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【第四部:神の記憶】第三章
メリライナ
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三日ぶりに会ったラミは、初めて会ったときよりも幾分機嫌が悪いようだった。理由は簡単で、フェランが病気のせいでなかなか一緒に遊べなかったからだ。その日も町の小広場で空が赤く染まるまで遊んだあと、フェランはラミを家まで送ると申し出た。
「うん、ママもフェランに会いたがってるから、うちに来て」
ラミに案内されて薄暗い路地を縫うように進みながら、フェランは考えた。ラミが名前のことを母親にいったとすれば、彼女が興味を持つのも不思議ではない。
ラミの家は、大通りからかなり離れたところにある二階建ての一階部分だった。お世辞にもいい住まいとはいえず、扉を開くと、木のきしむ音と蝶番の音が重なり合った。
中は大きな一間からなっており、窓際の壁に沿って寝台が置いてあった。毛布が膨らんでおり、近づいてみると若い女性が横たわっていた。
「ママ、起きて。フェランを連れてきたよ」
ラミが声をかけたが、彼女は何か呻きながら寝返りを打っただけだった。
「ママ、大丈夫?」
ラミが心配そうに母親をゆする。しかし、彼女は寝言をいいながら首を左右に振っていた。
「ママ、よくうなされるの。いつも怖い夢見てるの」
ラミがすがるような目でフェランのほうを見たので、フェランは身をかがめて彼女の体をやさしく揺さぶりながら、耳元で囁いた。
「大丈夫。あなたは安全だ。安全なところにいるから、落ち着いて」
うめき声が止まり、彼女はしばらくしてからゆっくりと目を開けた。
「ママ、フェランだよ」
娘の声に気づくと、彼女ははっとして身を起こした。
「ごめんなさいね、あなたが来るころには起きていようと思ったのに」
「いえ。うなされていたけど、大丈夫ですか?」
彼女は無言でうなずいて顔を洗いに行った。その様子は、あまり大丈夫そうではない。
「うちの娘がお世話になっているらしくて、ごめんなさいね」
ある程度外見を整えると、彼女はフェランに椅子を勧めた。
「いや、僕のほうが楽しくて」
そういうフェランの前に紅茶を置いたとき、彼女は初めてフェランの顔を間近で見て声を上げた。
「あらやだ、あんたじゃないの」
意味のわからないフェランに、彼女が付け足す。
「ほら、何日か前に会ったじゃないの。あたし、メリライナっていうんだけどね、覚えてない? ハーレルの家で一悶着あった夜に、あたしあんたたちに声をかけたのよ。もうひとり、背の高いお兄さんもいたでしょ。あと女の人が二人と」
フェランはしばらく考えたが、どうしても思い出せなかった。
「ごめん、僕はあのあと頭を打って、そのときのことをよく覚えていないんだ」
メリライナは笑顔で応じた。
「あらそう。ま、今となってはそのほうがあたしも気楽だわね。うちの娘が、あんたのことをそうとう慕ってるみたいでね。あんた、旅の人でしょ? すぐいなくなるからっていってるんだけど、どうしても会いたがっちゃって」
件のラミは、寝台の上でおとなしくあやとりをしている。
「あんたたち、兄弟どうしには見えないし、何の旅をしてるの?」
「……人探しの旅を、ね」
少しの間を置いてから、フェランは答えた。
「この町にいるの? あたしも手伝ってあげられるかも。娘の礼をさせてちょうだい」
そういうメリナに、フェランは用心深く告げた。
「探しているのは、サラマ・アンギュースなんだ」
メリナはしばらく動かなかったが、やがて小さく笑った。
「なるほどね。だからあたしのところへ来たわけだ」
「ラミと知り合ったのは、まったくの偶然だけれど。君だって、何か思うところがあって僕に会おうと思ったんだろう?」
「まあね……。あんたたち四人は、みんなそうなの?」
「いや、エルシャは違う」
「そう。……で、探す理由は何なの?」
「それが、よくわからないんだ……。ただ、探し出すのが神の意志だということ以外は」
「神の、ねえ……」
鼻で笑い飛ばされるかと思ったが、メリナは真剣なまなざしのままだった。
「それで? 見つけ出されたサラマ・アンギュースは、あんたたちについて行かなきゃいけない、っていう話?」
「そうだね……できることなら」
「悪いけど、それはできないね」
即答だった。
「御覧のとおり、あたしにはまだ小さい娘がいるし、この家だってやっと手に入れたものなんだ。知ってるだろうけど、あたしは娼婦だからね、そうそういいところには住めないんだよ。この町に落ち着いてもう数年になるし、ハーレルみたいに追い出されないよう静かに暮らしたいんだよ」
フェランはうなずいた。もちろん、承諾など得られないだろうと思っていた。かといって無理強いもできない。フェランは立ち上がった。
「わかった。どうしても君が必要になったら、そのときまた来るよ」
家を出るとき、フェランはふと思い出してメリナに尋ねた。
「さっきは何の夢を見ていたの?」
「どうして?」
「寝言をいっていたから……ナリューン語で」
