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【第六部:終わりと始まり】最終章
終わりと始まり④
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「主役が、こんなところにおひとりですか?」
椅子に座り夜空を眺めていたエルシャが振り返った。
「ああ、フェラン。久しぶりだな」
左手の赤ワイングラスをご機嫌に掲げる。フェランは隣に腰を下ろした。
「酔っているんですか? 珍しいですね」
「そうだな、今夜は久しぶりに、気分よく酔えているな」
ほんのり頬を紅潮させていう。エルシャはあたりを見回した。
「ナイシェはどうした?」
「……カイル伯爵に、盗られました」
そのいい方に、エルシャが大笑いする。
「おまえ、まだ根に持っているのか? らしくないな」
「仕方ありませんよ」
眉をひそめてふてくされるその姿は、もはや開き直っているようだ。
「ま、そのおかげでやっと俺はおまえと二人きりになれたわけだ。カイル伯爵に感謝だな」
「男と二人きりになっても……」
やっとフェランが笑う。エルシャは焦点の定まり切らない目でフェランを見た。
「おまえがいなくなってから、寂しかったぞ。やはり、ずっと女に仕立て上げておけばよかった」
「ふふ、それは無理ですよ。むしろ、いい機会だったのでは? リザは頼りになりますし、何よりエルシャ、あなたにはジュノレ様がいらっしゃいます。……三か月後でしょう?」
「ああ、そうだな。やっと……」
戴冠式を無事に終え、三か月後には婚礼の儀が控えている。エルシャは日々職務に邁進しているが、周囲は三か月後に向けての準備で大忙しらしい。
グラスを傾けながら、しばらく静寂を味わう。
「……体調は、どうなんですか?」
不意にフェランが尋ねた。
「体調?」
フェランがいいにくそうにする。
「ええ……あまり、眠れていないのではないかと」
「ああ……それは大丈夫だ。確かに仕事は忙しいけどな、以前と違って、悪夢にうなされることはほとんどない。うなされるときは決まって、一年前の記憶だ。もう――それより昔の夢を見ることも、なくなった」
かけらを失ってからは、神の記憶もおぼろげで、ほとんど思い出せなくなっていた。記憶にあるのは、史実として己の脳に刻まれた無機的な事柄だけで、あれほど鮮明だったはずの映像は、そこからすっぽりと抜け落ちている。あれ以来、神の言葉も聞こえない。
「結局、神は……どういう決断を、したんだろうな?」
誰へともなく、エルシャは呟いた。
「神は、人間の闇を一時は封印したものの、それを解放することにした。しかし、悪魔の闇が世界を覆うことは、よしとしなかった。第二のタラ・ム・テールで、今度こそ悪魔に打ち勝ち、そして――この世界は、どこに向かうのだろうな?」
冷たい夜風がエルシャの頬を撫でる。瞬く星は、何も語らない。
「問いかけても、神は答えて下さらない。神は、この世界を破壊し、いちから創り直すこともできた。だが、それをしなかった。人間の悪行は、今も変わらない。それが人間そのものの闇によるものなのか、雪がれない悪魔の血によるものなのか、それすらわからない。俺はただ手探りで、俺の考える『よき世界』を目指す――ときどき、それで正しいのか、不安になる」
いたずらに揺らしていたワイングラスも、いつの間にか動きを止めている。大広間の喧騒が遥か遠くに感じる。自分だけ別世界にいるようだ。
「……それで、いいのではないですか?」
フェランがいった。
「神のご意志など、ちっぽけな人間には計り知れない――そういったのは、エルシャですよ。私たちは、神の産物。何を考え、どう行動しようと、すべては神の手の上です。エルシャはエルシャの思う道を、進めばいいのではないですか?」
穏やかな瞳で、フェランが見つめていた。エルシャは再び空を見上げた。月も星も、深い藍色の空も暗闇にひっそりと佇む木々たちも、何も語らずただじっと見守るだけだ。
唐突に、それが答えのような気がした。
「――おまえの、いうとおりかもしれないな」
天を見つめたまま、呟いた。
