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【第四部:神の記憶】第四章

フェランの葛藤

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 その日の夜も更けたころ、ナイシェは隣の部屋でかすかな物音がしているのに気づいた。耳を澄ませてみると、やがて食堂へ続く扉の開く音がする。妙に気になり様子を見に行くと、思ったとおり、そこにいたのはフェランだった。彼はナイシェの姿に気づくと笑顔を見せた。

「君も眠れないの?」

 簡単な問いなのに、ナイシェにはうまい答えが見つけられず、ただ曖昧に笑って返した。フェランのほうも答えを期待していたわけではなかったらしく、ナイシェに椅子を勧めると自分もその隣に座る。しばらくフェランの横顔を見つめていたナイシェは、やがて小さく笑った。

「なんだか不思議……フェランなのにフェランじゃないような」

 すると彼は少し悲しそうな顔をした。

「ナイシェもそういうんだね。そんなに、前の僕と違うの?」
「そうね……どこがとはいいにくいけど」

 するとフェランは肩をすくめた。

「僕だって、記憶を取り戻したいと思っていないわけではないんだよ。取り戻せれば、もう君に迷惑をかけなくて済むからね……髪を結ったり、料理をしたり」
「そんなことは……全然かまわないわ」

 一瞬ためらったが、ナイシェはそういった。フェランと話をしながら、頭の中にあるのは、ヘッセ医師の忠告だった。今のフェランを認めるようなことをいえば、現状に満足したフェランの記憶はこのまま戻らないかもしれない。しかし、だからといってフェランに故意に冷たく当たることもできなかった。

「ときどき……僕はこれでいいのかって思うことがあるんだ」

 フェランが話し出した。それは、まさにナイシェが訊こうとしていたことだった。

「母さんのことを思い出して、その遺志を継ぎたいと思った。母さんは僕に逃げろといったけど、たぶん神は別の方法で解決しようとしているんだ。だから、母さんの死を無駄にしないためにも、僕はエルシャについていこうと思った。でも……エルシャは、今の僕をどう思っているのか……。エルシャにとって、今の僕は、半年以上一緒にサラマ・アンギュースを探してきたフェランじゃない。それどころか、十年以上一緒にいた僕でもない。それを……感じるんだ」

 ナイシェはそっとフェランの肩に手を置いた。

「エルシャは、私たちの中で一番あなたと付き合いが長くて、一番よくあなたを知っている。だから、今のあなたがどこか違うって一番感じているのも、きっとエルシャだわ。でも、その分一番あなたを気にかけているのも、エルシャだと思うの。私は、前のフェランを半年しか知らないから、今のあなたと半年一緒にいれば、何の違和感もなくなるかもしれない。でも、エルシャにとってはそんなふうに簡単にはいかないのよ。私は、今のあなたを見てる。でも、エルシャは今までのあなたをみんな見ているのよ」

 フェランは黙って聞いていたが、不意にナイシェに尋ねた。

「ナイシェは、ないの? どうして自分はこんな旅をしているんだろうって思ったことは」

 ナイシェは少し考えてから答えた。

「私がエルシャについていこうと決めたのは、ゼムズが――あなたの故郷の友達が、予見したからなの。私は、一緒に旅をする運命だった。シレノスの予見は必ず当たるって聞いたから。だから……目的はわからなかったけど、神が求めているのなら行ってみようって思ったの。今でも、この気持ちは変わらないわ。フェランのように目的があったわけじゃないから、そのために迷うこともなかった」
「それは……強い人の考えだね。僕も、それだけ強かったら」
「何をいってるの。悩むのと弱いのは違うのよ。私、さっきフェランのようでフェランじゃないっていったけど、そうじゃないわね。昔から変わらないところもある。フェランは、昔も今も、やさしくて強い心を持ってる。そうでなければ、ラミがあんなにあなたを慕うわけはないし、記憶の一部を取り戻すこともなかった。もっと自分に自信を持つべきよ」

 フェランが力なく微笑む。

「エルシャは、わかりづらいけど彼なりにあなたのことを考えているわ。もしこれ以上悩むことがあれば……それは、あなたが自然に記憶を取り戻す時期なのかもしれない。今は、自分の信じるとおりにすればいいと思うわ」
「……ありがとう。君のいうとおりだ、きっと」

 フェランは、さっきよりも力強く笑っていった。それを見てナイシェも安心する。

「今夜は眠れそう?」

 その言葉に、フェランはやっとわかったというような顔をした。

「知っていたの? 僕が眠れなかった理由」
「まさか。ただ、フェランにとってはいろんなことがありすぎたから、何かいえなくて抱え込んでる重荷があるんじゃないかなって、思っただけ」

 ヘッセ医師は、記憶をなくすことは子供に戻るようなものだといっていたが、確かにそのとおりだとナイシェは思った。今のフェランのことが何かと気にかかるのも、きっとそのせいだ。彼がこれまでよりも少し子供になったから、心配で放っておけないのだと、ナイシェは思った。
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