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【第一部:王位継承者】第四章

ゼムズ

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 一行がルインに着いたのは、夜もすっかり更けたころだった。しんと静まり返った小さな町。建物は深い闇に溶けこんで、冷たい空気がゆっくりと流れている。

「気をつけろよ。夜中ってのは襲うにはもってこいだからな」

 エルシャが小声で囁く。

「あ」

 ナイシェがある建物の壁を指差した。そこには、『本日の宿はこちらへ』という看板がかかっている。

「ほら、ここを曲がったところが入り口だって」

 思いのほか早く宿が見つかり、ナイシェはほっとした様子で角を曲がろうとした。

「待てナイシェ! 一人で先に行くと――」

 エルシャが慌てて止めるのと、ナイシェが角を曲がるのはほとんど同時だった。

「あ……」

 ナイシェが一歩あとずさった。エルシャが追いついたときには、彼女の目の前に立つ大男が大剣を振り下ろす直前だった。

「危ない!」

 エルシャはナイシェの腕をつかむと、力いっぱい引っ張った。がしゃんと大きな音がして、剣が石畳の地面に打ちつけられる。エルシャは顔を上げた。ざっと数えて六、七人。暗闇のせいでそれ以上はわからない。

「……くそっ」

 エルシャは舌打ちした。体力はフェランの治療に使ってしまいもうほとんど残っていない。そのフェランも右腕は動かせない状態で、短剣すらうまく扱えない。今剣を抜けば、間違いなく勝ち目はないだろう。では……逃げるか。
 そう思ったとき、男たちの中の一人が剣を構えた。

 ……どうやら選択肢はないようだな。

「仕方ない」

 エルシャは警戒しながら立ち上がると、ゆっくり腰の剣に手を当てた。それに気づいたフェランが、険しい顔つきでナイシェの肩に手を置く。

「フェラン……頼んだぞ」
「はい」
 フェランはそっと震えるナイシェを引き寄せた。
「ずっと僕の後ろにいてください。いいですね」
 ナイシェは小さくうなずいた。

 男たちが、地を蹴ってエルシャに跳びかかった。高い音がして、闇の中に火花が散る。

 男のほうが俺より数段上だ……!

 エルシャは瞬時に悟った。男のあまりの力の強さに、エルシャは冷や汗が流れるのを感じた。相手の刃が、徐々に近づいてくる。

「くそ!」

 エルシャはすべての力を込めて剣をなぎ払うと、柄に手のひらを添えて男の腹を貫こうとした。一か八かの大きな動きだった。しかし、鈍い剣先は身をかわした男の服をかすめただけだった。バランスを崩したエルシャの体が無防備になる。

「もらった!」

 頭上で男の声がした。エルシャは上を振り向いた。幅の広い剣が首をめがけて振り下ろされる。

 もう終わりだ。

 そう思ったときだった。

 エルシャの顔面に紙一重の高さで、一振りの剣が横切った。その剣が僅差で男の剣を捉える。エルシャは素早く剣の下から転がり出ると、自分を救った大剣の持ち主を見た。暗がりでその風貌まではわからないが、二メートル近くはあるがっしりした男だ。

「おまえは……」

 エルシャの呟きともとれる言葉に、彼は笑っていった。

「敵の五人や六人俺に任せろ。それよりそっちの二人、守ってやんな」

 エルシャは困惑したが、今優先すべきことははっきりしていた。何もいわずに踵を返し、エルシャはフェランとナイシェのほうへ駆け寄った。幸い、襲われたのが狭い路地だったため、うしろのほうに退いていた二人には小柄な男が一人で剣を振り回しているだけだった。フェランが、ナイシェをかばいながら短剣を持った左手ひとつでそれを防いでいる。フェランがエルシャの姿に気づいた。

「エルシャ!」

 その声に男が攻撃の手を緩めて振り返ったとき、エルシャの細身の剣が男の腹を切り裂いた。

「あの男性は……」

 フェランが力なく立ち上がりながら尋ねる。

「わからない。しかし、俺たちを助けてくれている……らしいな」

 正体不明のその男は、あっというまに五人倒し、残りの一人も抵抗させるまもなく剣で串刺しにしてしまった。そして顔には、余裕の笑み。彼は剣から血を振り払うと、三人のほうへ歩み寄ってきた。近づくと、背が高く胸板の厚い、筋肉の塊のような男だった。年のころは二十台後半といったところか。

「……ありがとう、助かったよ」
「なに、たいしたこたぁねえさ」

 大きなだみ声で、男はいった。

「……こんな物騒な街に、襲われている者を助けてくれる奴がいるとは思わなかった」

 相手をうかがうようにエルシャがいうと、男はにやりと笑った。

「ま、もちろん下心がまったくなかったわけでもねぇけどな」

 張り詰めた緊張の雰囲気が漂う。男が再び口を開いた。

「なに、下心っていってもな、おまえさんたちをどうこうするっていうんじゃねぇんだ。……とりあえず、俺んちに来ねえか。俺はゼムズってんだ」

 エルシャは気さくに話すゼムズとは反対に真剣なまなざしで返答した。

「もう少し話の筋を見せてくれないと、判断できないな」

 ゼムズはそれまでの笑顔を一転引き締めると、肩をすくめた。

「しゃあねえな。これは人前ではいえないことなんだが……俺はな、シレノス――サラマ・アンギュースの予見の民だ。予見の民、知ってるか?」

 三人は、ゼムズの突然の告白に驚かざるを得なかった。

「予見……つまり、未来が視える、ってやつよ。で、おとといの夜、おまえさんたちを『視た』わけさ。まさにさっきの状況、野郎どもがいきり立って襲い掛かってくる様子をな。そして今日の朝、また『視た』わけだ。この俺が、おまえさんたちと一緒に歩いているのをな。周りは草っぱらだったみたいだな。まるで、あてもない旅のようだった……」

「旅?」

「つまり、俺たちが何らかの理由で一緒に旅をすることになるんだよ」

「あの……」
 ナイシェがおずおずと口を挟んだ。
「その、今朝視た中に、私もいたの……?」
「ああ。あともうひとり、ちょっと気が強そうな感じの女もいたな」

 ゼムズが肯定する。ナイシェは首をかしげ、エルシャはフェランと顔を見合わせた。
 あまりに突拍子もない話だ。子供だって、もう少しましな嘘をつくだろう。

「で、どうする。俺んちに来るか。これ以上はここでは話せないぜ」

 しばらくの沈黙の後、エルシャはいった。

「……行こう。話を聞く」

 フェランにとって、エルシャのその決断は意外なものだった。普段は何事にも慎重なエルシャが、食い下がることもなくこうも軽率に怪しげな男についていくとは。

 ゼムズはにやりと笑った。

「ここからすぐのところだ。ついてきてくれ」
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