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【第六部:終わりと始まり】第十章
破壊の民ナリューン
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「え……?」
振り返ると、ディオネが鋭いまなざしでジュノレを見つめていた。ディオネが再びいった。
「かけらを出して。埋めるから」
ジュノレが息を飲む。
「埋めるって……」
「一度は取り出した、あたしの破壊のかけら……。今、もう一度、埋める。それしか、勝ち目はない」
ゆるぎない声で告げる。目を合わせたまま何も言わないジュノレに向かって、ディオネは口元を緩めた。
「ほら、あたし、ナイシェに絶対死なないって約束しちゃったし。それに、あたしをかばったせいであんたが死んだりしたら、あたし、エルシャに顔向けできない」
わざとおどけていう。ジュノレもつられて笑った。
「それをいうなら、あなたを引っ張り回した挙句死なせてしまったら、私はナイシェに顔向けできない」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「お互い、まだ死ねないということだ」
ジュノレは懐から小さな布袋を取り出した。ディオネが中身を確認する。どれも似たような、小さな多面体のガラスのような破片だ。ジュノレにはまったく区別がつかなかったが、ディオネはためらいもなくその中からひとつを選んだ。薄暗い食物庫の中でも、わずかな光の筋を捉えてきらきらと反射する、宝石のようなかけらだった。
「……それなのか?」
ジュノレが尋ねる。ディオネはうなずいた。
「あたしが、自分で埋めたかけらだ。父さんから受け継いだ、大事なかけら。間違うはずがない」
ディオネは物いわぬかけらをじっと見つめた。
「……神はあたしを、ナイシェのときのように許してくれるかな……」
独り言のように呟く。
「許す?」
「そう。一度はかけらを捨てた、裏切り者のあたしを」
「裏切り者だなんて――」
否定しようとするジュノレを静かに制す。
「ナイシェはさ、人のために、自分を犠牲にできる子なの。あたしを守るためにかけらを手放し、ティーダを守るために再び埋めた。破壊の力を手に入れたって、それを人間相手に使おうとは絶対しないような、やさしい子。でも、あたしは違う。あたしにとって、一番大切なのはナイシェなの。ナイシェのためなら喜んで、かけらを捨てもするし埋めもする。人殺しだって、ためらいなくやってきた。全部ナイシェのためだっていってるあたしは、ただの我儘なんだ。今だって、神の復活のために埋めるんじゃない。ナイシェを救うために、埋めるんだ――」
ジュノレがディオネの右手に触れ、ディオネは言葉を止めた。わずかな不安を宿したディオネの目を見て、ジュノレがにやりと笑った。
「我儘上等。それがナイシェだけでなく世界を救うんだ、神が文句をいうとでも? 弱気なディオネは、らしくないな」
一瞬の間のあと、ディオネが吹き出した。
「そうだった。あたしったら、柄にもなく感傷的になっちゃって、これじゃあエルシャのことをいってらんないわ」
そういったディオネの目から、迷いが消える。
突然、倉庫の木製扉に体当たりする音が聞こえた。
「中にいるはずだ! 囲め!」
外で男の声がする。ディオネは右手で短剣を握り直すと、自らの左手首に刃を当てた。一思いに引こうとするが、指に力が入らず、刃先が小刻みにぶれる。
ディオネは小さく舌打ちした。
「だめだ、うまくできない」
そのとき、ディオネの震える右手を、ジュノレの手がそっと包んだ。
「――私がやろう」
血だらけの布で右手に縛り付けられた剣を、ディオネの右手ごと握りしめる。ディオネが息を飲んだ。
「大丈夫。一瞬で終わらせてやる」
ジュノレがディオネを見つめていった。ディオネが唇を噛みしめてうなずく。ジュノレは、震えの止まった切っ先をぴたりとディオネの手首に当てた。
「歯を食いしばっていろ。痛むぞ」
低い声でそう告げると、ジュノレは繊細な手つきでためらいなく右手を引いた。
「ううぅっ……!」
手首に鮮やかな紅の一線が現れ、ディオネの口からくぐもった呻き声が漏れた。みるみる血の溢れ出す傷口に、素早くかけらを押しつける。その上から、ジュノレは自分の上着の裾を当てがってきつく押さえた。ディオネの体が硬直し、小刻みに震える。全身から冷や汗が吹き出した。
二度、三度と、倉庫の扉に体当たりの音が響く。そのたびにみしみしと扉がきしみ、小さな小屋が揺れる。いつしか、男たちの怒号は食物庫の四方から聞こえていた。
「……囲まれたな」
ジュノレが呟く。
エルシャの近衛小隊は、力及ばなかったのか。それとも彼らが止めきれなかった輩が終結しているのか。いずれにせよ、もう唯一のデイ入り口から脱出することはできない。その反対側の壁をぶち破れば、青玉宮まであと少しだが、そちら側にもすでに人の気配がする。二人で処理できる人数か、それとも幾重にも押し寄せているのか、察することはできない。
