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【第一部:王位継承者】第十章

招かれざる来訪者①

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 翌朝はよく晴れて、太陽が容赦なく照りつけていた。五人は宿を出て東へと向かっていた。

「もうお別れなんて早すぎるわ」

 ナイシェがいう。ジュベールは寂しそうに微笑んだ。

「そうだね。みんなと一緒にいて、学ぶことも多かった。もっと一緒にいたいよ」
「本当にお気をつけて、ジュベール様……。それで、早く身を落ち着かせてくださいね」
 
 フェランが心配そうにいう。ジュベールは笑顔で返した。

 民家が少なくなり、やがて東端の町壁へとたどり着いた。五人は足を止め、ジュベールは振り返っていった。

「じゃあ、行くよ。本当に世話になって、心から感謝している」
「――元気でね」

 そういうナイシェの瞳はうっすらと濡れていた。

「ナイシェも。……あなたには特に迷惑をかけてしまったね。あなたがいなければ、私は今ここにいなかった。心から、礼をいうよ」

 そして太陽を見た。もう行かなければ、日が暮れる前に宿へたどり着けない。
 ジュベールは地に視線を落とし、しばらく動かずにいた。

 ……彼の顔を、見たくない。目が合ったときに、動揺を隠せる自信がない……。

 そこで不意に、宮殿での生活を思い出した。

 あそこでは……感情など、必要なかった。ただ人形のように母上のいうとおりに行動していればよかった。そんなのは、もう嫌だ。ちゃんと、別れを告げよう。沸き起こる気持ちがあるならば、それに従ってみてもいいかもしれない。

 ジュベールは顔をあげた。エルシャが、見つめていた。

「……エルシャ。おまえにも、世話になったな」

 エルシャは口元にうっすらと笑みを浮かべた。

「落ち着いたら、手紙くらいよこせよ。いずれ、会いに行ってやるから」

 ジュベールの頬に笑みがこぼれる。

「気長に待っているよ」

 昨夜のような動揺はなかった。
 これが最後の別れではないのだ。時間が経てば、また会える日が来る。そのときには、二人とも様々なしがらみから解放されて自分の心に素直になれるはずだ。これは別れではなくて、その日に向けての旅立ちなのだ。
 エルシャの顔を見て、ジュベールはそう思うことができた。今度こそ一切の迷いなく、ジュベールはいうことができた。

「それじゃあ、みんな元気で」

 そして町を出ようとしたときだった。

「ちょっと待て。そう簡単には行かないぜ」

 若い男の声がした。言葉に含まれたまがまがしいほどの殺気が、一瞬にしてあたりを凍てつかせる。
 町壁の向こうから、一人の男が姿を現した。薄い茶の髪と、氷のように冷たい青の瞳。
 ジュベールは息をのんだ。信じたくなかった。

 なぜここまで……!

 男が、笑みを浮かべながら言葉を発した。

「やあ、みなさまおそろいで。だけど俺の用があるのはそこの二人なんだ。悪いけど、そっちの三人はお退きを願いたい」

 男の視線は、ジュベールとエルシャを捉えていた。エルシャはきつく唇を噛みながら男を見据え、その瞳には憎悪さえうかがえる。

「あんた、誰!? なんの用よ!」

 ディオネが挑戦的に叫ぶ。男は楽しそうにのどを鳴らして笑った。

「威勢のいい女だな……。俺の正体は、おまえが知ってるはずだぜ、エルシャ?」

 エルシャはすぐさま反応した。

「ふざけるな! たとえ血がつながっていても、ジュベールに手を出せば容赦はしない」

 その言葉で、ナイシェとディオネは男の正体を瞬時に悟った。

 ――きっと……相続の問題か何かで、狙われてると思うんだ。

 エルシャが、そういっていた。この男こそ、ジュベールの命を狙う張本人に違いない。

「おまえがそんなに必死になるほど、この男が大事か?」

 男がジュベールを指さす。ジュベールは落ち着いた口調で男にいった。

「こんな遠くまで、ご苦労なことだな。しかし……私はもう、戻る気はない。殺す必要などないではないか!」

「そうもいかない」
 彼はいった。
「おまえにその意思がなくても、おまえのあの怖い母親がね……。叔母上がおまえを連れ戻しに来る前に、さっさとおまえに死んでほしいんだ」

 『死んでほしい』。その言葉を、男は笑みを浮かべながらいとも簡単に口にした。

「まったく、町人総出でか弱い青年一人も捕らえられないで、予想外の展開だったけどね。おまえの命もここで終わりだ。邪魔をするやつは同じく殺す」

 そしてナイシェたちのほうへ目を向けた。

「おまえたち。死にたくなければ今のうちに逃げろ。俺は短気だからな、選択はお早目に」

 ディオネが激高する。

「ふざけるんじゃないよ! あたしたちはね、あんたと違って金より人間を大事にするのよ!」

 彼は興味深そうにディオネを見つめた。

「金……? なるほど、おまえは金のために俺がこいつを殺そうとしていると思っているわけだな。笑えるね。こいつらは事情を知らないのか、エルシャ?」

 意地悪くエルシャのほうを見やる。エルシャは言葉を返せないでいた。戸惑うディオネとナイシェを見て、男が楽しそうに続けた。

「じゃあおまえ、あれもいってないのか。ほら、自分が第三王位継承者だって」

 エルシャは静かに答えた。

「……俺はあそこを出るときに地位も身分も捨てた。それに、王になる気もない」

 ナイシェもディオネも、自分の耳を信じることができなかった。思わずフェランのほうを振り返る。

「……本当なの?」

 フェランは目を伏せてうなずいた。その様子を見て、男は初めてフェランへ目を向けた。

「ああ、誰かと思ったら……おまえだったのか」

 からかうような口調の男に、フェランは険しい顔つきでいった。

「テュリス様……なぜそこまでして王位を狙うのですか……!」

 テュリスと呼ばれた男は、その言葉を鼻で笑い飛ばした。

「血のつながった従弟なのに、と? それのなにが問題なんだ。血なんて、ただの形でしかない。そこに意味なんて何もない。しょせんは赤の他人だろう。俺がほしいのは王位だけだ。国王も馬鹿だね、俺が王になればアルマニア王国はもっと繁栄するだろうに」
「わからないのか? 国王陛下が望んでおられるのは繁栄ではない!」

 エルシャが叫んだ。

「なら、そうさせるまでだ」

 テュリスがすらりと剣を抜く。

「剣を抜け、ジュベール。ここまで生き延びたんだ、最後くらい敬意を表してやろうじゃないか」
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