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【第一部:王位継承者】第九章
二人のサラマ・アンギュース
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『ナイシェ』
少年の呼びかける声。少女が振り返った。茶色の髪がふわりと揺れる。
「あ、あなた……」
ナイシェは少年の姿を認めると、すぐさま駆け寄った。
「どうしよう……ジュベールさんが……ジュベールさんが死んじゃったわ!」
少年はあわてる少女を見てにこりと笑った。
『大丈夫。ジュベールは生きているよ。君が助けたんだ。君は勇敢だね』
「え?」
少年はぽかんと口を開けているナイシェを見て再びくすっと笑った。
『今は、あんまり話さないほうがいいね。目覚めてから、ゆっくりお姉さんに聞くといい』
姉と聞いて、ナイシェの体が一瞬震えた。
トモロスでの、あの惨事――あのとき、あの恐ろしい力が自分を救ったのだと、頭ではわかっている。しかしそれ以上に、あのおぞましい光景は恐怖を与えたのだ。あの直後にディオネが現れて抱きしめてくれたからこそ、自分は正気を保っていられたようなものだ。それなのに、本当はあの惨事を起こした力はディオネ自身のもので、エルシャもフェランも知っていたのに、姉は妹の自分にはその秘密を打ち明けてくれなかった。
「あなたは……姉さんの不思議な力のこと、知ってたの?」
少年は困ったように笑った。
『君は、知らなかったんだね……。急にあんな光景を見させられて、それは驚いただろう。でも、お姉さんも、君を怖がらせることがわかっていたから、ずっと秘密にしてきたんだろうね』
「私を……怖がらせるから……?」
『……そのことも、直接お姉さんに聞くといい。きっと、理解できると思うよ』
「う……ん……」
少年は不安げな少女の肩をぽんと叩いた。
『さて、そろそろ戻ってあげよう。ジュベールが心配しているよ、君が目覚めないから』
ナイシェがその意味を図りかねているうちに、次第に少年の姿は霧に溶け込んで消えていった。
ナイシェは目を開けた。
居心地が悪い……そういえばここ、森の中だっけ。
ゆっくりと身を起こすと、隣にジュベールが座っていた。
「ジュベールさん……」
彼は優しく微笑んだ。
「ジュベール、と」
ナイシェは笑みを浮かべた。
「ジュベール……生きててよかった」
「あなたのおかげだ、ナイシェ。私は一度、死んだのだよ。それをあなたが生き返らせてくれた」
「あの……意味がよくわからないわ。私が何かしたの……?」
戸惑うナイシェに、ジュベールが答える。
「そのことはたぶん、ディオネに聞いたほうがいい。私はただ、あなたにお礼がいいたかったんだ。……本当に、ありがとう」
ジュベールが格別の笑みを浮かべた。ナイシェはなぜか恥ずかしくなってうつむいた。
「あ、あの……姉さんたちは……」
「みな、私のために力を使い果たしてしまって今は仮眠をとっているよ。エルシャは白魔術の使いすぎで。フェランはあれだけの出血をしたからね、傷は治ってもしばらく安静が必要だ。それからディオネは……あの、不思議な力の使いすぎで、ね……」
「そう……」
「それより、ナイシェの調子は? あなたも死にかけたんだから、無理してはだめだよ」
「死に……?」
ナイシェは首をかしげた。
「私を助けてくれたとき、ナイシェは自分の体を削って私にくれたらしいんだ。私が生き返ると同時に、ナイシェの心臓が……止まっていた。あわててエルシャが胸を圧迫して、それで息を吹き返したんだよ」
ナイシェは何となく夢の中の少年がいっていたことがわかったような気がした。
「とにかく、あなたが目覚めてよかった。本当に、感謝している。今はまだ夜中だから、朝までゆっくり寝るといいよ」
そういうと彼は小さくあくびをした。
「……ごめん、私も少々疲れたらしい。ちょっと休むよ」
そして立ち上がろうとするジュベールに、ナイシェはいった。
「あの……私、どれくらい眠っていたんですか」
「ちょうど丸三日、かな」
「あの、まさか……その間、ずっと……?」
