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【第一部:王位継承者】第九章

ヘルマークの悪夢

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 それは、悪夢だった。現実ならばけして起きてほしくないような――起こしたくないような、とびきりの悪夢――。

 目を開いたとき、見えたのはみなの心配そうな顔だった。

「気がついた?」
 ナイシェが心配そうに覗きこむ。フェランはゆっくりと身を起こした。
「大丈夫? 熱にうなされて、半日近く眠ってたのよ」

 ナイシェが水に浸した布を絞り額にあてる。

「すみません……迷惑をかけてしまって……」

 フェランがためらいがちにいうと、ディオネが半身のフェランに布団をかけながらいった。

「何いってんの。病人はおとなしく寝てなさい。別に急ぐ旅でもないし、幸い凶暴な町の連中はほかのことに気を取られているようだし」

 途端に、フェランは思い出したように勢いよく跳ね起き、真っ青な顔で叫んだ。

「エルシャ……エルシャは!?」
「あいつなら、よくわからないが宿屋ここに着くなり用事があるってどこかに行っちまったぜ」

ゼムズが半ば憮然とした様子でいった。

「……いけない……」

 フェランは定まらない視線でそう呟くと、勢いよくベッドから飛び降りた。

「すみません、エルシャを探してきます!」

 突然の出来事で呆気にとられている三人を背に、フェランはわき目も振らず部屋を出て行った。しばらくのあと、ディオネが眉をひそめて怒り出した。

「……ちょっと! どういうことよ、あの二人は! 何をそんなにあわててるのよ」

 するとゼムズがふん、と鼻を鳴らした。

「エルシャの様子が変わったのも、フェランがぶっ倒れたのも、あれを見てからだよな」

 あれ――。

 ナイシェは心の中で繰り返した。

 あれは、確かさらさらした黒髪が印象的な、美青年……。

 ディオネがありえないとでもいうように首を横に振った。

「まさか……あの、指名手配中の悪者を探してるっていうの?」
「でも、それしかねえよ――目的は何にしろ」

 三人は顔を見合わせた。

「……まったく。行くしかないじゃないよ」

 ディオネが迷惑そうに両手をあげた。





 夜も更けてきたころ。町はひっそりと静まり返っている――ときどきかすかに聞こえる町人の足音以外は。

「町の連中、そうとう金に目が眩んでるな」

 ゼムズがいう。

「ねえ……本当にこの町にあの青年がいるの? もうとっくに逃げてんじゃないの」

 ディオネが呟いたそのとき。

「しっ! 誰か来るわ」

 ナイシェがいった。確かに、耳を澄ますと人の足音がする。三人は路地に隠れて身構えた。次第に近づく足音。息を殺して待つ。足音が不意に止み、次の瞬間見知らぬ男が視界に飛びこんできた。男は人影にすばやく反応し、手にしていた棍棒を振り下ろした。が、それをゼムズが大剣でしっかりと受け止める。男はすばやく後ずさると、叫んだ。

「おまえら、あいつの仲間か!?」

 ゼムズは首を振りながら剣を下ろした。

「違う。ただの旅人だ」

 それを聞き、男はふんと鼻を鳴らした。

「今日のところは見逃してやる。殺されねえうちにとっとと消えろ」

「待て!」
 立ち去ろうとする男の腕をゼムズがつかんだ。
「おい、いったいこの町はどうなってんだ。あの賞金のかかってる男は何なんだ」

 男は横目でゼムズをにらみつけた。

「おまえら、俺たちの獲物を横取りする気か」
「まさか。ここを無事通過できりゃあそれでいいさ」
「ふん……そうか。ま、教えてやってもいいけどな……」

 男が意味ありげにいう。ゼムズはちっと舌打ちすると、乱暴に懐をまさぐった。出てきたのは、数枚の紙幣。それを見て男はにやりと笑った。

「……ま、それくらいでいいか」

 そしてゼムズの手から金をむしりとると、話し始めた。

「俺もよく知らねえけどよ、ある日突然紙切れが配られてよ、なんてったって賞金が一千万だろ。どういう事情で賞金首になったのかは知らねえが、こうして狩りに出てるってわけよ。みな一千万目当てに街中を駆けずり回ってるぜ」
「その男は、まだ町の中にいるのか」
「ああ、袋のねずみよ。こうしてる間にも、もうやつの首をとったやつがいるかもしれない」
「なるほどね」

 ディオネがうなずいた。

「俺が知ってんのはそれだけだ。じゃあな」

 そういうと男は暗がりに消えていった。

「どうやらあの美青年、悪人ってわけでもなさそうね」
「エルシャたちの知り合いかしら……」
「とにかく、小さい町なんだ。エルシャたちはすぐ見つかるだろう」

 ゼムズはそういうと、先頭をきって歩き出した。





 入り組んだ街並みを縫いながら、しばしば見かける町の人間たち。手には槍や長剣、棍棒などが見てとれる。三人は彼らに見つからぬよう注意しながらエルシャとフェランの姿を探していた。

 ……エルシャたちは私たちに、アルマニアの名門らしい家の出だということしか教えてくれない。

 歩きながら、ナイシェは思った。

 私たちは、ありのままを見せているのに……。もちろん、すべて明かしてとはいわない。でも、私たちに何もいわずに突然出て行くなんて。せめて話せない理由だけでも……。

 そのときだった。

「ナイシェ!」

 ディオネが叫ぶなり彼女の腕を力強く引いた。退いたナイシェの目の前を、風のような速さで刃物が横切る。

「きゃあ!」

 三人の目の前に、五人ほどの男が立ちはだかった。

「くそっ、人違いだ」
「でもきっと仲間だぜ! さっきも男の二人組がちょろちょろしてたじゃねえか」
 男が剣を構える。
「二人組……」

 ナイシェが思わず反応した。

「あの! その二人をどこで見かけましたか!」

 ゼムズとディオネが止めるのも聞かず、ナイシェは男たちに尋ねた。

「やっぱりな」

 男の顔が険しくなった。はっとしてナイシェが口をつぐんだときにはすでに遅く、男たちは剣を構え直した。

「やっぱりおまえら、やつらの仲間だな。生きて帰れると思うなよ」

 いうなり彼らは武器を振り上げた。

「逃げろ!」
 ゼムズはディオネとナイシェを体でかばいながらすばやく剣を抜いた。次の瞬間、火花とともに剣のぶつかり合う凄まじい音。

「ゼムズ……!」
「いいから行け!」

 ナイシェは戸惑いながらも姉に腕を引かれて路地の奥へと逃げていった。ゼムズも剣でかわしながら巧みに後退する。

「こっちよ、ナイシェ!」
「姉さん……! でもゼムズが!」

 ナイシェの言葉にディオネが振り返ったときには、すでにゼムズの姿はなかった。ディオネは生唾を飲んだ。

「姉さん! 戻ろう!」

 ナイシェが必死の形相でいう。しかしディオネは唇を固く噛み締めながら首を横に振った。

「戻っても足手まといになるだけよ。彼を信じて、逃げよう」

 ナイシェはディオネに手を引かれて再び走り出した。

「ほら、こっち!」

 ディオネが数個目の角を曲がったときだった。何者かの腕が二人に絡みつき、ものすごい力で家屋の中へ引きずりこんだ。
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