ジュノレは自身の左肩を触った。血は何とか止まっているようだ。動かさなければ、これ以上の出血はないだろう。指先にわずかながら血の気が戻り、激しい動悸も収まった。頭も先ほどよりはっきりしている。
ジュノレは、強く押さえていたディオネの手首から手を離した。べっとりとディオネの肌に張りついた血液を、丁寧に上着で拭う。傷は、きれいに塞がっていた。
「……ディオネ。大丈夫か?」
うつむいて呼吸を乱すディオネに、ジュノレがそっと声をかける。ディオネは肩で息をしながら顔をあげた。その目は、不敵に笑っていた。
「大丈夫。……さあ、反撃だよ。あいつら、ぎったぎたにしてやる」
痛みに顔を歪ませながら、ディオネは立ち上がった。
「あの壁の向こうに出られれば、青玉宮まで一直線だ。私の剣と、ディオネの破壊の力――行けるか?」
ディオネの目は怒りにも似た光で満ちてきた。
「行くしかないでしょ! 全力で!」
倉庫の扉が蹴破られるのと、ほぼ同時だった。壮大な爆音がして、小屋の壁が一面吹き飛んだ。土煙が舞い、完全に視界が奪われる。
「行くぞ!」
ジュノレの掛け声とともに、二人は再び走り出した。青玉宮だと信じる方向へ、脇目も振らず走る。爆風に紛れて前後不覚な中、目の前に現れるえんじ色の軍服の人間をためらいなく斬っていく。ただ前しか見ていなかった。左右から現れる兵士たちは、後ろから走るディオネが次々と粉砕していった。ぐちゃり、と音がして、剣を持つ男たちの腕がみるみる潰れ血に染まる。それまでとは違う、男たちの悲鳴が響き渡った。兵士が大声で叫ぶ。
「ナリューンだ! ナリューンがいるぞ!!」
青玉宮の扉が見えた。扉は固く閉ざされ、その前に立ち塞がるように、えんじ色の兵士たちが並んだ。その両脇から、藍の軍服を着た衛兵が攻撃を仕掛ける。
「あと少しだ!」
ジュノレが叫ぶ。右腕一本で振り回す剣は次第に精細さを失っていく。それでもジュノレは進み続けた。剣で切り裂き、かけらの力で破壊した敵の血しぶきを浴びながら、小高い丘を登る。呼吸も体も、限界に近い。
天を覆う黒雲は、すでに視界に入る空のすべてを侵蝕していた。計り知れない厚さの漆黒が、ゆっくりと青玉宮をも飲み込もうとしている。天井の落ちた青玉宮の白い壁が、抵抗するかのように浮き立って見えた。
間に合ってくれ――!
ジュノレは右手の剣を握り直すと、最後の力を振り絞って青玉宮の入り口へと走った。
振り返ると、ディオネが鋭いまなざしでジュノレを見つめていた。ディオネが再びいった。
「かけらを出して。埋めるから」
ジュノレが息を飲む。
「埋めるって……」
「一度は取り出した、あたしの破壊のかけら……。今、もう一度、埋める。それしか、勝ち目はない」
ゆるぎない声で告げる。目を合わせたまま何も言わないジュノレに向かって、ディオネは口元を緩めた。
「ほら、あたし、ナイシェに絶対死なないって約束しちゃったし。それに、あたしをかばったせいであんたが死んだりしたら、あたし、エルシャに顔向けできない」
わざとおどけていう。ジュノレもつられて笑った。
「それをいうなら、あなたを引っ張り回した挙句死なせてしまったら、私はナイシェに顔向けできない」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
「お互い、まだ死ねないということだ」
ジュノレは懐から小さな布袋を取り出した。ディオネが中身を確認する。どれも似たような、小さな多面体のガラスのような破片だ。ジュノレにはまったく区別がつかなかったが、ディオネはためらいもなくその中からひとつを選んだ。薄暗い食物庫の中でも、わずかな光の筋を捉えてきらきらと反射する、宝石のようなかけらだった。
「……それなのか?」
ジュノレが尋ねる。ディオネはうなずいた。
「あたしが、自分で埋めたかけらだ。父さんから受け継いだ、大事なかけら。間違うはずがない」
ディオネは物いわぬかけらをじっと見つめた。
「……神はあたしを、ナイシェのときのように許してくれるかな……」
独り言のように呟く。
「許す?」
「そう。一度はかけらを捨てた、裏切り者のあたしを」
「裏切り者だなんて――」
否定しようとするジュノレを静かに制す。
「ナイシェはさ、人のために、自分を犠牲にできる子なの。あたしを守るためにかけらを手放し、ティーダを守るために再び埋めた。破壊の力を手に入れたって、それを人間相手に使おうとは絶対しないような、やさしい子。でも、あたしは違う。あたしにとって、一番大切なのはナイシェなの。ナイシェのためなら喜んで、かけらを捨てもするし埋めもする。人殺しだって、ためらいなくやってきた。全部ナイシェのためだっていってるあたしは、ただの我儘なんだ。今だって、神の復活のために埋めるんじゃない。ナイシェを救うために、埋めるんだ――」
