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第二章 魔法の世界

"雷轟"の矛先

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「本当に良いのだな、ルドルフ王よ」
 エメリヒ・フローレス・カラヴァッジョは乾いた空洞の奥から低い響きを出した。〈ヴァンパイア〉の王ルドルフ・シャングラドはソファに腰掛ける巨大な骸骨の前に跪く。
「はい、エメリヒ様」
 ルドルフに迷いは無かった。
 ちっぽけな私の命で世界の混乱を収められるとすれば、これほど名誉な事はあるまい。
 ルドルフはそっと微笑む。
「何か言い残しておく事はあるか?」
「魔女の危機を取り除いた後で構いません。我が一族をよろしくお願いします。それと、ラッド宮殿の丘の麓、教会の屋根の修復もお願いします」
 ルドルフは慇懃に頭を下げた。
「教会の修復か。はは、全く、お前は本当に責任感の強い男だ」
「ご冗談を、では」
 ルドルフは鋭い爪で自分の首を切り裂いた。鮮血が飛沫となって渇いた床を赤く染めていく。
 ルドルフはヨロヨロと血の吹き出る首を、エメリヒの黒い衣に被せた。その身体は徐々に冷たくなっていく。赤く燃える瞳はゆっくりと閉じていった。
 寛容だった母、厳格だった父。戦争で死んでいった大切な仲間たち。新しい国で始まった忙しくも平穏な日々。様々な記憶が彼の頭の中を駆け巡っては消えていく。
 私は王としての責務を果たせたのだろうか?
 ルドルフは最後に、自分自身にそう問いかける。
「ああ、お前は立派な王であった」
 最古の〈ヴァンパイア〉エメリヒ・フローレス・カラヴァッジョは、赤紫の手で朽ちていくルドルフの頭をそっと撫でた。
 
 最上級魔術師フランシス・ノエバは‘’雷轟‘’を手に取って立ち上がった。長い赤髪が引き締まった長身の背中で揺れる。
 かつての嫉妬の魔女の槍。七つの秘宝の一つ。‘’雷轟‘’は金色の三叉槍である。一振りで山を切り崩すと呼ばれるその槍は、現在、フランシス・ノエバ以外に扱える者がいない。
 フランシスは城のバルコニーに出ると、敵の攻撃を受けたという北東の壁に転移しようとした。
「フ、フランシス様、お待ちください!」
 部下の一人が慌ててフランシスを止める。
「何だ?」
「敵は強欲の魔女です! 姿を晒せば、強欲の遠距離圧縮魔法で殺られてしまいます!」
「強欲だと?」
「はい! 援軍が来るまで我々で持ち堪えますので、フランシス様はご指示をお願いします!」
 短い黒髪の部下は、最近この城に配属された王都の上級魔術師だった。
 フランシスはバッとその魔術師の手を払う。
「仲間たちが死を賭して戦っている。援軍など待っている暇はない」
 フランシスは転移魔法で壁の上に飛んだ。
 透き通るような紺碧の空。低い山々が壁の向こうに続いている。フランシスは‘’雷轟‘’を振り下ろした。無制限の大雷撃魔法が壁の向こうの山に降り注ぐ。
 何処にいる、強欲。
 フランシスは透視魔法で爆煙と火の手の上がる山々に目を凝らした。そしてすぐに、山の中腹でこちらを見据える金髪の男を見つける。その身体に小柄な坊主頭の男がしがみ付いていた。
 まさか、強欲の魔女に仲間が……?
 フランシスはその小柄な男を生かして捉えるべきか悩んだ。一瞬の隙である。彼の眼前の空間がねじ曲がるようにして揺らいだ。

