上 下
123 / 371
【第三部:とらわれの舞姫】第六章

別れ

しおりを挟む
 よく晴れた日の朝。深い森の中に建つカイル・スカーライン伯爵の別邸の正門前に、一台の馬車が停まっていた。門の周りには、たくさんの侍女たち。テイジーやシルフィールの姿もある。そして彼らに囲まれて、ナイシェとカイルの姿があった。

「いろいろとお世話になりました。さようなら」

 そういって、ナイシェは会釈をした。雲一つない真っ青な空のように、ナイシェの心も澄み渡っていた。

「最高の踊りを見せてくださって、私本当に幸せです。どうぞお元気で、ナイシェ様」

 そういうテイジーは少し寂しそうだ。続いてシルフィールがナイシェの手を握った。

「昨夜の踊りは、とても見事でした。ナイシェ様のお姿を拝見することはできませんでしたが、私のまぶたにはしっかりと映りましたよ――流星のように降り注ぐ、銀の光が」

 ナイシェはもう一度礼をいうと、後ろにいるカイルのほうへ振り返った。

「そろそろ行くか」

 カイルが馬車の扉を開ける。ナイシェに続いてカイルも乗り込むと、御者の手によって扉が閉められた。ナイシェは窓から外を覗いた。森の中に構える伯爵邸が、いっそう大きく見える。真っ白な壁の建物を見ながら、ナイシェはふと思った。

 ……もう、こことはお別れなんだ。連れてこられたときは何が何だかわからなくて、すぐにも逃げ出したいと思って……いやなこともたくさんあって、涙もたくさん流した。でも、それでもすべてが終わった今、私はこんなにも別れを惜しんでいる。不思議だわ、つらかったことも早く姉さんたちに会いたいのも事実なのに、こんなに穏やかな気持ちでここを離れることができるなんて。

 そして隣にいるカイルの横顔を見つめた。初めて会ったときの彼の態度に、これ以上ないほど腹を立て悔しがったのをよく覚えている。そのカイルが、今では自分の隣に座り、自分を帰してくれるどころか町まで送るといっている。彼がここまで変わるとは想像もつかなかったが、ナイシェは心の奥でよく理解していた。なぜなら、自分自身が彼のために踊ろうという気になったことだって、到底信じられなかったから。
 馬のいななきとともに、馬車がゆっくりと走り出した。伯爵邸が遠くなっていく。

「……なんだか、少し寂しいわ」

 ぽつりと呟くと、カイルが笑った。

「来たときは、あんなに嫌がっていたのに?」

 ナイシェもつられて笑った。

「だって、あのときと今とでは、全然状況が違うもの……あなたも、私も」

 するとカイルが静かにうなずく。

「そうだな……本当に君には、とんでもないことをしたと思っている。謝っても謝り切れないくらいだ。君がエルシャ殿のもとへ戻ったら、僕はただでは済まされないだろうな」

 そういって自嘲するカイルに、ナイシェが首を横に振る。

「そんなことないわ。あなたはこうして私を帰してくれるんだし、私もかえって伯爵と別れるのが寂しいくらいなのよ。たとえエルシャが怒っても、私が説得してみせるわ」
「……ありがとう」

 カイルがそういって微笑んだ。ナイシェはうなずきながら、つい顔を背けてしまった。前にも、こういうことがあった――あまりにも純粋な笑みに、自分のほうが恥ずかしくなってしまうことが。けれど、それはナイシェにはうれしいことだ。そして同時に、彼の笑みは昨夜から心の奥で抱いていた疑問を再起させるのだった。何となく訊きづらくて口に出さないでいたが、ナイシェはとうとう我慢できずにカイルへ尋ねた。

「あの……どうして、私を帰してくれるの?」

 カイルは一瞬ナイシェを見つめると、またすぐ目を逸らした。

「君の踊りを……失いたくなかったからだよ」

 ナイシェが理解できずにいると、カイルが続けた。

「僕が拘束することで君が踊れなくなってしまうくらいなら……僕の見えないところでもいいから、踊り続けてほしい。そんな気持ちになったんだ。君が、あまりにも幸せそうに踊るから……」

