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【第二部:天と地の狭間】第三章
カマル湖の秘密
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思いがけぬ奇襲に決着がついたころには、すでに東の地平線が白んできていた。
「休憩の続き……ってのは、無理だな」
テュリスが硬くなった肉片の山を見つめていう。そしてナイシェのほうを見やった。背を向けてしゃがみこんだまま、体を震わせている。ショーがその背中をさすりながら話しかけていた。
「大丈夫? ごめんよ、いやなものを見せて」
ナイシェは青ざめた顔で微笑む。
「いえ……私もそろそろ慣れないと」
そして立ち上がり、数回深呼吸をする。
「さあ、もう平気です! 行きましょう」
一行は再び足を進め始めた。予定より早い出発であるにも関わらず、足取りは速い。みな、感じていたからだ――砂漠に住む人食い種族は、あれだけではあるまい。
「この調子でいくと、夕方までにはカマル湖だな」
心なしか、サラマ・エステが近づいたように見える。そして陽は昇りはじめ、六人は喉の渇きを感じ始めた。水筒の中身は、もうない。休めば休むほどそれが逆効果をもたらすだろうことも、わかっていた。とにかく今は、一刻も早く湖にたどり着くことだ。
太陽は徐々に高くなり、砂の放つ熱気が全身を包み込む。やがて頭痛とめまいが頭を支配した。昨日とは比べ物にならないほどの暑さだ。そして、隙を狙うには絶好の機会だった。
白昼現れたのは、夜中の襲来とほぼ同数の褐色肌を持つ男たち。ただひとつ違ったのは、その中に年端もいかない少年が含まれていることだった。瞳だけは鋭く光っている、十歳ほどの子供。少年はまだ高く細い声でいった。
「父さんたちが仕留め損ねたのは、こいつらか」
父親の死よりも食事にありつける歓喜に震える言葉。
ショーは剣を抜いた。
力はあまり使いたくない――消耗が多すぎる。ディオネのほうは疲労の色が激しく、おそらく残っている力はひとりか二人相手にできる程度だろう。中には、戦力にならないほど疲弊している者もいる。
ショーは、サラマ・エステの位置と、今にも跳びかからんとする輩を見比べると、大声で背後にいるエルシャたちに叫んだ。
「どうやらここが俺の運だめしの場所らしいや! おまえたちは先に行け。すぐに追いつく」
途端にエルシャが叫び返す。
「何をいっている! 無謀だぞ!」
しかしショーは聞かなかった。
「おまえたちは早く行って用事とやらを済ませてこい! 俺はここで、自分の力を試したいんだ」
神の与えたもうた力ではなく、己の力を。
再び止めようとして、エルシャは気づいた。ショーの鋭く光る瞳は、戦士のそれだった。自らの限界を求めて戦いを挑む、戦士の瞳。
「……わかった。必ず、サラマ・エステの頂上で落ち合おう。わかったな!?」
エルシャはそう叫び、ナイシェたちに合図をした。五人が走り出すと同時に、敵の三人が襲ってくる。残りはショーへ。ディオネは剣を繰り出してきた男のひとりを破壊すると、妹の手を引いた。あとの二人へエルシャとテュリスが対応する。
「戻ろう、姉さん!」
ナイシェが泣きそうな顔で叫んだ。
「戻っても足手まといになるだけだよ!」
しかしナイシェが激しく首を振る。
「いやよ! 今度こそ死んでしまう! 今度こそ……!」
そしてディオネは思い出した――ヘルマークでのできごとを。
「ナイシェ! しっかりしなさい! あれはゼムズじゃないのよ。それに破壊の力を持ってる。きっと大丈夫だから!」
ナイシェは静かになったが、唇を横に引き結んで声もなく泣きじゃくっていた。