「へぇ、やりますねぇ」
 マーク・ロジャーは感嘆の声を上げた。
 壁の上で三叉槍を持つフランシスは、咄嗟に後ろに下がってマークの圧縮魔法を避けたのだった。
 金の腕輪を嵌めたフランシスは槍の石突を壁に突き刺した。引き締まった体躯が日差しに耀く。
 大雷撃魔法がマークの頭上で光った。マークは分厚い障壁を頭上に張って雷撃を防ぐ。
「うわあああああ」
 ピット・ハイネスは絶叫した。マークにしがみ付く手に力を込める。
「役に立ちませんね、あなた」
 ため息を漏らしたマークは、ピットの小さな身体を引き剥がして投げ捨てた。
 地面に転がったピットは頭を抱えてしゃがみ込む。
 転移魔法で障壁の真上に移動したフランシスは、槍を振り上げて、太刀打ちを障壁に叩きつけた。ダンッと強い衝撃が障壁を揺らす。
 まさか!?
 マークは驚いた。フランシスはその腕力で分厚い障壁にヒビを入れたのだった。
 マークは圧縮魔法をフランシスに向ける。だが、フランシスの方が速かった。石突で障壁を突き破ると、雷撃をマークに放った。
 欲しい。
 マークは電撃で身体を焦がしながら、槍を掴んだ。そのままフランシスに爆撃魔法を放つ。後ろに吹き飛んだフランシスはそれでも槍を離さなかった。
「それを私にください」
 マークは爆煙の向こうに問いかけた。煙の向こうで横たわる人影がのそりと起き上がる。
「駄目だ」
 フランシスは身体に付いた灰を払いながら、片手で‘’雷轟‘’の矛先をマークに向けた。
 鋭く宙を走る雷槍魔法が、マークの出した障壁を貫く。マークは間一髪でそれを避けると、ピットを掴んで壁の上に転移した。強欲の魔女の転移先を時空透視魔法で見ていたフランシスは雷槍を壁の上に放った。そして、自分も壁の上に移動する。だが、既に二人の姿は無かった。
 しまった、城か!?
 転移魔法の残穢は城に向かって伸びている。
 フランシスは慌てて二人を追った。
 
