶を解く方法だ』
『解く?ギルディルク、これは罰。そう分かって何故解こうと言うニャ?真の魔王がマダム・ブーケを必要とするのは白魔術への対抗策と言ったな?』
『ああ、そう思うのが妥当だ。エティリオはトワードとは違う。単なる仕返しで殺すだけのような幼稚な真似はしないだろう。必ずマダム・ブーケの力を利用する。人質か、あるいは、自分を凌駕する可能性のあった白の魔女の力を、自分に取り込むつもりでいるのだろう』
『であれば、尚更この水晶は必要ニャ。真の魔王とて、これを簡単には解けまい』
常盤さんは言葉を強めて、ギルディルクを牽制している。
『お師匠…何故?この水晶はそんなに強いものなの?』
アリスは女の声がギルディルクを疑えと言ってくる事を伝えてある黒猫のマンマートが、つい自分達の疑いをギルディルクに吐露するのではないかと緊張している。
『マンマート、今その事は重要では無い』
『いや。アリス、これはな。この水晶は、マダム・ブーケを罰したのは、白の魔女ニャ』
『…え?』
『ワシにも詳しくは分からん。だが、マダム・ブーケが何か罪を犯したのは事実だろう。これだけの長い間誰にも発見されずに隠されていたのは、この水晶の力がそれだけ強い証拠ニャ。真の魔王とて見つけられなかったのだ。解くわけにはいかん。いいなギルディルク』
『マンマート、私は協力者だ。君達の決定に背く理由が無い。そうだろう?アリス』
中黒さんがマイクに立つ。
《アリス…》
『……』
『アリス?どうした、腹でも減ったかニャ?』
《アリス、私よ》
『お師匠、私はもう少しここにいるわ』
『分かった。ギルディルク、ワシらはこの周りを調べておくニャ』
『ああ』
《アリス》
『あなただったの?』
四方さんのアリスは、心身の拠り所のようにマダム・ブーケに話しかける。
《私よアリス。でもあまり長く話せないの》
『マダム・ブーケ…どうして水晶に?』
《まずは、この水晶を解いてアリス》
『え?』
《これがあると満足にあなたとお喋り出来ないの…マンマートでも、今はギルディルクでもいい。この水晶を解くように言って》
『でも、この水晶は…』
《お願いよアリス…私を出してちょうだい。そうしたら、全て話すわ》
中黒さんのセクシーなマダム・ブーケの声で、この回は終わった。
『はい、OKです』
大西監督の声で一気に場の緊張が解けた。
『今回ガヤも無いので、このまま予告いきます』
続いて直ぐにモニターに映されるのは、次回予告。
『常盤さん、お任せです』
大西監督の言葉に、常盤さんが大西監督を見て笑う。
「はーい。監督」
すると常盤さんは一通り予告の流れを見た後、腕を組んでじろりと皆んなを見回す。
すると全員が常盤さんから目を外らした。
(あ!今回はアレか!?)
久しぶりにやってきた「ふて魔女恒例」である、ファンがニヤっとするお遊び予告だ。
(だいたいシリアス回の予告にぶっ込んでくれるんだよな…)
本来の予告では、基本的に黒猫のマンマート役の常盤さんが一人でナレーションを付けて終わるのだが、こうした「異例」の時は、場合によってはファンにまともなヒント一つくれない常盤さんだ。
だが急に来るこの「お遊び」がまた、シーズンⅠからの、ファンには堪らない「当たりの日」になってしまっている。
こういう日は他の声優が巻き込まれる。
「川俣君」
常盤さんが予告の台詞を川俣さんに押し付けた。
「宜しくニャ!」
川俣さんが予告の確認を始めると、他の皆んなは自分じゃなくて良かったと笑いながらマイクから少し下がり、川俣さんに注目する。
常盤さんに無茶振りされても、すっと応じる川俣さんには興味しか無い俺だ。
(あっさり受け入れたなー、川俣さん…)
『では、お願いします』
大西監督も当たり前のように始める。
明らかにシリアスな面持ちの次回予告のエンビリアンと、その部屋の窓の前で月明かりを背に立つエティリオ。
すると、川俣さんは突然、
『以前!エティリオ達がアリスに言った、おかしな事が起きているという謎の言葉!』
と、常盤さんの真似をした声で始めた。
(ちょっと!!)
