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【第三部:とらわれの舞姫】第五章
伯爵邸の踊り子
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「んまあ、あなたが噂のナイシェちゃんね」
「あら、どんなに妖艶な女かと思ったら、まだ可愛い女の子じゃないの」
部屋に入るなり、ナイシェは美しく華やかな女性たちの猛攻にあった。
「それじゃ皆さま、三十分後までにお化粧お願いします」
テイジーがそういい残して逃げるように帰っていく。
その日、朝食後にテイジーがナイシェを連れて行ったのは、踊り子の部屋だった。昼に小広間で催しをするためである。催しとはもちろんナイシェの演技であり、その身支度をするために彼女は連れてこられたのだ。
「うちでも噂になってたから、どんな子かと思ってたら、まだちっちゃな女の子じゃないの。びっくりしちゃった」
「う、噂ですか……」
「あら、知らないの? あのお堅いカイル様を魅了し、しかも変えてしまった踊り子だって有名なのよ。だからあたしたち、てっきり伯爵を骨抜きにしちゃうくらい妖艶な女だと思っちゃったわけ」
女性のひとりがナイシェの背中を軽く叩く。
「そんなわけで、どんなふうに踊るのか、あたしたちも拝見させてもらうわ。……で、どんな踊りにするつもり? それによって衣装が決まるからね」
「どんなって……あまり考えていなかったんですけど……」
ナイシェのしどろもどろな答えに、踊り子たちが目を丸くする。
「んまあ、即興で踊るつもり?」
その反応に、ナイシェのほうが驚いてしまった。
「あの、私、考えるのが得意じゃなくて……。その場で、体に任せるほうが……」
「でも、少しくらい何かあるでしょ? 例えば、激しい感じとか、何を表現するとか」
ナイシェは困りつつも何か考えようとした。自分は、カイル伯爵の前に出たらどんなふうに踊るだろう。
「うーんと……愛、かな……」
途端に踊り子たちが口笛を吹いてはやし立てる。
「お熱いわねえ。踊りながら伯爵に愛の告白?」
ナイシェは真っ赤になって否定した。
「ち、違います! 何となく、愛とかやさしさとか、そういう感じの踊りになるかな、と思っただけで」
すると彼女たちはくすくす笑いながらナイシェの頭をかき回した。
「純な子ねえ。ま、そういうことなら、薄い色のほうがいいわね。こういうのはどう?」
ひとりが桃色の長いドレスを持ち出してきた。袖のない、細いものだ。
「で、その上にこういうのを羽織ったら、風を受けてきれいになびくわよ」
そしてよく光る透明に近い白いショールを示す。それらは確かにナイシェが思ったとおりの衣装だった。が、彼女の目は別のものに惹きつけられた。
「これ……」
指さしたのは、白いショールの隣に置いてあった、銀色の布。ひとつだけ、きらきらと光を放ち、生命力にあふれたショール。
「ああ、これね。いい目してるわ。でもね」
残念そうにひとりがいった。
「これ、ものすごく重いのよ。その分存在感があるでしょ? あたしたちも一目で気に入って買ったんだけどね、実際に身につけて踊ろうとすると、とてもじゃないけどダメなのよ。重いから常に振り回してないとショールみたいに宙は舞わないし、こっちに気を取られて踊るどころじゃないのよね。持ってみる?」
ナイシェは銀のショールを受け取った。その思いもかけない重みに、あやうく落とすところだった。大きな石一個分ほどの重さはありそうだ。白い布の上に綿密に施された銀の刺繍と、その輝きを充分引き立たせるために必要な質感を出すための何らかの細工が、この生地をこんなに重くしているらしい。確かに、これをショールとして使うには振り回す以外手がなさそうだ。
「ね、あなたみたいな細い子だとなおさら無理だと思うわよ」
しかし、ナイシェには手放しがたかった。これを身にまとって風のように踊れたら、どんなに楽しいだろう。どんなに美しいだろう。
気がつくと、彼女は畳まれたショールを開いていた。そのまま両端を持って、軽くたわませる。ショールは宙を舞い、その残像に銀の河が現れた。その美しさに、思わずため息が漏れる。
もっと見たい。もっと、揺らめく銀の波を見ていたい。
そんな思いに突き動かされて、ナイシェは腕を差し伸べた。そして、空気の衣を織りなすかのように腕を動かす。銀の布は夕陽に輝く水面のようにゆらゆらと宙を舞った。その舞に合わせて、ナイシェの足も動き始めた。つま先から布の端まで、まるでひとつになったかのように滑らかに空を駆ける。重たいはずのショールは、今やナイシェの周りに幾多もの流星を作り出していた。それは月の涙のようにはらはらと、立ち尽くす女性たちの上へ降り注いだ。
「……すごいわ」
誰かが呟いた。
「このショールで踊れるなんて……」
我に返ったナイシェに向かって、踊り子たちは口々にまくしたてた。
「カイル伯爵が気に入ったわけ、やっとわかったわ! あなたは一流の踊り子よ。あたしたちだって、そのショールは使いこなせなかったんだから」
「あんなにきれいに踊られちゃ、どうしようもないわ。それ、あなたにあげる」
そして、ナイシェの手を引いて鏡台の前に座らせた。
