王子の苦悩

忍野木しか

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第四章

無限の銃弾

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 銃弾が旧校舎の舞台に降り注がれる。
 雷鳴が如き銃声が空を覆うと、弾丸径10.9ミリメートルの44レミントン・マグナムが刹那の速度で直線に空を切り、残された硝煙がうっすらと空を揺らめかせる。弾け落ちる木屑がはらはらと白い光を放ち、舞い落ちる糸屑がゆらゆらと黒い影を伸ばす。
 それはまさに無限の銃弾だった。
 高笑いが銃声と重なる。銃弾が女生徒の煤けた脇腹を弾け飛ばすと、スミス&ウェッソンM29の銃口を正面に、小野寺文久は片目を閉じた。宙を舞う白い布が動きを止める。舞台の上で腹部を押さえた少女の姿はなんとも無防備で、小柄な女生徒はもはや煤けた片手を動かすのみだった。かろうじて舞うことの許された白い布が、袖幕の裏と、床に寝転がった五人の男女に僅かばかりの影を落としている。
 銃撃は止まない。
 銃弾が舞台裏の壁に穴を開ける。銃声が木造の校舎を振動させる。
 そうしておよそ装弾数6×2をわずかに超えるほどの銃撃の末、やっと女生徒の煤けた頬に傷をつけると、文久は「チッ」と舌打ちをした。文久が立っていたのは大広間の中間辺りで、黒い女生徒の立つ舞台までは十メートルほどの距離があった。偶然にも腹部を撃ち抜いた後、無防備に立ち尽くすばかりの彼女を片目で狙い撃ちしたにも関わらず、当たったのは煤けた頬を掠めた一発のみだったのだ。十五発近く撃ち込んでたった一発もまともに命中させられないとはどういうわけか。銃の扱いは意外にも難しいと、文久は舞台を片目に見つめたまま、ため息を漏らした。
 無論、距離を縮めればいいだけの話ではあったのだが、たとえ重傷を負わせていようとも小柄な彼女の存在は未だ不気味であり、白い布を操るほか、いったいこの現実世界において何をしてくるのか予想が出来なかった。そして何より文久の若さがそれを許さない。この距離で仕留めてやると、右手に握られた黒色のリボルバーが無限の火を吹き続ける。いや、放ってさえおけば舞台の上の女生徒はその煤けた腹部から溢れ出る血の量でそのうち絶命しそうではあったが、それはそれで何とも言えず癪だと、文久は引き金を引き続けた。
 弾切れに銃撃が止まる。
 気の抜けたようなカチリという音を耳にした文久はすばやく意識を切り替えた。いや、過去を思い出したという表現に近いだろうか。右腕のない自分を思い出し、左手に握られたリボルバーの感触を思い出す。すると右腕が消え、左手に黒い光が現れるのだった。
 左手のリボルバーはそのままに、右腕があった自分を思い出す。ともすると右腕が現れると共に左手のリボルバーが消えてしまうこともあったが、文久は特に取り乱すことなく、意識の切り替えを繰り返した。右腕が現れると左手のリボルバーを右手に移す。それがそのまま新たな記憶となり、やがてはリボルバーを前に構えたまま、文久は無限の銃撃が行えるようになっていた。