どれくらい走っただろうか。いつのまにか、天高くそびえるサラマ・エステが目前に迫っていた。西陽が砂漠を金の海に変える。風がいたずらに運ぶ砂は髪やのどに貼りつき、足元の砂は踏んでも踏んでも流水のごとく逃げていく。そんな中、フェランは何かにつまづいた。見ると、小さな塊。
「……石……?」
はっとして目を上げると、地平線の近くにところどころ緑の草が生えている。
「もうすぐだ!」
五人は疲れも忘れて走り出した。やがて、金の砂の上に輝く湖が現れた。湖岸を背の低い草が覆い、水面は夕陽を反射して七色の光を放っている。そしてその真ん中に、サラマ・エステが毅然とそびえたっていた。白い霧に姿を隠す不気味な山が、美しく輝く透きとおった湖から屹立している。
湖がなければ、この山はドラント・エステ――『悪魔の山』と呼ばれていたに違いない。
誰もがそう確信するほど、神秘に満ちた湖だった。また同時に、死を覚悟してまでもこの山に挑もうとする命知らずの若者たちが絶えない理由も、理解した。目の当たりにする者を魅了してやまない、不思議な魔力――。
エルシャは身をかがめると、そっと湖の水をすくい取り、口をつけた。
「……飲める水だ」
五人はそれぞれに水を汲むと、苦い砂の味が消えるまでのどを潤した。そして柔らかい草の上に仰向けになる。途端に、これまでの疲れが重く全身にのしかかり、五人は深い眠りへと落ちていった。
冷たい朝の風で目が覚めた。体の痛みは驚くほどよく取れていた。身を起こすと、朝もやの晴れていくサラマ・エステが目に入った。昨日はここへたどり着いただけで何も考えられなかったが、今改めて見ると様々なことに気づく。
「――山というより、塔ですね」
フェランが呟く。そのとおりだった。カマル湖の水面に出ている山麓は、歩けば二、三十分で一周できそうなほどしかない。傾斜はそれこそ、大木が幹から末枝にかけて細くなるようである。ここからは見えないが、中腹あたりからは頑丈なロープでもなければ登れないだろう。足を滑らせでもしたら最後、カマル湖の美しい青絨毯に、朱に彩られた無残な死体が浮かぶことになる。それでも、登らねばならなかった。
「でも……どうやって?」
誰からともなく発せられた言葉。すると、ナイシェがいった。
「私が、船を創るわ」
泳いで渡るには距離がありすぎる。五人が乗れる船はかなり大きなものになるが、ナイシェの体力を削ってでもそうするほうが得策のようだ。
ナイシェは湖のほとりに手をかざした。明るい光が現れ、それが消えたあとに質素な木製の船が出現する。五人はそれをカマル湖の中へそっと着水させた。水面は船を乗せるとわずかに揺れ、再び何もなかったように静かになった。そこで、五人は理解した――湖が、カマル(鏡)と呼ばれる所以を。
水に触れようと、風が吹こうと、水面に波紋がたたないのだ――鏡のように。ただじっとして、映るものを寸分のゆがみもなく反射するだけ。
不思議な力に満ちた湖。その力が邪悪なものか聖なるものか、それはわからない。しかしエルシャは何のためらいもなく、湖の中心、サラマ・エステへと船を漕ぎだした。
船の中から、そっと湖を覗き込む。遥か深くまで、透明だ。そして、自分の姿以外何も見えない。
水音ひとつ立てずにしばらく進んだとき。
くすくす。くすくす。
どこからか、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「?」
あたりに人はいない。空耳とも思える忍び笑い。
くすくす、くすくす。
再び聞こえたときだった。不意に、船を取り巻く湖の水面が動き始めた。
「何これ!?」
船が大きく揺れ、瞬く間に転覆する。五人は湖の中へ投げ出された。
「水が、勝手に動いてる!?」
足元の水が渦巻き、水中へ引き込まれる。渦はやがて大きくなり、五人を取り囲むように回りだしたかと思うと、一気に湖の底へと五人を沈めた。息ができず、鼻から口から水が流れ込む。
