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【第三部:とらわれの舞姫】第五章
失敗①
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心臓が止まりそうなほど驚き、ナイシェは思わず塀の上で身をかがめた。が、その声が女性のものであり、しかもナイシェに気づいている様子でもなさそうなので、ナイシェはそっと塀の下を覗いてみた。ナイシェの位置からやや離れた、裏口あたりの塀の外側に、ふたつの人影が見える。二人は、人目をはばかる小声で話していた。ナイシェは微動だにせず二人が去るのを待った。しかし、聞こえてきた二人の会話に、ナイシェは耳を澄まさざるを得なかった。
「じゃ、三日後のこの時間にまた持ってくるわね」
「おい、本当にばれないのか?」
「大丈夫、伯爵は今財産管理ところじゃないから。それより早く行って、見張りが来ちゃうわ」
そういって女は、彼女が渡したらしい小さな木箱を持った男を促した。
ミゼッタだわ。ミゼッタと、前に会っていた男の人だ……。
ナイシェは自分の立場も忘れて二人の行動を凝視していた。あの重そうな木箱と今の会話。二人が何をしているのかは、すぐ見当がついた。カイルの財産を、ひそかに盗んでいるのだ――それも、定期的に。
……でも、見過ごさなければ。今止めに入って、自分から騒ぎを起こすなんて馬鹿げたことはしちゃいけないわ。
胸に何か引っかかるものを感じながら、ナイシェは黙って見ていた。男が木箱を抱えて踵を返す。
――こうして見逃すということは、私も同じ泥棒だということ……。でも、カイル伯爵のことなんて私には関係ない。伯爵のお金がなくなったって、私が痛い思いをするわけじゃないし。むしろあんなわがままな伯爵だもの、これくらいいい薬だわ……。
そういい聞かせたが、次に頭に浮かんだのはテイジーやシルフィールの顔だった。
このまま見過ごしたら、きっとミゼッタは見つかるまで続けるだろう。でも、もし誰も気づかなかったら? 気づいたときにはもう手遅れだったら? ここには、テイジーたちのように私にとてもやさしく接してくれる人がいる。なのに、ここで見ぬふりをするなんて……。
男が、森へ向かって足早に歩き出した。二人とも、まだナイシェには気づいていない。
行ってしまう……!
そう思った瞬間、無意識に体が動いた。まだ男が森へ入る前に――ミゼッタが塀の内側へ戻る前に、ナイシェは男めがけて高い塀を蹴っていた。
しんと静まり返った暗闇の中、ナイシェは男の肩に跳びついた。その反動で男は地に倒れ、ミゼッタが何事かと驚愕する。男の手から落ちた木の箱は、衝撃で蓋が開き、中から光る金貨が流れ出した。
「き、きさま誰だ!?」
男が、自分に覆いかぶさったナイシェを乱暴に押しのけて叫んだ。途端にミゼッタが男を制する。
「ちょっと、声が大きいわよ! 見張りが来ちゃうじゃない!」
しかし次の瞬間、正門にいた見張りが近づいてくるランプの灯りが見えた。
「くそっ」
男は舌打ちをすると、落とした金貨もそのままに森の中へと逃げていった。取り残されたミゼッタは呆気にとられたままナイシェを見据える。
金貨もばらまいてしまったし、今さら逃げられっこない。もうすぐ見張りが来てしまう――どうする!?