 ただ思い出すという行為に限りなどないのだ。
「はっははは……!」 
 楽しかった。だが、冷静さは失わない。邪魔になりそうな奴らを排除し、そして、先ほどやり損ねた実験を再開しようと、文久は視線のみを床に落とした。意識のない四人の男女が目の前に寝転がっている。ちょうどいい実験体だと、文久は笑った。肉体への作用は。感情による影響は。死の有無や如何に。
 銃声が骨を伝う。思考が振動に霞む。こればかりは厄介だと、文久は煙の臭いに眉を顰めつつ、ふとした違和感に口を紡いだ。何かが足りない気がしたのだ。影が一つ消えてしまっているような。
「お前が“魔王”だったのか」
 文久は咄嗟に頭を下げた。同時に右脇腹に衝撃が走る。背後から膝蹴りを食らったのだ。内臓を握られるような鈍い痛みに息を止めた文久は、それでもリボルバーを右手に構えながら、床に倒れ込むようにして後ろを振り返った。
「はぁ……はぁ……テメェ……!」
「ここでお前を倒させてもらう」
 田中太郎の木剣が空を切る。文久は口を横に広げるとリボルバーの銃口を上げた。
 銃声が轟く。煙が揺らめく。血飛沫が舞う。
 長身の男の体に一発、二発と風穴が開いていくと、立ち上がった文久は残響を呑み込むような盛大な笑い声を上げた。
「はっはぁっ! 死ねやっ!」
 だが、すぐに声が止まる。田中太郎の木剣が文久の右肩を貫いたのだ。腹と胸に大穴を開けた田中太郎はそれでも平然と文久の顔を見下ろしていた。
「今はしがない傭兵だが、これでも俺は貴族の息子だ。剣術くらい一通りこなしているさ」
 そう言った田中太郎は半身の状態で左腕を背中に回すと、木剣をピッと体の前正面に縦に構えた。まるで銃撃など記憶にないかのように。44マグナム弾を三発その身に受けたにも関わらず、田中太郎の鼓動が止まることはなかった。
「はっ……ははっ……」
 期せずして実験は成功する。
 右肩を押さえた文久は嬉しそうに笑ってみせるも、目の前の男への恐怖心が抑えられなかった。気違いに刃物とはよく言ったもので、完全に頭が狂っているらしい彼を止める術が思い浮かばない。死なないとなれば銃撃も無意味だろう。もはや逃げ回るより他ないのではないか。
「ク、クソ野郎がッ……!」
 だが、若き文久のプライドがそれを許さない。たとえ殺せずとも動きを止めることは可能な筈だ。そう思った文久はリボルバーの銃口を田中太郎の額に向けた。
 中庭へと続く旧校舎の扉が吹き飛ぶ。ヘッドショットを狙った銃弾が外れると、文久は視線のみを破壊された扉に向けた。複数の影が現れる。同時に聞き覚えのある少女の声が耳に届く。あそぼう──、と。
 圧倒的な死への恐怖が文久の心をスッと冷やすと、彼は静かに視線を落とした。
「来たか」
 田中太郎の木剣が舌足らずな少女に向けられる。少女は慌てて醜い顔を伏せると、田中太郎の両眼を潰した。だが、田中太郎は動じない。両眼から血を流しつつ、木剣を上段に構えた田中太郎は「怨霊、覚悟ッ!」と三人目のヤナギの霊である村田みどりに向かっていった。