やはりこの湖には、魔物が――
薄れていく意識の中で、五人は何者かの笑い声を聞いていた。
「休憩の続き……ってのは、無理だな」
テュリスが硬くなった肉片の山を見つめていう。そしてナイシェのほうを見やった。背を向けてしゃがみこんだまま、体を震わせている。ショーがその背中をさすりながら話しかけていた。
「大丈夫? ごめんよ、いやなものを見せて」
ナイシェは青ざめた顔で微笑む。
「いえ……私もそろそろ慣れないと」
そして立ち上がり、数回深呼吸をする。
「さあ、もう平気です! 行きましょう」
一行は再び足を進め始めた。予定より早い出発であるにも関わらず、足取りは速い。みな、感じていたからだ――砂漠に住む人食い種族は、あれだけではあるまい。
「この調子でいくと、夕方までにはカマル湖だな」
心なしか、サラマ・エステが近づいたように見える。そして陽は昇りはじめ、六人は喉の渇きを感じ始めた。水筒の中身は、もうない。休めば休むほどそれが逆効果をもたらすだろうことも、わかっていた。とにかく今は、一刻も早く湖にたどり着くことだ。
太陽は徐々に高くなり、砂の放つ熱気が全身を包み込む。やがて頭痛とめまいが頭を支配した。昨日とは比べ物にならないほどの暑さだ。そして、隙を狙うには絶好の機会だった。
白昼現れたのは、夜中の襲来とほぼ同数の褐色肌を持つ男たち。ただひとつ違ったのは、その中に年端もいかない少年が含まれていることだった。瞳だけは鋭く光っている、十歳ほどの子供。少年はまだ高く細い声でいった。
「父さんたちが仕留め損ねたのは、こいつらか」
父親の死よりも食事にありつける歓喜に震える言葉。
ショーは剣を抜いた。
力はあまり使いたくない――消耗が多すぎる。ディオネのほうは疲労の色が激しく、おそらく残っている力はひとりか二人相手にできる程度だろう。中には、戦力にならないほど疲弊している者もいる。
ショーは、サラマ・エステの位置と、今にも跳びかからんとする輩を見比べると、大声で背後にいるエルシャたちに叫んだ。
「どうやらここが俺の運だめしの場所らしいや! おまえたちは先に行け。すぐに追いつく」
途端にエルシャが叫び返す。
「何をいっている! 無謀だぞ!」
しかしショーは聞かなかった。
「おまえたちは早く行って用事とやらを済ませてこい! 俺はここで、自分の力を試したいんだ」
神の与えたもうた力ではなく、己の力を。
再び止めようとして、エルシャは気づいた。ショーの鋭く光る瞳は、戦士のそれだった。自らの限界を求めて戦いを挑む、戦士の瞳。
「……わかった。必ず、サラマ・エステの頂上で落ち合おう。わかったな!?」
エルシャはそう叫び、ナイシェたちに合図をした。五人が走り出すと同時に、敵の三人が襲ってくる。残りはショーへ。ディオネは剣を繰り出してきた男のひとりを破壊すると、妹の手を引いた。あとの二人へエルシャとテュリスが対応する。
「戻ろう、姉さん!」
ナイシェが泣きそうな顔で叫んだ。
「戻っても足手まといになるだけだよ!」
しかしナイシェが激しく首を振る。
「いやよ! 今度こそ死んでしまう! 今度こそ……!」
そしてディオネは思い出した――ヘルマークでのできごとを。
「ナイシェ! しっかりしなさい! あれはゼムズじゃないのよ。それに破壊の力を持ってる。きっと大丈夫だから!」
ナイシェは静かになったが、唇を横に引き結んで声もなく泣きじゃくっていた。
どれくらい走っただろうか。いつのまにか、天高くそびえるサラマ・エステが目前に迫っていた。西陽が砂漠を金の海に変える。風がいたずらに運ぶ砂は髪やのどに貼りつき、足元の砂は踏んでも踏んでも流水のごとく逃げていく。そんな中、フェランは何かにつまづいた。見ると、小さな塊。
「……石……?」
