上 下
83 / 371
【第二部:天と地の狭間】第五章

不思議な洞窟

しおりを挟む
 肌に触れるものの冷たさに、ナイシェは目を覚ました。石畳の床の上に倒れていた。あたりは暗く、石でできた洞窟のようだった。かなり奥まで続いているらしいが、暗くてよくわからない。すぐ横に、池のようなものがあった。三方を壁で囲まれ、ナイシェのいる側から入れるようになっている。とても澄んだ水だ。ナイシェはそっと水面に顔をつけてみた。底は見えない。

 カマル湖につながっているのかしら。

 ナイシェはそう思った。

 でもそんなはずはない。岸辺からこんな洞窟みたいなものは見えなかったし、それに、あの渦――あれは絶対、誰かの仕業だ。あんなふうに水を動かせる人なら、何かの魔術でもっと別の場所へ運んでしまうこともできるかもしれない。それにしても……この池の正体は?

 ナイシェは意を決すると、大きく息を吸い込んで池の中に飛び込んだ。池を取り巻く壁に沿いながら、深く深く潜っていく。どこまで行っても壁はなくならず、底もやはり見えない。かなり深そうだ。とうとう息が続かなくなり、ナイシェは水面に勢いよくあがった。
 池を通して外へ出るのは無理だった。冷たい石壁にもたれると、ナイシェは小さくため息をついた。

 とにかく、ほかのみんなを探さなければ。

 立ち上がると、くしゃみが出た。濡れて体に張りついた衣服が、体温を奪う。

「……着替えなきゃ」

 ナイシェは両の手のひらを上にして前に差し出した。ほのかな光のあと、丁寧に畳まれた衣服が現れる。服を着替えると、ナイシェは薄暗い石畳の上をゆっくりと歩き出した。
 一本道を進みながら、不安を覚える。

 あんなにすごい渦巻きだったもの、みんな無事とは限らない。みんながこの不気味な洞窟の中にいるとも……。

 しばらく行くと、道が左右に分かれていた。ナイシェはそっと壁から一方を覗き、はっとした。すぐそこの行き止まりにさっきと同じような池があり、その手前に人が倒れている。長い髪が水に濡れて金色に光っている。ということは――

「フェラン!!」

 ナイシェは走り寄ってうつぶせになっているその体を抱き起した。顔色が悪く、寒さに震えている。濡れた服に包まれたその体は、氷のように冷えていた。
 ナイシェは大きな布を創り、それでフェランの体を拭いた。フェランが小さなうめき声を漏らして顔をゆがめる。次に男物の衣服を創ると、少しためらったあとにフェランの濡れた服を脱がし始めた。薄暗くても、その陶器のような肌の美しさは手に取るようにわかる。

 ……なんて真っ白な肌なのかしら。本当に、女の子みたい……。

 目を背けながら手早く上半身を拭くと、ナイシェは新しい服にフェランの腕を通した。

「……ナイシェ……ですか?」

 フェランのか細い声がして、ナイシェははっと手を放すと一歩退いた。

「気がついてよかった……!」

 声が妙に上ずってしまう。フェランは着かけの服に気づくと、ナイシェに微笑みかけた。

「ありがとう――ナイシェが創ってくれたんですね。……ここは、どこでしょう?」
「わからないの。渦に巻き込まれてここに来ちゃったみたいだけど、エルシャたちともはぐれちゃったし」
「なるほど……」

 フェランは服を整えるとすぐに立ち上がった。

「……洞窟か何かでしょうか。とにかく、進んでみましょう」

 二人は元来た道を歩き出した。ナイシェの創った小さなランプを片手に、道に沿って歩いていく。しばらく行くと、道が右側へ緩やかに曲がり始め、やがて左に分かれ道が見えてきた。

 ひょっとすると、この先にも誰かが流れ着いているかもしれない。

 そう思って角を曲がったときだった。前を行くフェランの喉元に、ぴたりと鋭い剣先が突きつけられた。一瞬息を呑んだが、その剣の持ち主を認めるなり、二人は大きな安堵のため息をつく。

