王子の苦悩

忍野木しか

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最終章

人間らしさ

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 鋭い発砲音が旧校舎の広間を反射した。それ対して魔女たちの反応はあまりにも怠慢だった。
 始まりの魔女の一人であるロキサーヌ・ヴィアゼムスキーが血を撒き散らし倒れようとも、二人の魔女は見向きもしない。永劫を生きる魔女には当然人にあるべき本能というものが欠けてしまっていた。その為、小野寺文久の右手の拳銃が夜闇に構えられようとも、ジュリー・ヴィクトリア・コリンズは気怠げなため息をついたのみだった。
「撃ちなよ」
 その声を掻き消すように銃声が轟く。
 銃弾が貫いたのはジュリーの頭部ではなく少女の薄い腹だった。
 ジュリーはドサリと膝を付くと、撃たれた腹部を片手で押さえながら、乾いた笑い声を上げた。
「は……ははっ、バーカ、お前なんか最初から信用してなかったっつの……クソ人間!」
「なら何故避けようとしねぇ」
「避ける? なんで私が人間ごときを避けなきゃいけないの?」
 ジュリーは薄ら笑いと共に文久を見上げた。腹部から流れ出る血が指の隙間を縫い、少女の白い太ももを真っ赤に染め上げていく。だが、どうにも致命傷は避けているようで、ジュリーにはまだ呼吸を整えるだけの余裕があった。
「君こそ、随分と余裕じゃん。頭じゃなくてお腹を撃つなんて……私のこと舐めてるでしょ。それとも、そういう趣味なのかな」
「目的はロキサーヌだ。テメェらはおまけなんだよ」
「はいぃ?」
「ジュリー、まさかテメェ、まだ自分が死なねぇとたかを括ってんのか」
「君はいったい何を言ってるのかな」
「魔女って奴はどいつもこいつも哀れだぜ。まったく間抜けで、卑小で、愚図で、見てられやしねぇ」
 ジュリーの瞳に一瞬、憎々しげな青い炎が宿った。少女は頬を歪めると、魔女の声を伸ばそうと唇を紅く煌めかせる。そうして喉元にまで出かかった声を口の内側に押さえ込むと、フッと表情を緩めた。
「文久くんってほんと面白いよね。尊大で、明敏で、傲慢で……今どき君みたいな人は珍しいよ」
「おいジュリー」
「ここは不思議なところだけど、そんなの私たちには関係ないから。たとえ深海だろうと、宇宙だろうと、そこがこの世とあの世の狭間であろうと──私たちは次の器に辿り着ける。だから文久くん、覚えといてよ。絶対にまた君に会いに来るから、その時は……」
「魂が触れられる物って何だ」
 その質問に、ジュリーは怪訝そうな顔をした。チラリと白銀の銃口を見上げた少女は、文久に向かってほっそりと薄い黄金色の眉を捻った。
「今度は何の話?」
「魂に触れる物さ。壁をすり抜け、空を飛び、肉体に乗り移る。およそ物理の法則に縛られていないように思える魂を縛れる物ってのは何だ」
「そんなの、あるわけ……」
「この銃弾は銀で出来ている。ロキサーヌの額を撃ち抜き、お前の腹部を貫いたのは、銀の銃弾だ」
「あっ……は……?」
 ジュリーはポカンと目を丸くした。
「ははっ……あははっ!」
 そうして高らかな笑い声を上げると、激しく咳き込んだ。白い肌が鮮血に赤黒く染まっていく。
「バ、バッカじゃ……ないの? 銀って、あはっ……。文久くんってほんっと最高」
 ジュリーの側に立っていたサラ・イェンセンは先ほどから指一つ動かさずジッと目を瞑っていた。戸田和夫は静観を決め込みながら、吉田障子と大野木紗夜を背後に隠していた。
「もしかして、童話とか信じちゃってる感じ? 狼男にフランケンシュタイン……あははっ、ヴァンパイア! うん、君には銀と十字架とニンニクが似合ってるよ」
「ああ、俺は童話が好きだぜ」
 文久の口角が上がった。不気味な王の笑みだ。ジュリーは僅かに表情を変えるも、それでもニヤニヤと馬鹿にしたような目付きで、文久の顔を上目遣いに見上げ続けた。
「ねぇ君、頭大丈夫?」
「この銃弾──正確には純銀だ」
「純銀……?」
「別に金でもよかった。それが純粋な物質であるならば、純金の銃弾でも、高純度鉄の銃弾でも、何だっていいのさ」
 文久は右手を掲げた。右手にはまるで初めからそこにあったかのように透明なフラスコが握られており、水がゆらゆらと月夜に薄い影を作っていた。
