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【第四部:神の記憶】第六章
記憶のかけら
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「おまえ……なんてことをしたんだ!」
エルシャはメリナの下腹部に手を当てた。生温かい血液が両手を汚す。しかしそんなことにには構わず、エルシャは動かない彼女の体をまさぐった。衣服と血液がそれを妨げる。やっと見つけた傷口は、ちょうど臍部にあった。臍の下が真横に大きく切り裂かれている。手のひらほどの長さだろうか。
「なぜ……」
何かいおうとするが、言葉が続かない。フェランは、血にまみれた両手を固く握りしめ、床に目を落とした。
「これが……彼女の望みだからです……」
弱弱しい声で、そういう。
「望み、だって……?」
「彼女は……自分が死んだら、かけらを取り出すことを望んでいました……」
エルシャはそれを聞いて、依然きつく握られたフェランの両手に目をやった。わずかに震えている。エルシャはフェランの左手首を掴んで、指先まで固くこわばった手を無理やりこじ開けた。その中には、真っ赤な血に彩られた、親指の爪ほどの大きさのかけらがあった。エルシャの中に、怒りにも似た激しい感情が沸き上がってきた。
「なぜ、誰にもいわなかった!? どうして、おまえひとりで……ひとりで背負い込んで、こんなことを……!」
フェランは自分を掴んでいるエルシャの腕を振り払うと、頭を抱えて呻いた。
「僕のせいなんです。僕が、彼女に……そうさせたんだ……」
「……どういうことだ?」
エルシャの問いに、しかしフェランは頭を抱えたままかぶりを振るだけだった。
「おまえ……彼女に、何をしたんだ? 何があったんだ」
フェランの喉から、掠れた声が出た。
「……こんなことは、一度でたくさんだと思っていたのに……かけらを取り出すのも、死を視るのも」
「おまえ……メリナの死を、視たのか……?」
よく考えると、心当たりがあった。メリナが激しくうなされていた日の朝や、買い物を頼まれたとき、フェランの様子はどことなくおかしかった。
「それで……かけらの場所を、聞いたのか」
フェランは力なくうなずいた。
「ラミに、渡すようにと……頼まれました。自分の、形見として……」
エルシャは途方に暮れて、メリナの顔を見た。青白いが、穏やかな表情をしている。それが、唯一の救いのような気がした。
「……悔いはなかっただろう……と思うのは、勝手すぎるかな」
ぽつりと、エルシャが呟く。しばらくしてから、フェランが嗚咽を漏らし始めた。エルシャはフェランの頭をそっと抱えた。
「ひとりで背負い込むなと、いつもいっているのに……おまえは、よくやったよ」
しんと静まり返った部屋の中で、エルシャは考えた。もうすぐ宮殿の者たちが来るだろう。この場面を部外者に見られるわけにはいかなかった。誰か、それなりの権力者の手を借りないことには、解決のしようがない。しかし、この宮殿内にいるはずの妨害者の耳には入れたくなかった。
「ジュノレに頼むか……」
しかし、この場にジュノレが現れるのは不自然だ。もちろん、国王であるリキュスに頼むわけにもいかない。テュリスも完全には信用できないうえに、そもそも協力してくれる保証もない。
ほかに、信頼できる者はいるだろうか。
思案の末、エルシャは宮廷長のワーグナを呼ぶことにした。浄化の儀式には宮廷長の許可がいるから、彼は適任といえるだろう――サラマ・アンギュースの一件に一枚噛んでいないとすれば。
話の要点だけかいつまんで、エルシャはワーグナに事の次第を説明した。
「すでに医師が死亡を確認したあとでしたから、法的には何の問題もないと思うんです。ただ、運び出す前に何とかしなければと思いまして……」
ワーグナはうなずいた。
「床についた血はすぐ拭き取りましょう。あとは大丈夫です。儀式用装束は私が持ってまいりますから、ディオネ様、ナイシェ様にご協力いただいてお召し替えをなさればよろしいでしょう。替えのシーツなども一緒に持ってまいりますので、ご安心を」
エルシャは安堵のため息をついた。
「助かります、本当に……」
一通り支持を出してから部屋を出ようとしたワーグナは、ふとメリナの遺体のほうを振り返っていった。
「……神から与えられた使命とは、このことだったのですね……」
「宮廷にまで、迷惑をかける気はなかったのですが……このことは、内密にしていただきたい」