凍りついたまま動けない二人の背後に、ランプを手にした男が二人現れた。
「おまえたち、何者だ!? ここで何をしている!」
二人の誰何の声に、ナイシェとミゼッタは反射的に振り返った。見張りは、地面に散らばっている金貨を見、そしてそこに立っている二人の姿を見て、素早く剣を抜いた。
「あ、あの……!」
訳を説明しようとするナイシェを制して、ミゼッタが叫んだ。
「この娘が、金貨を盗んで逃げようとしたんです!」
ナイシェが絶句する。ミゼッタは構わず続けた。
「逃げようとしたのを見つけて、私が捕まえたんです!」
「ち……違うわ! 私が見つけたのよ! この人が、男に人に金貨の入った箱を渡していて……!」
しかし、見張りの者がそんなナイシェのいい分に耳を貸すはずもない。彼らはものすごい力でナイシェの両腕をつかむと、正門のほうへ引っ張っていった。
「来い! 伯爵のもとへ連れていく」
そしてちらりとミゼッタへ目をやる。
「一緒に来て、伯爵に説明してくれ」
ミゼッタはにっこりと笑うと、うなずいてあとについた。
「私じゃないわ! 私はこんなことしてない! 放して! 放してよ!」
体中が熱くなり、涙があふれ出そうになるのを懸命に堪えながら、ナイシェは大声で叫んだ。しかし、必死の抵抗もむなしく、ナイシェは引きずられるようにして正門まで連れてこられた。真夜中の騒ぎに、部屋の灯りが次々とともされて人々が起き出す。
「放して! 私じゃないってば!」
そのとき、正門玄関から夜着を羽織った一人の青年が駆け下りてきた。
「ナイシェ……ナイシェ様ですか!?」
「シルフィールさん!」
泣きそうな声でナイシェは彼の名を呼んだ。
「どうしたのです。何があったのですか!?」
するとナイシェが口を開く前に、彼女の腕をとらえていた男のひとりがいった。
「この娘が、伯爵の金貨を盗んで逃げようとしたんです」
「違うったら! 私じゃないわ、盗もうとしたのはミゼッタのほうよ!」
「黙れ、盗人め!」
もうひとりの男がナイシェの腕を締め上げた。思わず苦痛のうめき声が漏れる。途端にシルフィールがその男の二の腕をつかんで鋭くいった。
「何をするんです! その手を放しなさい!」
「し……しかしシルフィール様、この娘はカイル伯爵の――」
「ちゃんと話は聞いたのですか?」
すると二人は黙り込んでしまった。それを見て、ミゼッタが口を開く。
「でもシルフィール様、この娘は前からカイル様を嫌っていたではないですか。話なんて聞くまでもありませんわ」
そのとき、屋敷からゆっくりした足取りでカイルが姿を現した。
「こんな夜中に何事だ?」
彼は明らかに不機嫌な様子であたりを見回し、騒ぎの中にナイシェの姿を認めると、あからさまに怒りの表情を向けた。
「こんなところで何をしている」
それは、今までにナイシェが聞いたこともないくらい鋭く低い声だった。
「じゃ、三日後のこの時間にまた持ってくるわね」
「おい、本当にばれないのか?」
「大丈夫、伯爵は今財産管理ところじゃないから。それより早く行って、見張りが来ちゃうわ」
そういって女は、彼女が渡したらしい小さな木箱を持った男を促した。
ミゼッタだわ。ミゼッタと、前に会っていた男の人だ……。
ナイシェは自分の立場も忘れて二人の行動を凝視していた。あの重そうな木箱と今の会話。二人が何をしているのかは、すぐ見当がついた。カイルの財産を、ひそかに盗んでいるのだ――それも、定期的に。
……でも、見過ごさなければ。今止めに入って、自分から騒ぎを起こすなんて馬鹿げたことはしちゃいけないわ。
胸に何か引っかかるものを感じながら、ナイシェは黙って見ていた。男が木箱を抱えて踵を返す。
――こうして見逃すということは、私も同じ泥棒だということ……。でも、カイル伯爵のことなんて私には関係ない。伯爵のお金がなくなったって、私が痛い思いをするわけじゃないし。むしろあんなわがままな伯爵だもの、これくらいいい薬だわ……。
そういい聞かせたが、次に頭に浮かんだのはテイジーやシルフィールの顔だった。
このまま見過ごしたら、きっとミゼッタは見つかるまで続けるだろう。でも、もし誰も気づかなかったら? 気づいたときにはもう手遅れだったら? ここには、テイジーたちのように私にとてもやさしく接してくれる人がいる。なのに、ここで見ぬふりをするなんて……。
男が、森へ向かって足早に歩き出した。二人とも、まだナイシェには気づいていない。
行ってしまう……!