「これは純水、正確には精製水、言ってみりゃ聖水だ。世に伝わる伝説ってやつは意外にも馬鹿に出来ねぇ。こんなもんが悪魔祓いに有効だったりするのさ」
 そう笑って、フラスコの中身を手前に振り撒いた。ジュリーは青い目を見開くと、それがまるで真っ赤に燃え盛る火の粉であるかのように、撃たれたばかりのお腹を押さえながら左腕で顔を庇った。
「どうした。ただの水だぜ」
「き、気持ち悪いんだよ。早く殺せ!」
「そうか、いいんだな。テメェはテメェの目的を諦めるんだな──」
 文久は目を細めると、厳格な王の表情で、ジュリーの額に銃口を向けた。やっと表情を強張らせたジュリーは口元の血を拭い、浅く息を吐き出した。
「“動くな”」
 拳銃を前に構えたまま文久の体が硬直する。ジュリーはハァハァと息を乱しながら、何とか彼から離れようと床に体を引き摺っていった。
「魂は純物質を抜けられない」
 ジュリーはハッと体を凍り付かせた。気が付けば目の前にあるはずの彼の姿はなく、文久はジュリーの背後から彼女の頭部に向かって銃口を構えていた。
「純物質に対して魂は器と同じような反応を示す。たとえ性質が違えども、ある一定の大きさを超える純物質に貫かれれば、器と同様に魂もまた破壊される。そうして破壊された魂は戻らねぇ。つまりテメェはここで死ぬ」
「う、うごっ」
 次の声は発せられなかった。サラ・イェンセンが動いたのだ。今や血塗れのジュリーを背後から羽交い締めにすると、少女の唇を両手で塞いでしまった。
「何故外で殺さなんだ」
 それまで事の成り行きを見守っていた戸田和夫が声を低くした。その目は異様に険しく細められている。
「わざわざここに連れてきた理由は何じゃ」
「純物質の銃弾なんぞ外で撃てるか」
「鉄砲は無理でもナイフや鈍器があろうて」
「精神の広さも知らねぇ耄碌ジジイが、肉体ん中を彷徨う魂を外から壊すなんざ不可能に近い。この空間で魂と向き合ってやっと器と同じような破壊が可能となるってわけさ──まぁ他に方法がないわけでもないが」
「お主、もしや見えておるのか」
「はっ」
 文久の口角が上がった。クック、と喉を鳴らした彼はおもむろに右手を上げると、左目を押さえるようにして中指を軽く折り曲げた。
「三毛猫と同じくらいの確率だな」
 そう呟きながら右手を下ろす。
 文久の左目は初夏の晴天のように薄く青く澄み渡っていた。
 和夫はしばし言葉を失ってしまい、パナマハットのトップを押さえたまま呆然と立ち竦んでしまった。やがて腕を下ろした和夫は視線を僅かに動かすと、彼の背後で立ち竦むヤナギの霊──大野木紗夜に意識を向けた。
「どういう事じゃ」
「こういう事さ」
「まさか、目を移植したのか」
「巫女の力は先天的なもんだ。目はあくまでも媒体で、その本質は魂を映す脳にある。巫女の力は遺伝でしか手に入らねぇ」
「お主は……」
 和夫は愕然として口が閉じられなくなった。
「いったい、いったい何度人生を……」
 そこではたと言葉を止めると、怪訝そうに目を伏せた。それはおかしいという思いが脳裏を掠めたのだ。
「いいや待て、そういう問題ではない。そんなこと出来得るわけがない」
 和夫は顔を上げた。そうして、まるで亡霊を前にしたような表情で、文久の左目に浮かんだ空色の光を睨んだ。
「お主は誰じゃ……?」
「俺は俺だ。テメェ自身がそれを十分に分かってんだろ」
「あり得んわい。兄弟で容姿性格が異なるように、人の出生はコンマのズレも許されない偶然の元に成り立っておる。ましてや遺伝などと──違う親の元からお主が生まれる筈がない」
「そりゃあ魂の本質を知らねぇ愚者の発想だ」
「我は遺伝の話を……」
「始まりは魂だ。肉体はあくまでも器に過ぎねぇ。たとえ親が違おうとも俺という人間は生まれてくる。これは偶然じゃなく、まぁ言ってみりゃ運命ってやつさ」
 含み笑いを浮かべながらそう答えた文久は、和夫の背後で大野木紗夜に抱き締められた猫っ毛の少年に視線を下ろした。
 吉田障子は体を震わせつつもしっかりと目を開いており、その視線は、腹部から血を流すジュリー・ヴィクトリア・コリンズに向けられていた。
「肉体は父親、能力は母親、記憶はここ、運命は魂、そして俺は俺自身により今この場に成り立っている。過去をどう弄ろうと、人という種が繁栄を続ける限り、俺という存在が変わることはねぇ」
「お、お主は化け物か」
「俺より人間らしい人間は他にいねぇよ」