エルシャの言葉に、ワーグナは微笑んでいった。
「心得ております。ご安心ください」
エルシャはメリナの下腹部に手を当てた。生温かい血液が両手を汚す。しかしそんなことにには構わず、エルシャは動かない彼女の体をまさぐった。衣服と血液がそれを妨げる。やっと見つけた傷口は、ちょうど臍部にあった。臍の下が真横に大きく切り裂かれている。手のひらほどの長さだろうか。
「なぜ……」
何かいおうとするが、言葉が続かない。フェランは、血にまみれた両手を固く握りしめ、床に目を落とした。
「これが……彼女の望みだからです……」
弱弱しい声で、そういう。
「望み、だって……?」
「彼女は……自分が死んだら、かけらを取り出すことを望んでいました……」
エルシャはそれを聞いて、依然きつく握られたフェランの両手に目をやった。わずかに震えている。エルシャはフェランの左手首を掴んで、指先まで固くこわばった手を無理やりこじ開けた。その中には、真っ赤な血に彩られた、親指の爪ほどの大きさのかけらがあった。エルシャの中に、怒りにも似た激しい感情が沸き上がってきた。
「なぜ、誰にもいわなかった!? どうして、おまえひとりで……ひとりで背負い込んで、こんなことを……!」
フェランは自分を掴んでいるエルシャの腕を振り払うと、頭を抱えて呻いた。
「僕のせいなんです。僕が、彼女に……そうさせたんだ……」
「……どういうことだ?」
エルシャの問いに、しかしフェランは頭を抱えたままかぶりを振るだけだった。
「おまえ……彼女に、何をしたんだ? 何があったんだ」
フェランの喉から、掠れた声が出た。
「……こんなことは、一度でたくさんだと思っていたのに……かけらを取り出すのも、死を視るのも」
「おまえ……メリナの死を、視たのか……?」
よく考えると、心当たりがあった。メリナが激しくうなされていた日の朝や、買い物を頼まれたとき、フェランの様子はどことなくおかしかった。
「それで……かけらの場所を、聞いたのか」
フェランは力なくうなずいた。
「ラミに、渡すようにと……頼まれました。自分の、形見として……」
エルシャは途方に暮れて、メリナの顔を見た。青白いが、穏やかな表情をしている。それが、唯一の救いのような気がした。
「……悔いはなかっただろう……と思うのは、勝手すぎるかな」
ぽつりと、エルシャが呟く。しばらくしてから、フェランが嗚咽を漏らし始めた。エルシャはフェランの頭をそっと抱えた。
「ひとりで背負い込むなと、いつもいっているのに……おまえは、よくやったよ」
しんと静まり返った部屋の中で、エルシャは考えた。もうすぐ宮殿の者たちが来るだろう。この場面を部外者に見られるわけにはいかなかった。誰か、それなりの権力者の手を借りないことには、解決のしようがない。しかし、この宮殿内にいるはずの妨害者の耳には入れたくなかった。
「ジュノレに頼むか……」
しかし、この場にジュノレが現れるのは不自然だ。もちろん、国王であるリキュスに頼むわけにもいかない。テュリスも完全には信用できないうえに、そもそも協力してくれる保証もない。
ほかに、信頼できる者はいるだろうか。
思案の末、エルシャは宮廷長のワーグナを呼ぶことにした。浄化の儀式には宮廷長の許可がいるから、彼は適任といえるだろう――サラマ・アンギュースの一件に一枚噛んでいないとすれば。
話の要点だけかいつまんで、エルシャはワーグナに事の次第を説明した。
「すでに医師が死亡を確認したあとでしたから、法的には何の問題もないと思うんです。ただ、運び出す前に何とかしなければと思いまして……」
ワーグナはうなずいた。
「床についた血はすぐ拭き取りましょう。あとは大丈夫です。儀式用装束は私が持ってまいりますから、ディオネ様、ナイシェ様にご協力いただいてお召し替えをなさればよろしいでしょう。替えのシーツなども一緒に持ってまいりますので、ご安心を」
エルシャは安堵のため息をついた。
「助かります、本当に……」
一通り支持を出してから部屋を出ようとしたワーグナは、ふとメリナの遺体のほうを振り返っていった。
「……神から与えられた使命とは、このことだったのですね……」
「宮廷にまで、迷惑をかける気はなかったのですが……このことは、内密にしていただきたい」
エルシャの言葉に、ワーグナは微笑んでいった。
「心得ております。ご安心ください」
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