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最終章
ヤナギの根本
しおりを挟む「アンタって、吉田ママに何か恨みでもあんの?」
睦月花子はそう眉を顰めると、手前に転がっていた人形を燃え盛る教室の中に蹴った。半ば呆れ果てたような表情だった。麗奈の行動、その全てが、もはや花子にとっては到底理解不能なものだったのだ。そのあまりの執拗さ、陰険さ、そして子供っぽさに、むしろ怒りや嫌悪感などは遠退いてしまい、逆に疑問が湧き上がってくる始末だった。
「どうしてそう思うのかな」
麗奈は視線を動かさなかった。いつの間にか手にしていた人形を胸の前に、その空色の瞳で、吉田真智子が走り去っていった校舎の西側をジッと見下ろしている。焼夷弾による火炎がそこかしこで赤々と揺らめいていた。
「ちょっとキモ過ぎだからよ」
「はいぃ?」
「やり過ぎだっつー話よ。親の仇でも普通ここまでしないわ」
麗奈は僅かに唇を歪ませると、そのまま右足を前に出し、崩れ去っていく戦中の校舎をゆっくりと歩き出した。花子と、そして長い白髪を後ろで結えた姫宮詩乃がその後に続く。凄まじい爆発音が絶え間なく彼女たちの周囲を轟いている。
「恨ませるための作戦だったって言わなかったっけ。それとも単細胞のゴリラさんには難しい話だったのかな」
「とっくに吉田ママはアンタの事を恨んでるじゃない。言っとくけどアンタのそれ、作戦の範囲を超えた執拗さよ」
「作戦の範囲って何? 君みたいなゴリラ女に私の舞台の何が分かるの? 感情なんて曖昧なもの、いくら積み重ねたところでやがては火に崩れる薪木と変わりないから。補強し続けるより他ないんだよ」
「じゃあどーしてアンタはいつまでも吉田ママを恨み続けてんのよ」
「だから!」
「ただ吉田ママを始末したかったってだけなら……まぁそれもおかしな話だけれど、それでもここまで大掛かりにする必要なかったでしょーに」
二人の背後を歩いていた姫宮詩乃はおやっと微かに表情を変えた。その鷹が如き鋭い目を見開いた老婆は、やや怪訝そうに、真下の校舎へと空色に瞳を動かしていった。
「あー、ほんとウザい」
そう呟いた麗奈の瞳の色が霞む。うっすらとした灰色である。左の頬に薬指を当てた彼女は深く息を吐き出すと、ギュッと人形を胸の前に抱きしめた。
「ゴリラ女と話してる時間なんて私にはないから」
「あるじゃない」
「ないの! だって君は役者じゃないから! 部外者がこれ以上しゃしゃり出て来ないでよ!」
「はあん? 私だってアンタみたいな陰気モブウサギと関わり合いたくなんかなかったわよ! たく、こっちはただ巻き込まれてるだけだっつーの」
「なら早くどっかに失せろ!」
「もう関わっちゃってんのよ! 今さら後には引けないわ!」
麗奈の視線が微かに動いた。一瞬、二人の視線が交差する。すぐに視線を西側の校舎に戻した麗奈は、アッシュブラウンの髪をイライラと掻き乱すと、はぁっと大きくため息をついた。
「恨んでたのは私じゃない」
そう小さく声を落とした。
花子は焼け崩れてきた壁を軽く押し除けた。さらに足元の炎を蹴り払うと、興味深げに右の眉を上げてみせた。
「じゃあ誰が恨んでたのよ?」
「白崎英治」
瞳の色がまた微かな灰色に濁っていく。
麗奈はそっと目を瞑った。それでもその歩行には一切の迷いがなかった。まるで炎の揺らめきさえも予め見てきたかのように、左の頬に手を重ねたまま、爆撃と熱風に赤い校舎を滑らかに歩んでいくのだった。
「へぇ、聞いた名ね。白崎英治って確かあの荻野新平の親友じゃなかったかしら。この夜の校舎を未だに彷徨ってるとかいう」
「誰に聞いたの、それ?」
「八田英一よ、ほんとアイツは良い男だったわ、あのクソ八田クソ弘の息子とは思えないくらいにね」