 そしてちらりとナイシェのほうを見やると、苦笑した。

「結局、君に、踊りを失ってほしくないということかな」

 ナイシェは胸が痛くなるのを感じた。

「あの……また会う機会があったら、私、いつでも踊りますから。今は無理だけど、いつかきっと。……私も、伯爵に教わったんです。今まではただ楽しいから踊っていたけれど、誰かが私の踊りを見て喜んでくれるってことのほうが、ずっと楽しいって」
「ありがとう。そうだな、またいつか、きっとアルマニア宮殿で会えるだろう」

 そういいながら、カイルは窓の外へ目をやった。木々が次第に少なくなり、前方に町壁が見えてきた。

「本当にツールでいいのか? アルマニアまで送れるが」
「いえ、大丈夫です。もともと北へ向かう予定だったから、この町にいれば合流できると思うわ」
「危険だからエルシャ殿と会えるまで人をつけるよ」
「本当に大丈夫だから。私、下町育ちだし、一座の巡業で大抵の町は知ってるから、心配はいりません」
「……そうか」

 カイルは浅くため息をつくと、持っていた袋から小さな包みを取り出した。

「それじゃこれだけでも、受け取ってもらえないか。旅費の足しにしてほしい。その……僕の、気持ちなんだ。こんな形にしかならないのだけれど」

 ナイシェは包みに目をやった。中身はすぐにわかった。不安げなカイルに微笑みかけると、ナイシェは手を出した。

「どうもありがとう……遠慮なく、いただきます」

 カイルはほっとしたように包みを手渡した。それはナイシェが受け取った、銀のショールに続く二つ目の贈り物だった。
 町壁のすぐ手前で馬車がゆっくりと停まった。御者が扉を開ける。カイルは地に降り立つと、深くため息をついた。

「早いものだな、もう別れか」

 ナイシェが何もいえないでいると、カイルはナイシェの肩をそっと抱いた。

「本当にありがとう。君の踊りは、けして忘れないよ」

 碧の瞳に寂しそうな影を宿して、カイルは微笑した。ナイシェも答えるように微笑むと、ひとつ息をついて、踵を返した。カイルのまなざしを背中に感じながら、ナイシェはツールの町に足を踏み入れた。カイルが黙って見ている。ナイシェはそんな彼に向かって大きく笑いかけ、手を振った。

「また、絶対会うわ! 宮殿で、絶対!」

 カイルは一瞬きょとんとすると、満面の笑みで手を振り返した。

「待っているよ! 約束だからな!」

 ナイシェはしっかりとうなずき、再び歩き出した。今度は振り返らなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】帝国から追放された最強のチーム、リミッター外して無双する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】  スペイゴール大陸最強の帝国、ユハ帝国。  帝国に仕え、最強の戦力を誇っていたチーム、『デイブレイク』は、突然議会から追放を言い渡される。  しかし帝国は気づいていなかった。彼らの力が帝国を拡大し、恐るべき戦力を誇示していたことに。  自由になった『デイブレイク』のメンバー、エルフのクリス、バランス型のアキラ、強大な魔力を宿すジャック、杖さばきの達人ランラン、絶世の美女シエナは、今まで抑えていた実力を完全開放し、ゼロからユハ帝国を超える国を建国していく。   ※この世界では、杖と魔法を使って戦闘を行います。しかし、あの稲妻型の傷を持つメガネの少年のように戦うわけではありません。どうやって戦うのかは、本文を読んでのお楽しみです。杖で戦う戦士のことを、本文では杖士(ブレイカー)と描写しています。 ※舞台の雰囲気は中世ヨーロッパ〜近世ヨーロッパに近いです。 〜『デイブレイク』のメンバー紹介〜 ・クリス(男・エルフ・570歳)   チームのリーダー。もともとはエルフの貴族の家系だったため、上品で高潔。白く透明感のある肌に、整った顔立ちである。エルフ特有のとがった耳も特徴的。メンバーからも信頼されているが…… ・アキラ(男・人間・29歳)  杖術、身体能力、頭脳、魔力など、あらゆる面のバランスが取れたチームの主力。独特なユーモアのセンスがあり、ムードメーカーでもある。唯一の弱点が…… ・ジャック(男・人間・34歳)  怪物級の魔力を持つ杖士。その魔力が強大すぎるがゆえに、普段はその魔力を抑え込んでいるため、感情をあまり出さない。チームで唯一の黒人で、ドレッドヘアが特徴的。戦闘で右腕を失って以来義手を装着しているが…… ・ランラン(女・人間・25歳)  優れた杖の腕前を持ち、チームを支える杖士。陽気でチャレンジャーな一面もあり、可愛さも武器である。性格の共通点から、アキラと親しく、親友である。しかし実は…… ・シエナ(女・人間・28歳)  絶世の美女。とはいっても杖士としての実力も高く、アキラと同じくバランス型である。誰もが羨む美貌をもっているが、本人はあまり自信がないらしく、相手の反応を確認しながら静かに話す。あるメンバーのことが……

