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【第一部:王位継承者】第十一章

いざ宮殿へ

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 アルマニア宮殿の大きな門を見渡すことのできる位置に、四人は隠れていた。門番からはちょうど盲点になる木の陰である。

「そうそう、ずっと訊きたかったんだが」
 テュリスが口を開いた。
「おまえ、どうして女装なんかしていたんだ?」

 唐突な質問に、フェランが赤くなる。

「あのですね、それは、エルシャが初めて僕と出会ったとき、女の子と間違えて……女の子として、紹介してしまったので……」

 テュリスはふんと鼻を鳴らした。

「なんだ、そんなことか。すぐ訂正すればいいものを、あいつのくだらない自意識のせいで、おまえは男としての人生を二十年近くも台無しにされてきたわけか。同情に値するね」

 返す言葉もないフェランの代わりに、ディオネが口を挟む。

「あんた、宮殿の人間とは思えないほどの口の悪さだね」
「おまえにいわれるとはな。……おまえ、エルシャの遠縁ってことで宮殿に入るんだろう? ナイシェはともかく――」
 テュリスは笑いを漏らした。
「おまえ、その言葉遣いをどうにかしないと、エルシャの顔に泥を塗ることになるぞ」
「悪かったね、下町育ちってのはそう簡単に隠せるもんじゃないのよ!」

 開き直ってディオネがまくしたてたとき、がさりと音がして木陰からひとりの青年が姿を現した。

「やあ、ここにいらっしゃいましたか。探しましたよ」

 不思議そうに首をかしげるナイシェとディオネの横で、テュリスがいった。

「よお、久しぶりだな、リキュス」

 リキュスと呼ばれた青年は、テュリスの姿に気づきあからさまに嫌な顔をした。

「なるほど、あなたでしたか。……まったく、あなたなんかに女性三人を預けるなんて、兄上もどうかしている」

 エルシャの弟とわかり、ナイシェが頭を下げた。

「すみません、ご迷惑をおかけして……」

 リキュスはよく響く低い声で厳かに笑った。

「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。私は兄に頼まれて服を届けに来ただけですから。そうそう、フェリラがいると聞いたのですが……」

 四人を見回す。ひとり、うつむきがちに立っている青年がいる。リキュスはその顔を覗きこんだ。

「君か?」

 フェランは思わず後ずさった。

「そ、そうです、僕がその、……はい……」

 リキュスが無表情にフェランをじっと見つめる。わずかに眉をひそめると、何事もなかったかのようにいった。

「……なるほど。私には男性にしか見えないんだが、この件については触れないほうがよさそうだね。とにかく、女性の服を三人分持ってきたよ。そのあと、私と兄の遠い親戚ということで目立たないように兄の部屋まで案内する」

 そういって、鮮やかな色のドレスが入った箱を開けた。

「こんなところで申し訳ないのですが、私たちは向こうにいるので、終わったら呼んでください」

 そういってテュリスに目を向ける。

「はいはい、俺も向こうですね」

 テュリスがリキュスと立ち去ろうとし、はたと立ち止まった。

「大事なやつを忘れていたよ。おまえもこっちだ、フェリラちゃん」
「フェランで結構です!」

 フェランはひったくるようにドレスをつかむと、テュリスの笑い声を背中に聞きながら、大股にその場を離れたのだった。





 ナイシェは、一生のうちに一度でも、こんなに美しいドレスを着ることになろうとは思っていなかった。贅沢に散りばめられた宝石に、ふんだんに使われた高価な生地。想像すらつかない代物だった。だからリキュスとテュリスに連れられて宮殿へと足を踏み入れたときの更なる驚嘆は、たとえようもなかった。気が遠くなるほどの豪華さだ。
 過ぎゆく美しい貴婦人や気品を漂わせた紳士たちが、優雅に会釈する。エルシャのいったとおり、彼らはナイシェたちを気にする様子もなく通り過ぎる。いや、正確には、王位継承者であるテュリスとリキュスには、気を配っているようだったが。
 実際、目下のところ、ナイシェとディオネの一番の気がかりは作法だった。宮殿の人間はみな驚くほど流麗だ。ナイシェはニーニャ一座にいたおかげで何とからしくふるまえるが、ディオネにとっては苦痛以外のなにものでもなかった。足に引っかかる長い裾に、不安定なほどに高い踵。そして一番の難関は、テュリスのいったとおり、言葉遣いだった。

「ごきげんよう、お美しい方」

 ただの社交辞令にすらも、さらりと自己紹介するナイシェに対し、ディオネは。

「初めまして。あた……じゃない、わたくし、ディオネ・ネイランドといい……っ、申します」

 隣で、それ見たことかとでもいうように笑いをかみ殺しているテュリスを、今度ばかりは責めることはできなかった。

「ここです」

 そういって立ち止まり、リキュスが示したのは、本宮からしばらく歩いたところにある離宮――曙宮というらしい――の一画にある、金の彫刻が施された重厚な扉だった。入ると、エルシャがソファに座ったままナイシェとディオネのほうへ目を向けた。そして、表情にわずかに残ってしまったかげりを隠すかのように、小さく笑う。

「ああ、二人ともきれいだ」

 ひとりでいた短い時間のあいだにエルシャの頭の中を占拠した苦渋の正体は、いわれなくてもわかっていた。だから、ディオネは怒ったようにいった。

「無理して笑わないで。せっかくあたしたちがこうして乗りこんできてやったんだから、ひとりで悩まないで、みんなで協力してできることを考えようよ」
 エルシャは微笑んでいった。

「ありがとう、ディオネ。そういってもらえると助かるよ。みんなで、ジュノレを助け出す方法を考えよう」

「兄上」
 リキュスが口を挟んだ。
「ジュノレというのは……?」

「ああ、おまえには話していなかったな。……口外しないと誓うか?」

 エルシャはジュベールの本当の姿を説明した。そして、今は実母であるサルジアに囚われているということを。

「それで、ジュベール――いえ、ジュノレを救うために、戻ってきたのですね」
 リキュスが納得したようにうなずいた。
「しかし……兄上はいつから、ジュベール殿が女性だと……?」

 リキュスに問われ、エルシャは一瞬の間のあとわずかに頬を赤らめた。途端にテュリスが口を挟む。

「なんだ、人にいえないようなことをして知ったのか」
「違う、そんなんじゃない」

 エルシャが咳ばらいをする。

「ジュノレには秘密だけどな……。俺たちがまだ子供のころ――五、六歳だったかな。夜中に裏庭で遊ぼうと思ってジュノレを誘いに行ったんだ。そしたら、扉の隙間から、あいつがドレスを着て踊っているのが見えて……。はじめは理解できなかったんだが、伯母上が、国王になるのなら女性であることへの未練を捨てろとか、そういうような説教をしていてな。それで、わかったんだ」

「……それだけ?」

 疑わしそうにディオネが訊く。

「それだけだ、どこか不審な点でもあるか」

 半ばむきになるエルシャに、テュリスがいった。

「まあ、とりあえず信じてやるよ。……おまえも、俺を信じてくれたことだしな」

 エルシャはテュリスを見つめていった。

「俺は、おまえが約束を破るような人間だとは思っていない。だが、許したわけでもない」

 テュリスは鼻で笑った。

「許してくれなくてもいいさ。許さなくても、目的が同じなら一致団結できる。そうだろう?」
「……そうだな。ジュノレは今、サルジアの思い通りに動いている。急がないと――ひょっとすると、国王陛下の命も危ないかもしれない」

 深刻な表情で、エルシャがいった。

 自分の娘すら手駒にするあの女なら、やりかねない――。
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