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【第五部:聖なる村】第一章

ナリューン語

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「本当か!?」

 思わず腰を浮かす。ナリューン語とは、サラマ・アンギュースが持つ言葉。かけらを体に埋めるだけですべてのサラマ・アンギュースが瞬時に会得するといわれる、サラマ・アンギュースしか知りえない言語。その言語をコクトーが、つまりティルセロが歌っていたということは。

「行くぞ!」

 エルシャは席を立つと、足早に昨夜の勝手口へと向かった。三人が着いたときには、すでにコクトーは荷物を持って店をあとにしようとしていた。

「コクトー!」

 呼ばれて振り返ったコクトーは、声の主が昨夜の三人と知ると、うんざりした顔で再び歩き始めた。

「待ってくれ! さっきの歌は……!」

 エルシャはコクトーに追いつくとその肩に手をかけた。

「あれは、ナリューン語だな?」

 エルシャの言葉に、コクトーが表情をこわばらせる。

「ナリューン語は、サラマ・アンギュースしか知らない言語だ。君は、ティルセロが神の民だということを知っていたんじゃないのか?」

 コクトーはエルシャの手を振り払うと、あたりの様子をうかがいながら小声で口早にいった。

「誰か聞いていたらどうするんだ!? 大声を出すな!」

 エルシャは声を低くしていった。

「すまなかった、つい……。落ち着いて聞いてくれ。俺の名はエルシャ。俺たちは訳あってサラマ・アンギュースを探している。ティルセロがその鍵を握っているはずなんだ。俺たちが信用できないなら、場所を変えてゆっくり説明しよう。俺たちはただ、ティルセロについて君が知っていることを聞きたいだけなんだ」

 しかしコクトーは態度を変えなかった。

「だから、それが迷惑なんだよ! 君たちだって知ってるだろ、俺がサラマ・アンギュースと関係があるなんて話を人に聞かれたらどうなるか。せっかくこの町にも馴染んだのに、君たちは俺の生活をぶち壊す気か? 俺は何も知らないんだ、もう放っておいてくれ!」

 そういい捨てて去るコクトーを、三人は止めることができなかった。彼がいおうとしていることはわかる。これまでにも、何度となくいわれたことだ。
 サラマ・アンギュースは親殺しの民。人々からは忌み嫌われる。
 ゼムズやメリライナ、ハーレルにも聞いた話だ。ハルはそのせいで家を焼かれ、街から追い出された。メリナもそうだ。コクトーのいい分は、もっともだった。

「だが……」
 エルシャは不思議に思った。
「だったらどうして、ナリューン語の歌なんて歌ったんだろう?」

「ティルセロが神の民で、あの言葉がナリューン語だったってことを、知らなかったんじゃないの?」

 ディオネがいう。しかしエルシャは首を振った。

「いや、彼はあれがナリューン語だと知っていたはずだ。俺がサラマ・アンギュースという言葉を出す前から、『ナリューン語』という言葉に反応していた。普通の人間は、ナリューン語が何なのかすら知らないはずだからね」
「なるほど……。コクトーは、ティルセロがナリューン語で歌ってるってことを知っていたんだ。だったら、ティルセロが神の民だったということも知ってるはず……!」

 興奮気味に話すディオネは、先ほどから押し黙ったままのフェランに向かっていった。

「あんた、うれしくないの? エルシャの考えは当たってたんだよ! やっぱりティルセロやコクトーが神の民につながる手がかりだったというのに」

 フェランは問いかけられて顔を上げた。

「あ、それはもちろん……ただ……」
「ただ?」
「……すごくいい曲だったな、と思って。懐かしさが込み上げてくるような……」

 真剣な顔でいうフェランに、ディオネが呆れる。

「ちょっと! 本来の目的を忘れてない? 確かにいい曲だったけど、そんなに感動に浸ってないでさ、あんたも次の手考えて! あの口の堅いコクトーから情報を引き出す手を」

 ディオネの剣幕に、フェランはただうなずくしかなかった。
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