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七十億の嘆き
しおりを挟む大地を耕す老人。愛に飢え続ける若者。病気の我が子の幸福を願う母。
動かない手足に、老いゆく身体に、不治の病に嘆く人の願い。永遠の命を求める人々の乾いた指が重なり合う。瞑った瞳に溢れる涙。擦り合わせた祈りの先の、悲嘆と哀願の吐息を包む、眩い光の微笑み。
奈落の底を幻想の海に変える天の光。決して免れないはずの最期の扉は、固く閉じられた。
歓喜の叫びが世界に響く。地獄への恐怖を除かれた若者が愛す人々の笑顔。天に涙した母と子は、前を向いて歩き始める。鍬を握る手に力を込める老人の汗。
限りない時を与えられた人々が見上げる明日。限りある大地の上で手を取り合う人々。永遠の命に感謝した生物は、見えない最期に憂う事を止めた。
常に移り変わる畑を耕し続ける老人。無限の分裂の中でズレる骨。老いない体に訪れる痛みに、老人は首を傾げる。
事故で動きを止めた人の止まらない思考。脳が乾いても考え続ける赤子。山火事に焼けた子の煤けた指が、母の頬をそっと撫でた。
子を作らなくなった若者が育む愛の果て。分裂を続ける細胞に変わっていく身体。寿命の先の僅かな時間に動けなくなる人々。それでも死は、永遠に訪れない。
老人は不自然にへし曲がった腕で大地を這った。まだ僅かに動ける者たちが老人の後に続く。砂利に抉られ血の滲む、枝分かれした足の成れ果て。髪のない頭を守るために厚くなった皮膚の重み。歯のない口から漏れる黄土色の唾液。衰えない視力のみが老人の心を支えた。
移り変わる大地の果て。昼と夜が交差する空。魔女の家のほとりに辿り着いた不死の人々。
老人は声にならない呻めきを上げた。身体中の穴から赤褐色の汁が漏れる。
果ての魔女ロマは、地面を這いずる生物を見下ろした。黒い帽子に隠れる瞳。赤い唇に浮かぶ微笑み。使い古された鍬を壁に立てかける魔女。
「やあ、いらっしゃい」
板を繋ぎ合わせた簡素な小屋。背中を向けた魔女に声のない想いをぶつける人々。
「それは、無理さ」
扉を開けたまま、丸太の椅子に腰掛けたロマは首を振った。瞳の飛び出た老人は赤い血の涙を流して怒る。
「無理なんだよ、お前たちを殺す事は出来ない。お前たちは不死なんだ、つまり、神の領域にいるってわけさ」
老人の悔し涙。焼けた子の骨の欠片を口に含む母の嘆き。両目に穴の開いた手足のない少女が、魔女に問いかける。
「……ああ、それなら可能だよ」
歯のない少女の微笑み。悲しそうに肩をすくめる魔女。
立ち上がったロマは小屋の外に出た。魔女の後ろに流れていく世界。全ての人々に伝わる言葉。
「着いてきな」
ロマは前に進んだ。魔女の後ろを這う老人。身体のない人の想いをそっと引っ張るロマ。
遡る時は加速する。徐々に戻っていく身体。立ち上がった老人は走り出した。人々の歓喜が時空を超えてロマの耳に伝わる。
はっと目を覚ました老人。握る鍬の暖かさ。無意識に腕を上げた老人は、作りかけの畑に鍬を下ろした。病気の子の頭を撫でる母。若者は限りある愛の末に家族を作る。
病気の子は、病気と懸命に闘いながら、成長していった。やがて大人になった彼は、老いた母を抱きしめながら鍬を握る。青いハーブの畑。愛する人に出会った彼は、家族と共に静かに老いていった。
動き出した時間は止まらない。老いで動けない父を支える子に迫る老い。若い愛に飢え続ける孫。失明した夫を支える妻。終わらない仕事に、永遠の時間を願う大人。終わりを恐れる生物の終わらない思考。
果ての魔女ロマは地面を這う子供を見下ろした。
「……ああ、それなら可能だよ」
悲しそうに肩をすくめるロマ。思考を続ける子供は、魔女の表情に首を傾げる。
足を踏み出したロマの背後に流れる世界。
魔女の微笑みが、七十億と一回、不死になった生物を優しく包んだ。
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