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【第四部:神の記憶】第六章

イルマ襲撃事件

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 その日の夜、エルシャは再び図書室へ――今度はひとりで――足を運んだ。刑事資料室へ入り、十三年前の資料を探す。索引からイルマの地名を見つけると、そのページを開く。イルマ襲撃事件について調べるのが、今回宮殿へ戻った目的のひとつでもあった。
 事件の概要はゼムズから聞いていた。見覚えのない男たちが馬でやってきて、村中の家に火をつけたというのだ。当時、イルマは静かな漁村で、どの地域とも対立することはなかった。恨みを買うようなことはなかったし、そのような人物もいなかったと思われている。

 そういえば、フェランの母親は結婚を反対されて、夫と二人でイルマへ逃げてきたといっていたな。

 ふとそんなことを思い出しながら、エルシャはまず事件当時の状況について目を通した。ほとんどが、ゼムズやフェランのいったとおりだった。

「窃盗の形跡はあったものの、元来質素な村であったため、盗難による被害総額は少ないと推測されている、か」

 エルシャは用心深く報告書を読んだ。イルマに高価なものがないことくらい誰だってわかっている。襲いやすいという意味では強盗の価値もあろうが、家まですべて焼き払うのは解せない。目的はただ一人、多くても二、三人の住人の命で、あとはこちらの目を欺くためということは考えられる。その場合、狙われた人間がだれかわかれば犯人もおのずと見えてくることが多い。
 被害者リストに目を通すことも考えたが、埒が明かないので先に加害者情報に取り掛かった。事件は未解決だと聞いていたが、驚いたことに、容疑者のうちのひとりが捕まっていた。

「イルマ村の方角から馬に乗った集団がやってくるのを、近くを巡回していた警備員が目撃、不審だったのであとを追った……。人手が足りず、結局捕まえたのはひとりだけだった、というわけか」

 しかし、尋問が始まって間もなく、奇妙なことが起こった。尋問一日目に聞き出した話によると、その男はアルマニアの南東郊外で、五歳ほどの少年に紙と金の入った袋を渡された。少年は近くを通りかかった男に頼まれたといい、彼に手渡すと去っていった。袋に入っていた金の総額は目を見張るほどだった。しかし、それ以上のことを男は尋問官に話そうとはしなかった。話せば依頼人に殺されるからだ、と男はいった。尋問官は宮殿にいる限り安全だと諭したが、男は首を横に振った。

「『あんたにはわからないんだ、彼は俺がどこにいようと俺を監視している。いつだって手出しできるんだ』、か。男は依頼した者の顔を知らず、会ったことすらないのに、なぜこれほど怯えていたのか……」

 結局一日目の尋問はこれで終わった。尋問官たちはまだ時間はたっぷりあると高をくくっていたが、不思議なことは二日目に起こった。男が、口を利かなくなったのだ。いや、利けなくなったというべきか。男は終始怯えたような、それでいてどこか安心したような表情を浮かべていた。厳正な鑑定の結果、男は故意に口を利かないのではなく、何か心的要因で利けなくなったのだという判定が下された。男は筆談にも応じず、とうとう事件の真相が解明されないまま処刑された。

「そして迷宮入り、か」

 イルマ襲撃事件とフェランの記憶を封印した者との関連を掴めればと思い資料室にやってきたが、これだけの情報では確かなことはわからない。恐らく首謀者は、素性を知られないために見ず知らずの少年を使いにしたのだろう。せめて捕まった男に紙と金を渡した少年か、その少年のいう男のことが少しでもわかれば宮殿との関わりも推測できるというものだが。
「これでは、関係があるともないともとれるな。首謀者が宮殿内の者だとすると、今ごろはそれなりの歳のはずだ。権力ある地位に就いている可能性もある。ひょっとしたら、紋章のこととも関係があるのかも……」

 エルシャはそこまでいって頭を振った。

「だめだ、材料が足りなさすぎる。傷の男が殺されたのは痛かったな。残る手掛かりは、エルスライか。危険だが、タストスの窃盗団に接触する手もある。あとは、ハルか……」

 エルシャはそこで嫌な予感がした。ハルは白だが、容疑者のうちのひとりだ。ファリアス同様、もう殺されているかもしれない……。

 ふと、ハルのあの怯えた表情が脳裏に浮かんだ。その顔が苦痛に歪んで――

「ばかばかしい」

 エルシャは再び頭を振ると、資料室をあとにした。
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