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第二章
厄災の天使
しおりを挟む葉が落ち、霜の降りる冬。
十八名の生徒が退学し、二名の新任教員が教職を降りた高校に訪れる寒気。
F高校において、生徒による生徒へのイジメは表立って見えなくなった。代わりに、生徒による新任教員へのイジメが横行していた。毎日のように、受け持つクラスの生徒たちにベランダに閉じ込められる若い女性の教師。生徒たちに集団でリンチされる体育教師。
教育委員会は問題を黙殺した。変革の際に起こり得る事態であると。
生徒の親からの苦情は来ていない。事態の被害者は教師側であり、生徒側は加害者なのである。何より、就職率の高いF高校を進学校に移行させようという教育改革は、生徒たちの親から指示されていた。金銭面の損も長い目で見れば益であると、将来の選択肢が増えると、大学進学にマイナスのイメージを抱く者は少なかった。
自殺した生徒に対して行われていたというイジメの問題。外に渦巻く非難の嵐は収まっていない。だが、収束には向かっていた。
F高校2年A組武藤健太。彼が浜田圭太をイジメていたという証言が多数集められていたのだ。既にSNSにもその情報が広まっている。
小太りな武藤健太の大人しそうな丸い顔。オドオドとした態度。新任教員たちは疑念を抱いたが、生徒たちの情報を無下にはしなかった。彼らは新しい職場において、なるべく生徒たちとの摩擦は作りたく無かったのである。何より彼らは、生徒によるイジメに怯えていた。
冬の風に包まれる校舎。俯いて廊下の端を歩く生徒たち。その間を闊歩する白髪の天使。
新実和子の報いには厄災が目立った。それは、人の悪行ばかりが白髪の天使の目に映ったからである。
時代に、世情に、観念に縛られる人々。無知と無関心。怠惰の罪。ただ神を盲信する浅慮の罪を背負った人々。ただ世論に流されるままに生きる無精の罪を背負った人々。
罪こそが人の本質であると新実和子は考えていた。人は罪を背負って生まれ、罪の報いとして死に怯えながら生きる、と。
天使の報いを止められる人はいない。
それらは厄災であり厄難である。人は自らに降り掛かる不幸を運命として受け入れなければならない。浅慮の罪も無精の罪も背負わされた運命の影なのだ。
この世に生まれるという厄災を受け、厄災が罪を生み、罪が厄難を呼び、厄難が新たな罪を生む。
人に報いを。罪に罰を。
白髪の天使を止められる人はいない。
ショートボブの天使。田中愛は校舎裏の白猫にパンの耳を与えた。溶けた霜の光る枯れ草。用具入れの裏の汚れた毛布。
猫に餌を与えていた男子生徒は最近顔を見せていない。猫が冬の冷気に凍えれば男子生徒が悲しむだろうと、田中愛は猫の世話を続けていた。
シャー、という鳴き声。丸々と肥えた白い猫。
校舎に戻った田中愛は職員室に向かった。殺伐とした空気。笑顔を絶やさない人々。
臼田勝郎の姿を探すショートボブの天使。誰にも気が付かれる事なく職員室を見回った田中愛は、善行に精を出しているように見える新任教員たちの頭を一人づつ撫でていくと職員室を出た。進路指導室を目指す田中愛。勝郎はそこにいる事が多かった。
「だから何だというんだ!」
扉の向こうから響く怒鳴り声。喧嘩か、とショートボブの天使は慌てて進路指導室に飛び込んだ。ギンッと目を釣り上げた臼田勝郎と、ニッコリと微笑む指導教員の山本恵美が机を挟んで睨み合う光景。田中愛は少しズレた臼田勝郎のウルフカットのカツラを見上げた。
「生徒の選別など間違っている!」
勝郎は太い腕の先を恵美に向けると赤茶色に染まった顔を歪めた。ピンクのカーディガンを羽織った恵美は表情を変えずに丸い首を捻る。
