166 / 371
【第四部:神の記憶】第五章
疑惑
しおりを挟む
翌日、宿のどこを探してもハルは見当たらなかった。食卓に、小さな紙が残してあっただけだった。
『やはり決心がつきません。ごめんなさい』
短く、そう書かれていた。
「説得できませんでしたね」
フェランがいう。
「無理強いはできないしな」
エルシャがため息をついた。気がつけば、結局ミネリーが何の民だったのか、また今かけらはどこにあるのか、聞かずじまいだったが、エルシャはそれでもいいと思っていた。神の意志をまっとうするのに時間はかかるかもしれないが、それでもそれこそが神の望む方法であるとエルシャは信じていた。今探せば、ハルがこの町のどこかで見つかるかもしれない。しかし、みなそれをしなかった。
「しばらく時間をあげましょ。それからまた探せば――」
そういうディオネの肩をそっと押さえて、エルシャが口に指をあてる。何事かと口を閉じたディオネは、廊下に続く扉がかすかに音をたてたことに気づいた。エルシャが壁に立てかけていた剣の鞘をそっと掴む。こんな朝から人目を忍んだ侵入者などどこにいるのだろうかといぶかりながら、エルシャはゆっくりと回る扉の取っ手に合わせて剣を抜いた。取っ手が回り切ったかと思うと、突然大きな音をたてて扉が開き、数人の男たちが姿を現した。剣を構えた男が三人、その後ろにもうひとり。エルシャは扉が開くと同時に反射的に身構えたが、侵入した三人の男たちはエルシャの姿を認めるなりすぐさま剣を鞘に収めてひざまずいた。
「これはエルシャ様! とんだご無礼を!」
エルシャはできる限り額を床にすりつけている男たちと、その後ろに悠然とたたずむ男の顔を見比べながら、剣を鞘に収めた。エルシャには、彼らがなぜこんなところにいるのか皆目見当がつかなかった。ひとり立ったままの男に対して、エルシャの口から当惑に満ちた声が漏れる。
「テュリス、どうしておまえがここに?」
テュリスは剣を収めていった。
「話を聞いておまえたちかと思ったが、まさか本当にそうだとはな」
それからあたりを見回した。
「一人足りないようだが、どこへ行った?」
エルシャはそれがハーレルのことかと思ったが、テュリスが知っているはずはないと考え、また彼の目的もわからないので、その質問には答えずに逆に尋ねた。
「誰か探しているのか? こんなところまで、いったい何の用事だ」
テュリスは何もいわずに懐から一枚の紙を取り出して広げた。そこには、ひとりの男の顔が描かれていた。二十台半ば、眼鏡をかけている。
「この男を探している。名前はハーレル・ディドロだ、いわなくてもわかるだろうが」
確かにその人相はハーレルに似ていたが、エルシャには、テュリスが自ら出てきて探すほどの何が彼にあるのかまったくわからなかった。テュリスの従えている男たちは、確かに宮殿の兵士のようだが。
「確かに知ってはいるが、彼がどうしたというんだ?」
テュリスは苛立ちを隠さずに早口で答えた。
「彼は手配されている。犯罪者なんだ。一刻を争うんだぞ、早く居場所を教えろ!」
「ハルはもうここを出ていったよ。行き場所は聞いていない」
エルシャはそういってハルの残した手紙を示した。テュリスはそれをひったくって目を通すと、無造作にそれを投げ捨てた。
「どうやら本当らしいな」
そういうと、三人の男に素早く指示を出した。
「二人は外に待機している者とこの町を探せ。一人はこの宿で張るんだ。通りからは見えないようにな!」
三人はすぐに解散し、数人の男たちが街中へ散っていった。テュリスはそれを見届けると、腰を下ろしていまだに状況を理解していないらしい一同を見回した。その中に、知らない顔を二つ見つける。
「新入りか。ということは、サラマ・アンギュース探しは順調にいっているんだな。ハルはどうなんだ? あいつもそうなのか?」
「いや、それは知らない。彼の母親が神の民で、最近亡くなったんだ。それより、いったい何がどうなっているんだ」
「今、宮殿は大変なことになっている。この俺がわざわざ出向くほどにね」
「ハルが犯罪者だといってたね。彼は何をしたの?」
メリナが尋ねる。
「彼が盗みに関与したという情報がある」
「盗みだって? ハルがそんな度胸を持ち合わせているとは思えないけどね」
メリナが独り言のように呟く。
「彼が関与しているとして、どうして宮殿が動くんだ?」