そう思った瞬間、無意識に体が動いた。まだ男が森へ入る前に――ミゼッタが塀の内側へ戻る前に、ナイシェは男めがけて高い塀を蹴っていた。
しんと静まり返った暗闇の中、ナイシェは男の肩に跳びついた。その反動で男は地に倒れ、ミゼッタが何事かと驚愕する。男の手から落ちた木の箱は、衝撃で蓋が開き、中から光る金貨が流れ出した。
「き、きさま誰だ!?」
男が、自分に覆いかぶさったナイシェを乱暴に押しのけて叫んだ。途端にミゼッタが男を制する。
「ちょっと、声が大きいわよ! 見張りが来ちゃうじゃない!」
しかし次の瞬間、正門にいた見張りが近づいてくるランプの灯りが見えた。
「くそっ」
男は舌打ちをすると、落とした金貨もそのままに森の中へと逃げていった。取り残されたミゼッタは呆気にとられたままナイシェを見据える。
金貨もばらまいてしまったし、今さら逃げられっこない。もうすぐ見張りが来てしまう――どうする!?
凍りついたまま動けない二人の背後に、ランプを手にした男が二人現れた。
「おまえたち、何者だ!? ここで何をしている!」
二人の誰何の声に、ナイシェとミゼッタは反射的に振り返った。見張りは、地面に散らばっている金貨を見、そしてそこに立っている二人の姿を見て、素早く剣を抜いた。
「あ、あの……!」
訳を説明しようとするナイシェを制して、ミゼッタが叫んだ。
「この娘が、金貨を盗んで逃げようとしたんです!」
ナイシェが絶句する。ミゼッタは構わず続けた。
「逃げようとしたのを見つけて、私が捕まえたんです!」
「ち……違うわ! 私が見つけたのよ! この人が、男に人に金貨の入った箱を渡していて……!」
しかし、見張りの者がそんなナイシェのいい分に耳を貸すはずもない。彼らはものすごい力でナイシェの両腕をつかむと、正門のほうへ引っ張っていった。
「来い! 伯爵のもとへ連れていく」
そしてちらりとミゼッタへ目をやる。
「一緒に来て、伯爵に説明してくれ」
ミゼッタはにっこりと笑うと、うなずいてあとについた。
「私じゃないわ! 私はこんなことしてない! 放して! 放してよ!」
体中が熱くなり、涙があふれ出そうになるのを懸命に堪えながら、ナイシェは大声で叫んだ。しかし、必死の抵抗もむなしく、ナイシェは引きずられるようにして正門まで連れてこられた。真夜中の騒ぎに、部屋の灯りが次々とともされて人々が起き出す。
「放して! 私じゃないってば!」
そのとき、正門玄関から夜着を羽織った一人の青年が駆け下りてきた。
「ナイシェ……ナイシェ様ですか!?」
「シルフィールさん!」
泣きそうな声でナイシェは彼の名を呼んだ。
「どうしたのです。何があったのですか!?」
するとナイシェが口を開く前に、彼女の腕をとらえていた男のひとりがいった。
「この娘が、伯爵の金貨を盗んで逃げようとしたんです」
「違うったら! 私じゃないわ、盗もうとしたのはミゼッタのほうよ!」
「黙れ、盗人め!」
もうひとりの男がナイシェの腕を締め上げた。思わず苦痛のうめき声が漏れる。途端にシルフィールがその男の二の腕をつかんで鋭くいった。
「何をするんです! その手を放しなさい!」
「し……しかしシルフィール様、この娘はカイル伯爵の――」
「ちゃんと話は聞いたのですか?」
すると二人は黙り込んでしまった。それを見て、ミゼッタが口を開く。
「でもシルフィール様、この娘は前からカイル様を嫌っていたではないですか。話なんて聞くまでもありませんわ」
そのとき、屋敷からゆっくりした足取りでカイルが姿を現した。
「こんな夜中に何事だ?」
彼は明らかに不機嫌な様子であたりを見回し、騒ぎの中にナイシェの姿を認めると、あからさまに怒りの表情を向けた。
「こんなところで何をしている」
それは、今までにナイシェが聞いたこともないくらい鋭く低い声だった。
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