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【第四部:神の記憶】第一章
失神
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「ハーレルなのか?」
エルシャが近づこうとしたが、ハーレルは手に何か光るものを握りしめていた。
「寄るな! 近づいたら刺すぞ!」
「安心しろハーレル、俺たちは君の敵じゃない」
エルシャがハーレルを挑発しないよう動きを止めて話しかける。ハルはエルシャたちに刃物を向けたまま、ゆっくりと木の板が立つ場所まで近づいてきた。そして、まだ少し盛り上がっている土に目を落とす。
「君のお母さんは、そこに埋めたよ。……あのままでは気の毒だったから」
するとハルは刃物を持った震える手を前へ突き出した。
「母さんをこんなにしたのはおまえたちだ! 母さんが死んだのは、おまえたちのせいなんだ!」
叫びながら、ハルが四人に向かって突進してきた。咄嗟に身をひるがえしたフェランに体当たりをすると、そのまま家の向こうへの姿を消した。
「待ってくれ!」
あとを追おうとしたエルシャを、ディオネが呼び止める。
「エルシャ! フェランが……!」
見ると、ディオネがぐったりしたフェランを抱きかかえていた。
「ハーレルに体当たりされて、頭を打ったのよ。けがはしてないみたいだけど、気を失ってるわ」
エルシャはかがんでフェランの首に手を当てた。脈に異常はない。目を上げたが、ハルの気配はすでに消えていた。
エルシャはため息をついた。
「……とりあえず、宿を探そう」
真夜中を過ぎても、フェランは目を覚まさなかった。呼吸も脈も乱れてはおらず、まるで眠っているようだったが、声をかけても頬を叩いても、まったく反応しない。
「朝になっても目を覚まさなかったら医者を呼ぼう」
エルシャはフェランの隣に腰を下ろした。
暗闇の中、間近で見たハーレルの姿を思い出す。母親をあのままにしておくことができずに戻ってきたに違いない。まだ二十そこそこの青年だった。母親と二人で、支え合って生きてきたのだろう。ひどく怒り、そして怯えていた。母親の死は自分たちのせいだといっていた。ひょっとすると、ミネリーはあの騒ぎのせいで死んだのかもしれない――心臓が悪かったというから。どちらにしろ、あの青年は姿を消した。これからはひとりで生きていかなくてはならないはずだ。
そして、寝台の上で目を閉じたままのフェランを見やる。
フェランも、ハーレルに似ているかもしれない。生まれたときから母親と二人で生活をしてきた。その母親も、五歳のときに亡くなり、かけらを託されたフェランはその若さでひとり身となった。母親に逃げろといわれ、フェランはわけもわからず夢中で逃げた。走って走って、そして気を失ったのだ――。
エルシャは、今でもフェランがときどき当時の夢でうなされることがあるのを知っていた。自分の腹からかけらを取り出す母親を目の当たりにした五歳の子供の恐怖は、まったく想像がつかなかった。
空が白んできた。フェランはまだ目を覚まさない。
「エルシャ、少し横になったら?」
隣の部屋で寝ていたディオネがやってきて交代する。横になると、重たいまぶたは簡単に閉じ、エルシャはすぐ眠りに落ちた。
窓の外では陽がすっかり昇り、通りの人出がみるみる増えていく。ナイシェは隣のフェランのほうを見た。朝方に姉のディオネと代わってから、その様子は変わらない。隣の部屋からエルシャがやってきて、フェランの顔をうかがう。
「……医者を呼んだほうがよさそうだな。ナイシェ、フェランを頼む」
エルシャはディオネとともに宿を出ていった。残されたナイシェは、身動きひとつしないフェランをじっと見つめた。白い肌と長い栗色の髪を持ち、目を閉じて横たわっているフェランの姿は、まるで精密に作られた人形のようだ。ゆっくりと定期的に上下する胸の動きを見ながら、このまま目を覚まさないのではないかと心配になる。しかし、エルシャたちが出かけてしばらくしたとき、フェランの口からかすかにうめき声が漏れた。ナイシェがフェランの手に触れて声をかける。
「フェラン、しっかりして!」
フェランは眉をひそめて何度かかすれた声を出したあと、ゆっくりと目を開けた。
「よかった! 一晩中気を失っていたのよ。大丈夫?」
ナイシェが意識のはっきりしないフェランに向かって懸命に話しかける。フェランはナイシェの言葉にしばらく耳を傾けたあと、肘をついて上半身を起こそうとし、顔をしかめた。
「まだ起きちゃだめよ、頭を強く打ったんだから」
ナイシェは台所から冷たく濡らした布を持ってきて、フェランの後頭部にあてがった。
「……ありがとう……」
フェランははっきりしない声でそういうと、再びゆっくりと枕に頭を沈めた。
「今、ディオネ姉さんとエルシャがお医者さんを呼びに行ってるわ。とても強く頭を打ったから、診てもらわないと」
「ここは……?」
フェランがあたりを見回す。
「ここは、ニコルの宿屋よ。あなたが気を失ったすぐあとに、ここに泊まったの。覚えてる? 昨夜、あなたはハーレルとぶつかって、壁に頭を打ちつけて気絶しちゃったのよ」
フェランを眉間にしわを寄せたまま話を聞いていたが、まだ頭が働かないのか返事はなかった。代わりに、ナイシェの目を覗き込んで彼は尋ねた。