ギルディルクで来ると思っていたみんなが、意外性にぐっと腹筋の爆発を堪えた。特に栖本さんは台本を顔の鼻から下に押し当てて、驚きで真っ赤になりながらもいつもの「はい!?」という顔で川俣さんを凝視している。
エンビリアンが人間界での姿から、少々肌色多めで妖艶に「お着替え」をする。
その間も、何故か川俣さんは『ニャ、ニャア、ニャ。ニャン』と常盤さんの黒猫のマンマートを探るように小さく声を出して、常盤さんが鼻を摘んで肩を震わせた。勿論その練習も全部マイクに入っている。
顔のアップで映るエティリオが目を閉じる。
『それは、エティリオ不在の内に何者かが魔王の杯を持ち出していた事だったニャ!』
シュニックが街を走っているシーン。
その後ろに闇から現れたギルディルク。
『再び人間界に戻って来たエティリオが、エンビリアンに明かした疑惑とは一体ニャンにゃのか!』
立ち尽くすエンビリアンの前でエティリオが目を開ける。
アニメで初出しの虹色の魔力を湛える目。
その間も川俣さんが『ニャン。…にゃ、ニャあ!!ニャ。ニャ!ニャ!!』と挟んで、みんなが口か腹を押さえる。
(その悪ふざけは待ってくれ!!)
次回のタイトルが出ると、川俣さんがすっと常盤さんを見て、常盤さんはあたかも今回もしっかりと予告のナレーションを入れたかのように、
『次回「アンパッサン」ちゃんと見るんだニャ!』
と締めた。
最後のニャ!を聴くと、川俣さんのそれが後半かなり本物に近付いていた事に気付いてしまうのだった。
今回の予告は、後からジワるシュールなものとなった。
『はい、OKです。あ、直しも無いので本日はこれで終了です。お疲れ様でした』
大西監督がさらっと終了宣言。
(ヤベーーーって!!)
俺だけじゃなく、川俣さんのファンも常盤さんのファンも死ぬほど喜ぶだろう。
すると常盤さんが思い出したとばかりに栖本さんを肘で突っついて、二人でニヤニヤと俺を見る。
「おい、喜んでんじゃねーぞ?」
栖本さんが言ってくる。
「ちょ!やめて下さいって!」
(バレるっしょ!!)
中黒さんと四方さん、そして井伊さんが「なに?」と一度俺を見るが、俺が「何でもないっすよ?」と手を振ると三人はさっきの川俣さんが面白かったので俺に構わずクスクス笑った。
「予告じゃそんなにニャンニャン言わないのにや」
常盤さんも今はもう「伯爵」である川俣さんに続いて出口に向かいながら「それで良し」の顔で笑っている。
「アンパッサンってそもそも何?」
栖本さんが青柳さんに言う。
「チェスのルールだ。な?」
青柳さんも出口の方向を向きながら、三条さんに振った。
「ああ、ポーンの特殊なルールだ。ギルディルクの事だろうな」
「ポーン?へー、そうなんだ?」
栖本さんは横にいた四方さんに「知ってた?」とついでに声を掛けたが、四方さんは「全然知りませんでした」と笑った。
(この、俺達何も悪いことしてませんよー的な空気な。好き過ぎる!)
そんな感動をしながらも、俺は今日の収録で常盤さんと川俣さんの声をいつも以上に集中して聞いていたが、どちらかが明平帝内だとしても全く判断が出来なかった。
(全然キャラが違うから仕方ないか)
普段の会話の声を聞いた方がまだ何か分かるかも知れない。
そうしていると、ドアを開けに行っていた西原さんが戻って来た。
「カイ」
「お疲れ様です。あきらさん」
「お疲れ様。あのさ、今日時間ある?」
「え?」
西原さんはくっくと笑う。
「俺、明日オーディションなんだ。シグナルポーチの」
「…え!?マジっすか!?」
俺は何故かドキリとした。
シグナルポーチとは、「ふて魔女アリス」に出て来る味方のキャラクターだ。出番はまだ先だが、ついにオーディションが行われるらしい。
普通なら先に配役を全て決めてから取り掛かるだろうアフレコだが、このシグナルポーチと、その相方のドルチという名のキャラクターも原作で人気があるせいか、敵キャラと同じくシークレット扱いだった。
そしてその二つの椅子はまだ確定していないらしいと言う事を、俺はこのスタジオに入ってから知った。
そしてその理由を西原さんから「噂」として「最初からシグとドルチ役は現場の雰囲気を見てから決めるつもりだったらしいよ。元々アリス達メインキャラ以外だと敵キャラに力入れてるアニメだしな」と聞いた。
勿論のこと、俺には何の通達も無かったが、声優の事務所には前々からそんな募集なり告知があったのだろう。
そのオーディションがついに明日行われ、俺の目の前に立っている西原さんが挑むというわけだ。
「すげー!ちょ、頑張って下さいね!あきらさん!!」
俺はオーディションに行くと聞いて、勝手に西原さんの身内気分で自分までドキリとしたのだろう。
「うん。頑張る。だから、景気付けにメシ付き合ってくれない?」
西原さんの大きな目が少しだけ不安そうに泳ぐ。
「え!?俺!?」
「って言うか、練習はずっとしてるのに段々と緊張してきてさ。他の友達にはオーディションの事言えないし」
「シークレットっすもんね?行きましょ!俺で良ければ!」
俺は西原さんを励まそうと思い頷いた。
「マジ?じゃあ俺一旦会社行くからさ、六時くらいにこの近くに居てくれる?電話するから」
「OKっす!」
「番号って、今言える?」
西原さんはメモ帳を出して俺を見る。
俺は直ぐにスマホの番号を教えた。西原さんは別のページに自分の番号を書いて千切り、俺にくれた。
「あざっす!」
「ありがと。じゃあ俺急いで会社行くから」
「はい!また後で」
「うん」
西原さんは笑顔で出て行った。
(シグナルポーチかよ!すげー!受かってくれあきらさん!マジで!!それで早くサインくれ!!)
祈る思いで録音室を見回すと、もう俺しか居なかった。
(あきらさんの声なら絶対いける!シグだよな、あの声シグだよ絶対!そうだよ!うわー、想像したらヤベ…)
乾いたような特徴のある西原さんの声が、原作のさり気なくも重要なキャラである天使のようなシグナルポーチの姿と重なって、まだ決まってもいないのに俺の期待は最早感動の域だ。
(色々声優の名前あげてたけど、シグはあきらさんだったなー)
納得して、さあ帰ろうと歩き出した時だった。
『あ、竹山君』
大西監督の声がしてミキサー室を見る。
「はい!」
『少し時間いいかな?』
俺を見ながら眼鏡を外す大西監督。
「はい!」
(何だろ。次から来なくていい、とか?)
俺は緊張しつつも急いでミキサー室に向かった。
「あ、お疲れ様です。失礼します」
俺は他の人達に挨拶しながら極力静かに中に入った。
「大西監督」
「ああ。座って、どうぞ」
手元の書類を簡単に避けた大西監督は、自分の横の椅子に来るように言った。
「はい」
俺は直ぐに座った。大西監督が椅子を回して俺の方を向く。
黒い薄手のニットの、その首ぴったりのハイネックが隙の無さを感じさせる。年季が入っていそうな腕時計もベルトはまだ新しく、きちんと手入れされているのを教えて来る。それが神経質な男のイメージをこの人に与えるが、さっきの予告でも分かるように、大西監督を一言で言い表すならば、神経質な男というよりは、それを突然あっさりと裏切る事のある、常にその腹に一物あるのか無いのかの「曲者」だ。
「うん、あのさ。君にちょっと頼みがあるんだ。明日の収録後空いてるかい?」
(良かった!!)
