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【第一部:王位継承者】第十二章

揺らぐ覚悟

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 ジルバの顔が険しくなった。

「一般的に、魔術というものは、術者の命が尽きると同時にその効果も消滅するものじゃ。我々は、ジュベール殿に関してもそのように推測している。じゃが……サルジア殿の使う力が未知である以上、ジュベール殿への影響については何も断言できない。しかし宮廷は、すべての可能性を考慮したうえで、今となってはサルジア殿の存在を退けることが何よりも最優先であるという結論に達した」

 すべての可能性――つまり、宮廷側としても、現国王の命に危険が迫っていると判断したのだろう。
 エルシャは四人の顔を見回した。反対する者はいなかった。

「……わかりました。協力いたしましょう。こちらとしても、心強い限りです」

 すぐに、ジルバを中心として綿密な計画が練られた。宮廷側、エルシャ側双方とも準備はできていた。サルジアにこれ以上の猶予を与えないため、処刑執行はその日の夜と決まった。

 知らずのうちに、エルシャは両のこぶしを固く握りしめていた。

 サルジアを、殺す――ついに、今夜。

 考えるだけで、認めたくない負の感情が己を支配しそうになる。
 今まで、常に冷静に物事を判断して対処してきた。第一級神官になるまでに心身の鍛錬も積んできたはずだ。だが、エルシャに初めて芽生えたこの感情は、否が応にも彼に自覚させた――エルシャは、サルジアを憎んでいた。その顔を見、声を想像するだけで、腹の底にあるふつふつとしたものがこみあげてくる。自分の愛する人間を傷つけられただけで、ここまで制御しきれない憎悪が溢れることに、自分でも戸惑っていた。その戸惑いは、エルシャ自身に疑問を投げかけた。

 おまえは、愛する人間の実の母親を、憎むのか?

 頭では理解していた。サルジアは間違いなく、悪だ。それはジュノレにとっても同じことだ。だが、ジュノレ自身はどう考えているのか。
 トスタリカでサルジアが現れたときの、ジュノレの表情が蘇る。苦しみ、絶望、諦め。様々な感情が入り混じったあの中に、憎しみや怒りは、なかった。それは、サルジアが彼女の実の母親だからだ。彼女もまた、母親と自身の感情のはざまで、苦しんでいるに違いない。
 決行は、今夜。そのとき俺は、ジュノレの目の前でサルジアを処刑することになるだろう。その瞬間が訪れたとき、ジュノレはいったい何を思うだろうか。

「おい、聞いているのか」

 突然テュリスに乱暴に肩を叩かれ、エルシャははっとした。テュリスが恐ろしい目でエルシャを見ている。

「中途半端な気持ちでやるんじゃあ、こっちは迷惑だ」
「中途半端なつもりはない、俺は――」
「じゃあどうしてそんな目をしている?」

 テュリスの視線をまともに受け、エルシャは返答に窮した。

「伯母上は……法律によって、裁かれる」
 そう声を絞り出す。
「そこに、個人の感情が入り込んではならない……」

 テュリスがあざけるように笑った。

「はっ、生真面目なおまえが考えそうなことだな。個人の感情なんて、あろうがなかろうが関係ない。殺すことが目的なんだ、だったらおまえの中の感情とやらを思う存分ぶつけてやれよ」

 しかしエルシャはかぶりを振った。

「相手は、ジュノレの母親だぞ」

 今度は呆れたようにテュリスがいう。

「めんどくさいやつだな、自分の感情すらまともに制御できないくせに、他人の感情まで推し量ろうとするな」
「だがおまえは、今夜行われることが、ジュノレを傷つけないとでも思っているのか!」

 思わず声を荒げるエルシャの胸ぐらを、テュリスがつかんだ。

「当然傷つくだろうよ。それがどうかしたか!? 傷つくなら、やめるのか? それがジュノレのためだなんて思っているなら、とんだお笑い種だな! おまえは俺と違って、もっと正義とかいうものにこだわる男かと思っていたよ」

 エルシャは言葉を失った。テュリスは射るような目でエルシャを見つめたまま、低く呟いた。

「おまえは、ジュノレを傷つけることを恐れているふりをして、実際は、自分が傷つくことを恐れているんだ――と知ったときの、ジュノレの反応を恐れているんだよ」

 テュリスの言葉が、深く突き刺さる。心の奥底にわだかまっていた感情が、次第に怒りとなって自分へ向けられた。

「いいか、処刑は今夜なんだ。いざジュノレを目の前にしておまえが使い物にならなくなったら、俺たちの命まで危ない。万が一にでも俺たちが負けるようなことがあったら、それこそジュノレを助けるどころではなくなるぞ。おまえがすべきことはただひとつだ。今夜までに、覚悟を決めておけ」

 テュリスが冷たくいい放った。
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