ジュベールが恥ずかしそうに笑う。ナイシェは頬が緩むのを感じた。
「感謝しなきゃいけないのは私のほうだわ。どうもありがとうございました」
「私はもう寝るよ。ナイシェもゆっくりお休み。明日は移動になるからね」
翌朝早く、ナイシェは姉の枕元へ行った。
「……姉さん」
しばらくして、顔を背けたままディオネが口を開いた。
「目が覚めてよかったわ」
不自然な沈黙が流れる。ナイシェは居心地が悪かった。
「……話してよ、姉さん。私、もう理解できる年だと思う」
私のことも、姉さんのことも。
ナイシェは返事を待った。重苦しい静寂。少しして、ディオネが身を反転させた。その目はしっかりとナイシェの目を見つめている。
「……そうね。あんたなら、きっと耐えてくれる……」
独り言のようにそういって、ディオネはゆっくりと起き上がった。
「ごめんね……怖かったでしょう」
ナイシェは言葉が見つからず、あえてこういった。
「……でもあれは、仲間を救うためだったわ」
ディオネは自嘲した。
「救うため……? そうね、あんな力でも人の役に立つんだわ」
「でも姉さんは救うためにしか使っていないし、これからだって……そうでしょ」
確認するようにナイシェがいう。
「そう……トモロスでのときも、そのつもりだった。本当なら、あの剣を砕くだけで十分だった。でも……理性よりも、大事な妹が襲われた怒りのほうが、勝ってしまった。これじゃあ……『神の民』、失格だね」
ナイシェは耳を疑った。
「神の……?」
そんな妹の反応を見て、ディオネが複雑な笑みを浮かべる。
「破壊の民ナリューンって、知ってる?」
ナリューン。確か、エルシャがいっていた、サラマ・アンギュースのうちの……。
「姉さん……が?」
ディオネの笑みが、それを肯定していた。
「驚かないでね。そしてあなたは……創造の民、パテキアよ。あなたの力が、ジュベールに新たな命を創り出して、彼を救ったの」
「パ……!?」
絶句した。まさか、そんなはずはないと思った。混乱した記憶の糸を手繰る。
「だ、だって私……かけらなんて、持ってない……!」
「あたしが、入れたんだ」
ディオネが淡々といった。
「五歳のとき、父さんと母さんが病気で死んだっていったよね。そのとき、あたしは父さんのかけらを体に埋めた。……ここ、首の後ろにね」
そういってディオネは長い髪を束ねて持ち上げた。首の真ん中に、小さな切り傷があった。
「で、あんたには母さんの……創造のかけらを埋めた。場所は……左の、わき腹のところよ」
確かに、心当たりがあった。腕に隠れるようなこんな場所に、いったいいつ怪我をしたんだろうと思ったことがあった。
「あのころは、父さんたちの力を受け継げるんだって、誇りに思ってた。今でもそれは変わらない。でも……あんたに埋めたことだけは、後悔してる」
苦しそうなディオネの顔を見て、ナイシェははっとした。いつかのゼムズの言葉が蘇る。
――サラマ・アンギュースってのはな。もてはやされるどころか、忌み嫌われるんだ。
――『まだ息のあるうちに親を切り刻むなんて人間じゃない』
――たいていのやつらは、俺たちを軽蔑し、憎んですらいる。
気がつくと、目に涙があふれていた。口を開くと嗚咽が漏れた。
「ごめんなさい……私、何にもわかっていなかった。どうして姉さんが、私に話してくれなかったのか……たったひとりの家族なのに、どうしてって思ったの。確かに、初めてその力を見たとき……すごく、怖かった。でも、それでも隠さず話してくれれば理解できたのに、って思った。姉さんがどうして秘密にしてきたのか……今やっと、わかったわ」
姉の大きな手がナイシェの髪に触れた。
「いいのよ。あたしのかけらはともかく、あんたのかけらはあたしが勝手に埋めたんだし……。話してもあんたがつらくなるだけだ、あんたは周りの視線に耐えられないって……トモロスで再会したあとも、そう思ってたあたしがいけなかったの。あんたはもう、十分に強いんだったね。あのとき、話していればよかったんだね……。ごめんね、ナイシェ」
ナイシェは何もいわずにディオネの胸に顔をうずめた。その胸と自分を抱きしめる腕は温かく、記憶にこびりついて離れないあのおぞましい恐怖とは真逆の感情が、ゆっくりと自分の中に浸透していくのを、ナイシェは感じていた。
