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第二章 魔法の世界

学院の編入生

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 広い通りを進む馬車。道に植えられた青い花。南東から吹く春風が、石造りの街を静かに流れる。
 王国の北に聳える雄大な山脈。銀嶺は紺碧の空を切り裂くように、その白い刀身を陽光に煌めかせた。
 山から流れ出る雪解け水が街の運河を満たす。澄み切った青は水路を下り、街の隅々まで運ばれた。
 街を見下ろす丘の上には学園があった。聖ホルド魔法学園。知恵と魔法の中心地。魔法の素質を待つ子供たちの中でも、特に才能があると認められた英才たちの集まる学園。
 アリシア・ローズは校庭の隅で、ベンチに腰掛けて本を読んでいた。日差しを遮る木の青葉。木漏れ日が白いページにふわりと落ちる。
「アリシア様」
 フェルデリコ・デ・アラゴンは学園の中庭に咲く一輪の青い花を片手に、アリシアの前に片膝をついた。
「様はいらないってば……」
「良い香りにございます」
 フェルデリコは花弁を高い鼻の前で一振りし、アリシアの前に差し出す。
 露骨に眉を顰めるアリシア。
 聖ホルド魔法学院第七十八期生、フェルデリコ・デ・アラゴンはピシッとした皺のない白い上下に、長い藍の外衣を羽織った。歳はアリシアより三つ上で、今年十七歳を迎える。
「いらないです。無闇に植物を傷つけないで」
 アリシアが立ち上がると、フェルデリコは「はっ!」と頭を下げる。そして、何やら物欲しげな顔でアリシアを見上げた。無視して学園の中に入っていくアリシア。
 森の民との戦争から、はや半年ほどの時間が経過していた。
 魔術師として不甲斐なかった自分への失望。師であるクライン・アンベルクに破門されるのではないかと震えて過ごした毎日。魔術師の資格は剥奪されても師弟関係はそのままだと分かったアリシアが、やっと取り戻した笑顔。
 耳の奥に響く断末魔の叫びや、目の奥を流れる赤黒い血は消えていない。それでもアリシアは時間が経つにつれて、戦争のショックから立ち直っていった。
 半ば強制的に編入させられた学園での生活が始まると、徐々に昔の明るさを取り戻していくアリシア。現在、彼女は友達が欲しいと願っている。
「アリシア様!」
 後ろからフェルデリコが走り寄って来た。
 さっと障壁魔法を唱えるアリシア。呪文にはオリジナルで、圧縮魔法と拡張魔法を混ぜ込んであり、伸縮性を持った障壁にぶつかったフェルデリコは、ボヨンと後ろに跳ね返った。
 ため息をついたアリシアは、障壁を解くと、学園内に足を踏み入れる。
 編入してからずっとだ。
 孤児の身で史上最年少最上級魔術師にまで上り詰めたアリシア・ローズは、思春期の生徒たちの羨望と嫉妬の嵐にさらされた。その中でも特に執拗だったのが、アラゴン家の御曹司フェルデリコ・デ・アラゴンだった。貴族であり魔法大臣の息子である彼には、アリシアが許せない存在だったらしい。
 あまりにもしつこく、また、嫌がらせの手口が陰湿だったフェルデリコ。流石に頭に来たアリシアは、フェルデリコを呼び出してボコボコに叩きのめす。暗い路地裏での惨劇。何故か、杖の代わりに花束を持っていた間抜けなフェルデリコ。
 これで貴族の御曹司からの嫌がらせは無くなるだろう。
 安心したアリシアだったが、どうにも執念深いフェルデリコは、さらに表立ってアリシアに付き纏うようになった。
 アリシアは、何度もフェルデリコに決闘を申し込んでは叩きのめした。だが、めげるという事を知らない彼は、アリシアを追い続けている。