ジュノレがディオネの右手に触れ、ディオネは言葉を止めた。わずかな不安を宿したディオネの目を見て、ジュノレがにやりと笑った。
「我儘上等。それがナイシェだけでなく世界を救うんだ、神が文句をいうとでも? 弱気なディオネは、らしくないな」
一瞬の間のあと、ディオネが吹き出した。
「そうだった。あたしったら、柄にもなく感傷的になっちゃって、これじゃあエルシャのことをいってらんないわ」
そういったディオネの目から、迷いが消える。
突然、倉庫の木製扉に体当たりする音が聞こえた。
「中にいるはずだ! 囲め!」
外で男の声がする。ディオネは右手で短剣を握り直すと、自らの左手首に刃を当てた。一思いに引こうとするが、指に力が入らず、刃先が小刻みにぶれる。
ディオネは小さく舌打ちした。
「だめだ、うまくできない」
そのとき、ディオネの震える右手を、ジュノレの手がそっと包んだ。
「――私がやろう」
血だらけの布で右手に縛り付けられた剣を、ディオネの右手ごと握りしめる。ディオネが息を飲んだ。
「大丈夫。一瞬で終わらせてやる」
ジュノレがディオネを見つめていった。ディオネが唇を噛みしめてうなずく。ジュノレは、震えの止まった切っ先をぴたりとディオネの手首に当てた。
「歯を食いしばっていろ。痛むぞ」
低い声でそう告げると、ジュノレは繊細な手つきでためらいなく右手を引いた。
「ううぅっ……!」
手首に鮮やかな紅の一線が現れ、ディオネの口からくぐもった呻き声が漏れた。みるみる血の溢れ出す傷口に、素早くかけらを押しつける。その上から、ジュノレは自分の上着の裾を当てがってきつく押さえた。ディオネの体が硬直し、小刻みに震える。全身から冷や汗が吹き出した。
二度、三度と、倉庫の扉に体当たりの音が響く。そのたびにみしみしと扉がきしみ、小さな小屋が揺れる。いつしか、男たちの怒号は食物庫の四方から聞こえていた。
「……囲まれたな」
ジュノレが呟く。
エルシャの近衛小隊は、力及ばなかったのか。それとも彼らが止めきれなかった輩が終結しているのか。いずれにせよ、もう唯一のデイ入り口から脱出することはできない。その反対側の壁をぶち破れば、青玉宮まであと少しだが、そちら側にもすでに人の気配がする。二人で処理できる人数か、それとも幾重にも押し寄せているのか、察することはできない。
ジュノレは自身の左肩を触った。血は何とか止まっているようだ。動かさなければ、これ以上の出血はないだろう。指先にわずかながら血の気が戻り、激しい動悸も収まった。頭も先ほどよりはっきりしている。
ジュノレは、強く押さえていたディオネの手首から手を離した。べっとりとディオネの肌に張りついた血液を、丁寧に上着で拭う。傷は、きれいに塞がっていた。
「……ディオネ。大丈夫か?」
うつむいて呼吸を乱すディオネに、ジュノレがそっと声をかける。ディオネは肩で息をしながら顔をあげた。その目は、不敵に笑っていた。
「大丈夫。……さあ、反撃だよ。あいつら、ぎったぎたにしてやる」
痛みに顔を歪ませながら、ディオネは立ち上がった。
「あの壁の向こうに出られれば、青玉宮まで一直線だ。私の剣と、ディオネの破壊の力――行けるか?」
ディオネの目は怒りにも似た光で満ちてきた。
「行くしかないでしょ! 全力で!」
倉庫の扉が蹴破られるのと、ほぼ同時だった。壮大な爆音がして、小屋の壁が一面吹き飛んだ。土煙が舞い、完全に視界が奪われる。
「行くぞ!」
ジュノレの掛け声とともに、二人は再び走り出した。青玉宮だと信じる方向へ、脇目も振らず走る。爆風に紛れて前後不覚な中、目の前に現れるえんじ色の軍服の人間をためらいなく斬っていく。ただ前しか見ていなかった。左右から現れる兵士たちは、後ろから走るディオネが次々と粉砕していった。ぐちゃり、と音がして、剣を持つ男たちの腕がみるみる潰れ血に染まる。それまでとは違う、男たちの悲鳴が響き渡った。兵士が大声で叫ぶ。
「ナリューンだ! ナリューンがいるぞ!!」
青玉宮の扉が見えた。扉は固く閉ざされ、その前に立ち塞がるように、えんじ色の兵士たちが並んだ。その両脇から、藍の軍服を着た衛兵が攻撃を仕掛ける。
「あと少しだ!」
ジュノレが叫ぶ。右腕一本で振り回す剣は次第に精細さを失っていく。それでもジュノレは進み続けた。剣で切り裂き、かけらの力で破壊した敵の血しぶきを浴びながら、小高い丘を登る。呼吸も体も、限界に近い。
天を覆う黒雲は、すでに視界に入る空のすべてを侵蝕していた。計り知れない厚さの漆黒が、ゆっくりと青玉宮をも飲み込もうとしている。天井の落ちた青玉宮の白い壁が、抵抗するかのように浮き立って見えた。
間に合ってくれ――!
ジュノレは右手の剣を握り直すと、最後の力を振り絞って青玉宮の入り口へと走った。
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