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【第三部:とらわれの舞姫】第七章

サリの兄

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 その日も、エルシャたちは何の手がかりもつかめずに宿へ帰ることになった。食事が終われば、エルシャとフェランだけ町の酒場へ行くことになっている。そこで、さまざまな土地から訪れる旅人たちの話を聞き、情報を得ようというのだ。しかし、少なくともこの二日間は、それも徒労に終わっていた。

 食事をしながら、エルシャは考えた。いつであったか、ディオネがいっていた――サラマ・アンギュースたちは不思議な糸で結ばれていて、自然に集まるのではないか、と。これまでのところは、そのとおりだった。ナイシェもディオネも、ゼムズやショーも、フェランに至ってはもっとも奇妙だがまったく自然な形で、こちらから近づくことなく吸い寄せれるようにサラマ・アンギュースたちが集まった。これが神の思し召しであるなら、自分がいかに努力しようと、出会いは遅かれ早かれやってくるのではないか。
 しかし、そんな出会いを信じるのは非常に勇気のいることだった。自ら働きかけても、見つかるとも知れない神の民たち。フェランやナイシェたちを道連れに先の知れない旅に出、あげくに身動きが取れなくなってしまったら?

 一瞬、暗闇と責任という恐怖が、エルシャの体を駆け抜ける。しかし、エルシャは目を閉じて思い浮かべた――緑の木々に囲まれた、白い建物。白は、無――恐怖や邪念に自らを支配されそうになったときには、心を無にして、神にすべてをゆだねなさい。そう教えられた、神官の館。母の死をきっかけに不純な動機で志した神官の道だったが、今ではその神が、エルシャの生き方の指針となっていた。神の意志により、自分は今ここにいる――そう考えると、エルシャにはどんな恐怖や不安にも立ち向かえるように思えた。

 食事が終わるころ、それまでずっと口を閉ざしていたサリが、静かにフォークを食卓に置いて口を開いた。

「……サラマ・アンギュースを探してるって、いったよね」
 みな、食事の手を止めてサリのほうへ注意を注ぐ。サリは目を上げて、しっかりとみなの顔を見回した。
「みんな……そうなの?」

 しばらくの間のあと、エルシャが答えた。

「俺以外は、みんなそうだよ。ナイシェは創造の、ディオネは破壊の、フェランは予見の民だ」

 サリは名前の挙がった三人の顔を順に見ると、少しだけうつむいた。

「ごめん……あたし、勝手に決めつけてたみたい。三人を見て、思った。ナイシェやディオネやフェランのことを……人殺し呼ばわりするなんて……ひどいこといったと思う」
 そして、顔を上げた。
「あたしにも、協力させて。人探しは多いほうがいいもの」

 ナイシェが満面の笑みでそれに応えた。

「助かるわ、サリ」

 サリが照れたように笑う。

「ほら、あたしも探したい人がいるし。話したよね、あたしの兄貴」
「数年前から連絡がとれないんだろう? いろんな町を回れば、きっと見つかるよ。一緒に探そう」

 サリがうれしそうにうなずいた。

「うん、ありがとう。あたしの自慢の兄貴でさ、見つかったらエルシャたちとも絶対仲良くなるよ。ショーっていうんだけど、すごく剣の腕がよくてね、よく腕試しっていいながらいろんな町の悪党どもと渡り合ってるらしいんだけど……」

 しかし、みなサリの話を最後までは聞いていなかった。頬を紅潮させてさも嬉しそうに話をするサリの言葉の中にただひとつ、全員を硬直させるものがあったのだ。

「ショー……だって……?」

 そう呟いたのはエルシャだった。

「うん。ショーっていう名前だけど……」

 サリが身を乗り出す。

「もしかして、知ってるの!?」

 エルシャは言葉を詰まらせた。

「あ……あ、ショーは――」

 しかし興奮したサリが次々と質問を浴びせかける。

「知ってるのね!? 会ったの? どこで、いつ? 兄貴、元気だった? 今どうしてるのかな、あたしのことは何かいってなかった?」
「ま……待ってくれ、サリ。ショーとは二か月ほど前に会ったんだ。そのことで、話が――」

 声を荒げるサリを押しとどめながら、エルシャは話の切り出し方を考えあぐねていた。ショーの妹を探していたとはいえ、それはあまりにも唐突な出会いだった。妹を見つけ出したら、真実を告げなければ――その思いは、みな同じだった。しかし、兄の所在を知る人物と巡り合い再会の望みに胸を躍らせる少女を前に、真実を告げる最良のすべがいったい何なのか、エルシャにはわからなくなっていた。

「兄貴は今どこにいるの? どこに行けば会えるの?」

 必死に詰め寄るサリに、エルシャは体中が締めつけられる思いで答えた。

「ショーには……もう、会えないよ」
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