宴は夜が明けるまで続いた。誰もが希望に満ち溢れ、眠ることも忘れてその日を祝った。アルマニア王国が真の再起へとその足を踏み出す、始まりの夜だった。
--------------------
第二のタラ・ム・テールは、史上最悪の惨禍として史録に書き残された。同時に、メリライナとエルシャの口から語られた三十億年前からの神の記憶も、伝承として記された。第一のタラ・ム・テールで生まれた神の民は、第二のタラ・ム・テールとともにその力を失い、事実上姿を消した。神の民のみが操る太古の言葉、ナリューン語は、時が経つにつれ風化し、国蔵書に数語を残すのみとなった。ただ一か所、北のイズリア山脈のどこかにあるといわれる、神の民の末裔が暮らす伝説の村、サラマ・レーナでだけ、人知れずナリューン語が語り継がれているという伝説がある。
第二のタラ・ム・テールで命を賭して神の復活を成し遂げたアルマニア七世は、勇敢王としてその名を語り継がれることとなった。そしてその後の王国の復興と繁栄に人生のすべてをささげたアルマニア八世は賢王と呼ばれ、それを支え続けた聡明な王妃とともに、その後二千年以上続くアルマニア王国の歴史に名を刻むこととなる――。
完
椅子に座り夜空を眺めていたエルシャが振り返った。
「ああ、フェラン。久しぶりだな」
左手の赤ワイングラスをご機嫌に掲げる。フェランは隣に腰を下ろした。
「酔っているんですか? 珍しいですね」
「そうだな、今夜は久しぶりに、気分よく酔えているな」
ほんのり頬を紅潮させていう。エルシャはあたりを見回した。
「ナイシェはどうした?」
「……カイル伯爵に、盗られました」
そのいい方に、エルシャが大笑いする。
「おまえ、まだ根に持っているのか? らしくないな」
「仕方ありませんよ」
眉をひそめてふてくされるその姿は、もはや開き直っているようだ。
「ま、そのおかげでやっと俺はおまえと二人きりになれたわけだ。カイル伯爵に感謝だな」
「男と二人きりになっても……」
やっとフェランが笑う。エルシャは焦点の定まり切らない目でフェランを見た。
「おまえがいなくなってから、寂しかったぞ。やはり、ずっと女に仕立て上げておけばよかった」
「ふふ、それは無理ですよ。むしろ、いい機会だったのでは? リザは頼りになりますし、何よりエルシャ、あなたにはジュノレ様がいらっしゃいます。……三か月後でしょう?」
「ああ、そうだな。やっと……」
戴冠式を無事に終え、三か月後には婚礼の儀が控えている。エルシャは日々職務に邁進しているが、周囲は三か月後に向けての準備で大忙しらしい。
グラスを傾けながら、しばらく静寂を味わう。
「……体調は、どうなんですか?」
不意にフェランが尋ねた。
「体調?」
フェランがいいにくそうにする。
「ええ……あまり、眠れていないのではないかと」
「ああ……それは大丈夫だ。確かに仕事は忙しいけどな、以前と違って、悪夢にうなされることはほとんどない。うなされるときは決まって、一年前の記憶だ。もう――それより昔の夢を見ることも、なくなった」
かけらを失ってからは、神の記憶もおぼろげで、ほとんど思い出せなくなっていた。記憶にあるのは、史実として己の脳に刻まれた無機的な事柄だけで、あれほど鮮明だったはずの映像は、そこからすっぽりと抜け落ちている。あれ以来、神の言葉も聞こえない。
「結局、神は……どういう決断を、したんだろうな?」
誰へともなく、エルシャは呟いた。
「神は、人間の闇を一時は封印したものの、それを解放することにした。しかし、悪魔の闇が世界を覆うことは、よしとしなかった。第二のタラ・ム・テールで、今度こそ悪魔に打ち勝ち、そして――この世界は、どこに向かうのだろうな?」
冷たい夜風がエルシャの頬を撫でる。瞬く星は、何も語らない。
「問いかけても、神は答えて下さらない。神は、この世界を破壊し、いちから創り直すこともできた。だが、それをしなかった。人間の悪行は、今も変わらない。それが人間そのものの闇によるものなのか、雪がれない悪魔の血によるものなのか、それすらわからない。俺はただ手探りで、俺の考える『よき世界』を目指す――ときどき、それで正しいのか、不安になる」
