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【第五部:聖なる村】第二章
フェランを待つ人
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そして、黙って聞き入っているナイシェに目を向ける。
「確か君は、創造の民、パテキアだといっていたね」
ナイシェは突然話を振られ、驚いてうなずいた。
「この村の周りを囲む高い塀は、パテキアがその力を使って築いたものなんだそうだ。この山の一部を開拓して平地にし、畑や家を建て、最後に、この村をこの先ずっと守り抜くために、当時のパテキアが何日もかけて塀を創り上げた。神の民以外の誰も立ち入れぬように。そして、この村がけして誰にも見つからないように……操作の民タリアナが、この塀に細工をした。この塀が、外から見ても山の一部にしか見えないように、村の存在を気づかれないように……人の目には山肌に見えるよう、塀を操作したんだ」
エルシャは驚きを隠せなかった。
「操作の民というのは、そんなこともできるのか⁉ 人の目に錯覚を起こさせるようなことまで……」
コクトーは困ったように苦笑いした。
「正直にいうと、これは全部親から聞いた話でね。本当のところは知らない。昔はこの村にもタリアナが住んでいたらしいけどね、今はいないから、その辺はよく知らないんだ。タリアナというのは、物を動かしたり、人を操れたりするらしい。人の感覚まで操れるとは聞いたことがないが、この村に関していえば、創造の民との合作らしいからね、二つの力をうまく合わせれば、そういうこともできたのかもしれない。ただ、時が経つにつれて、外の世界の怖さを知らない神の民が育ち、こういう閉鎖的な村で一生を終えたくないという者が増えていったんだ。そういう者たちが徐々に村を離れ、普通の町で普通の人間と一緒に暮らすようになっていった。そうしてタリアナもいつかいなくなり、村の住人も減り……今ではこのありさまさ。実をいうと、今の住人の中に正真正銘のサラマ・アンギュースはいない。皆、その血を引く者ではあるが、かけらを持つ者はいなくなってしまったんだ……」
そういうコクトーはどこか寂しそうだった。
「じゃあ……あんたは、サラマ・アンギュースじゃないの?」
「違うよ。ティルセロも違う。俺は、父親が記憶の民クラマネだった。もう亡くなったけどね。ティルセロの両親はかけらも持っていなかった。だけど俺たちはこの村で生まれ育ったからね、ナリューン語はわかるし話せる。あの歌も、この村に住む者なら誰でも知っている。昔から歌い継がれてきたからね」
「あの歌って……フェランも知ってる、例のやつか?」
ゼムズの問いに、コクトーはうなずいた。
「そう。ここで生まれたわけでもないフェランが、なぜあの歌を知っているのか……俺もはじめは不思議だったが、謎は解けたよ。……そうだな、俺が話すより、君に会ってもらいたい人がいるんだ、フェラン」
そういうと、コクトーはフェランを連れて外へ出た。少し先にもう一軒、ここより小さめの一軒家がある。コクトーはそこを指さした。
「あそこで、君を待っている人がいる。行ってくるといいよ」
フェランは困惑した面持ちで、示された家へ向かった。
愛らしい赤い花の輪で飾りつけられた木の扉を叩くと、中から声がしてひとりの女性が出てきた。年のころは四十台だろうか。栗色の柔らかな髪を肩まで伸ばし、ややふくよかな体型と微笑んで細くなった目からは、やさしさがにじんでいる。
「初めまして。あなたがフェランね?」
女性は、フェランの手をしっかりと握ると、家へ招き入れた。
「コクトーにあなたのことを聞いてから、早く会いたくて仕方がなかったのよ。本当に、何ていうか……あなたと巡り合わせてくださったこと、心から神に感謝するわ……」
途中から声を詰まらせ、女性は照れたように目じりをぬぐった。
「いやだわ、感激しちゃって……ごめんなさいね」
フェランは何が起こっているのかわからないまま、勧められた椅子に腰かけた。どうやらこの女性は自分のことを知っているらしいが、いったい自分とどういう関係なのか、皆目見当がつかなかった――家の壁にかけられた、一枚の絵を見るまでは。
フェランは、部屋に飾られた数枚の絵画に目を奪われた。どれも小さな大きさで、この村のあちこちに咲き誇っている色鮮やかな野花のスケッチだ。絵のことはよくわからないが、どれも同じような筆遣いで、同じ画家が描いたもののようだった。そして一枚だけ、これらの絵と異なり大きな額縁に飾られた肖像画があった。両手で花束を抱きかかえ、恥ずかしそうに微笑むひとりの少女の絵だ。薄い茶色の髪を片側で束ね、まだ幼さの残るその笑顔は、少女からひとりの女性へと成長する短いひとときをそのまま切り取ったかのようだった。フェランは、前にも一度、似たような絵を見たことがあるのを思い出していた。それは、今では廃墟同然のイルマでのことだった。アルゴ老人の家にも、同じような肖像画が飾ってあった。同じような色の使い方で、この絵の少女とよく似た女性だった。ただ、イルマの絵のほうがもう少し大人びた印象だったろうか。あの絵の裏には、こう書かれていたのだ。
愛する妻セイラ、そしてまだ見ぬ我が子へ――エドニク
フェランは息を呑んだ。この絵の少女は確かに、栗色の髪と緑の瞳をしている。自分や、この家の女性と同じだ。年齢や雰囲気こそ違うが、その面影にはどことなく懐かしさを感じざるを得ない。
「この少女は……」
フェランの口から、掠れた声が出た。女性はゆっくりとうなずいた。
「わかるのね。そう……これは、あなたのお母さんよ。セイラの、若いころの絵なのよ」