花子はといえば普段通りである。ノシノシと麗奈の横を闊歩し、降りかかる火の粉になどには目もくれない。ただ、時折、後ろを気にする素振りを見せていた。
「あはっ、ウケる。部長さんってあんなのが好みなんだ」
「残念ながら私に男を選り好みするような趣味はないわ。ただ、八田英一みたいに真っ直ぐな男は嫌いじゃないってだけの話よ」
「選り好みって、異性に対する好き嫌いは人としてごく自然な感情だと思うけど。まぁ部長さんはその辺に疎そうだもんね」
それまでとは打って変わって楽しそうな声色である。左の頬から手を離し、そうして口元を隠した麗奈は何やらニヤニヤと、上目遣いに花子の瞳を覗き込んでいた。
「私の事なんざどうだっていいのよ」
花子は「はん」と鼻で息を吐き、そっぽを向いた。
「んなことよりもアンタ、その白崎英治が一体どうしたってのよ。まさか知り合いなの?」
「まさか」
「なら白崎英治が吉田ママを恨んでるかどうかなんて分かりっこないじゃない」
「それが分かるんだよ。何故なら白崎英治はとっくに死んでるから」
「はあん? 死んでるっつーんなら余計に……」
「私は幽霊が見えるの」
麗奈はそう言って、左目の涙袋を軽く下に伸ばした。ベーと赤い舌を出してみせる。まるで青い満月のように空色の瞳が浮かび上がって見えた。
「だから白崎英治のことは何でも知ってる。何でも。最高の親友に裏切られ、最愛の恋人に裏切られ、一人寂しく、暗い地下室でまだ若いその一生を終えた──本当に哀れな少年だった」
麗奈はすぐに表情を変えた。憎々しげに、寂しげに、その瞳を仄暗い灰色に翳らせていった。
「親友って荻野新平の事よね。で、恋人が吉田ママかしら。一体何を仕出かしたっての?」
「浮気」
「浮気ってアンタね……」
花子はやれやれと肩に落ちた火の粉を払った。そうしてまた背後の様子を確認する。先ほど生徒会室の方に向かったであろう二人の様子が多少気に掛かったのだ。
「そもそも白崎英治の恨みをアンタが背負う必要なんてこれっぽっちないでしょーに」
「私たち巫女は他者の魂を体に降ろすことが出来る。そうして降ろした魂に残された記憶、その最も強い感情を継承する。あの時、千夏がここに忍び込もうとして──あれ以来だった。私と彼はあれ以来、一つに同化してしまった。白崎英治の記憶と感情は拭い切れない私の人生の一部となった。いいえ、むしろ私は女だったから、彼と違って吉田真智子も荻野新平も近しい間柄ではなかったから、だからかな、恨みばかりが濃く深く強くなっていった。ううん、それとも、やっぱり生まれ付きそういう性格だったのかも。私って昔から本当に陰気で、未練がましくて、嫉妬深くって……。なのに王子って……あはっ、マジ受ける。あはは、あーほんとおっかしー。もしかして部長さんのそれ、野生の勘ってやつ? ほんと部長さんの云うとおりだよ。恨んでるのは私の方でした。あはは」
それはまさに燃え盛る校舎にふさわしいような乾いた笑い声だった。瞳の色が空色から栗色へと様々と揺れ動いていった。
花子は腰に手を当てると、はあ、と大きくため息をついた。
「別に陰気だろうと何だろうと性格なんてどうだっていいじゃない」
「はい?」
「アンタってほら、あー、一応は超美人に生まれたわけだし、あと、演劇だったかの才能もあるらしいし、しかも幽霊まで見えちゃうわけでしょ? 最高じゃないのよ」
麗奈は「何それ?」と怪訝そうに眉を顰めた。そうしてすぐにそれが花子なりの気遣いであったと分かると、途端に顔を赤らめた麗奈は人形を炎の中に放り投げ、肩を抱くようにしてギュッと胸の前で腕をクロスした。
