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第一章
夜の演劇
しおりを挟む赤いカーテン。暗い廊下。窓枠から伸びる黒い影。
突然目の前に現れた日暮れの教室に呆然と言葉を失った障子は辺りを見渡した。時が止まったかのような静寂。騒ぎ始める耳鳴り。
そ、そうか、夢を見てるんだ。
俯いた障子はサッと目を瞑った。無色無音の世界を作り出す薄い瞼。ほっと息をついた障子の頭の中を、ぐるぐると思考が駆け巡る。
夢の中での瞼の役割は、空想と現実の遮断にあるのだろうか……。夢が夢だと分かってしまえば、怖いものなんて何もない……。これはただの学校の夢……。それにしても、千夏ちゃん、いや、三原さんと、もっと楽しく会話してたかったな……。
赤い影が視界から消えたことに安堵した障子は、目を瞑ったまま、馬鹿げた夢から目覚めるのを待った。暑くも寒くもない教室。妨げるもののない平穏な空気が、彼に、そこが夢の中の世界だという確信を与え続ける。
「うわあっ!」
静寂を壊す力強い音色がポケットから鳴り響いた。静かな教室の空気を震わす携帯の着信音に障子は飛び上がる。慌ててアイフォンを取り出した彼は、液晶の画面をグッと耳に当てた。
「は、はい……?」
砂時計よりも微かな振動。流れる水の奥の声。驚き暴れる心臓の鼓動が収まってくると、疲弊した障子の思考は徐々に止まっていった。アイフォンを耳に当てたまま、のそりと机に腰掛けた障子は暗い窓の外を見つめる。夕陽は空の彼方へと沈んでいき、オレンジ色の校庭は青黒い闇に飲まれていった。
「……じ……え……」
「え、何だって?」
「……うじ……」
「聞こえないよ?」
耳鳴りより弱い雑音にぼんやりと障子は耳を傾ける。やがて夜を迎える校舎。暗い教室で、聞こえない声に意味を求めるのを諦めた障子は、アイフォンの電源を切った。再び目を瞑ろうとした障子の視界の隅に灯る明かり。振り返った彼の瞳に映る青々とした日差し。誰かが誰かに笑い掛けるような音の無い声が障子の脳に届くと、立ち上がった彼は、引き寄せられるように廊下に出た。
今って昼だったんだ……。
廊下の窓の向こうには何処までも澄み切った青い空が広がっていた。見覚えの無い木製の建物。少し凸凹とした廊下。乾いた木の匂いが漂う昼の校舎に、障子は何処か懐かしさを感じた。
「──」
誰かの囁き。言葉にならない声。振り返った障子の瞳に映る、黒いセーラー服の女生徒。
「──」
短い黒髪を真ん中で分けた女生徒は、ニッコリと白い歯を見せると障子に笑いかけた。首を傾げた障子はぎこちなく笑い返す。女生徒はサッと障子の手を握ると、長い廊下を歩き始めた。風に浮かぶ羽のような柔らかな手のひら。重力のない廊下のきしみ。足を踏み出した障子は、通り過ぎる黒い髪の女生徒たちや、丸メガネをかけた教師、四角い窓の向こうの風景に涙を流した。
「──」
立ち止まった女生徒は、心配そうに障子の顔を覗き込む。
「ううん、なんだか、懐かしくって」
目を赤くした障子は何とか笑顔を作ろうと努力する。首を振ると揺れる長い髪。少し重たい頭に困惑した障子は、視線を下げると、自分がセーラー服を着ていることに驚いた。
「──」
「いや、その……」
「──」
「うん、ありがと」
女生徒の笑顔。その無邪気な黒い瞳を見つめた障子は、自分の服装も、置かれた状況も、何一つ気にならなくなった。
再び廊下を進んだ二人は、螺旋状の木の階段を駆け降りる。外に繋がる渡り廊下を走り抜けると、開け放たれた扉の中に飛び込んだ。高い天井。広い空間。舞台の上で劇を演じる女学生の声。
「──」
「うん」
「──」
「そうかな」
「──」
体育館に並べられた木の椅子に腰掛ける二人。障子と女生徒は口に手を当てて笑い合った。
音のない夢の中で舞台を見上げた障子は、見慣れない王子役の白い衣装をうっとりと見つめ続ける。
やっぱり、かっこいいなぁ……。
夢と現実の狭間で、過去と未来を忘れた障子は、延々と続く舞台の上の演劇に引き込まれていった。
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