メリナはしばらくしてから答えた。
「大した夢じゃないわ」
フェランはそれ以上訊かないことにした。紅茶のお礼をいうと、フェランは奥にいるラミに手を振って家を出た。空はすっかり暗くなっていた。
「うん、ママもフェランに会いたがってるから、うちに来て」
ラミに案内されて薄暗い路地を縫うように進みながら、フェランは考えた。ラミが名前のことを母親にいったとすれば、彼女が興味を持つのも不思議ではない。
ラミの家は、大通りからかなり離れたところにある二階建ての一階部分だった。お世辞にもいい住まいとはいえず、扉を開くと、木のきしむ音と蝶番の音が重なり合った。
中は大きな一間からなっており、窓際の壁に沿って寝台が置いてあった。毛布が膨らんでおり、近づいてみると若い女性が横たわっていた。
「ママ、起きて。フェランを連れてきたよ」
ラミが声をかけたが、彼女は何か呻きながら寝返りを打っただけだった。
「ママ、大丈夫?」
ラミが心配そうに母親をゆする。しかし、彼女は寝言をいいながら首を左右に振っていた。
「ママ、よくうなされるの。いつも怖い夢見てるの」
ラミがすがるような目でフェランのほうを見たので、フェランは身をかがめて彼女の体をやさしく揺さぶりながら、耳元で囁いた。
「大丈夫。あなたは安全だ。安全なところにいるから、落ち着いて」
うめき声が止まり、彼女はしばらくしてからゆっくりと目を開けた。
「ママ、フェランだよ」
娘の声に気づくと、彼女ははっとして身を起こした。
「ごめんなさいね、あなたが来るころには起きていようと思ったのに」
「いえ。うなされていたけど、大丈夫ですか?」
彼女は無言でうなずいて顔を洗いに行った。その様子は、あまり大丈夫そうではない。
「うちの娘がお世話になっているらしくて、ごめんなさいね」
ある程度外見を整えると、彼女はフェランに椅子を勧めた。
「いや、僕のほうが楽しくて」
そういうフェランの前に紅茶を置いたとき、彼女は初めてフェランの顔を間近で見て声を上げた。
「あらやだ、あんたじゃないの」
意味のわからないフェランに、彼女が付け足す。
「ほら、何日か前に会ったじゃないの。あたし、メリライナっていうんだけどね、覚えてない? ハーレルの家で一悶着あった夜に、あたしあんたたちに声をかけたのよ。もうひとり、背の高いお兄さんもいたでしょ。あと女の人が二人と」
フェランはしばらく考えたが、どうしても思い出せなかった。
「ごめん、僕はあのあと頭を打って、そのときのことをよく覚えていないんだ」
メリライナは笑顔で応じた。
「あらそう。ま、今となってはそのほうがあたしも気楽だわね。うちの娘が、あんたのことをそうとう慕ってるみたいでね。あんた、旅の人でしょ? すぐいなくなるからっていってるんだけど、どうしても会いたがっちゃって」
件のラミは、寝台の上でおとなしくあやとりをしている。
「あんたたち、兄弟どうしには見えないし、何の旅をしてるの?」
「……人探しの旅を、ね」
少しの間を置いてから、フェランは答えた。
「この町にいるの? あたしも手伝ってあげられるかも。娘の礼をさせてちょうだい」
そういうメリナに、フェランは用心深く告げた。
「探しているのは、サラマ・アンギュースなんだ」
メリナはしばらく動かなかったが、やがて小さく笑った。
「なるほどね。だからあたしのところへ来たわけだ」
「ラミと知り合ったのは、まったくの偶然だけれど。君だって、何か思うところがあって僕に会おうと思ったんだろう?」
「まあね……。あんたたち四人は、みんなそうなの?」
「いや、エルシャは違う」
「そう。……で、探す理由は何なの?」
「それが、よくわからないんだ……。ただ、探し出すのが神の意志だということ以外は」
「神の、ねえ……」
鼻で笑い飛ばされるかと思ったが、メリナは真剣なまなざしのままだった。
「それで? 見つけ出されたサラマ・アンギュースは、あんたたちについて行かなきゃいけない、っていう話?」
「そうだね……できることなら」
「悪いけど、それはできないね」
即答だった。
「御覧のとおり、あたしにはまだ小さい娘がいるし、この家だってやっと手に入れたものなんだ。知ってるだろうけど、あたしは娼婦だからね、そうそういいところには住めないんだよ。この町に落ち着いてもう数年になるし、ハーレルみたいに追い出されないよう静かに暮らしたいんだよ」
フェランはうなずいた。もちろん、承諾など得られないだろうと思っていた。かといって無理強いもできない。フェランは立ち上がった。
「わかった。どうしても君が必要になったら、そのときまた来るよ」
家を出るとき、フェランはふと思い出してメリナに尋ねた。
「さっきは何の夢を見ていたの?」
「どうして?」
「寝言をいっていたから……ナリューン語で」
メリナはしばらくしてから答えた。
「大した夢じゃないわ」
フェランはそれ以上訊かないことにした。紅茶のお礼をいうと、フェランは奥にいるラミに手を振って家を出た。空はすっかり暗くなっていた。
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