 か細い呻き声が上がった。ジュリーの口を押さえていたサラ・イェンセンの顔が苦痛に歪んだ。スーツ姿の彼女の脇腹には深々と白銀のナイフが刺さっていた。
「う、“動くな”……!」
 サラの手から逃れたジュリーは最後の力を振り絞るように魔女の声を伸ばした。だが、文久の姿は深夜の幻影であるが如く──真横に立つ王の影にジュリーは掠れた悲鳴をあげた。
「ま、待って……。殺さないで……」
「何故だ」
「し、死にたくない……。やらなきゃ……やらなきゃいけない事があるの……」
「それは何だ」
「見つけなきゃ……。あの子を見つけなきゃ……」
 ジュリーはブツブツと独り言のような声を落としながら、文久から離れようとズルズルと広間に血の跡を付けていった。脇腹の出血に青い顔をしたサラが懸命にジュリーを止めようとする。文久は視線の動きのみでサラを制止した。王の表情は憤っているようだった。
「おいヴィクトリア、そりゃあルイーズの事か」
 怒りを抑えたような低く静かな声だ。静寂の中で文久の声は圧倒的存在感を放っていた。
 ジュリーは放心したように散漫な手足の動きを止めると、文久の顔を仰ぎ見た。
「ルイーズならもういねぇ」
「え……」
「奴は死んだ。テメェもとっくに分かってんだろ」
「ルイーズは魔女だよ……?」
「自ら死を選んだんだ。よほど頭がイカれてねぇ限り、魔女の大半は数世代の移り変わりの後、死を選ぶ。ルイーズもその一人だ」
「生きてるよ。ルイーズは生きてる。だから見つけてあげないと……」
「いい加減にしやがれ!」
 文久の顔が大きく歪んだ。それは激情を隠そうとしない王の怒号で、凄まじい剣幕だった。
「テメェみてぇな愚鈍な弱者が一番ムカつくんだよ。テメェの望みも知らねぇ愚か者が、欲望を忘れたバケモンが、一丁前に人の振りしてんじゃねぇぞ」
 白銀の銃口が再びジュリーの額に向けられた。もはや視点すらも定かではないジュリーはそれでも必死になって腕をバタつかせた。
「い、嫌だ……。ルイーズ……ルイーズ! 嫌だ、まだ死にたくない……」
「なぁヴィクトリア、テメェの声を聞かせろ」
 文久の目が細められる。
 その青い光の先にはジュリーの瞳があった。
「テメェ自身の声を聞かせろ」
「ルイーズ……。ルイーズを見つけなきゃ……。だから、私はまだ死ねない……」
「ああ、いいぜ──なら俺が引導を渡してやる」
「ルイーズ……」
「哀れな女だ」
 銃声が鳴り響いた。
 その音はすぐに夜の静寂に飲まれてしまい、喧騒の余韻として残ったのは王の激情と、サラ・イェンセンの浅い呼吸音のみだった。
「じゃあな」
 そう一言、文久は銃口をサラ・イェンセンの額に向けた。血塗れの脇腹を片手で押さえていたサラは苦痛に顔を歪ませながらも、文久を見上げると、ニッコリと柔らかな笑みを浮かべた。
「愛シテマス」
「You don’t know what i mean.You gonna die」
「愛シテマス」
 サラの笑顔は変わらなかった。銃口を目の前にしたその表情は穏やかで、ほんの僅かに顔を上げたサラの体勢は、王が撃ちやすいようにと首を差し出しているようであった。
 文久は舌打ちすると、面倒くさそうに頭を掻いた。
「白けたぜ」
 そうして銃口を下ろすと、サラの細い首に手を回した。
「いいかサラ・イェンセン。よく聞け」
「ハ、ハイ」
「俺の一切を裏切るな。俺の手を離れるな」
「ハイ」
「お前は俺のもんだ」
「ハイ。愛シテマス」
 文久は「はっ」と口角を上げると、サラの唇に強く唇を重ねた。
 サラは頬が薔薇色に染まる。彼女は満面の笑みで涙を流した。だが、それ以上の言葉は続かず、そのまま意識を失ってしまった。サラの脇腹に手を当てた文久はそっと彼女を抱き上げると、広間の床に横たわった二人の魔女を冷たく見下ろした。始まりの魔女の一人であるロキサーヌ・ヴィアゼムスキーの死体と、ジュリー・ヴィクトリア・コリンズの死体が濃い影に飲まれていく──。
「おっと、忘れるとこだったぜ」
 それは何処か間の抜けた声だった。文久は、古い友人との別れに左手を差し出すような軽い仕草で、戸田和夫の額に拳銃を構えた。
「じゃあなクソジジイ」
「キッドめ」
 和夫は腕を組むと、ふんと鼻で息を吐いた。
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