 絶叫。
 銃声。
 鮮血。

 スミス&ウェッソンM29の銃口が火を吹く。鮮血が広間を赤く染めていく。
 文久はその本能で冷静に、村田みどりに引き連れられた人形たちの体を壊していった。四発、五発と銃弾が放たれていく。村田みどりに飛びかかった田中太郎は木剣を振るうことすらも許されず、呆気なく両足を切り落とされてしまった。それでも彼はぐねぐねと剣を前に構え続ける。
「気色悪ぃぜ。芋虫野郎」と文久は鼻歌まじりに引き金を引き続けた。弾が無くなろうとも、腕を落とされようとも、両眼を潰されようとも、文久は冷静に意識を切り替え、過去と現在を重ね合わせ、自己の全てをその神懸った思考のみで補完した。
 無敵だった。もはや恐れるものは何もないと、文久は高笑いした。全ての望みが叶うと、文久は神の存在を確信した。
 
 ちょきん──。
 
 右腕が切り落とされる。「馬鹿が」と文久は意識を過去に切り替えた。
 無限の銃弾が村田みどりの前に集まった肉の壁を壊していく。やがて村田みどりの醜い顔が露わになると、文久は銃撃を止めることなく舌を出してみせた。
 両眼が潰される。意識を過去へ。両足が落とされる。意識を過去へ。
 冷静だった。心に乱れはない。ただ如何せん、44マグナム弾が命中してくれない。たとえ人形に阻まれずとも素人の文久に狙い撃ちは難しく、だが近付こうとすれば、村田みどりの舌足らずな声に弾き飛ばされてしまうのだった。彼女もまた無敵に近いような存在で、いったいどうすればこの状況を打開できるか、文久は冷静に思考を働かせ続けた。
「いっ……!」
 驚愕に息が止まる。突然、右手のリボルバーが弾き飛ばされたのだ。鋭い銃撃音と共に。
「おい」
 背後から低い声が響いてくる。文久はすばやく過去の自分に意識を重ね合わせると、グラウンド側の扉を振り返った。そうして息を呑んでしまう。野獣のような男がハンドガンの銃口をこちらに向けていたのだ。
「伏せてろ」
 
 ちょきっ──。

 自動式拳銃が白い煙を上げる。9mmパラベラム弾が舌足らずな声を切り裂くと、村田みどりは甲高い悲鳴を上げた。銃弾が彼女の丸い肩を掠めたのだ。グロック17を左手に構えた荻野新平は目を開けていなかった。
 
 ばっ──。

 村田みどりは人差し指を拳銃のように構えた。そのガマガエルによく似た締まりない唇が閉じられるよりも先に、グロック17から放たれた銃弾が彼女の荒れた肌を撫でる。荻野新平は音と気配のみで、十五メートル以上離れた村田みどりの姿を正確に捉えていた。
 文久は言葉を失った。それはまさに神業だった。その射撃速度と命中精度に、ただただ瞠目するばかりだった。
「みんなっ……!」
 新平の背後の扉から優男が飛び出してくる。その男を一瞬、苦手な教員と勘違いした文久は肩を上げた。だが、すぐに昇降口前での出来事を思い出して肩を落とす。そういえば以前にこの優男とは一度顔を合わせていたな、と。あの忌々しい教師がこの場にいるわけがないのだ。
 村田みどりの甲高い絶叫が旧校舎を震わせる。全身から血を滴らせた人形たちがバタバタと慌ただしく動き始めると、文久はすばやくリボルバーを構えた。銃声が轟く。狙わずとも横に広がった人形たちの体は簡単に撃ち抜けた。ただ、それでは何も面白くない。ここを出たらすぐにでも射撃の訓練を始めようと、文久は白い硝煙に目を細めつつ、唇を横に広げていった。
 真横から迫り来る影に、若き文久は気が付いていない。
「なっ……!」
 強襲だった。床に寝転がっていた女性の一人が突然動き出したのだ。
「おいっ! 離せやっ!」
 目を開けたわけではない。心霊学会幹部の一人である大久保莉音はとうに両眼を失っている。ただ彼女は感情のない人形のように、いや、本能のままに動く獣のように、文久の喉元に喰らい付いた。
 血が滲み出す。文久は必死にリボルバーの銃口を彼女に向けた。二発、三発と銃声が彼女の体を突き抜ける。だが、彼女は止まらない。喉の肉を喰い破ると、文久の肩の肉に噛み付いた。
「お、おいッ……! 早く、殺せッ……!」
 文久は叫んだ。その視線は荻野新平に向けられている。まさに襲われている最中で、激痛と焦りに思考が定まらず、意識の切り替えなど行える状態ではなかった。
 人形たちの影が迫る。文久は恐怖心を覚えるも、それでも決して呼吸は乱さぬようにと冷静に、リボルバーのグリップで大久保莉音の後頭部を殴った。
 グロック17の銃口から煙が噴き出す。9mmパラベラム弾がヤナギの霊の声を切り、肌を裂く。
 荻野新平は激しい苦悩に顔を歪めていた。どうしても彼女の額を撃ち抜くことが出来なかったのだ。舌足らずな少女の声が耳から離れない。あれほど憎かったヤナギの霊が今やただの子供にしか思えなかった。
 
 いやっ──。

 村田みどりが悲痛な叫び声をあげた。人形たちの影が広がっていく。そして、それを呑み込むような赤い光が木造の校舎を弾けさせる。

 王子っ──。

 彼女の絶叫と共に、大炎が再び旧校舎を覆い尽くした。

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