「選別ではなく評価ですわ。それと、少し声を抑えてくださいませんこと?」
「いーや、選別だ! あなた方のやっている事は間違っている、間違っているぞ! 学校をこんな空気にしたのも、あなた方の責任だ!」
「あーら、先生。アナタ、可愛い生徒とその家族を不幸にさせておいて、よくもまぁ、そんな口をワタクシに聞けましたわね?」
口を噤む勝郎。彼の胸の内から後悔の念が消えた事はない。
押し黙った勝郎を見て、恵美は口を大きく横に広げた。
「いいですこと、先生。不幸な生徒の出る根本的な原因は、この学校の体制にあるのです。勉学に怠惰な生徒たち、生徒に無関心な教師たち。それを是正しない限り、新たな不幸は生まれ続けるでしょう。だからこその教育改革であり、本気で進学校を目指すのであれば、生徒たちの評価は不可欠です。お理解頂けますか?」
「で、ですが、これは余りにも……」
「余りにも、何ですの? 先生には生徒たちを導く力があるとお聞きになっていたからこそ、この学校に籍を残してあるのですよ。歯切れの悪い子供のような話し方は止めて頂けますか?」
「……あなた方は教育改革の為に、今いる生徒たちを不幸にするおつもりなのですか?」
「な……何てことをおっしゃるのです! 生徒たちが健全で幸せな学園生活を送れるよう我々は努力を重ねているというのに! 不幸にするおつもりですかって? 口を慎みなさい、アナタ!」
恵美は腫れぼったい目をギロリと細めると勝郎を睨み付けた。教員たちが恐れる視線。だが、勝郎は意にも返さない。ショートボブの天使はペンとメモ帳と取り出した。
「不幸でしょうが! 見てみなさい、生徒たちの顔に笑顔は無い! 生徒たちを幸せにするという改革で生徒たちが不幸になっているというのならば、本末転倒だ!」
変わらぬ勝郎の怒気に僅かに怯む恵美。心を鎮めようと、コホンと咳払いをした恵美はまた笑顔を作った。
「いいですこと? 改革には混乱が付きものです。偏差値の低いこの高校を進学校に変えようというのですから、そりゃあ、多少の混乱は付いて回りますわよ。先生、まさかアナタは、実利度外視で理想ばかりを追い求める哀れな理想家ではありませんよね?」
「哀れな、ですって……? いいですか山本先生、教師というのはね、何時迄も子供たち共に夢を追いかけられる理想家であるべきなんだ。そうでなければ多感な生徒たちの個性は伸ばせないし、健全な大人には育てられない。生徒目線に立って生徒の夢を励ます、それが私の目指す理想の教師像だ!」
胸を逸らすとズレ落ちそうになるカツラ。慌ててカツラの位置を元に戻した田中愛は、睨み合う二人の顔を交互に見つめながらコクコクと頷いた。ショートボブの天使には、どちらの意見も間違ってはいないように思えたのである。
「……はぁ、もういいですわ。ワタクシは別に教育論を語り合う為にアナタをここに呼んだわけでは無いのです」
「何ですって? いいですか、私は……」
「結構! アナタはこれまで通り、アナタの教育を致していなさい! もう、話す事はありません」
ケッと、明後日の方向を向いた恵美は、野良猫を追い払うような仕草で手を前に振った。太い指を握り締めて後ろを向く勝郎。もう少し二人の会話を聞いていたかった田中愛は、残念そうにメモ帳をポケットに仕舞うと、勝郎の後に続いた。
「あ、それと言い忘れていましたが、アナタのそのカツラ、全く似合っていませんことよ?」
背中に吐きかける暴言。ニヤリと笑みを浮かべた恵美は、振り返る勝郎の頭をジッと見つめた。
「はは、知っています」
勝郎は笑った。彼の清々しい笑顔に言葉を失う恵美。そのままペコリと頭を下げた勝郎は進路指導室を後にした。
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