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第二章 魔法の世界
強欲の対象
しおりを挟む傭兵バルザックは圧縮魔法の渦の中を駆け抜けた。洞窟の暗闇が空間の歪みに震える。
牛の胴体のほどに太い腕をしならせたバルザックは、分厚い大剣を横に振った。マーク・ロジャーはしゃがんでそれを避ける。
バルザックは大剣を振った勢いのままに、蹴りを繰り出した。マークは慌てて魔法障壁を張るも〈ドワーフ〉の強烈な蹴りの前では無力に等しい。呆気なく障壁が粉砕すると、蹴りの衝撃で壁に叩き付けられたマークは一瞬意識が飛んだ。
「……信じられん。この程度の奴に、ガザリアスはやられたのか?」
バルザックは〈ヒト〉の言葉で独り言を言った。粗い大剣の先をマークに向ける。二人の周囲には、洞窟の警護兵であった〈ドワーフ〉たちの死体が転がっていた。
「ガ、ガザリアス……? どなたでしょうか?」
マークは治癒魔法で体の傷を治しながら、バルザックの向こうに光る魔法陣を見た。
「軍隊長のジジイだ、昔は強かったが……お前程度の奴にやられるとは、全く情けない最期だ」
「そのお方は、あなたと親しかったのでしょうか? もしそうだったのでしたら、大変申し訳ないことを致しました」
「クハハ、誰があんなジジイなんぞ。……おい、もっと本気を出せ。それとも他に仲間がいたのか?」
「いえいえ、仲間など……」
あの魔法陣に飛び込めば、向こうはフィアラ大陸のはずだ。しかし、あれは私の書いたものでは無い。ならば恐らく、転移に僅かなラグが生まれてしまう。それを、この化け物が逃す筈が無い。
マークの傷はかなり深かった。治癒に時間がかかる為、何とか話を伸ばしたいと考えるマーク。だが、あまり時間を掛ければ他の〈ドワーフ〉がこの洞窟に駆け付ける恐れもあった。
「……もし、私と本気で戦いたいのであれば、広い丘へと向かいましょう。そこならば、思う存分あなたの望む戦いが出来るはずです」
「その内に貴様は陣を抜けてフィアラに向かうつもりか? クハハ、もういい、死ね」
バルザックは剣先を後ろに下げた。鋼のような筋肉がしなり、盛り上がる。
これは、賭けだ。
マークは大爆撃魔法をバルザックに向けて放った。魔法陣ごと洞窟を吹き飛ばす。
爆風を受けながらも、転移魔法でなんとか洞窟の外に逃げ出したマークは、先ほど洞窟で見たのと同じヘキサグラムの魔法陣を、焦土魔法で地面に描いた。
ドンッと、城ほどの巨石が爆煙の中から宙へ飛び出す。同時にバルザックの雄叫びが大地を揺らした。
頼みますよ。
祈るようにマークは、魔法陣の上で転移魔法を発動させた。
渦巻く黒雲に囲まれた青空が、大陸の上空に広がっていた。フィアラ大陸の日の出は遅い。
アンナ・ジャコフスカヤは薄暗い城の屋上で、真上の空の鮮やかな青を眺めていた。
日の出と共に部屋に戻ったアンナは、ハッと息を呑む。
ベットの端に腰掛けたオリビア・ミラーの瞳から、一粒の涙が頬を伝っていたのだ。
「……ああ、可愛いわ」
オリビアは静かに呟いた。
何も無い空間に痩せこけた両腕を広げるオリビア。彼女の千里眼の瞳には、地球で産声を上げる可愛らしい赤子の姿が映って居るのだろう。
アンナは「そう……」と肩を落として俯いた。
これで、怠惰の魔女オリビア・ミラーがこの世に残る理由が無くなった。
突然、アンナは胸を押し潰されるような強烈な寂しさが足下から湧き上がってくるのを感じた。下半身の力が抜けていく。
また私は置いていかれるの? ……もう一人は嫌だ。
「オリビア……ねぇ、待って……。お願いよ、私も一緒に連れていって」
アンナはへたれ込むように、オリビアの足に縋りついた。
オリビアは無表情でアンナの顔を見下ろす。
「ごめんなさい」
それが精一杯の、オリビアの言葉だった。
「い、いや! いや! 何でよ、どうして皆んな私を置いていくの? いやよ! 助けてオリビア! ああ、お願いだから、私を殺してください……。お願いします、誰か……。ア、アノン様、どうか、どうかまた、私をお救いください……」
アンナは咽び泣いた。涙を流すのはいつ以来だろう。止まらない涙がオリビアの痩せた太ももを濡らす。オリビアはそっと、アンナの白金の髪を撫でた。
どれだけ時間が経っただろうか。疲れ切ったオリビアが小さく嗚咽を繰り返していると、城の階下から悲鳴が聞こえてきた。
何事だ、とアンナは涙を拭いて顔を上げた。すると、部屋のドアがスッと開く。
馬鹿な、この階層には幾つもの結界を張っているのだぞ。いったい、誰が……?