「うわーっキモいキモいキモい! 部長さんマジキモ過ぎ! 思考も性格も求愛行動もゴリラ以下のウホ女のくせに! アメーバの単性生殖と白鳥の求愛行動の違いもわからないようなウホ女のくせに! 最高? 何それ? マジキモ過ぎだから! てか、私もキモ過ぎ! もー皆んなキモ過ぎ!」
「わーったっての、ならもう皆んなキモくっていいじゃない」
「よくない!」
「んな事よりもアンタ、これからどーすんのよ? 学校燃えちゃってるけど、アイツらは大丈夫なの?」
燃え崩れた柱をピョンと飛び越えた花子はまた背後を振り返った。何やら難しい表情をした姫宮詩乃が彼女たちの背後で白い髪を流している。頬に薬指を当てた麗奈はやっと瞳を空色に澄み切らせると、視線を斜め下に、深く息を吐き出した。
「違う時代にいるから大丈夫だよ。巫女とヤナギの霊以外は万が一にもここまで辿り着けないから」
「あの変態と、つなぎ着た背の高い男の話よ。さっき生徒会室の方に走ってったでしょ?」
「走って行かせたの。アイツらも違う時間帯にいるから大丈夫」
「ふーん」
花子はおもむろに階段の隅に転がっていた簡素な人形を手に取った。赤黒い炎に包まれていたにも関わらず白い艶を保っている。
「てかさ、この人形って結局何だったの? あ、もしかして吉田ママって極端な人形嫌いなのかしら?」
「なわけないじゃん、アレの恐怖の根源はこの空襲だよ。てゆーか普通の人だったらこの音と衝撃と地獄の光景に発狂しちゃうと思うんだけど、部長さんってやっぱりゴリラだから、その辺の感情に疎いのかな?」
「たく、ゴリラほど繊細で臆病で心優しい生き物は他にいないっつの。で、この人形はいったい何なのよ?」
「それは私の記憶だよ」
「どういう意味?」
「この夜の校舎はヤナギの木の精神空間、山本千代子から連なる歴代のヤナギの霊たちの記憶で構成された世界、つまり記憶こそがこの校舎を司る最も重要な要素となる。お分かり、ゴリラさん」
「あー、つまり本来ならこの校舎にはなかった自作の人形をばら撒くことで、この校舎の記憶そのものをアンタのものにしちゃったってこと?」
「うーん、正確には私の記憶をごく僅かにヤナギの記憶に織り交ぜたってだけの話だけど……。え、てゆーか、この校舎がヤナギの精神空間だって話には疑問を覚えないの? え、もしかしてゴリラだから?」
「徳山吾郎と憂炎が似たような話をしてたのよ。戸田和夫とかいう伝説のヘボ男から聞いたんですって」
「何それ、ウザ過ぎ」
「まぁ実際んところ意味分かんないことばっかだけど、へぇ、記憶を織り交ぜるってのは中々面白いアイデアじゃない。それでその後はどーすんの?」
「どうするって、このまま空襲でアレを焼き滅ぼすだけだけど」
「そんだけ? 他に作戦があるわけじゃないの?」
二階の廊下で激しい爆発が起こった。木屑とガラスの混じった炎が壁に突き刺さる。
さらに花子たちの手前の天井が崩れ落ちた。熱風が周囲に炎を広げる。無数の火の粉が羽虫のように飛び上がる。だが不思議と呼吸が苦しくなることはなかった。全身に火傷を負った三人はそれでも表情を変えることなく、空襲に崩れ掛かった戦前の校舎をゆったりと進んでいくのだった。
「それで十分じゃん。アレは炎の檻の内側にいるの。もう逃げられないの」
「いや、なんてゆーか、アンタの作戦にしてはちょっと単純過ぎない?」
「単純……? 今部長さん単純って言った?」
ローズピンクの唇が怒りに歪む。麗奈はさも不快げに、ジャージの裾に振り掛かった灰を何度も何度も叩き払った。
「もうすでに化け物のテリトリーに囚われてる状態で、まともな武器も人も集められないような状況で、これ以上いったいあの化け物に対してどんな作戦が立てられるっていうのかな? かな? そもそも私が練りに練った最高の舞台をめちゃくちゃにしてくれたのって君だよね? 君だよね? ねぇ、早く答えてよ? このバカ! やっぱり責任とって自殺しろこの大バカ!」
