上 下
164 / 371
【第四部:神の記憶】第五章

説得

しおりを挟む
「さて」

 ゼムズがどかりと椅子に腰を下ろして口を開く。

「まず誤解のないようにいわせてもらうとな。俺がエルシャたちとここで会ったのはまったくの偶然だ。俺はたまたま、命を狙われているといい張るおまえに雇われただけだ。どうもおまえは肝っ玉が小さいみたいだから、それすら怪しいとは思っていだがな。案の定、追っていたのは悪人とは真逆のエルシャたちと来たもんだ。誓っていうが、こいつらはおまえが考えているようなやつらじゃない。俺としちゃ、どうしておまえが殺されると思い込んでいたのか、どうしてエルシャたちがおまえを追いかけ回しているのかが知りたいね」

 ゼムズが話し続ける間、ハーレルは椅子に行儀よく座ったまま黙って聞いていた。だいぶ落ち着きを取り戻したようだったが、膝の上の手はせわしなく動いている。

「なあ、どうして殺されると思ったんだ?」

 ゼムズが重ねて質問する。

「それは……」

 ハルがいいい淀んだのを見て、エルシャが口を開いた。

「どうやら、俺たちから話したほうが早そうだ」

 ハルが事情を説明するにはサラマ・アンギュースについて触れなければならなかったから、彼自身が語るのは無理があるだろうということは、エルシャにはすぐわかった。彼は、ゼムズがシレノスであることは知らないはずだ。

「俺たちは、神の意図によりサラマ・アンギュースを探している。俺とラミ以外は、ゼムズも含めて、みなサラマ・アンギュースなんだ。だから、俺たちは君の敵ではない。ずっと、それをいいたかったんだ」

 ゼムズではなくハルに、まずいい聞かせる。ハルはそれほどの動揺は見せずに黙っていた。それからエルシャは、ハルの母の死やメリナとの出会いについてゼムズに説明した。

「そういうわけで……」
 エルシャは再び、猜疑心に満ちた目をしたハルのほうへ振り返る。
「強制はしないが、君にも来てほしい。どうだ?」

 ハルはうつむくと、小さな声で答えた。

「サラマ・アンギュースは嫌いだ。あのかけらのせいで、僕も母さんも不幸になった」

「なら、どうしてかけらを持っていった?」
 エルシャがいった。
「あれは君だろう?」

 エルシャは今でも鮮明に思い出すことができた――花柄の服が引き裂かれ、そこが真っ赤に染まっている、背中をえぐられたミネリーの姿を。

「あれは――あれが、母さんの望みだったからだ」

 ハルは声を荒げた。

「母さんは、あのかけらを守ることに固執していた。あの日の夜、家が燃えて煙が立ち込めて、僕は逃げようといったのに、死んでしまったときだって。最後の一言が、何だったと思う? 私はいいからかけらを守って、だ! 僕にしてみれば、かけらなんてどうでもよかった。母さんのほうが大事だったのに、母さんは死ぬ間際にそんなことをいい残した。だから僕は、かけらを取ったんだ。母さんの頼みでなければ、誰があんなことをするもんか!」

 一気に話し終えたハルの目には涙が溜まっていた。

「……サラマ・アンギュースなんか、大嫌いだ」

 小さな声で、そう繰り返す。重たい沈黙が、あたりを支配した。誰も何もいわず、身じろぎひとつしない。そんな中でひとり、ゼムズが小さく咳払いをした。

「俺もよお、おまえと似たような思いをしたんだよ。おふくろが、かけらを持っていけといい残して死んだ。だから、おまえの気持ちはよくわかる。だけどおまえは、どうして母親がそんなにかけらを大切にしていたのか考えたことはあるか?」

 ハルはうつむいたまま答えない。

「母親が命をかけて守ったものを、自分も守ろうとは思わねえのか?」
「いくら守ろうとしたって、死んでしまえば意味がない。そこまでして守る価値のあるものなのか?」

 ハルは譲らなかった。何とか彼を説得したいと思ったが、ゼムズの心のどこかで歯止めがかかる。ゼムズにはハルの気持ちが痛いほどよくわかった。
十三年前、母親の腹部からかけらを取り出したとき、ゼムズはその不条理な運命を心の底から呪った。神を罵りもした。結局、彼の心を鎮めたのは、安らかな母親の死に顔だった。母親が安堵の笑みとともに死んだのを見て、これが一番よかったのだと、納得することができたのだ。

「ねえ、ハル」
 ずっと黙っていたメリナが口を開いた。
「あたしの母さんは、クラマネだったの。父さんはそれを知った途端にあたしたちを置いてどこかへ行ってしまった。母さんはあたしを育てるために体を売って金を稼いだんだ。でも、無理をしすぎて病気になり、死んでしまった。あたしが十四歳のときだよ。あんたと同じでね、ハル。母さんはあたしに、自分はかけらを守りとおした、今度はあんたの番だといい残したの。だからあたしは今、かけらを体に埋めている。でもね、このかけらを心から大切に思ったことなど、一度もない。みんな、死んだ母さんのためだと思ってしたことだから。そんなときに、エルシャやフェランが、神の意志でサラマ・アンギュースを探しているといってきた。はじめはそんな話に乗る気などまるでなかったんだけど、そのあと町を追い出される羽目になって、考えたんだ。父さんがあたしたちを捨て、母さんは死に、あたしと娘は居場所を追われた。そんな仕打ちを受けるほど、このかけらは大切なのかってね。神自身がそれに答えを出してくれるというのなら、ぜひそれを聞いてみたいものだと思ったのよ」

 メリナが話す間、ハルはずっと黙って聞いていた。彼女の話は、ほかの誰の言葉よりも心に沁み込んだようだった。みな身動きもせず、ハルの答えを待った。恐ろしく長い時間が経ったあと、ハルはひとつ、深いため息をついた。

「……考える時間を、くれ」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

騎士生命を絶たれた俺は魔法に出会って人生が変わりました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:39

『まて』をやめました【完結】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:576pt お気に入り:3,693

彼の優しさに触れて

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:8

婚約破棄して、めでたしめでたしの先の話

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:96

儚げ美丈夫のモノ。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:589pt お気に入り:1,227

恒久の月

BL / 完結 24h.ポイント:604pt お気に入り:25

俺、悪役騎士団長に転生する。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:8,008pt お気に入り:2,532

永遠の片思い

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

隣の部屋のキラくんは…

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

処理中です...