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第一章
9 朝の攻防
しおりを挟む朝というものは誰にでも平等に来るものでして。
グラニエ公爵家嫡男ディオン様に侍女として仕えるわたくし、ルナリア只今朝っぱらから絶賛奮闘中。
「ディオン…さま。どうかお離しをっ…そして、直ぐに御支度下さいませっっ」
侍女の朝は早い。
御主人様が目覚める前にある程度の支度を準備し、目覚めのお茶の用意に時間を見計らって料理人が作った朝食を取りに行って部屋まで運ぶ。
そして、ティーセットの用意が済んだところでディオン様がお目覚めになっているか確認の為にディオン様の部屋のドアを鳴らした。
しかし、いつまで経っても返事はなく、呼びかけても返答がない。
「ディオン様、失礼致します」
学校に遅刻する方が問題になる為、私は一言断りを入れて部屋のドアを開けた。
そこには、未だベッドの中で眠るディオン様の姿があり、そばに寄って声をかけた。
「ディオン様、おはようございます。朝でございます。目をお覚まし下さいませ」
しかし、ディオン様は枕に顔を埋めたまま無反応。
困り果てた私は仕方なく身体を軽く揺すって起こすことにした。
だが、これが間違いだった。
身体を揺すると「んー」と呻いて寝返りを打つ。
それでも起きる気配がなく、再び揺すったところ布団から伸びた手に手首を取られ引っ張られる。
「きゃっ。…っ、せ、セーフ」
掴まれた手首は枕がある上の方に引かれた為バランスを崩してディオン様の上に倒れそうになるのを何とか反対の手をディオン様の顔の横について阻止した。
主人の上に倒れ込むなど目も当てられない失態だ。
危機を回避した事に安堵するも束の間。
今度は逆の手が伸びて来て腕が首裏に回る。
「ちょっ…」
首に回された腕に力が篭もり引き寄せられる。
眼前には私の視界を独占する程に近くなったディオン様の整った寝顔。
掴まれた手首は未だそのままだし、何とか片手で引き寄せられる力に抗う。
ここで冒頭へと戻り、私とディオン様の攻防が今現在も続いている。
「ディオン様、目をお覚まし下さいませぇえ」
そろそろ腕がやばい。
少しでも力を緩めたらディオン様にダイブ確定だ。
それだけは避けなくてはっ!
というか、なんで線は細いのにこんなに力強いのよ~~っ!!
「ルナリア…」
「えっ?きゃ、ンッ──」
一人奮闘していると、寝ているはずのディオン様から名前を呼ばれて一瞬気が逸れた。
その瞬間。更に強い力で引き寄せられてしまい突っ張っていた片手は肘を折って力勝負に敗北していた。
敗北した末路はディオン様の上に覆い被さることは確定で、唇が彼の柔らかいものと重なる。
急いで離れようとするも固定されて動けない。
「ディオ…んぅっ…ぁっ」
薄く口を開くと、口内に何かが侵入した。
唇を割るように捩じ込まれたソレは口内を蠢き犯す。
抵抗しようとするも呆気なく絡め取られる舌先。
時間にして数十秒だが、数分間とも思える行為に私の脳は茹だちすっかり脱力してしまった。
漸く首に回された腕の力が弱まり激しい口付けから解放される。
そして、同時に見開かれる双眸。
「おはよう。ルナリア」
水色の瞳が私を映す。
口元には薄く笑みが浮かんでいる。
謀られた!?
そう思うも既に遅い。
私は未だ彼の腕の中に捕らわれたままで。
「でぃ…ディオン様もしかしてっ」
「さぁな。起きたのは多分途中から」
しれっとそんなことを宣う。
あ、これ絶対最初っから起きてたやつだ。
漸く私を解放して彼は起き上がる。
少し肌蹴たシルク素材のバスローブから見える肌と寝起きで未だ若干眠そうな顔がやけに色っぽい。
文句の一つでも言ってやろうと思っていたが、思わず言葉を失って立ち尽くす。
「何。着替え手伝ってくれるの?」
「っ!?し、失礼致しますっ!!」
バスローブの帯に手を掛けた彼が未だ立ち尽くす私を見て一言。
我に返った私はこのまま此処にいれば本当に手伝わされ兼ねないと頭を下げて慌てて部屋から出て行く。
その途中、くつくつと喉を鳴らして笑う声が背後で聞こえた。
「…マスクが欲しい…」
ディオン様の部屋を出て思わず出た言葉がこれだった。
それから、数分して直ぐにディオン様は制服に着替えて出て来た。
その間に朝食を運んでいた私はソファに腰掛ける彼の前に朝食を置いた。
「ルナリア。放課後の迎えは生徒会がある時だけでいい」
「畏まりました」
彼なりの配慮だろうか。
生徒会が無い日に迎えに行くとなると、彼の教室まで行かなければならない。
そうなれば必ずと言っていいほど顔を合わせる事になるだろうアメリーとパトリス殿下。
生徒会でも殿下にはお会いする事になるがそれは仕方ない。
アメリーと顔を合わせなくて良いだけでも心持ちが違う。
「ありがとうございます…」
彼の配慮に小さく御礼を言う。
彼からの返答はなかったが、それで良かった。
食べ終わった食器を片付けて、食後の紅茶をお出しする。
長い脚を組んで優雅にお茶を嗜む姿は目の前に一流のハリウッドスターがいるような錯覚に陥る。
王子でも良いんだけど、前世の記憶を思い出した私にとってはこの表現が一番しっくり来るのよね。
それにしても、陶器のように綺麗な肌。
伏せたまつ毛は多分私より長い。
そして、形の良い唇。
あの唇に何度も口を塞がれ求められたのかと思うと自然と頬が熱くなる。
って、何を思い出しているんだ私は!?
ぶんぶんと頭を振って脳内の映像を振り払う。
すると、カップを傾けながら此方を見つめるディオン様と目が合った。
人差し指を立ててクイクイと私を呼ぶ。
何だか嫌な予感がする。
「御用でしたら此方でお伺い致します」
その場から動かずニコリと笑顔で返す。
一瞬だけ何時もの鋭く冷たい目に変わった気がした。
泣く泣く、私はディオン様の傍に寄る。
「もう出るからルナリアも用意しろ」
それだけ告げられた。
何かされるかもしれないと警戒していた私は拍子抜けもいいところ。
いや、何もされなくて良かったんだけどね!
私は鞄や必需品を持ってディオン様の元に向かった。
私の用意が終わった事を確認してディオン様は立ち上がる。
外に繋がるドアを開けて、ディオン様を待つ。
ディオン様はそのままドアを潜り私もその後に続こうとした時。
「忘れ物した」
「忘れ物ですか?」
「ああ。」
前を向いたまま言うディオン様に首を傾げ問いかけると彼の頷き後ろを振り返った。
チュッ
耳にする数度目のリップ音。
「さっき、物欲しそうな顔してたから」
それだけ言って彼は先に歩き出した。
一人羞恥に顔を染める私は帰ったらマスクを作ろうと心の中で誓った。
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