「だからわーったっての、アンタの舞台だか何だか知んないけど、めちゃくちゃにして悪かったわね。てかさ、逃げられたらどーするつもりなのよ?」
「だから逃げ場なんかないってば!」
「あるじゃない。旧校舎の広場とか」
「ああ、防空壕の話? 確かに戦後なら防空壕から一応外に出られるけど、ここからじゃ無理だよ。だってまさにその防空壕が火の海に沈んじゃってるわけだから。てゆーか部長さん、そんなことまで知ってるなんてマジキモ過ぎて鳥肌立ちまくり」
「いちいちうるさい奴ね。なら家庭科室からはどーなの?」
「そんな所に逃げ場はありませーん」
「そう? 確か私って前回、家庭科室からここを抜け出した筈だけれど?」
「何そのあやふやな感じ。どうせ夢でも見てたんでしょ」
「夢なんかじゃなかったわよ。家庭科室で皆んなでコーヒー飲んで、確かに眠くはなったけれど、そのまま目が覚めたら現実世界だったわ」
「何をやっておるんじゃ、あの子らは……」
背後で声がした。
花子はそっと後ろを歩く白髪の老婆の様子を伺った。姫宮詩乃はその空色の瞳を見開き、やや怪訝そうな表情で、半開きの唇を白く乾かしていた。
「コーヒー?」
麗奈もまた怪訝そうに首を傾げた。花子の言葉に引っ掛かるものを感じたのだ。壁際でチロチロと揺れる小さな炎を見下ろす。そんな赤い影からコーヒーの白い湯気を連想する。麗奈は、キザキと呼ばれる陰気な男が好んで飲んでいた、その香ばしい匂いをジッと思い返していた。
「コーヒーよ。ええ、そうだわ。コーヒーを飲めば現実の世界に戻れるのよ、きっと」
「それは……あり得ないよ。もしそれが本当なら真っ先に試みようとする筈だし。でも、吉田真智子はさっきから火の海を逃げ惑うばかりでそんな素振りは一切見せていない。だから絶対にあり得ない」
「なら、試してみようじゃない」
「吉田真智子を始末してからね。その後でなら幾らでも試させてあげるよ」
空色の瞳に冷酷な影が宿った。ローズピンクの唇に赤い光が反射する。
花子はムッと腕を組むと、そんな彼女の瞳を真横から覗き込んだ。
「アンタって確か王子って呼ばれてるのよね」
「それがどうしたの」
「白崎英治も王子ってあだ名だったのかしら」
「そうだね。それでどうしたの」
「いや、どーして王子って呼ばれてんのかなって。どういう基準なの?」
「気まぐれだよ。お姫様たちの──ヤナギの霊たちの気まぐれ。こんな言い方はしたくないけど、別に紗夜を否定したいわけじゃないけど、彼女たちは王子と生まれ変わるという妄想を信じ切っていたから、そういう記憶を精神に植え付けられてしまってるから、だから彼女たちは本能で王子を選んでしまうの。私と白崎英治はただ彼女たちに選ばれただけ。偶然、そういう運命に縛られてしまったというだけ」
「本当に偶然なの?」
「さっきから部長さんは何が言いたいのかな」
麗奈は立ち止まると、花子の瞳を正面から睨み返した。
「あの木崎隆明も王子って呼ばれてたんでしょ? それも偶然なの?」
「キザキが……?」
「そうよ、知らなかったの?」
「……村田みどりは頭がおかしかったから。親戚から同級生、先輩、後輩、教師、果ては道を歩く他人まで、目に付く男全てを王子と呼んでたような気狂いだったから。たぶんキザキ本人がそれを強く否定しなかったってだけの話で、村田みどり的には誰が王子でも良かったんじゃないかな」
花子はポリポリと頭を掻いた。確かに木崎隆明という俯瞰した少年が村田みどりの妄想を否定する姿は想像できなかった。ならばやはり偶然なのだろうかと、それでも何か引っ掛かるものがあると、麗奈の瞳から視線は外さなかった。
「なら吉田少年はどうなるのよ? あの子も一応王子って呼ばれてるらしいけど、つまりは姫宮玲華がヤナギの霊だったってわけかしら。てか、同世代に二人も王子がいるなんて、ちょっと変じゃない?」
