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【第一部:王位継承者】第十一章

弟との再会

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 アルマニア宮殿内を、侍女や下級貴族たちがせわしなく行き来している。エルシャは気づかれないように自室に近づいた。

 リキュスはまだ俺のことをうまくごまかしているのだろうか。それを確認しなければ。

 そう思っていると、一人の侍女がエルシャの部屋を訪れた。

「エルシャ様、お食事をお持ちいたしました」

 そういうと、静かに扉を開けて入っていく。怪訝に思いながら、エルシャはあたりに誰もいないのを確認して扉へ近寄り、そっと中の様子をうかがった。かすかに、人の声がする。

 ……なるほど、そういうことか。

 エルシャは納得すると、素早く部屋の中へ滑りこんだ。中には、先ほどの侍女と、茶色の髪を短く切ったがたいのいい男性が座っている。侍女はすぐエルシャに気づき、小さく叫んだ。

「エ、エルシャ様……!」

 エルシャは振り返った女性の顔を見て、にっこり微笑んだ。

「ああ、君だったのか、リザ」
 そしてもう一人の男性のほうへ振り向いた。
「ごまかすのにリザを使うとは、なかなかいい人選だったな、リキュス」

 リキュスと呼ばれた男性は、驚く様子もなく笑顔で対応した。

「あなたのお帰りを今か今かとお待ちしておりましたよ、兄上」
 そして立ち上がると、控えめな溜息をついた。
「二か月近くも宮殿を空けた理由を聞こうとは思いませんけどね、せめてもう少し事前にそれなりのごまかしでもしておいてくだされば、私もこんな苦労をせずに済んだのですけど」

 エルシャは弟の肩をぽんと叩いた。

「まったく、ものわかりのいい弟で兄としては鼻が高いよ。……それで? おまえの、ごまかしの方法とやらを聞かせてもらおうか」
「とりあえず、無礼ながらも神の名を拝借しましたよ。しばらくの間、外界との接触を断て、との神託を賜った、とね。食事は、最初にこの件を相談しにきた兄上の第二侍女のリザに、頼みました。第一侍女のフェリラまでいなくなってしまいましたからね……。やはり、人のいる気配をさせておかなくては騙しにくいですから、そのあたりは気を遣いましたよ」

 エルシャはうなずいた。

「なるほどね。なら、そろそろ解禁の命を受けた、とでもしておくか」
「もう用事は果たされたのですか」
「……そうだな、今度はここで用事を果たさねばならなくなった、とでもいっておこうか。で、この二か月間、どうだった?」
「そうですね……兄上がここを出られてしばらくしてから、ジュベール殿が重い病にかかられて――というか、かかったとされて、しばらく面会謝絶になりました。それから、マニュエル公爵とエルミーヌ嬢がご結婚され――」
「エルミーヌが?」

 エルシャは驚きの表情をあらわにした。

 あのエルミーヌが? あのエドール・マニュエルと?

「その話ですが……」
 リザがおずおずと口を挟んだ。
「私ども使用人の間では、世間体のためだと、もっぱら噂されています。ただの噂ですが……」

 エルシャは納得した。

 そうだろう。なぜって、マニュエル公はフェリラを愛しているのだし、おそらくエルミーヌは……。

「――皮肉なものだな」

 エルシャは呟いた。

「え?」

 リキュスが問いかけ、エルシャは首を横に振った。

「いや……続けてくれ」

「それから、一か月ほど前、紅玉宮で王族会議が開かれました。会議にはお二方――兄上と、ジュベール殿が欠席されました。国王陛下は、次代の王をすでに心にお決めになられたご様子でしたが、そのころから、テュリス殿が……何か、動きを見せ始めたように思います。サルジア殿とは相変わらず犬猿の仲ですよ。……そうそう、それから、ジュべール殿が先日回復されたようで、ついさきほど、宮殿のほうでお見掛けしました」
「なんだって!?」

 エルシャは声を荒げた。

 ジュノレが……? 自分の意志で? それとも、サルジアに……?

「どんな様子だった?」
「ええ、相変わらず無表情で……でも、いつもと違って、社交上の笑顔すら見せませんでしたね。体の具合を尋ねても、無表情に心配をかけてすまなかったというだけで。病み上がりなせいか、いつにも増して伯母上がそばについていらしたようですが」
「そうか……」

 エルシャはうなずいた。

 何かの魔術か……人間の精神を操る術など、聞いたことがないが。

「……兄上?」

 リキュスの言葉に、エルシャは我に返った。

「そうそう、おまえを信用したうえで、頼みたいことがあるんだが」
「何なりと、兄上」
「実は……正門近くの南の草原に、フェリラと二人の女性を待たせてあるんだ。その二人を、俺たちの遠い親族ってことで中に入れてほしいんだが……あまり大っぴらに紹介したりはしたくない。で、今の俺はあまり宮殿をちょろちょろしているわけにもいかないのでね、フェリラたちの服を、届けてほしいんだ。なんというか……わけありでね、そのまま宮殿に入れるような恰好はしていないものだから」

 リキュスは呆れ顔でいった。

「若い女性を三人も、外で待たせているのですか?」

 エルシャは苦笑いをした。

「その、いろいろとあってね。正しくは四人なんだが……まあ、行けばわかるんだ。行ってくれるか?」

 リキュスは両手を挙げていった。

「兄上の頼みですからね、喜んでさせていただきますよ」

 エルシャは笑顔で弟の背中をぽんぽんと叩いた。

「助かるよ。じゃ、よろしく」

 リキュスは、洋服一式を預かったリザとともに部屋を出て行った。残されたエルシャは、何も変わっていない自室を見回すと、小さなソファへ腰を下ろした。

 ここを出る前……フェランと一緒に紅茶を飲んだな。まさかあのときは、こんな事態になるとは思わずにいた。ナイシェやディオネと出会い……俺の勝手な行動でゼムズと別れてしまい、そして……ジュノレが……。

 悲観的になっているのに気づき、かぶりを振る。

 そんなことより、さっきわかりかけてきたフェランの出生のことだ。俺はずっと、フェランに記憶を失うほどの出来事が起きて、その結果アルメニア宮殿の敷地に迷い込んだんだと思っていた。だが、そうではなかったんだ。……フェランは、正確にいうと、俺と出会ったあとに、過去の記憶とナリューン語を忘れたことになる。これは不自然なことだ。フェランが宮殿に迷い着く前から、彼が神の民だと知っていた者がいるとするならば、この不自然な事態にも、そいつが関わっている可能性があるのかもしれない……。

 しかし、仮定が多すぎて、これ以上の推測は難しかった。代わりにエルシャは、もうひとつの疑問について考えることにした。

 気になるのは、あいつの生まれ育った場所だ。……それについては、見当がついてきた。フェランは今十八歳。そして野原で見つかったのは五歳のとき――十三年前だ。十三年前というと、ゼムズの故郷イルマが襲撃された年だ。以前、ゼムズはフェランに見覚えがあるといっていた。それに、あいつが倒れていた野原は、南の裏庭――イルマから、もっとも近い場所だ。

 ……一度、フェランをイルマに連れて行けば何かわかるかもしれない。
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