エルシャの問いに、テュリスはため息をつくと身を乗り出して声を潜めた。
「これはけして口外してほしくないんだが……。亡きアルマニア六世の紋章が、盗まれたんだ」
そしてテュリスは事件の一部始終を話した。
「リキュスが身分制度廃止政策を実行している最中にこれだ。波紋はかなりのものだろう。しかし、一番心配なのは――」
「内部に反逆者がいるかもしれない。そうだろう?」
エルシャの言葉に、テュリスがうなずく。
「さすがだな。そのとおりだ。だから、何としてでも犯人を見つけて首謀者を吐かせなければ、第二、第三の事件が起こりかねない」
「それで、ハルが関係しているというのか? どうも解せないが」
「この事件には、何人も関わっている。恐らく、盗品の運び屋かその類だろうけどね。そのうちのひとりがハーレル・ディドロというわけだ」
「でも、それはおかしいわ」
ナイシェが口を挟んだ。
「盗難があったのは、三週間前でしょう? そのときハルは、確かにニコルの町にいたもの。私たち、ハルが町から追い出されたのを見たの。それから二週間後くらいに、テサロで見かけたわ。それから、昨夜までは私たちと一緒にいたの。そのハルが、盗難のときにアルマニアにいたことはあり得ないし、第一ハルは私たちから逃げるために北へ向かったのよ。運び屋なんてこともあるはずないわ」
テュリスは首を傾げた。
「その話が本当なら、ハルは白だろう。だが、ハルらしき人物に関する情報提供が複数あったのは確かなんだ、どちらにしろ本人を捕まえて確認しなければならない」
するとディオネが身を乗り出した。
「調べてよ、テュリス。ハルの事件当日からの足取りならだいたいわかる。それを確認して」
テュリスはうなずいて立ち上がった。
「部下に確認させよう。ただし、証言がある以上、今の段階ではまだ手配は外せない。それでいいな」
そして退出しようとし、ふと振り返る。
「この際だからおまえたちにも協力してもらう。手配者の人相図だ」
そういって数枚の紙を机に置くと、エルシャの顔を見てにやりと笑った。
「……リキュス失脚の絶好の機会だというのに、俺はいったい何をしているのだろうな」
『やはり決心がつきません。ごめんなさい』
短く、そう書かれていた。
「説得できませんでしたね」
フェランがいう。
「無理強いはできないしな」
エルシャがため息をついた。気がつけば、結局ミネリーが何の民だったのか、また今かけらはどこにあるのか、聞かずじまいだったが、エルシャはそれでもいいと思っていた。神の意志をまっとうするのに時間はかかるかもしれないが、それでもそれこそが神の望む方法であるとエルシャは信じていた。今探せば、ハルがこの町のどこかで見つかるかもしれない。しかし、みなそれをしなかった。
「しばらく時間をあげましょ。それからまた探せば――」
そういうディオネの肩をそっと押さえて、エルシャが口に指をあてる。何事かと口を閉じたディオネは、廊下に続く扉がかすかに音をたてたことに気づいた。エルシャが壁に立てかけていた剣の鞘をそっと掴む。こんな朝から人目を忍んだ侵入者などどこにいるのだろうかといぶかりながら、エルシャはゆっくりと回る扉の取っ手に合わせて剣を抜いた。取っ手が回り切ったかと思うと、突然大きな音をたてて扉が開き、数人の男たちが姿を現した。剣を構えた男が三人、その後ろにもうひとり。エルシャは扉が開くと同時に反射的に身構えたが、侵入した三人の男たちはエルシャの姿を認めるなりすぐさま剣を鞘に収めてひざまずいた。
「これはエルシャ様! とんだご無礼を!」
エルシャはできる限り額を床にすりつけている男たちと、その後ろに悠然とたたずむ男の顔を見比べながら、剣を鞘に収めた。エルシャには、彼らがなぜこんなところにいるのか皆目見当がつかなかった。ひとり立ったままの男に対して、エルシャの口から当惑に満ちた声が漏れる。
「テュリス、どうしておまえがここに?」
テュリスは剣を収めていった。
「話を聞いておまえたちかと思ったが、まさか本当にそうだとはな」
それからあたりを見回した。
「一人足りないようだが、どこへ行った?」
エルシャはそれがハーレルのことかと思ったが、テュリスが知っているはずはないと考え、また彼の目的もわからないので、その質問には答えずに逆に尋ねた。
「誰か探しているのか? こんなところまで、いったい何の用事だ」
