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【第五部:聖なる村】第一章

死相

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「国中の町が、これくらい穏やかだといいのにね」

 エルスライの町を歩きながら、ディオネがいう。並んで歩いている妹のナイシェが大きくうなずいた。

「夜もとても静かだったわ」

 そして二人の後ろを歩く華奢な青年と、彼に手を引かれ物珍しそうにあたりを見回している小さな少女のほうを振り返った。

「ね、ラミ、フェラン。昨日は久しぶりにぐっすり眠れたでしょ?」

 ラミと呼ばれ、少女はナイシェに笑顔を見せた。
「うん! 昨夜は怖くなかったよ。フェランがずっと横にいてくれたし」

 ラミの笑顔を見てフェランも微笑む。そんな会話を聞き、先頭を歩くエルシャは内心ほっとしていた。
 アルマニアを出発して、このエルスライに辿り着くまで数週間。これまでの旅と大きく違うのは、まだ七歳にも満たない幼い少女が一緒だということだ。旅の速度が遅くなるというだけではない。この、まだ自らの身を守れないし無力な少女をいかに危険から遠ざけるか、常時そのことに気をやるのは容易ではなかった。治安の悪いヘルマークやトスタリカを通過するときなどは特にそうだ。大男のゼムズと周りを固めて睨みを利かせたり、人通りの多いところにある宿を選んだり。それでも夜中は酔っ払いの出す大声や何か物の割れる音などで、怖がるラミがフェランの腕の中で一晩中震えている始末だった。それが、このエルスライという町は、人気ひとけの少ない郊外でも野蛮な輩の気配はなく、幼いラミに数日ぶりの安眠をもたらした。
 六人の目的地はこのエルスライであり、長期の滞在を予定するうえではうれしい話だった。昨晩遅くに到着した六人は、今朝早くに郊外の宿を引き払い、町の中心部へと移動している最中だった。安全な街とはいえ、前後をエルシャとゼムズで挟むようにし、ラミはフェランとしっかり手をつないでいる。一行の最初の目的地は、エルスライの中心部にある噴水広場から細い小路に入ってすぐのところにある小さな酒場だった。もちろんラミを連れて入るわけにはいかないが、まずは酒場のすぐ近くにある宿を改めて探すつもりだ。

「さあラミ、向こうに噴水が見えてきたぞ」

 エルシャが、まっすぐ伸びる小道の奥のほうに見える噴水を指さした。途端にラミが目を輝かせる。

「本当だ! ねえ、次の宿を探す前にあそこで遊んでもいい? ラミお水が大好き」
「もちろん。でも、ナイシェやフェランから離れるんじゃないぞ」

 ラミは大喜びでフェランの腕をぐいぐいと引っ張り、今度はフェランがラミに連れられるようにして、二人は噴水のほうへ向かった。
 エルシャはそんな二人を見てほほえましいと思った。宮殿にも少年少女はいるが、自分の意志とは関係なく着飾り立てられ人形のように大事にされるか、ラミくらいの年齢から従者としての教育を徹底されるか、どちらかだ。自分が幼いころは、いとこたちと一緒に親には内緒で遊びまわったりもしたが、今ではそれぞれの道を歩み、気がつけばお互いの間に目には見えない溝ができてしまったような気もする。そんな中で、明るく正直で愛らしいラミは、エルシャにとって大切な宝物だった。メリライナが全力で守ろうとし、また守ることをエルシャたちに託した幼い少女は、メリライナの最期を見届けた五人にとって、命に代えても守り通すべき宝物だった。

 小路を抜けて広場に出ると、露店商が円形の広場を縁取るようにして立ち並んでいた。通行人は多くなく、噴水のところではラミと同じ年頃の少年が母親と戯れている。地図によると目当ての酒場はすぐそこだが、酒場での情報収集はもっぱら夜と相場が決まっている。まずは近場で宿を探さなければ、と思い巡らしていたとき、エルシャは何か張り詰めたような女の声で呼び止められた。

「あんたたち!」

 声のするほうを振り返ると、広場の端のほうから、腰まであるつややかな黒髪の女が大声を出していた。呼び止めたわりにはその場から近づいてこようとしない。よく見ると、彼女が立っているのは、何やらたくさんの小さなカードが散りばめられた茣蓙の上だった。

 ……何かの押し売りらしいな。

 断ろうと口を開きかけたエルシャに、女はいった。

「あんたたち、人を探してるんだろ? この近くにいる……。にしても物騒だね、死んだ人間の周りを嗅ぎまわるなんて」

 その言葉に、エルシャは驚きを隠せなかった。『死んだ人間』という言葉に反応して、周りの人間が振り返る。エルシャはこれ以上よく通る声で人目を惹かれないよう、女に近づいていった。ディオネやゼムズもそれに続く。

「……どういう意味だ? 俺たちを知っているのか?」

 エルシャの怪訝な口ぶりに、女は笑っていった。

「知らないけど、わかる。あたしは占い師だからね。わかるのは『今』だけじゃないよ。『先』のことも知りたければ、ここから先は有料だよ」

 エルシャは肩をすくめた。

「占いは、あまり信じていないんだが」
「でも今あんたは、あたしにいい当てられて動揺してるだろ? それでも信じない?」

 エルシャはしばらく黙っていたが、ひとつ小さなため息をついていった。

「内容に応じて、後払いだな」

 女がうなずく。

「まあいいでしょ。……あんたたち、死んだ人間のことを詳しく知りたくてここに来たのね。情報を知る人間はすぐ近くにいる。今日にも出会えるだろうよ。でもね……あんたたち、気をつけたほうがいいよ」

 そういった女の顔から笑みが消えた。

「あんたたち、死相が出てる」
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