いたずらに揺らしていたワイングラスも、いつの間にか動きを止めている。大広間の喧騒が遥か遠くに感じる。自分だけ別世界にいるようだ。
「……それで、いいのではないですか?」
フェランがいった。
「神のご意志など、ちっぽけな人間には計り知れない――そういったのは、エルシャですよ。私たちは、神の産物。何を考え、どう行動しようと、すべては神の手の上です。エルシャはエルシャの思う道を、進めばいいのではないですか?」
穏やかな瞳で、フェランが見つめていた。エルシャは再び空を見上げた。月も星も、深い藍色の空も暗闇にひっそりと佇む木々たちも、何も語らずただじっと見守るだけだ。
唐突に、それが答えのような気がした。
「――おまえの、いうとおりかもしれないな」
天を見つめたまま、呟いた。
宴は夜が明けるまで続いた。誰もが希望に満ち溢れ、眠ることも忘れてその日を祝った。アルマニア王国が真の再起へとその足を踏み出す、始まりの夜だった。
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第二のタラ・ム・テールは、史上最悪の惨禍として史録に書き残された。同時に、メリライナとエルシャの口から語られた三十億年前からの神の記憶も、伝承として記された。第一のタラ・ム・テールで生まれた神の民は、第二のタラ・ム・テールとともにその力を失い、事実上姿を消した。神の民のみが操る太古の言葉、ナリューン語は、時が経つにつれ風化し、国蔵書に数語を残すのみとなった。ただ一か所、北のイズリア山脈のどこかにあるといわれる、神の民の末裔が暮らす伝説の村、サラマ・レーナでだけ、人知れずナリューン語が語り継がれているという伝説がある。
第二のタラ・ム・テールで命を賭して神の復活を成し遂げたアルマニア七世は、勇敢王としてその名を語り継がれることとなった。そしてその後の王国の復興と繁栄に人生のすべてをささげたアルマニア八世は賢王と呼ばれ、それを支え続けた聡明な王妃とともに、その後二千年以上続くアルマニア王国の歴史に名を刻むこととなる――。
完
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まだ第一章の途中なので感想書いても良いのか躊躇われましたが。
使われている言葉から状況把握がしやすいので読みやすいです。序盤で退場してしまった子たちは再登場するのでしょうか…? ほんのり期待しつつ、今後も読み進めてゆきます。
感想ありがとうございます!
語彙力がなく(笑)、平易な文で悪戦苦闘していますが、読みやすいといってもらえるとありがたいです。なるべく、立ち止まらずに読み進められる文を目指しています。
子供がお好きですか? 序盤の子供たちとは、誰のことでしょうか。芸能一座のカルヴァくん?もしかして、いっちばん最初の、草原に倒れていた天使風の子!?
…と思い見直していて、気づきました。天使風の子が登場するプロローグ、このままでは、読み進めてもいったい誰のことなのかわかってもらえないかも…!ちょっと後日修正します!
ちなみに今後(だいぶあとですが)、キーパーソンとなる子供も、数人登場します。大人な主人公たちに混ざって頑張ります!
日々の更新楽しみにしています。ところで、似たようなカタカナの固有名詞が多くて混乱してしまうので、人物紹介ページなどかあると助かるのですが、いかがでしょうか。
毎日ありがとうございます(涙)。ご指摘、おっしゃるとおりです(汗)。似た名前ばかりなのは、ひとえに私の初期設定の甘さです…。似た系統の名前が好きだったり、これほどの長編になるとは思わず(完結までまだまだかかります)、深く考えず名付けました。似すぎだと気づいたときには、すでに修正できないほどキャラに愛着が…(笑)。登場人物紹介、用意しますね!
流行りの異世界転生ものなどではなく、しっかりとした中世ファンタジーでしょうか。「過酷な運命」が気になり、早く続きが読みたいです。
初感想、ありがとうございますっ!
まったり始まりますが、これから、様々な事情を抱えるいろんな人物が現れ、ときにディープな展開を見せていきます。ぜひ、飽きずにお付き合いくださいm(_ _)m