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

麻雀少女青春奇譚【財前姉妹】~牌戦士シリーズepisode1~

彼方
大衆娯楽
 麻雀好きな女子高生が様々な仲間やライバルに出会い切磋琢磨していく様を彼方流本格戦術を交えて表現した新感覚の麻雀小説。  全ての雀士の実力向上を確約する異端の戦術が満載!  笑いあり涙ありの麻雀少女ファンタスティック青春ストーリー!! 第一局【女子高生雀士集結編】 第二局【カオリ覚醒編】 第三局【付喪神編】 第四局【プロ雀士編】 第伍局【少女たちの挑戦編】 第六局【規格外の新人編】 第七局【新人王編】 第八局【運命の雀荘編】 第九局【新世代編】 第十局【激闘!女流リーグ編】 第十一局【麻雀教室編】 第十二局【雀聖位編】 第十三局【支援編】 第十四局【師団名人戦編①】 第十伍局【師団名人戦編②】 第十六局【決勝戦編】

【 完 結 】スキル無しで婚約破棄されたけれど、実は特殊スキル持ちですから!

しずもり
ファンタジー
この国オーガスタの国民は6歳になると女神様からスキルを授かる。 けれど、第一王子レオンハルト殿下の婚約者であるマリエッタ・ルーデンブルグ公爵令嬢は『スキル無し』判定を受けたと言われ、第一王子の婚約者という妬みや僻みもあり嘲笑されている。 そしてある理由で第一王子から蔑ろにされている事も令嬢たちから見下される原因にもなっていた。 そして王家主催の夜会で事は起こった。 第一王子が『スキル無し』を理由に婚約破棄を婚約者に言い渡したのだ。 そして彼は8歳の頃に出会い、学園で再会したという初恋の人ルナティアと婚約するのだと宣言した。 しかし『スキル無し』の筈のマリエッタは本当はスキル持ちであり、実は彼女のスキルは、、、、。 全12話 ご都合主義のゆるゆる設定です。 言葉遣いや言葉は現代風の部分もあります。 登場人物へのざまぁはほぼ無いです。 魔法、スキルの内容については独自設定になっています。 誤字脱字、言葉間違いなどあると思います。見つかり次第、修正していますがご容赦下さいませ。

失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~

紅月シン
ファンタジー
 聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。  いや嘘だ。  本当は不満でいっぱいだった。  食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。  だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。  しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。  そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。  二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。  だが彼女は知らなかった。  三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。  知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。 ※完結しました。 ※小説家になろう様にも投稿しています

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる

十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

異世界に転生したので幸せに暮らします、多分

かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。 前世の分も幸せに暮らします! 平成30年3月26日完結しました。 番外編、書くかもです。 5月9日、番外編追加しました。 小説家になろう様でも公開してます。 エブリスタ様でも公開してます。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...