「あの頭の弱い魔女はこの街の生まれじゃないから。吉田クンは小学生の頃から王子って揶揄われてたらしいし、彼の場合は本当にただの偶然だと思う」
「吉田少年の母親が吉田ママなのよ? それが偶然だなんて本当にあり得ると思う?」
「じゃあ吉田真智子が吉田クンに王子ってあだ名を付けたのかもね。ほら、一応母親だし」
「うーん……」
花子は小さく唸った。やはり何かモヤモヤとした疑問が胸の内を離れなかった。
「てか、ちょっと話は変わるけど、私の知り合いに清水京介って変な男がいるよ」
「それって髑髏のタトゥーを入れた長身の男?」
麗奈はアッシュブラウンの髪に掛かった灰を払った。
「そう、それ」
「あいつがどうかしたの?」
さも興味なさげに首を傾げてみせる。だが、瞳を翳らせる怒りは隠せていない。花子と共に舞台をめちゃくちゃにした清水狂介の存在もまた麗奈にとっては許せないものとなっていた。
「あの男、かなり頭が逝かれててね、なんかこう……洞察力? みたいなのがそれはもう凄まじくって、いや、ほんとマジで」
「それで」
「その清水京介が少し前に言ってたのよ、そもそも根本を違えてるんじゃないかって、つまり私たちの考え方が」
「根本……?」
「そうよ。どうしてヤナギの霊が複数いるのかって、首を傾げながらね」
「それはその男が記憶の連鎖を知らなかったからじゃないかな?」
「どうかしら。それを知った上での疑問だったような気がしなくもないけれど」
「ならいっそ吉田真智子に聞いてみたらいいよ」
「吉田ママなら王子について何か知ってるっての?」
「知ってるも何も、吉田真智子こそが王子の名付け親であるヤナギの霊じゃん。まぁ、それも風前の灯だけどね」
そう言って、うっすらと笑った。今や三人の歩く一階の校舎は竈の中のように全体が赤く燃え上がっている。いつ火の海に崩れ去ってもおかしくはない。それでも壁際に並んだ人形たちは未だ暗い静寂を保っていた。
「正直さ、私もう飽きちゃった」
天井が崩れ落ちる。炎が壁のように校舎全体を覆っている。
「王子様だとかお姫様だとか、戦争がどうのこうの生まれ変わりがどうのこうのと、永遠の夜なんて私にとってはどうでもいい話。ただこのヤナギの木と、新種である吉田真智子の存在だけは放って置けないから、アレが魂のみの化け物となって人類を滅ぼす前に、この場で滅ぼさなきゃならないから。私の望みはただそれだけ」
麗奈の視線が一階の校舎の奥に向けられる。炎と煙の先には恐れ慄き逃げ惑う怨霊の姿があった──。
花子は肩を落とすと、隣を歩く麗奈よりも先に、燃え盛る講堂に向かって大きく足を前に踏み出した。
「なんとかハッピーエンドを迎えられないものかしらね」
「いかんッ!」
老婆の低い叫びが、突然、燃え盛る校舎に響き渡った。
花子と麗奈は驚いて後ろを振り返ってしまう。
それまで静寂を保っていた姫宮詩乃が長い白髪を炎の中に振り乱したのだ。老齢の巫女は二の句も告げず、一目散に、講堂に向かって駆け出していった。
「ちょ! どうしたっつーのよ!」
花子は慌てて老婆の後を追った。
麗奈もまた足を速めた。吉田真智子にのみ当てていた視野を少しだけ広げてみる。そうして麗奈は唖然としたように目を見開いた。
「何してんの、アイツら!」
戦中の生徒たちとは毛色の違う者たちの姿をその空色の瞳に捉えたのだ。
それは姫宮玲華を先頭に過去を変えようと動いていた八人の少年少女たちだった。
彼らは今まさに、ヤナギの霊である吉田真智子と同じように、麗奈の仕掛けた舞台の上で、無情の大炎に呑まれようとしていた。
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