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【第一部:王位継承者】第十二章

幼いころの記憶

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 静まり返った宮殿の廊下を、ひとりの少年があたりをうかがうように歩いている。まっすぐな濃い茶の髪と、同じ色の瞳をした少年は、大きな扉の前で立ち止まると、そっとノックして囁いた。

「ジュベール、起きてるか?」

 しばらくの静寂のあと、重たい扉がゆっくりと開き、黒髪の幼い少年が姿を現した。

「エルシャ!」

 少年が玉のような声を転がす。エルシャと呼ばれた少年は、いたずらっぽく笑った。

「行こうよ、あそこに」

 二人は冷たい大理石の廊下を駆けていった。そのまま外に出て、衛兵の目を避けながら黄昏宮の中門をすり抜ける。そして、南西の方角――エルシャとジュベール、そしてリキュスの三人だけの秘密の裏庭へ向かう。
 背の高い草の合間に、リキュスが顔をのぞかせていた。二人の姿を認めて手を振っている。

「早く早く! こっちだよ!」
「しっ、静かにしろよ、衛兵や母様たちに聞こえちゃったらどうするんだよ」

 エルシャが弟をたしなめる。

「じゃあ次は、南の原っぱで遊ぶ?」
 リキュスが屈託のない笑みを浮かべていう。
「あそこなら、黄昏宮からも水晶宮からも遠いから、絶対誰にも見つからないよ。それに、ここより広いし」
「南の原っぱって、あの、正門の近くの? あそこは遠すぎるよ、馬がないと行けないし」
 エルシャがいう。すると、ジュベールが小さな声で呟いた。

「南の原っぱ……僕は、あんまり好きじゃないな」

「え?」

 二人が訊き返す。ジュベールは揺れる草々を見つめながらいった。

「僕が悪いことをするとね、お母様が、あの下に僕を閉じこめるんだ」
「下? 下って、原っぱの?」

 エルシャが不思議そうにいう。

「そう。原っぱの下には、お部屋があるんだ。ちっちゃなお部屋で、お母様は、僕に目隠ししてそこに閉じこめるんだ。黄昏宮からも遠くて、大声で泣いても誰にも聞こえないような場所で、しばらく反省しなさいって、僕を置いていくんだ」
「そんなお部屋があるの? でも、入り口を見たこともないよ?」
「わからない、僕も目隠しされているから。お母様だけの、秘密のお部屋なんだ。……でもね、僕、知ってるんだ。あのお部屋は、抜け道があるんだ。そこを通ると、東の建物のすぐ脇に出られるんだよ。どうしても怖くなったら、そこから抜け出すんだ。お母様に、ばれないように」

それを聞いて、リキュスが笑顔でいった。

「じゃあ、何も怖がることはないね」
「うん……そうだね」

 驚いたような顔をしてジュベールが応じる。

「じゃあ、隠れるよ! 今日は兄上の番だよね!」

 リキュスはそういって走り出した。ジュベールも笑顔になってあとに続く。エルシャは目を閉じて数を数え始めた。草をかき分ける音が消え、あたりに静寂が漂う。十五数えて、エルシャは目を開けた。月明かりがうっすらと草の輪郭を浮かび上がらせる。それ以外は、何も見えない。

「行くよ!」

 エルシャはそう叫ぶと、草の中を走り出した。この広く深い草にうずもれて、二人は隠れている。
 しばらく走り回ったあと、エルシャは青い草の間に垣間見える黒髪を見つけた。

「ジュベール見ーっけ!」

 そういうと、エルシャは草をかき分けた。そこには、ぎゅっと目を閉じて丸くなっている幼い少年がいた。
 エルシャがジュベールに触れようとしたときだった。突然、ジュベールの下の地面が、ぱっくりと口を開けた。穴は、地獄まで続いているかのようだった――底は真っ暗で、何も見えない。ただ、すべてを飲みこみ、消化してしまいそうな恐怖感。
 ジュベールは足場を失い、深い深い闇の中へと落下していった。

「エルシャ!」

 ジュベールが叫んで手を伸ばす。

「ジュベール!」

 エルシャはかがんでその手を懸命につかもうとした。が、二人の指先はかすかに触れただけで、ジュベールは奈落の底へ落ちていった。こだまする悲鳴だけを残して、ジュベールは暗く恐ろしい淵の底へと消えていった。

「ジュベール――!」

 エルシャは声の限りに叫んだ。しかし、あたりにはただ、もう見えなくなった少年の悲痛な叫びが残るだけだった。

「助けて! 助けて――!!」

 助ケテ――助ケテ。私ヲ助ケテ。誰カ、私ヲ助ケテクレ。誰カ――エルシャ――エルシャ!!
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