そして再び、固く握られたフェランの両手に、自分の両手を重ね合わせた。
「セイラはね……私の、姉なのよ……」
「確か君は、創造の民、パテキアだといっていたね」
ナイシェは突然話を振られ、驚いてうなずいた。
「この村の周りを囲む高い塀は、パテキアがその力を使って築いたものなんだそうだ。この山の一部を開拓して平地にし、畑や家を建て、最後に、この村をこの先ずっと守り抜くために、当時のパテキアが何日もかけて塀を創り上げた。神の民以外の誰も立ち入れぬように。そして、この村がけして誰にも見つからないように……操作の民タリアナが、この塀に細工をした。この塀が、外から見ても山の一部にしか見えないように、村の存在を気づかれないように……人の目には山肌に見えるよう、塀を操作したんだ」
エルシャは驚きを隠せなかった。
「操作の民というのは、そんなこともできるのか⁉ 人の目に錯覚を起こさせるようなことまで……」
コクトーは困ったように苦笑いした。
「正直にいうと、これは全部親から聞いた話でね。本当のところは知らない。昔はこの村にもタリアナが住んでいたらしいけどね、今はいないから、その辺はよく知らないんだ。タリアナというのは、物を動かしたり、人を操れたりするらしい。人の感覚まで操れるとは聞いたことがないが、この村に関していえば、創造の民との合作らしいからね、二つの力をうまく合わせれば、そういうこともできたのかもしれない。ただ、時が経つにつれて、外の世界の怖さを知らない神の民が育ち、こういう閉鎖的な村で一生を終えたくないという者が増えていったんだ。そういう者たちが徐々に村を離れ、普通の町で普通の人間と一緒に暮らすようになっていった。そうしてタリアナもいつかいなくなり、村の住人も減り……今ではこのありさまさ。実をいうと、今の住人の中に正真正銘のサラマ・アンギュースはいない。皆、その血を引く者ではあるが、かけらを持つ者はいなくなってしまったんだ……」
そういうコクトーはどこか寂しそうだった。
「じゃあ……あんたは、サラマ・アンギュースじゃないの?」
「違うよ。ティルセロも違う。俺は、父親が記憶の民クラマネだった。もう亡くなったけどね。ティルセロの両親はかけらも持っていなかった。だけど俺たちはこの村で生まれ育ったからね、ナリューン語はわかるし話せる。あの歌も、この村に住む者なら誰でも知っている。昔から歌い継がれてきたからね」
「あの歌って……フェランも知ってる、例のやつか?」
ゼムズの問いに、コクトーはうなずいた。
「そう。ここで生まれたわけでもないフェランが、なぜあの歌を知っているのか……俺もはじめは不思議だったが、謎は解けたよ。……そうだな、俺が話すより、君に会ってもらいたい人がいるんだ、フェラン」
そういうと、コクトーはフェランを連れて外へ出た。少し先にもう一軒、ここより小さめの一軒家がある。コクトーはそこを指さした。
「あそこで、君を待っている人がいる。行ってくるといいよ」
フェランは困惑した面持ちで、示された家へ向かった。
愛らしい赤い花の輪で飾りつけられた木の扉を叩くと、中から声がしてひとりの女性が出てきた。年のころは四十台だろうか。栗色の柔らかな髪を肩まで伸ばし、ややふくよかな体型と微笑んで細くなった目からは、やさしさがにじんでいる。
「初めまして。あなたがフェランね?」
女性は、フェランの手をしっかりと握ると、家へ招き入れた。
「コクトーにあなたのことを聞いてから、早く会いたくて仕方がなかったのよ。本当に、何ていうか……あなたと巡り合わせてくださったこと、心から神に感謝するわ……」
途中から声を詰まらせ、女性は照れたように目じりをぬぐった。
「いやだわ、感激しちゃって……ごめんなさいね」
フェランは何が起こっているのかわからないまま、勧められた椅子に腰かけた。どうやらこの女性は自分のことを知っているらしいが、いったい自分とどういう関係なのか、皆目見当がつかなかった――家の壁にかけられた、一枚の絵を見るまでは。
フェランは、部屋に飾られた数枚の絵画に目を奪われた。どれも小さな大きさで、この村のあちこちに咲き誇っている色鮮やかな野花のスケッチだ。絵のことはよくわからないが、どれも同じような筆遣いで、同じ画家が描いたもののようだった。そして一枚だけ、これらの絵と異なり大きな額縁に飾られた肖像画があった。両手で花束を抱きかかえ、恥ずかしそうに微笑むひとりの少女の絵だ。薄い茶色の髪を片側で束ね、まだ幼さの残るその笑顔は、少女からひとりの女性へと成長する短いひとときをそのまま切り取ったかのようだった。フェランは、前にも一度、似たような絵を見たことがあるのを思い出していた。それは、今では廃墟同然のイルマでのことだった。アルゴ老人の家にも、同じような肖像画が飾ってあった。同じような色の使い方で、この絵の少女とよく似た女性だった。ただ、イルマの絵のほうがもう少し大人びた印象だったろうか。あの絵の裏には、こう書かれていたのだ。
愛する妻セイラ、そしてまだ見ぬ我が子へ――エドニク
フェランは息を呑んだ。この絵の少女は確かに、栗色の髪と緑の瞳をしている。自分や、この家の女性と同じだ。年齢や雰囲気こそ違うが、その面影にはどことなく懐かしさを感じざるを得ない。
「この少女は……」
フェランの口から、掠れた声が出た。女性はゆっくりとうなずいた。
「わかるのね。そう……これは、あなたのお母さんよ。セイラの、若いころの絵なのよ」
そして再び、固く握られたフェランの両手に、自分の両手を重ね合わせた。
「セイラはね……私の、姉なのよ……」
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