 昼の学園内は騒然としていた。午前の研究を終えた生徒たちは仲間と談笑したり、一人研究を続けたりと、思い思いの時間を過ごしている。
「アリシア様だ」
「相変わらずお麗しい」
 アリシアが学園内を彷徨くと、生徒たちは手を止めてアリシアを見つめた。どう反応していいのか分からず、下を向いて歩く友達のいないアリシア。
 アリシアは学院奥の大ホールにたどり着いた。
 古い教会跡をそのまま使用したホール。正面のステンドグラスには、七人の魔女を倒したと言われる伝説の勇者アノンと、聖女フィアラの肖像が後光に輝いた。高天井には世界を表すミデアの園が描かれ、幾つものシャンデリアが吊り下げられている。乱雑に並ぶ長テーブルで昼食を食べる生徒たちの笑い声。アリシアはその様子を羨ましそうに眺めた。
 転移魔法で昼食を取り寄せたアリシアに、一人の生徒が舌打ちをする。顔を赤くしたアリシアは、背中に嫌な汗を感じながら、その場を移動した。
 エスカランテ王国とその同盟国では、魔術師以外の者が魔法を使うことは禁じられている。魔法学院の生徒たちはまだ魔術師の資格を待っていない。独断で魔法を使えば、最悪の場合投獄される恐れもあった。
 もちろん、ある程度融通は効いている。授業の場では当然魔法を使い、家で両親と魔法の練習をしたりするものもいる。そのため、生徒が魔法を使っても咎められることはあまり無かった。だが、貴族出身が多数を占める学院では厳格な家庭で育った者が多く、皆、魔法を公の場では使わないように気をつけて生活していた。
 元最上級魔術師アリシア。戦争の英雄である"霊獣"クラインの弟子だという事もあり、上級魔術師の先生たちからも一目置かれている。誰もアリシアの魔法を咎める勇気は無い。そもそも生徒の中で、転移魔法などの繊細な魔法を使える者はほとんどいない。
 アリシアは他の生徒たちとの温度差に寂しさを感じていた。
 とぼとぼと、生徒の少ない端に移動するアリシア。
 ふと、一番端でパンを齧る黒髪の男の子が目に入る。細身で髪の長い彼は、一見すると女の子のようだった。アリシアと同じように、孤児院出身の編入生であると噂される男の子。
 魔法の力量は、他の生徒たちより格段に劣っているらしかった。だが彼は、言語能力が優れ、他種族の言語に加えて、なんと古代文字まで読めるらしい。
「こんにちは、ナツキ君。隣いい?」
「あ?」
 ナツキと呼ばれた少年はさっと顔を上げた。その瞳に混じる怯え。少し悲しくなるアリシア。
「何、食べてるの?」
 アリシアは気を取り直して話しかけた。ナツキは迷惑そうに眉を顰めると、パンを飲み込む。
「パンだけど」
「えへへ、そうだよね。あー……それ美味しい?」
 アリシアは会話を続けられず、顔が赤くなった。友達のいないアリシアの必死の努力。
「ただのパンだよ。美味しそうに見えるか?」
 ナツキはムッとしたようにパンに齧り付く。
「そうだよね。ごめんね」
 どうすれば友達が出来るのだろう。
 アリシアは泣きそうになりながら、昼食を詰めたバスケットの包みを解く。少し気まずそうに頭を掻くナツキ。
「あー、お前って誰だっけ?」
「えっ?」
「名前だよ。俺、ここ来たばっかだから誰が誰か分からなくてさ」
「そうだったんだ」
 ならば、何故さっきは怯えた目をしたのだろう? 
 アリシアの微かな疑問は、会話が続く喜びに掻き消される。
「アリシアだよ! アリシア・ローズ! 私も編入だから友達いなくて……」
「あー、あの天才とかいう奴か」
 ナツキは侮蔑するような目でアリシアを見た。どう答えるのが正解か分からず、黙り込むアリシア。一生友達など出来ないのではないかと、アリシアの目に涙が滲む。
「いい弁当だな、それ? やっぱお前も貴族の娘だったりすんの?」
「……」
「どうしたよ、天才さん?」
「天才っていうのやめて!」
 アリシアは堪えきれず涙を零した。
 驚いて固まるナツキ。
「私は貴族の娘なんかじゃないし、ママもパパもいない! これだって自分で作ったの!」
「……そ、そうかよ」
「なんで私に嫌がらせするの? 私、貴方に何か悪いことした?」
 アリシアは涙が止まらず、何度も嗚咽した。ホールの生徒たちは唖然として、アリシアを見つめる。
「なあ、ほら、落ち着けよ」
 ナツキは泣きじゃくるアリシアの頭を撫でた。「おお!」という騒めきがホールに広がる。
「パン、食うか?」
 ナツキが食べかけのパンを千切って寄越してきた。嗚咽しながらパンを口に入れるアリシア。
「……固い」
「そりゃパンだもん」
 ナツキは初めて笑った。アリシアも笑顔を見せる。
「悪いな、よく事情も知らずに皮肉っちまって」
「ううん、私の方こそ取り乱してごめんなさい」
 二人は仲直りの握手をした。先ほどの悲しみなど何処かに飛んでいったかのように、爽快な気分になるアリシア。
「そうだ、私の昼食一緒に食べない?」
「お、マジか?」
「うん……その、代わりに何だけど」
「何だよ?」
 アリシアはもじもじと指を動かした。爽快な気分は一転、不安に押し潰されそうになる彼女。
「その……」
「だから何だよ?」
「私と、友達になってよ!」
 言ってしまった。
 アリシアは祈るように目を瞑る。
 友達の作り方は分からない。これでいいのだろうかと、不安で胸が苦しくなるアリシア。
 呆れた表情のナツキ。その瞳の奥に浮かぶ冷たい光。
「いいぜ」
「えっ?」
「いいぜって言ったんだ。今日から俺たち友達だ」
「ほんと!?」
 無邪気にはしゃぐアリシア。それを見たナツキはニッコリと微笑んだ。
 

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