「さ、こっちにいらっしゃい。その銀のショールに合う最高のお化粧をしてあげる」
「あら、どんなに妖艶な女かと思ったら、まだ可愛い女の子じゃないの」
部屋に入るなり、ナイシェは美しく華やかな女性たちの猛攻にあった。
「それじゃ皆さま、三十分後までにお化粧お願いします」
テイジーがそういい残して逃げるように帰っていく。
その日、朝食後にテイジーがナイシェを連れて行ったのは、踊り子の部屋だった。昼に小広間で催しをするためである。催しとはもちろんナイシェの演技であり、その身支度をするために彼女は連れてこられたのだ。
「うちでも噂になってたから、どんな子かと思ってたら、まだちっちゃな女の子じゃないの。びっくりしちゃった」
「う、噂ですか……」
「あら、知らないの? あのお堅いカイル様を魅了し、しかも変えてしまった踊り子だって有名なのよ。だからあたしたち、てっきり伯爵を骨抜きにしちゃうくらい妖艶な女だと思っちゃったわけ」
女性のひとりがナイシェの背中を軽く叩く。
「そんなわけで、どんなふうに踊るのか、あたしたちも拝見させてもらうわ。……で、どんな踊りにするつもり? それによって衣装が決まるからね」
「どんなって……あまり考えていなかったんですけど……」
ナイシェのしどろもどろな答えに、踊り子たちが目を丸くする。
「んまあ、即興で踊るつもり?」
その反応に、ナイシェのほうが驚いてしまった。
「あの、私、考えるのが得意じゃなくて……。その場で、体に任せるほうが……」
「でも、少しくらい何かあるでしょ? 例えば、激しい感じとか、何を表現するとか」
ナイシェは困りつつも何か考えようとした。自分は、カイル伯爵の前に出たらどんなふうに踊るだろう。
「うーんと……愛、かな……」
途端に踊り子たちが口笛を吹いてはやし立てる。
「お熱いわねえ。踊りながら伯爵に愛の告白?」
ナイシェは真っ赤になって否定した。
「ち、違います! 何となく、愛とかやさしさとか、そういう感じの踊りになるかな、と思っただけで」
すると彼女たちはくすくす笑いながらナイシェの頭をかき回した。
「純な子ねえ。ま、そういうことなら、薄い色のほうがいいわね。こういうのはどう?」
ひとりが桃色の長いドレスを持ち出してきた。袖のない、細いものだ。
「で、その上にこういうのを羽織ったら、風を受けてきれいになびくわよ」
そしてよく光る透明に近い白いショールを示す。それらは確かにナイシェが思ったとおりの衣装だった。が、彼女の目は別のものに惹きつけられた。
「これ……」
指さしたのは、白いショールの隣に置いてあった、銀色の布。ひとつだけ、きらきらと光を放ち、生命力にあふれたショール。
「ああ、これね。いい目してるわ。でもね」
残念そうにひとりがいった。
「これ、ものすごく重いのよ。その分存在感があるでしょ? あたしたちも一目で気に入って買ったんだけどね、実際に身につけて踊ろうとすると、とてもじゃないけどダメなのよ。重いから常に振り回してないとショールみたいに宙は舞わないし、こっちに気を取られて踊るどころじゃないのよね。持ってみる?」
ナイシェは銀のショールを受け取った。その思いもかけない重みに、あやうく落とすところだった。大きな石一個分ほどの重さはありそうだ。白い布の上に綿密に施された銀の刺繍と、その輝きを充分引き立たせるために必要な質感を出すための何らかの細工が、この生地をこんなに重くしているらしい。確かに、これをショールとして使うには振り回す以外手がなさそうだ。
「ね、あなたみたいな細い子だとなおさら無理だと思うわよ」
しかし、ナイシェには手放しがたかった。これを身にまとって風のように踊れたら、どんなに楽しいだろう。どんなに美しいだろう。
気がつくと、彼女は畳まれたショールを開いていた。そのまま両端を持って、軽くたわませる。ショールは宙を舞い、その残像に銀の河が現れた。その美しさに、思わずため息が漏れる。
もっと見たい。もっと、揺らめく銀の波を見ていたい。
そんな思いに突き動かされて、ナイシェは腕を差し伸べた。そして、空気の衣を織りなすかのように腕を動かす。銀の布は夕陽に輝く水面のようにゆらゆらと宙を舞った。その舞に合わせて、ナイシェの足も動き始めた。つま先から布の端まで、まるでひとつになったかのように滑らかに空を駆ける。重たいはずのショールは、今やナイシェの周りに幾多もの流星を作り出していた。それは月の涙のようにはらはらと、立ち尽くす女性たちの上へ降り注いだ。
「……すごいわ」
誰かが呟いた。
「このショールで踊れるなんて……」
我に返ったナイシェに向かって、踊り子たちは口々にまくしたてた。
「カイル伯爵が気に入ったわけ、やっとわかったわ! あなたは一流の踊り子よ。あたしたちだって、そのショールは使いこなせなかったんだから」
「あんなにきれいに踊られちゃ、どうしようもないわ。それ、あなたにあげる」
そして、ナイシェの手を引いて鏡台の前に座らせた。
「さ、こっちにいらっしゃい。その銀のショールに合う最高のお化粧をしてあげる」
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