はっとして目を上げると、地平線の近くにところどころ緑の草が生えている。
「もうすぐだ!」
五人は疲れも忘れて走り出した。やがて、金の砂の上に輝く湖が現れた。湖岸を背の低い草が覆い、水面は夕陽を反射して七色の光を放っている。そしてその真ん中に、サラマ・エステが毅然とそびえたっていた。白い霧に姿を隠す不気味な山が、美しく輝く透きとおった湖から屹立している。
湖がなければ、この山はドラント・エステ――『悪魔の山』と呼ばれていたに違いない。
誰もがそう確信するほど、神秘に満ちた湖だった。また同時に、死を覚悟してまでもこの山に挑もうとする命知らずの若者たちが絶えない理由も、理解した。目の当たりにする者を魅了してやまない、不思議な魔力――。
エルシャは身をかがめると、そっと湖の水をすくい取り、口をつけた。
「……飲める水だ」
五人はそれぞれに水を汲むと、苦い砂の味が消えるまでのどを潤した。そして柔らかい草の上に仰向けになる。途端に、これまでの疲れが重く全身にのしかかり、五人は深い眠りへと落ちていった。
冷たい朝の風で目が覚めた。体の痛みは驚くほどよく取れていた。身を起こすと、朝もやの晴れていくサラマ・エステが目に入った。昨日はここへたどり着いただけで何も考えられなかったが、今改めて見ると様々なことに気づく。
「――山というより、塔ですね」
フェランが呟く。そのとおりだった。カマル湖の水面に出ている山麓は、歩けば二、三十分で一周できそうなほどしかない。傾斜はそれこそ、大木が幹から末枝にかけて細くなるようである。ここからは見えないが、中腹あたりからは頑丈なロープでもなければ登れないだろう。足を滑らせでもしたら最後、カマル湖の美しい青絨毯に、朱に彩られた無残な死体が浮かぶことになる。それでも、登らねばならなかった。
「でも……どうやって?」
誰からともなく発せられた言葉。すると、ナイシェがいった。
「私が、船を創るわ」
泳いで渡るには距離がありすぎる。五人が乗れる船はかなり大きなものになるが、ナイシェの体力を削ってでもそうするほうが得策のようだ。
ナイシェは湖のほとりに手をかざした。明るい光が現れ、それが消えたあとに質素な木製の船が出現する。五人はそれをカマル湖の中へそっと着水させた。水面は船を乗せるとわずかに揺れ、再び何もなかったように静かになった。そこで、五人は理解した――湖が、カマル(鏡)と呼ばれる所以を。
水に触れようと、風が吹こうと、水面に波紋がたたないのだ――鏡のように。ただじっとして、映るものを寸分のゆがみもなく反射するだけ。
不思議な力に満ちた湖。その力が邪悪なものか聖なるものか、それはわからない。しかしエルシャは何のためらいもなく、湖の中心、サラマ・エステへと船を漕ぎだした。
船の中から、そっと湖を覗き込む。遥か深くまで、透明だ。そして、自分の姿以外何も見えない。
水音ひとつ立てずにしばらく進んだとき。
くすくす。くすくす。
どこからか、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「?」
あたりに人はいない。空耳とも思える忍び笑い。
くすくす、くすくす。
再び聞こえたときだった。不意に、船を取り巻く湖の水面が動き始めた。
「何これ!?」
船が大きく揺れ、瞬く間に転覆する。五人は湖の中へ投げ出された。
「水が、勝手に動いてる!?」
足元の水が渦巻き、水中へ引き込まれる。渦はやがて大きくなり、五人を取り囲むように回りだしたかと思うと、一気に湖の底へと五人を沈めた。息ができず、鼻から口から水が流れ込む。
やはりこの湖には、魔物が――
薄れていく意識の中で、五人は何者かの笑い声を聞いていた。
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