「おお、君がアンナ・ジャコフスカヤ! 君はなんと、なんと美しいんだ……」
ゆらりと部屋に足を踏み入れたのは、金髪で大柄の〈ヒト〉だった。
マーク・ロジャーの恍惚とした瞳は純潔の赤に揺れていた。
強欲の瞳……!?
アンナは圧縮した衝撃魔法を銃弾のように飛ばした。だが、衝撃の塊はマークの前に霧散して吸収されていく。
コイツ、まさか本当に……。しかも欲望の対象は私か? クソッ!
アンナはひとまず逃げようと、オリビアの細い腕を掴んで転移魔法を唱える。だが、発動しなかった。部屋と外は、マークの発動した竜の檻で隔てられていたのだ。
「ああ、アンナ・ジャコフスカヤ……。私はいつも君を想っていたんだ……。君を想い、焦がれ、ここまで来たんだ。 さあ、私を抱きしめておくれ」
マークは、アンナの白くほっそりとした腕を掴んだ。アンナは必死に衝撃魔法や雷撃魔法を発動するも、全てマークに飲み込まれていく。
「クソッ! 離せっ、下郎! 離さぬか!」
「君の、全てが美しい……。さぁ、もっとよく見せておくれ」
マークは、アンナをベットの上に寝かそうと、細いくびれに太い腕を回して抱きかかえた。強欲の対象となったアンナの必死の抵抗は、欲望を前に無に等しい。
「……ん? 貴方はいったい誰です?」
アンナを広いベットに下ろしたマークは、ベットの端に座る痩せた中年女性にやっと気が付いた。
「オ、オリビア……。早く逃げなさい」
マークに力を吸い取られたアンナは、弱々しくオリビアに手を伸ばした。
「……だそうです。早く何処かへ行ってくれませんか? 私も部屋を汚したくない」
肩をだらんと下げたオリビアは、無言で、視線だけをマークの方に向けていた。マークはイライラと髪を掻きむしる。
「早く何処かへ行けと、言ってるんです」
「やめて!」
マークは、オリビアを潰して外に投げ捨てようと圧縮魔法を放った。アンナは悲鳴をあげる。だが、何も起こらなかった。
確かに発動したはずだが。
マークは続けて衝撃波を飛ばすも、オリビアを貫くとすぐ、時間が戻ったかのように消えてしまった。
「何なんですか、貴方は?」
マークは直接息の根を止めようと、オリビアに掴みかかった。しかし、触れられない。いったい何故だと腕を振り上げようとした時、自分の肩から先が無くなっている事に気がついた。
この女、ヤバい!
マークは慌ててドアに向かって走った。だがすぐに、目の前が真っ暗になる。
「こ、殺したの……?」
アンナは純白のシルクのドレスを汗で湿らせながら、何とか身体を起こした。
「ええ……でも」
オリビアはふぅっと、浅く息を吐いた。
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「……すまない」
ソフィアは首を横に振る。春人は、リーリの首が跳ね飛ばされる光景を思い出して、頭を抱えた。
「おい、大丈夫……っ!?」
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