「……君は、誰?」
エルシャが近づこうとしたが、ハーレルは手に何か光るものを握りしめていた。
「寄るな! 近づいたら刺すぞ!」
「安心しろハーレル、俺たちは君の敵じゃない」
エルシャがハーレルを挑発しないよう動きを止めて話しかける。ハルはエルシャたちに刃物を向けたまま、ゆっくりと木の板が立つ場所まで近づいてきた。そして、まだ少し盛り上がっている土に目を落とす。
「君のお母さんは、そこに埋めたよ。……あのままでは気の毒だったから」
するとハルは刃物を持った震える手を前へ突き出した。
「母さんをこんなにしたのはおまえたちだ! 母さんが死んだのは、おまえたちのせいなんだ!」
叫びながら、ハルが四人に向かって突進してきた。咄嗟に身をひるがえしたフェランに体当たりをすると、そのまま家の向こうへの姿を消した。
「待ってくれ!」
あとを追おうとしたエルシャを、ディオネが呼び止める。
「エルシャ! フェランが……!」
見ると、ディオネがぐったりしたフェランを抱きかかえていた。
「ハーレルに体当たりされて、頭を打ったのよ。けがはしてないみたいだけど、気を失ってるわ」
エルシャはかがんでフェランの首に手を当てた。脈に異常はない。目を上げたが、ハルの気配はすでに消えていた。
エルシャはため息をついた。
「……とりあえず、宿を探そう」
真夜中を過ぎても、フェランは目を覚まさなかった。呼吸も脈も乱れてはおらず、まるで眠っているようだったが、声をかけても頬を叩いても、まったく反応しない。
「朝になっても目を覚まさなかったら医者を呼ぼう」
エルシャはフェランの隣に腰を下ろした。
暗闇の中、間近で見たハーレルの姿を思い出す。母親をあのままにしておくことができずに戻ってきたに違いない。まだ二十そこそこの青年だった。母親と二人で、支え合って生きてきたのだろう。ひどく怒り、そして怯えていた。母親の死は自分たちのせいだといっていた。ひょっとすると、ミネリーはあの騒ぎのせいで死んだのかもしれない――心臓が悪かったというから。どちらにしろ、あの青年は姿を消した。これからはひとりで生きていかなくてはならないはずだ。
そして、寝台の上で目を閉じたままのフェランを見やる。
フェランも、ハーレルに似ているかもしれない。生まれたときから母親と二人で生活をしてきた。その母親も、五歳のときに亡くなり、かけらを託されたフェランはその若さでひとり身となった。母親に逃げろといわれ、フェランはわけもわからず夢中で逃げた。走って走って、そして気を失ったのだ――。
エルシャは、今でもフェランがときどき当時の夢でうなされることがあるのを知っていた。自分の腹からかけらを取り出す母親を目の当たりにした五歳の子供の恐怖は、まったく想像がつかなかった。
空が白んできた。フェランはまだ目を覚まさない。
「エルシャ、少し横になったら?」
隣の部屋で寝ていたディオネがやってきて交代する。横になると、重たいまぶたは簡単に閉じ、エルシャはすぐ眠りに落ちた。
窓の外では陽がすっかり昇り、通りの人出がみるみる増えていく。ナイシェは隣のフェランのほうを見た。朝方に姉のディオネと代わってから、その様子は変わらない。隣の部屋からエルシャがやってきて、フェランの顔をうかがう。
「……医者を呼んだほうがよさそうだな。ナイシェ、フェランを頼む」
エルシャはディオネとともに宿を出ていった。残されたナイシェは、身動きひとつしないフェランをじっと見つめた。白い肌と長い栗色の髪を持ち、目を閉じて横たわっているフェランの姿は、まるで精密に作られた人形のようだ。ゆっくりと定期的に上下する胸の動きを見ながら、このまま目を覚まさないのではないかと心配になる。しかし、エルシャたちが出かけてしばらくしたとき、フェランの口からかすかにうめき声が漏れた。ナイシェがフェランの手に触れて声をかける。
「フェラン、しっかりして!」
フェランは眉をひそめて何度かかすれた声を出したあと、ゆっくりと目を開けた。
「よかった! 一晩中気を失っていたのよ。大丈夫?」
ナイシェが意識のはっきりしないフェランに向かって懸命に話しかける。フェランはナイシェの言葉にしばらく耳を傾けたあと、肘をついて上半身を起こそうとし、顔をしかめた。
「まだ起きちゃだめよ、頭を強く打ったんだから」
ナイシェは台所から冷たく濡らした布を持ってきて、フェランの後頭部にあてがった。
「……ありがとう……」
フェランははっきりしない声でそういうと、再びゆっくりと枕に頭を沈めた。
「今、ディオネ姉さんとエルシャがお医者さんを呼びに行ってるわ。とても強く頭を打ったから、診てもらわないと」
「ここは……?」
フェランがあたりを見回す。
「ここは、ニコルの宿屋よ。あなたが気を失ったすぐあとに、ここに泊まったの。覚えてる? 昨夜、あなたはハーレルとぶつかって、壁に頭を打ちつけて気絶しちゃったのよ」
フェランを眉間にしわを寄せたまま話を聞いていたが、まだ頭が働かないのか返事はなかった。代わりに、ナイシェの目を覗き込んで彼は尋ねた。
「……君は、誰?」
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