「よかった、エルシャだったのね」

 全身ずぶ濡れのエルシャが立っていた。彼は表情を緩めると剣を下ろした。

「人の気配がしたから誰かと思ったよ。とりあえず二人は無事だったんだな」
「でも、ディオネとテュリス様がどこにいるのか、まだ――」

 フェランがいいかけたとき、エルシャがそっと彼の口に手をあてた。

「静かに」

 耳を澄ますと、遠くのほうでかすかに音が聞こえる。エルシャはそっと剣に手をあてた。が、次第にその音が近づき人の声だとわかると、半ばあきれて剣から手を放した。

「まったく、ここまで来ても喧嘩か」

 女性の怒鳴る声が近づく。三人とも声のほうへ歩いて行った。やがて口論の内容が聞こえてきて、ナイシェは恥ずかしくなってしまった。

「だいたいねえ、あんたは根っからいやらしくて汚い男なのよ!」
「今ごろ気づいたか、馬鹿女」
「馬鹿って何よ、馬鹿って!」
「とことん単純で怒りっぽくてすぐ人を怒鳴りつけるような短絡的な人間のことだよ。そんなこともわからないのか」
「いちいち人のあら捜ししないでくれる!?」
「いちいち図星だからって怒鳴らないでくれるか」

 そんな怒鳴り合いのあと、小気味よい平手打ちの音が石の廊下に響き渡った。たまらずナイシェはらせん状の石畳の先にいる二人のほうへ駆けていった。

「姉さん! もう、二人とも何やってるのよ」

 そこには真っ赤になって息を荒げているディオネと、平然とたたずむテュリスの姿があった。

「まったくもう、恥ずかしいったらないんだから」

 それを聞いてテュリスがディオネの肩をぽんと叩く。

「出来のいい妹を持って幸せだな」

 再び爆発しそうになるディオネを、フェランが抑えた。

「まあまあ、落ち着いてください。テュリス様のあの性格は今に始まったことではないんですから」

 ディオネが鼻を鳴らしてぼやく。

「そんなことわかってるけどね、あいつとは馬が合わないのよ」
「でもあと少しの辛抱だから、ね? ジュノレのためなのよ」

 妹の言葉に、ディオネは平静を取り戻してテュリスを一瞥した。

「……そうね。ジュノレのためなのよ。行きましょ」

 池から外へ出るのは諦め、五人は石廊を歩いていった。しばらく行くうちに、この建物の構造が分かってきた。道はらせん状に昇っている。つまり、洞窟ではなくどこかの塔のようだった。しかし、道は上へ行くほど細く、そのらせんも険しくなっていく。そしていくら歩いても外へ通じる扉や窓はなく、頂上も程遠いようだった。

「……ここは、どこなんでしょう」

 フェランがいう。ここまで登ってしまえば、おそらく地上からはそうとう離れてしまっただろう。やはり出口はあの池しかなかったのだろうか。
 ほのかなランプの灯りだけを頼りに、冷たく湿気の多い石の上を歩き続け、やがて体力が限界に達し始めた。休憩をいい出したのはエルシャだった。ナイシェが毛布を創り、それに包まって仮眠をとる。

「ありがとう、ナイシェ。でも、あまり体力を使わないで。大変でしょう」
「大丈夫、寝ればすぐ回復するから」

 フェランの気遣いにナイシェが微笑む。姉とともに毛布をかぶり壁にもたれると、姉が肩に腕を回し、引き寄せてくれた。冷たい石壁に触れないで済むようにという配慮だ。ナイシェは安心してその腕の中に身を任せた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

実験体07が幸せになれるまで

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:22

立派な淑女に育てたはずなのに

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:490

【完結】王子様の婚約者になった僕の話

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:657

奴隷上がりの公爵家次男は今日も溺愛に気付かない

BL / 連載中 24h.ポイント:844pt お気に入り:6,759

Hand to Heart

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:139

元男爵令嬢、鉱山へ行く?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:297

処理中です...