少年の呼びかける声。少女が振り返った。茶色の髪がふわりと揺れる。
「あ、あなた……」
ナイシェは少年の姿を認めると、すぐさま駆け寄った。
「どうしよう……ジュベールさんが……ジュベールさんが死んじゃったわ!」
少年はあわてる少女を見てにこりと笑った。
『大丈夫。ジュベールは生きているよ。君が助けたんだ。君は勇敢だね』
「え?」
少年はぽかんと口を開けているナイシェを見て再びくすっと笑った。
『今は、あんまり話さないほうがいいね。目覚めてから、ゆっくりお姉さんに聞くといい』
姉と聞いて、ナイシェの体が一瞬震えた。
トモロスでの、あの惨事――あのとき、あの恐ろしい力が自分を救ったのだと、頭ではわかっている。しかしそれ以上に、あのおぞましい光景は恐怖を与えたのだ。あの直後にディオネが現れて抱きしめてくれたからこそ、自分は正気を保っていられたようなものだ。それなのに、本当はあの惨事を起こした力はディオネ自身のもので、エルシャもフェランも知っていたのに、姉は妹の自分にはその秘密を打ち明けてくれなかった。
「あなたは……姉さんの不思議な力のこと、知ってたの?」
少年は困ったように笑った。
『君は、知らなかったんだね……。急にあんな光景を見させられて、それは驚いただろう。でも、お姉さんも、君を怖がらせることがわかっていたから、ずっと秘密にしてきたんだろうね』
「私を……怖がらせるから……?」
『……そのことも、直接お姉さんに聞くといい。きっと、理解できると思うよ』
「う……ん……」
少年は不安げな少女の肩をぽんと叩いた。
『さて、そろそろ戻ってあげよう。ジュベールが心配しているよ、君が目覚めないから』
ナイシェがその意味を図りかねているうちに、次第に少年の姿は霧に溶け込んで消えていった。
ナイシェは目を開けた。
居心地が悪い……そういえばここ、森の中だっけ。
ゆっくりと身を起こすと、隣にジュベールが座っていた。
「ジュベールさん……」
彼は優しく微笑んだ。
「ジュベール、と」
ナイシェは笑みを浮かべた。
「ジュベール……生きててよかった」
「あなたのおかげだ、ナイシェ。私は一度、死んだのだよ。それをあなたが生き返らせてくれた」
「あの……意味がよくわからないわ。私が何かしたの……?」
戸惑うナイシェに、ジュベールが答える。
「そのことはたぶん、ディオネに聞いたほうがいい。私はただ、あなたにお礼がいいたかったんだ。……本当に、ありがとう」
ジュベールが格別の笑みを浮かべた。ナイシェはなぜか恥ずかしくなってうつむいた。
「あ、あの……姉さんたちは……」
「みな、私のために力を使い果たしてしまって今は仮眠をとっているよ。エルシャは白魔術の使いすぎで。フェランはあれだけの出血をしたからね、傷は治ってもしばらく安静が必要だ。それからディオネは……あの、不思議な力の使いすぎで、ね……」
「そう……」
「それより、ナイシェの調子は? あなたも死にかけたんだから、無理してはだめだよ」
「死に……?」
ナイシェは首をかしげた。
「私を助けてくれたとき、ナイシェは自分の体を削って私にくれたらしいんだ。私が生き返ると同時に、ナイシェの心臓が……止まっていた。あわててエルシャが胸を圧迫して、それで息を吹き返したんだよ」
ナイシェは何となく夢の中の少年がいっていたことがわかったような気がした。
「とにかく、あなたが目覚めてよかった。本当に、感謝している。今はまだ夜中だから、朝までゆっくり寝るといいよ」
そういうと彼は小さくあくびをした。
「……ごめん、私も少々疲れたらしい。ちょっと休むよ」
そして立ち上がろうとするジュベールに、ナイシェはいった。
「あの……私、どれくらい眠っていたんですか」
「ちょうど丸三日、かな」
「あの、まさか……その間、ずっと……?」
ジュベールが恥ずかしそうに笑う。ナイシェは頬が緩むのを感じた。
「感謝しなきゃいけないのは私のほうだわ。どうもありがとうございました」
「私はもう寝るよ。ナイシェもゆっくりお休み。明日は移動になるからね」