摘み出されるわけでは無さそうで安心した。
「はい!ガラ空きなので何でもしますよ」
「あそう?じゃあオーディションのスタッフやってくれる?」
「はい!え…オーディション、ですか?」
安心して調子良く頷いた俺だったが、オーディションと聞いて慌てた。
「うん、シグナルポーチ役のね」
「あ!!そうですよね!もう決まってないと駄目ですもんね」
西原さんから明日オーディションがあると聞いた事は、知らないふりをしておいた。
「そうなんだよねぇ。ギリギリでさぁ、んふふ。でさ、君は会場でドルチ・キーパーの台詞やってよ」
大西監督は何とも読めない表情でさらりと言った。
「え!?俺が…っすか!?」
「ガラ空きなんでしょうが。ドルチ役の声優が来てくれる予定だったんだけどね?日にち合わなくてねぇ」
(ドルチ・キーパー役はもう決まってるのか)
それはシグナルポーチと同じタイミングで登場するキャラクターだ。
「そうなんですね、喜んで!是非やらせて下さい!」
「うん。やってよ。これ台本ね。えーと、ここだ。この黄色のマーカー引いてある部分。これと、このページのここと、ね」
俺は眼鏡を掛け直した大西監督の鉛筆の先を目で追った。
「はい!ありがとうございます!」
そして大西監督は顎を引いてブリッジを下げ、レンズの無い位置から上目遣いで俺を見る。細い金縁の眼鏡は老眼鏡らしかった。
「まあ、君の思う通りでいいから。噛まないようにだけ練習はしておいてね?シグナルポーチのオーディションだから。相手がもし緊張して台詞を間違えてもそのまま続けること、君は絶対現場を止めないように。いいね?」
「はい!!」
「うん、じゃあ明日収録後に此処の一階でするから、ご飯は休憩中にきちんと済ませておくように。君は多分座ってる暇も無いから、この台本と飲み物だけ持ってね。宜しくね」
俺は大西監督の手から台本を受け取った。
「宜しくお願いします!」
「はい。じゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!失礼します!」
緊張と安堵を同時に感じながら廊下を歩いて広場への角を曲がると、
「海」
「あ、あれ?お疲れ様です」
三条さんと栖本さんが、丸テーブルに座っていた。
「大西さん、何だって?」
栖本さんが烏龍茶のペットボトルの蓋を閉める。
何故だか二人は俺が大西監督に呼ばれたのを知っていた。
「はい、明日のシグナルポーチ役のオーディションの手伝いを頼まれたっす」
「手伝い?君が?」
三条さんが身体ごと振り返る。
「はい。俺もびっくりしました」
やはりヤバイ事態だと俺はまた少し緊張するが、栖本さんは特にいつもと変わりない。
「で、何すんの」
「シグの台詞相手のドルチ・キーパーの役をさせて貰います。ドルチの声優さんが日にち合わなかったらしくて」
すると、
「ドルチ・キーパー?」
二人が声を合わせて言い、三条さんが栖本さんを見る。
「ドルチってもう決まってたのか?」
「あれ?俺もドルチはシグの……」
栖本さんも三条さんを見る。
「え?どうしたんっすか?」
二人は暫し見合っている。そして三条さんが俺を見る。
「海、今日空いてるか?」
「え?マジで言ってんの?」
栖本さんが三条さんを見て驚いている。
「え?え?あ、西原さんがシグナルポーチのオーディション受けるんで、景気付けにメシ行く約束してたんすけど…」
すると栖本さんが吹き出して笑う。
「馬鹿。のんびりしてんじゃねーよ」
「あ、いや、西原さんめっちゃ本気でしたよ?のんびりなんてしてないんで」
「ちげーよ、お前に言ってんだ」
栖本さんは俺をぴっぴと指差す。
「あ!俺っすか!」
「連絡しな、今日はパスだって」
三条さんがコートを羽織る。
「え?」
「じゃ、頑張って。俺帰るわ」
栖本さんは立ち上がって椅子を直す。
「お疲れ、哲平」
「お疲れ様でした!」
「へーい。お疲れ様ー」
栖本さんは軽やかなステップで階段を下りて行った。
俺はその視界を遮るようにして立って腕を組む三条さんを見る。
「え?」
「上着、着なよ」
「あ、はい」
俺は三条さんの車に乗せて貰う前に、西原さんにオーディションの手伝いを頼まれた事と、その準備で今日は行けないと伝えた。
西原さんは全く嫌な感じは無く、また別の機会に食事に行こうと言ってくれた。
ギリギリセーフの青信号を何度も通過しながら、三条さんは度々俺を見た。
スーパーカーの運転席が良く似合う。
「哲平の言う通り、のんびりしてるな、君は」
「あ…。あれ?俺手伝いだって言ってませんでしたっけ?俺のオーディションじゃないっすよ?」
「聞いたよ。手伝いって言っても、気楽にしていいものじゃないだろ?」
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「あ、勿論分かってます。ちゃんと本気でやる気っすよ?」
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「台本貰ったんだろ?どこやるか教えて貰ったかい?今からうちで練習するぞ」
「ええ!?」
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