テュリスは何もいわずに懐から一枚の紙を取り出して広げた。そこには、ひとりの男の顔が描かれていた。二十台半ば、眼鏡をかけている。
「この男を探している。名前はハーレル・ディドロだ、いわなくてもわかるだろうが」
確かにその人相はハーレルに似ていたが、エルシャには、テュリスが自ら出てきて探すほどの何が彼にあるのかまったくわからなかった。テュリスの従えている男たちは、確かに宮殿の兵士のようだが。
「確かに知ってはいるが、彼がどうしたというんだ?」
テュリスは苛立ちを隠さずに早口で答えた。
「彼は手配されている。犯罪者なんだ。一刻を争うんだぞ、早く居場所を教えろ!」
「ハルはもうここを出ていったよ。行き場所は聞いていない」
エルシャはそういってハルの残した手紙を示した。テュリスはそれをひったくって目を通すと、無造作にそれを投げ捨てた。
「どうやら本当らしいな」
そういうと、三人の男に素早く指示を出した。
「二人は外に待機している者とこの町を探せ。一人はこの宿で張るんだ。通りからは見えないようにな!」
三人はすぐに解散し、数人の男たちが街中へ散っていった。テュリスはそれを見届けると、腰を下ろしていまだに状況を理解していないらしい一同を見回した。その中に、知らない顔を二つ見つける。
「新入りか。ということは、サラマ・アンギュース探しは順調にいっているんだな。ハルはどうなんだ? あいつもそうなのか?」
「いや、それは知らない。彼の母親が神の民で、最近亡くなったんだ。それより、いったい何がどうなっているんだ」
「今、宮殿は大変なことになっている。この俺がわざわざ出向くほどにね」
「ハルが犯罪者だといってたね。彼は何をしたの?」
メリナが尋ねる。
「彼が盗みに関与したという情報がある」
「盗みだって? ハルがそんな度胸を持ち合わせているとは思えないけどね」
メリナが独り言のように呟く。
「彼が関与しているとして、どうして宮殿が動くんだ?」
エルシャの問いに、テュリスはため息をつくと身を乗り出して声を潜めた。
「これはけして口外してほしくないんだが……。亡きアルマニア六世の紋章が、盗まれたんだ」
そしてテュリスは事件の一部始終を話した。
「リキュスが身分制度廃止政策を実行している最中にこれだ。波紋はかなりのものだろう。しかし、一番心配なのは――」
「内部に反逆者がいるかもしれない。そうだろう?」
エルシャの言葉に、テュリスがうなずく。
「さすがだな。そのとおりだ。だから、何としてでも犯人を見つけて首謀者を吐かせなければ、第二、第三の事件が起こりかねない」
「それで、ハルが関係しているというのか? どうも解せないが」
「この事件には、何人も関わっている。恐らく、盗品の運び屋かその類だろうけどね。そのうちのひとりがハーレル・ディドロというわけだ」
「でも、それはおかしいわ」
ナイシェが口を挟んだ。
「盗難があったのは、三週間前でしょう? そのときハルは、確かにニコルの町にいたもの。私たち、ハルが町から追い出されたのを見たの。それから二週間後くらいに、テサロで見かけたわ。それから、昨夜までは私たちと一緒にいたの。そのハルが、盗難のときにアルマニアにいたことはあり得ないし、第一ハルは私たちから逃げるために北へ向かったのよ。運び屋なんてこともあるはずないわ」
テュリスは首を傾げた。
「その話が本当なら、ハルは白だろう。だが、ハルらしき人物に関する情報提供が複数あったのは確かなんだ、どちらにしろ本人を捕まえて確認しなければならない」
するとディオネが身を乗り出した。
「調べてよ、テュリス。ハルの事件当日からの足取りならだいたいわかる。それを確認して」
テュリスはうなずいて立ち上がった。
「部下に確認させよう。ただし、証言がある以上、今の段階ではまだ手配は外せない。それでいいな」
そして退出しようとし、ふと振り返る。
「この際だからおまえたちにも協力してもらう。手配者の人相図だ」
そういって数枚の紙を机に置くと、エルシャの顔を見てにやりと笑った。
「……リキュス失脚の絶好の機会だというのに、俺はいったい何をしているのだろうな」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
41
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる