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第二章 魔法の世界

真実の行方

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 乾いた砂風が丘の上を流れる。
 元最上級魔術師"黒豹"エヴァンゲレス・マチルダは青黒い瞳を北東の空に向けた。かつての空中都市マーヤの残骸が、幾重にも連なる雲の層の間に見え隠れする。
 遥か彼方に黒い渦が見えた。三大陸の一つ、フィアラ大陸を覆う色欲の魔女の雷雲である。
 エヴァンゲレスはギリっと歯を食いしばった。太い腕に青筋が走る。
 フィアラには彼の亡き母の故郷があった。エヴァンゲレスは浅黒い肌を撫でながら、母の最後の願いを叶えてやれなかった事を悔やむ。
 サマルディア王国の南壁。国境の向こう側には荒野が広がっていた。錆びた岩肌は陽に赤く照らされ、渇いた砂風が枯れた大地に吹き荒れる。
 怠惰の魔女の失踪で王国から左遷されたエヴァンゲレスは、毎日、この寂れた景観を眺めていた。
 ふと、茶色い羽を持つ小鳥が、荒い岩肌の間を縫うようにして、猛スピードで飛んでくるのが目に入った。エヴァンゲレスは立ち上がると、魔法障壁の一部に穴を開ける。小鳥はパタパタと障壁の中へ入った。
「エヴァン様、ただいま戻りました」
 小鳥は城壁の石畳に降り立つと、若い男の姿に変わった。
「アニエル、ご苦労だった」
 エヴァンゲレスは障壁を素早く修復する。
 上級魔術師アニエル・ゲインは黒いフードを外し、ふうっと息をついた。彼は、エヴァンゲレスが軍事司令官だった頃からの腹心である。状態変化魔法を得意とし、主にスパイなど、情報収集を目的とする任務を与えられた。
「エヴァン様、やはり過去にも怠惰の魔女が失踪した事件はあったようです」
「やはりそうか」
 エヴァンゲレスは、彫像のようにじっと虚空を見つめ続ける怠惰の魔女の、その冷たい瞳を思い出した。
 アレは不気味な女だった。
 七人の魔女についての文献は多数存在する。
 その中でも、勇者アノンが、かつての七人の魔女と戦った時に記された日誌には、それぞれの魔女の特徴が詳細に書かれてあった。だが、どの文献を紐解いても、怠惰の魔女についての記述のみ曖昧だった。恐らく怠惰の呪いの特性上、戦う機会が少なかったせいだろう。
 日誌には、ただ一節「神の力」と書かれてあった。
 それが何を意味するのか、計り知ることは出来ない。
 幸いにも怠惰の魔女は呪いで自我が弱い。これまで大事に至ることは無かった。
「何故、隠蔽されていたのだ?」
「それが、どうにも……」
「何だ?」
 エヴァンゲレスは歯切れの悪い元部下に眉を顰めた。大柄で浅黒いエヴァンゲレスが凄むと、歴戦の軍人でも腰が引けるほどに恐ろしい顔となる。
「い、いえ、それが、怠惰の魔女の失踪が発覚してすぐ、当の本人が戻って来たため……」
「そんなのものは理由にならん。当時の魔術師は誰だ?」
「レンテリア・ダルベルドです」
 知らんな。
 エヴァンゲレスは首を傾げた。
「其奴はどうなったのだ?」
「どうやら怠惰の魔女に殺されていたようで……」
「な、何だと!?」
 エヴァンゲレスは驚いて目を見開いた。
「そ、それと、殺されていたのはレンテリアのみでなく、王国の役人を含めて四人いたそうです」
「四人だと!? いったいどういうことだ? そもそも何故、そんな大事件が隠蔽されたのだ?」
 アニエルは言い難そうだった。
「どうした?」
「そ、それが……」
「早く言え」
「どうにも怠惰の魔女には、……その、凌辱されていた痕跡があり……」
 途端に、エヴァンゲレスの目に血が走る。岩のような拳が硬く握りしめられると、肩の筋肉が隆起した。赤黒い上司の顔に青ざめる部下。
 それは、エヴァンゲレスが最も憎悪する行為の一つだった。
 アニエルは、自分に飛び火が来るのではないかと縮こまる。
「その不祥事を隠すために、上は隠蔽したと?」
「は、はい」
「愚か者め!」
 エヴァンゲレスの低い怒鳴り声が、障壁を揺らした。
   
 コイツ、何処までもついて来るな……。
 笑顔で春人の後ろを歩くアリシア・ローズ。煩わしそうに眉を顰める春人。
 春人は、上級魔術師であり学園の教師であるアイシャ・フローレンスの研究室へ向かう途中だった。既に、日は南に傾き、授業を終えた生徒たちは帰宅の準備をしている。
 そう言えば、太陽って二つ無かったか? 
 春人は思い出したように、アリシアに尋ねた。ぱあっと瞬くアリシアの黒い瞳。
「それってミアの季節だけだよ? ナツキ知らないの?」
「興味ないからなぁ。まぁ、涼しくていいけど」
 春人は、石畳の広い廊下の窓から空を見上げた。流れる雲が夕焼けに赤く染まっている。
「あ、あの、アリシア様、少しお時間よろしいですか?」
「えっ?」
 灰色のローブを羽織った女生徒が、アリシアに声をかけた。他生徒から直接声を掛けられる事が少ないアリシアは、驚いたように目を丸くする。
 ラッキー。
 春人はニヤリと笑った。
 これであの女と二人っきりになれる。
「えっと、今は……」
「アリシア、俺のことはいいから行けよ! そんで、また明日な!」
 にっと笑って片目を瞑る春人。
「うん! また明日!」
 アリシアは嬉しそうに笑って、女生徒の後を追う。
 春人はその背中に手を振ると、歩く速度を上げた。
 聖ホルド学園の教師、アイシャ・フローレンスが生徒に手を出しているという噂は、男子の間では公然の事実である。
 前髪をいじりながら廊下を急ぐ春人。
 ドンっと背中に衝撃が走る。
 バランスを崩した春人は床に倒れた。
「何だよ!」 
 春人は倒れたまま声を上げる。顔を上げると、長い金髪の男が、腕を組んで春人を見下ろしていた。後ろには、そいつの取り巻きらしき有象無象が控えている。
 何だこれ、イジメか?
 春人はやれやれと立ち上がった。
 さて、助けを呼ぶか。それとも、ボロボロになった身体で、アイシャに庇護を求めるか。
「おい、ナツキとやら、貴様どういうつもりだ?」
「はい?」
「何故、貴様のような何の取り柄もない貧民が、卑しくもアリシア・ローズ様に付き纏っている? 恥を知れ!」
 金髪の男の一声。男の高い鼻がひくひくと動くと、後ろの取り巻き達も一斉に声を上げる。
 なんて分かりやすい奴だ。
 春人は肩をすくめて、上目遣いに男を見つめた。
「貴方様のお名前をお伺いしたい」
 ローブに付いた土をパッパと払う春人。
「貴様、私を知らぬだと?」
「もちろん、お顔は存じております。ですが、高貴な貴方様のお名前を勝手に詮索するような真似は避けたく、これまで悶々とした日々を過ごして来た次第にございます」
「ほお……」
 鼻の高い男は、腰の低い春人を蔑むように見下ろした。
「アリシア様にお聞きすれば、お優しいあの方のことです、きっとお答えくださるでしょう。ですが、あのお方のお手を煩わせるわけにもいかず、お聞きするのは避けておりました。……どうか、どうか貴方様のご慈悲で、私めにお名前をお教えして頂けはしないでしょうか?」
 春人は上目遣いに懇願した。
「よかろう! 我が名はフェルデリコ・デ・アラゴン! 魔法大臣アダルベルコ・デ・アラゴンの子にして、時期アラゴン家の当主である!」
「それはそれは……」
 魔法大臣の息子ねぇ……。
 コイツは使えるかもしれない。春人は僅かに口角を上げる。
 それにしても、貴族のコイツが孤児のアリシアを様呼ばわりとは、いったいどう言う訳だ?
「ナツキとやら、もう一度問おう。貴様のような卑しい貧民がアリシア様に付き纏い、いったい何を企んでいる?」
 付き纏ってくるのはアイツだっての。
 春人は一瞬ムッとしたが、堪える。
「……お、おお! 貴方が噂のフェルデリコ様! そうでしたか、合点がいきました。アリシア様は貴方様のことを、毎日、お話になられていたのですね」
「な、なに!? どういうことだ!」
「アリシア様は高貴な方であられながらも、その実、慎ましやかな乙女。恋の相談など、果たして他の貴族の方々に出来ましょうか?」
「い、いや……」
「そこで、卑しく何の取り柄もない貧民の私を、恋煩いによる鬱憤をぶつけるための下人に選んだわけにございます」
「そ、そうであったのか!?」
「フェルデリコ様、私、この場で確信致しましました。貴方様とアリシア様は結ばれるべき運命の中にございます」
「そ、そうか? そうであろう!」
「ああ、まるでお二人は、空に悠然と浮かぶ壮麗なるミアのよう」
「それは、どう意味だ……?」
 フェルデリコはポカンと口を開けた。
 おい、ミアって二つの太陽って意味じゃねーのかよ?
「あー……も、もし許されるのなら卑しい私めに、お二人の仲を取り持つお手伝いさせては貰えませんか?」
「あ、ああ! 手伝うことを許そう!」
 ほんと、警戒心のないガキ相手は楽だな。
 春人は手揉みをしながら微笑んだ。
「アリシア様は、もちろん、貴方様にお気があります。ですが、あれほどのお方なのです。そのまま誘っても、なかなか上手くはいかないでしょう」
 プライドが高く強引そうなコイツが、恋煩いに苦しんでいるところを見るに、アリシアには何度か断られているのだろう。
 案の定フェルデリコは「確かにそうだった」と下を向いて何度も頷く。
「ですが、アリシア様の興味を引く方法がございます」
「な、何だと!? それは何だ!」
「ルーク語に、ございます」
「ルーク語だと? 古代語か?」
「そうです。アリシア様は大層、ルーク語に興味を持っておられました。もし、フェルデリコ様がルーク語を自在に操ることが出来るなら、夜にでもアリシア様をお屋敷に招待し、二人きりの薄暗い部屋で、ルーク語を教えて差し上げることが出来るでしょう」
「そ、それだ!」
 何を想像したのか、フェルデリコは鼻の下を伸ばして飛び上がった。
「しかし、ルーク語は非常に難解だと聞く……。最上級魔術師の中でもアステカ様以外の使い手は知らないぞ?」
「私がお教えしましょう」
 春人はニヤリと笑った。
 これでコイツとの接点が出来る。親が大臣のおぼっちゃまなら、色々と役に立つだろう。
「き、貴様が? ルーク語を扱えると?」
「ええ、矮小な存在の私ながら、言語においてのみ自身がありまして」
「それは聞いている。だが信じられん、最上級魔術師であったアリシア様ですら扱えぬ言語だぞ?」
 フェルデリコは途端に疑うような目をした。
 最上級魔術師か。
 ただの階級だろうと思っていたが、貴族が恐れ慄くほどすごいのか?
 アリシアに、その辺の事をもっとよく聞いておくべきだったと、春人は少し後悔する。
「……アリシア様は常に新しい事を求めておいでです。ですが、貧民の私に教えを乞うことなど、絶対にあってはならないのです。それに最上級魔術師である……、あー、アステカ様の手などを煩わすわけにもいかないでしょう」
「うーむ」
「そこで、フェルデリコ様がアリシア様のために人肌脱ぐのです!」
「……しかし、アステカ様とアリシア様は、一緒に住まわれておられるのだぞ? 何故、アステカ様に習われんのだ?」
「……え?」
 まさかの同棲? アリシアはまだ子供だぞ? 
 春人は焦ったが、それならばフェルデリコがアリシアを狙うはずがないと気が付く。
「それは、やはり事情があるのでは? 何でもアリシア様は、魔術師の資格を剥奪されてしまわれたという話ではありませんか。きっと、最上級魔術師同士、お互いに色々と根深いものがあるのでしょう」
「しかし、アリシア様がアステカ様の城に滞在しているのは治療の為だと聞くが」
「治療?」
「治療だ、心のな。お優しいアリシア様は、目の当たりにされたのだぞ? 憎きアラガン・ハンチントンの森の民の虐殺を」
 フェルデリコは体を折り曲げると「お労しや」と顔を覆った。
 咄嗟に、十字架のネックレスを握る春人。
「何の虐殺だって?」
「森の民のだ。そうか、貧民の貴様は、憤怒の魔女討伐作戦を知らんのだな」
「……」
「彼奴は軍規を無視して、森に暮らす種族を皆殺しにした。しかも、残虐にな。哀れにもその場におられたアリシア様は、その様子を目撃なされたのだ。ああ、何という悲劇……」
 フェルデリコは目を覆って大袈裟に唸ると「私がその場に居れば」と何度も呟いた。
 その隣を無言で歩き抜ける春人。
 フェルデリコと取り巻きの生徒たちは、驚いたように口を開いた。
 アイシャも、コイツも、どうでもいい。
 アリシアは、虐殺に加わっていたんだ。
「おい、どうした貧民? 無礼だぞ!」
 フェルデリコは後ろから春人の肩を掴んだ。途端に身体を硬直させて倒れる。
 バチバチと黄色い稲妻が春人の体から放たれた。十字架は熱で溶け、ポタポタと地面に垂れ落ちる。ポカンと口を開けていた取り巻きたちは、一斉に春人から離れた。
 君の怒りが君の魔力を暴走させる。
 アリスはそう言った。
 馬鹿め。俺ならそのくらいコントロール出来るさ。
 春人の眼球は墨が水に溶けてゆくように、ゆらゆらと揺らいだ。
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