翌朝早く、ナイシェは姉の枕元へ行った。
「……姉さん」
しばらくして、顔を背けたままディオネが口を開いた。
「目が覚めてよかったわ」
不自然な沈黙が流れる。ナイシェは居心地が悪かった。
「……話してよ、姉さん。私、もう理解できる年だと思う」
私のことも、姉さんのことも。
ナイシェは返事を待った。重苦しい静寂。少しして、ディオネが身を反転させた。その目はしっかりとナイシェの目を見つめている。
「……そうね。あんたなら、きっと耐えてくれる……」
独り言のようにそういって、ディオネはゆっくりと起き上がった。
「ごめんね……怖かったでしょう」
ナイシェは言葉が見つからず、あえてこういった。
「……でもあれは、仲間を救うためだったわ」
ディオネは自嘲した。
「救うため……? そうね、あんな力でも人の役に立つんだわ」
「でも姉さんは救うためにしか使っていないし、これからだって……そうでしょ」
確認するようにナイシェがいう。
「そう……トモロスでのときも、そのつもりだった。本当なら、あの剣を砕くだけで十分だった。でも……理性よりも、大事な妹が襲われた怒りのほうが、勝ってしまった。これじゃあ……『神の民』、失格だね」
ナイシェは耳を疑った。
「神の……?」
そんな妹の反応を見て、ディオネが複雑な笑みを浮かべる。
「破壊の民ナリューンって、知ってる?」
ナリューン。確か、エルシャがいっていた、サラマ・アンギュースのうちの……。
「姉さん……が?」
ディオネの笑みが、それを肯定していた。
「驚かないでね。そしてあなたは……創造の民、パテキアよ。あなたの力が、ジュベールに新たな命を創り出して、彼を救ったの」
「パ……!?」
絶句した。まさか、そんなはずはないと思った。混乱した記憶の糸を手繰る。
「だ、だって私……かけらなんて、持ってない……!」
「あたしが、入れたんだ」
ディオネが淡々といった。
「五歳のとき、父さんと母さんが病気で死んだっていったよね。そのとき、あたしは父さんのかけらを体に埋めた。……ここ、首の後ろにね」
そういってディオネは長い髪を束ねて持ち上げた。首の真ん中に、小さな切り傷があった。
「で、あんたには母さんの……創造のかけらを埋めた。場所は……左の、わき腹のところよ」
確かに、心当たりがあった。腕に隠れるようなこんな場所に、いったいいつ怪我をしたんだろうと思ったことがあった。
「あのころは、父さんたちの力を受け継げるんだって、誇りに思ってた。今でもそれは変わらない。でも……あんたに埋めたことだけは、後悔してる」
苦しそうなディオネの顔を見て、ナイシェははっとした。いつかのゼムズの言葉が蘇る。
――サラマ・アンギュースってのはな。もてはやされるどころか、忌み嫌われるんだ。
――『まだ息のあるうちに親を切り刻むなんて人間じゃない』
――たいていのやつらは、俺たちを軽蔑し、憎んですらいる。
気がつくと、目に涙があふれていた。口を開くと嗚咽が漏れた。
「ごめんなさい……私、何にもわかっていなかった。どうして姉さんが、私に話してくれなかったのか……たったひとりの家族なのに、どうしてって思ったの。確かに、初めてその力を見たとき……すごく、怖かった。でも、それでも隠さず話してくれれば理解できたのに、って思った。姉さんがどうして秘密にしてきたのか……今やっと、わかったわ」
姉の大きな手がナイシェの髪に触れた。
「いいのよ。あたしのかけらはともかく、あんたのかけらはあたしが勝手に埋めたんだし……。話してもあんたがつらくなるだけだ、あんたは周りの視線に耐えられないって……トモロスで再会したあとも、そう思ってたあたしがいけなかったの。あんたはもう、十分に強いんだったね。あのとき、話していればよかったんだね……。ごめんね、ナイシェ」
ナイシェは何もいわずにディオネの胸に顔をうずめた。その胸と自分を抱きしめる腕は温かく、記憶にこびりついて離れないあのおぞましい恐怖とは真逆の感情が、ゆっくりと自分の中に浸透していくのを、ナイシェは感じていた。
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