 城の中は一面が神々しい純白に覆われていた。
 広いホールの床はよく磨かれ、壁も床も天井も、全てが白い大理石のような石で出来ている。窓は開け放たれ、風がカーテンを静かに揺らした。
 マークは首を傾げた。城は兵士で密集しているだろうと予想していたのだ。そこはあまりにも静かだった。
「ピット、何を固まっているのです。早く傲慢の魔女を救出してきなさい」
 ピットは放心したように大理石の床にへたり込んでいた。やれやれと、マークはその平らな頬を叩く。
「……っは!? あ、マーク様、こんにちは」
「こんにちは、ではありません。早く魔女を救出して来なさい」
 ドンっとバルコニーに続く窓が破壊された。
 ホールに飛び込んだフランシスは、間髪入れず二人に衝撃魔法を放った。てっきり部下たちが待機していると想定していたフランシスは‘’雷轟‘’を振るわなかった。
 何故、誰もいない?
 フランシスは衝撃魔法を連続で飛ばしながら辺りを見渡す。既に強欲にやられてしまったとすれば、血痕や肉塊でホールが赤く染まっているはずだった。だが、魔封石は白い輝きを放っている。
 爆撃魔法が飛んできた。フランシスは最小限の動きでそれを避けると‘’雷轟‘’を振った。前方と後方で大爆発が起こる。視界が爆煙に埋まった。
 マークはホールを覆うほどの時空間魔法を展開した。だが、圧縮する前にフランシスの放つ雷撃が光った。
 マークは障壁を斜めに張って雷撃を受け流すと、大爆撃魔法で一面を吹き飛ばそうと構えた。
「……どういうことです?」
 マークは両手を構えたまま、唖然として動きを止めた。
 フランシスの引き締まった胸から、突然剣先が飛び出したのだ。ドバッと胸から鮮血が滴り落ちる。フランシスも何が起こったのか理解できぬように、呆然と銀の剣先を素手で掴んだ。すると、剣が雷撃を帯びる。口から煙を吐いたフランシスは魔封石の白い床に崩れ落ちた。
 フランシスの後ろには短い黒髪の男が立っていた。能面のような顔を歪めて残忍な笑みを浮かべている。
「これで無事、最大の敵の一人を排除することが出来ました。魔女様、ご協力いただき感謝いたします」
「誰ですか、あなた?」
「これは失礼、わたくし、世界同盟幹部のパウル・ホーネットと申します。普段は王都エスカランテで活動しておりますが、上からの指示で魔女救出の為に、この城に忍び込んでいたのです」
 パウロは慇懃に頭を下げた。そして、いやらしい笑みを浮かべたまま‘’雷轟‘’に手を伸ばす。だが、すぐに表情が変わった。金色の三叉槍は信じられないほどの重さで、ピクリとも動かなかったのだ。
 生身でこれを……?
 パウロは薄気味悪くなり、焼け焦げて床に伏すフランシス・ノエバの赤髪から目線を逸らした。
「何をしているのです?」
「い、いえ、これは……」
「それは私のものです。早く渡しなさい」
「ま、魔女様には‘’刻刀‘’をご用意しています」
「‘’刻刀‘’?」
「かつての強欲の魔女様の刀です。そちらを差し上げます」
「どちらも寄こしなさい」
 パウロは浮遊魔法の力でなんとか‘’雷轟‘’を持ち上げた。金色の矛先が白い光に煌めく。マークはそれを受け取ろうとパウロに近づいた。
「あのー、早く傲慢の魔女様のお助けに向かった方が宜しいのでは?」
 ピットは敵の援軍が来ないか心配になって、窓の外に視線を向ける。
「傲慢の魔女は既に救出済みです。地下からは転移できないので、現在、慎重に地上に引き上げています」
「なら、早くここから逃げましょうよ!」
 ピットはマークの大きな身体に飛びついた。袖を掴まれたマークは、鬱陶しそうにそれを払う。
「〈ヒト〉が魔女の救出か。なんとも奇妙な話だ」
 突然、低い声がホールに響いた。
 動きを止める三人。微かにハープの細やかな旋律が流れると共に、ゆっくりとホールの正面扉が開いていく。
 扉の奥から現れたのは、大柄の〈ヴァンパイア〉だった。黒い衣で身を包み、シルクハットを深く被っている。その黒いつばの下では鋭い両眼が純血の赤に光っていた。
 エメリヒ・フローレス・カラヴァッジョは二つの生首を放り投げた。
 それは傲慢の魔女救出に向かっていた二人の世界同盟の首だった。
「な、なぜ〈ヴァンパイア〉がこんな所に……?」
 パウロは生首を見下ろして息を呑んだ。だが、すぐに呼吸が止まる。エメリヒが鋭い爪でパウロの首を落としたのだ。転移魔法では無かった。〈ヴァンパイア〉の生身の速度は通常の〈ヒト〉の反射速度を遥かに凌駕する。
 キョトンと目を丸めたままのパウロ。首が床に落ちる刹那、エメリヒの腕がピットの腹を貫いた。強欲の魔女だけは生かしたまま封印しようと、エメリヒは考えている。
 ピットは何が起こっているのか理解できないように、ぼっーと視線をマークに向けた。そして、口から血を吐き出す。
 マークの瞳に強欲の赤が溢れた。
「それは私のだ」
 マークは圧縮した大衝撃魔法を指から放った。呪いで青黒く光る衝撃の波。エメリヒは太い腕でそれを受け止めるも、衝撃で上半身が吹き飛んだ。だが、一瞬で元通りになる。
 マークは衝撃魔法を放ちながら、浮遊魔法で‘’雷轟‘’をエメリヒの背中に飛ばした。エメリヒは予備動作無しにそれらを避けると、高速でマークの眼前に移動する。そして、マークの両腕を掴むと横に引きちぎった。
 ショックで意識を失いそうになるマーク。だがそれでも、ピットと‘’雷轟‘’を奪われぬように圧縮魔法を展開した。瞳は真紅に揺れている。
「これは……」
 エメリヒはその凄まじい力に驚いた。時空拡張魔法を押し返すほどの圧縮。その力の大きさに危険なものを感じた。
 呪いを操れるようになる前に、この魔女は殺しておくべきか。
 エメリヒはマークに手を伸ばした。
「あ"あ"あ"あ"あ''あ''あ"あ"あ"」
 部屋に響き渡る獣のような雄叫び。スッと浮かび上がるかのように起き上がる赤髪の男。
 全身を黒く焦がし、胸に穴を空けたフランシス・ノエバはまだ生きていた。
 半分意識を失ったまま長い腕を伸ばすフランシス。‘’雷轟‘’を引き寄せた彼は、大雷撃魔法を揉み合う二人に放った。
 サッとそれを回避するエメリヒ。その隙に、マークはピットの元に転移する。死にかけのピットを口で掴んだマークは転移魔法で窓の外に飛んだ。
 それを追おうとしたエメリヒだったが、再びフランシスの雷撃に襲われて立ち止まった。
「少し休め」
 エメリヒに魔女の封印の番人である〈ヒト〉を殺す気は無い。
 意識を失ったまま槍を掲げるフランシスを押し倒したエメリヒは、彼を完全に眠らせる。その焼け焦げた内臓は少し治療しておいた。
 バルコニーに出たエメリヒは強い日差しに目を細めた。壁の向こうの空が青い。
 既に強欲は何処かへ逃げ去った後である。
 

 
 
 

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